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 早春のころ、桜が見事に咲き誇る季節に、ツナは晴れて大学に入学した。高校では先生から絶対無理と請け負われた高嶺の花だったが、死ぬ気で勉強し、どうにかこうにか補欠で滑り込んだ憧れの大学。しかし入学式でのツナの表情はとても明るいと言えるものではなかった。
 そもそも身の程もわきまえずにツナがその大学を選んだのは、憧れのマドンナが志望している大学だから、という実に清々しいほど不純な動機からだった。一度も口をきいたことはないが、三年間ずっと憧れ続けてきた麗しのマドンナ。もし同じ大学に合格できたなら、勇気を振り絞って告白しようと心に決めて。
 果たして神はいたものか、ツナは努力の甲斐あってどうにか大学に滑り込めた。これぞ天の思し召し!
 喜び勇んだツナだったが、奈落は一歩向こうに口を開けて待っていた。
 合格発表のその日、高校から受験仲間と大学へ発表を見に行った集団に、ツナとマドンナはいた。幸い二人とも合格で、告知板の端の端に自分の番号を見つけたときのツナは、天にも昇る気持ちだった。ところがどっこい、マドンナと一緒にいた友人の女生徒がさも嬉しげにとんでもないことを口にしたのだ。

「やったじゃん! これで彼氏と同じ大学に通えるね!」

 友の合格をわがことのように喜ぶ彼女に悪気などは磯野波平の髪の先ほどもなかったことだろう。しかしさりげなく盗み聞きしていたツナに与えたショックはアースクェイクよりもデカかった。ツナのマドンナは彼氏と同じ学校に通いたくて、その大学を志望していたのだ。動機としてはツナとどっこいどっこいの不純さだが、そんなことを突っ込む余裕はツナにはなかった。
 告白する前にしてツナの恋は終わった。友人の言葉に涙を浮かべながらうん、と頷くマドンナの笑顔を、ツナは生涯忘れることはできないだろう。ほろ苦い恋の味と、深刻なトラウマとして……。
 かくしてのっけから希望を絶たれたツナは、人生で一番ずんどこに落ち込んだ状態で入学式を終え、目的を見失ったまま大学生活をスタートさせた。ただひたすら呆然と過ごすツナだったが、ある日のことゼミの新歓コンパの誘いを受けた。あまり人付き合いがいいとはいえないツナだったが、絶望のどん底にいた彼は、たまには気分転換もいいかと、コンパに出席することにしたのである。それが人生の曲がり角とは知る由もなく。
 先輩達に連れられて飲み屋に出向いたツナだったが、次に気づいたとき、彼は自宅の床の上にいた。服も着替えずベッドにも入らず、床の上に寝ていたのは間違いなく泥酔した結果だろう。全く記憶がないのだが、自分でも慄くほどに酒臭いという状況がすべてを物語っていた。
 どうにか昼過ぎには立って歩けるほどに回復し、恐る恐る顔を出した大学で、運命の紫の扉は待ち受けていた。一体何がどうなったのかわからないが、彼はミステリーサークルの十代目部長になっていたのである。

「はぁっ!?」

 ゼミの仲間からその事実を聞かされたとき、ツナが本気で叫んだのは当然のことだったろう。そんな外国の麦畑に一夜にして突如現れた変なマークのような名前のサークルなど、今の今までツナはその存在さえ全く知らなかった。それがどうしていきなり十代目の部長にならねばならないのだ。
 しかしその一方で、ツナには心当たりがあった。実はツナは奇妙な体質の持ち主で、過剰なストレスにさらされたり、何か危険に及んでパニックを引き起こすと、プッツン切れてしまうのだ。その間の記憶はツナにはないのだが、驚くべきことに、プッツン状態のツナは超人的パワーを発揮し、スーパーマリオ状態になるのだそうだ。親しい友人達はそんなツナの状態を『超人ハルク』と呼んでからかった。おそらく新歓コンパにおいてツナは泥酔して何かをやらかし、めぐりめぐってミステリーサークルの部長になってしまったようである。
 現部員である先輩曰く、

「あれは本当に凄い出来事だった! まさか人間にあんな力が秘められていただなんて!!」

 ……だそうであるから、プッツン状態に陥ったのが原因であるのは間違いないようだ。
 そんなわけで本人の意思に反して強制的に十代目部長に就任させられたツナは、必死になって誤解を解こうと試みた。ところがこのミステリーサークルとやらは超常現象やオカルト、未確認生物や飛行物体を愛好する会合であったため、プッツン状態のツナに何か非人類的なものを見出してしまった部員達はまるで聴く耳をもたなかった。

「沢田こそが我がミステリーサークルの部長に相応しい!」

「むしろ沢田こそがミステリー!!」

 とばかりにかえって鼻息を荒くするばかりで、勘弁してくれというツナの声などまるで聞こえちゃいない。どうにかして逃げ出したいツナの前に、救世主が現れたのは、新歓コンパから十日目のことだった。

「お前が十代目部長だなんて、オレは認めねぇ!」

 今日も今日とて誤解を解きにサークルへと足を運んだツナを真っ向から指差して、怒声を上げた一人の男。灰色の髪に緑の眼、長身痩躯、彫刻的な顔立ち、そして伊達を地で行く小洒落た服装。誰もが目を引くその青年は、ツナと同じく新入生の獄寺隼人だった。
 獄寺の髪や目が日本人的ではないのは、彼が半分イタリア人の血を引いているせいである。イタリア生まれのイタリア育ち、それがどういうわけか日本に数あるなかでもこの大学を選んで入学した、美貌の天才獄寺隼人である。彼はこの大学開校以来の好成績で入学し、その容姿と人を寄せ付けない性格から、入学式からしてすでに有名人となっていた人物だ。
 何とその獄寺がこの大学へ入学したのは、ミステリーサークルに入ることが目的であったのだ。
 幼いころより世界の不思議を愛好していた少年は、インターネットで出会ったとあるミステリーサークルのサイトに衝撃を受け、いつか必ず自分もその一員に加わるのだと夢を抱き続けてきた。そしてようやくそのサークルのある大学を見つけ出し、入学してみたら、自分と同じ年の何のとりえもなさそうな冴えない男が部長に任命されたというではないか。鳴り物入りで入学してきた獄寺にとって、それは耐え難い屈辱であった。

「オレは絶対認めねぇ!」

 怒髪天を突く勢いの獄寺に、かえってツナは天を仰いで感謝した。ああ、やっと話の通じそうな人が出てきてくれました。神様どうもありがとう!
 しかしツナは忘れていたのである。その神様は、ツナが告る前に彼女に振らせたとっても意地悪な神様であったことを。

「オレはお前を認めねぇ。十代目に相応しいのはこのオレだ!!」

「ちょっ、待ってよ! 認めないも何も、オレはミステリーサークルになんか入んないから!」

 ツナは必死で訴えたが、案の定獄寺は耳を貸さない。それどころか腕っ節にも自信のある獄寺は、裏山へとツナを呼び出したのだ。

「ううう……。何でこんなことになっちゃうんだ。裏山なんてそんな昭和のセンスだよ。文系らしく話し合いで解決できないのかなぁ」

 ちなみに獄寺は理系である。
 ぶつくさ呟きつつも指定された場所へ向かうツナの背中は煤けていた。それもそうだろう、呼び出しを受けた時点で嫌な予感スメルがプンプンする。獄寺はあの長身痩躯であるから、さぞや運動神経もいいことだろう。もし殴り合いにでもなろうものなら、一目散に走って逃げるか、その場で土下座して負けを認めよう。そのときに十代目部長の座は君に譲りますと叫べば話は通じるだろうか。
 暗い考えに頭を占拠されたままやってきたツナを、腕を組んだ仁王立ちで獄寺は迎えた。そして予想外にも程があることに、何と獄寺はダイナマイトを取り出したではないか。

「えええええええーっ!?」

 最早突っ込みも言葉にならず、ただただ驚愕するツナに、

「オレはイタリアじゃあちっとは名の知れた悪童よ。平和ボケした島国の小僧に手加減してやるほど情け深くはねぇ!」

 それはちょっと大人げなさすぎるんじゃないの、と突っ込む間もなく、獄寺の声が響き渡った。

「果てろ!」

 叫ぶや否や、ツナめがけて投げつけられるダイナマイト。涙と鼻水を盛大に流しながら逃げ回るツナ。しかし獄寺にとって誤算であったのは、ダメはダメでも逃げ脚だけは天下一品のダメツナは、見事なフットワークでダイナマイトの雨から逃げ回る。もしこれがとあるアメフト部を有する高校であったなら、うっかりアイシールドを渡されてしまうところだろう。

「ちっ!」

 意外な状況に舌打ちを一つこぼすと、獄寺は神速でどこからともなく倍のダイナマイトを取り出した。

「二倍ボム!」

「うぎゃああああああーっ!!」

 叫ぶ獄寺、逃げ惑うツナ。いつまで続くかと思われた地獄絵図であったが、ふと獄寺の動きが止まった。耳のいい彼は、奇妙な音を聞きつけたのだ。

「何だ……?」

 不吉な予感に身構える獄寺と、最早逃げ回る気力も底をつき、風前のともしびのツナ。地面に座り込んだツナは、命のはかなさを思いながら、茫然と足元を見つめていた。ああ、これでオレの人生は終わるんだ。短い人生だったなぁ。せめて誰か美人と手ぐらいつないでみたかった。それでできればちゅーもしてみたかった。わがままが許されるなら、もっと色々してみたかった。
 いかがわしいというよりいっそ哀れな願望を走馬灯のように駆け巡らせるツナの視界に、突如現実が入り込む。小さな土くれが、彼の手元に転がってきたのだ。それは次第に数を増し、いつしか微細な震動が指先だけならず、地面に腰をおろしたツナの全身に伝わった。
 ま、さ、か……!?
 全身の血の気が一気に引いたまま慌てて顔をあげると、やはり蒼白になった獄寺がどこか一点を見つめながら口をあけたまま呆然と立っていた。つられて同じ方向を見たツナは、迫りくる土砂の群れを視界に収めた。そしてツナの記憶は途切れた。






 ツナが意識を取り戻すと、そこは大学の医務室だった。見慣れぬ天井の風景に、一瞬記憶の混濁したツナは自分がどこで何をしているのかまるでわからなかった。お腹がすいたな、という至極まっとうな感想を抱きつつ寝返りを打ったツナは、リノリウムの床に土下座する男を認めてうっかり吹き出した。

「ごっ、ごごごご、ごくれらくんっ!?」

 あまりの衝撃に思わず噛んだツナに、床に額を何度もぶつけながら獄寺は叫んだ。

「お見逸れしました十代目! やはり貴方こそが十代目にふさわしい!!」

 涙ながらに訴える獄寺から何とか聞き出したところによると、どうやら裏山の地滑りから二人を助け出したのは、当の本人であるツナだった。ここ数日の雨で地盤の緩んでいた裏山は、獄寺のダイナマイト攻撃に耐えきれず、地滑りを起こした。大自然の怒りに直面し、印を切ることさえできずに立ち尽くす獄寺だったが、彼のすぐそばでへたり込んでいたはずのツナが突如立ち上がった。

「死ぬ気で逃げぇーるっ!」

 と叫ぶや否や、獄寺の腰をひっつかみ、肩に担ぐと恐るべき速さで駆け出したのだ。面喰った獄寺が硬直しているうちに、超人ハルクは裏山を駆け下り、安全なところまで逃げ延びた。ほんの一瞬の出来事である。こうしてツナに命を助けられた獄寺は、

「オレ、一生十代目に付いていきます!」

 と、極端な路線変更を決意したのだった。






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