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 ……そういえばもうだいぶ前になるが、人生最大の危機に瀕したとき、せめて誰か美人と手ぐらいつないでみたかったと、神様に祈ったことがあった。それでできればちゅーもしてみたかったし、わがままが許されるなら、もっと色々してみたかった、と。そして意地悪な神様は、うっかり自力で生き残ったツナに、ご褒美なのか何なのか、彼の願いを叶えてくれたようである。
 つっても相手は男なんだけどね、と胸中に呟いたツナは、自然とくちびるに笑みを浮かべていた。床に腰をおろしたまま獄寺にぎゅうぎゅうと抱きしめられて、うっとりと壁を眺めながら。
 神様はギネス級の意地悪だったが、獄寺が美人であることに間違いはない。そのうえ誰より忠実で、何よりツナを愛してやまない。これ以上の高望みなどありはしないだろう。
 微笑を刻んだまま獄寺の肩に額をすりつけるようにすると、嬉しいのか更に身体の距離を縮めようとするかのように獄寺が身じろいだ。その拍子に彼の長い脚がローテーブルに当たり、無粋な音を立てる。

「わっ……!」

 ガタン、という音に気を取られ、ツナが身体を離すと、忌々しげに獄寺はローテーブルを睨んだ。

「ちょっと、ここは危ないね……」

「そ、そうですね」

 照れたように笑うツナに、慌てて獄寺も笑顔を作る。せっかくのいい雰囲気を台無しにしたローテーブルは、獄寺の怒りの矛先からまぬがれた。

「えっと、……あっち行く?」

 できるだけさりげないのを装って、その実ものすごくぎこちなく、ツナは壁際のベッドを横目で見た。最早ここまできて怖気づいても何にもならず、いい加減獄寺にばかり行動を委ねるのは男がすたるからだ。

「そっ、そうっスね」

 どうやら一気にボルテージの上がったらしい獄寺は、上ずった声で返事をすると、バネでもついているかのように立ち上がった。その勢いが面白く、ツナもくすくすと笑いながら立ち上った。

「あ、えーっと、電気どうします?」

 こちらもまたさりげなさを装いきれないぎこちなさで問いかけ、照れ隠しにできるだけ優しげな笑顔を浮かべた獄寺が天井を指さす。いろいろと腹をくくったツナは、清水の舞台から飛び降りる気持でベッドに腰を下した。

「んーと、そう言えばちょっと眩しいかな」

 つまりやっぱりオレが下なわけね、とビビり根性丸出しで考えつつ、ツナも天井を見上げた。蛍光灯は白々と眩しく、かといって真っ暗にするわけにもいかないだろう。間接照明でもあるのかと考えるツナに、パッと表情を輝かせた獄寺が声をかけた。

「それならオレ、いいの持ってます!」

 言うなり何故かクローゼットに駆け寄り、ベージュの箱を引っ張り出した獄寺は、にこにこ笑って何やらキューブ状の物を取り出した。それはガラスのケースに収まったキャンドルで、大小幾つもある。

「こないだ商店街のくじ引きで当てたんスよ」

 まだ鍋の乗ったままのローテーブルや、サイドボード、パソコンラックの上にとキャンドルを乗せながら獄寺は言うが、もちろん嘘であろうことがツナにはわかっていた。日々の生活の偉大な味方、商店街のくじ引きがキャンドルなどという食べられもしなければ洗濯にも掃除にも使えないものを景品にするはずがない。松坂牛と言い、どうやら獄寺は言い訳をするとき、何でも『当たった』ことにしたがるようだ。
 見え透いた、けれど心づくしの獄寺のセリフに、ツナは表情をほころばせた。お気に入りのジッポーでキャンドルに火をともしていた獄寺は、よくわからないけれどツナがご機嫌なようなので、心底嬉しそうだった。

「消しますよ」

 蛍光灯から垂れたスイッチのひもなど存在しないスタイリッシュな獄寺の部屋は、キャンドルの火影に彩られて幻想的だった。

「わぁ……」

 意識せずにくちびるから漏れたツナの感嘆に、スイッチを切るために壁際に立っていた獄寺はほっと胸を撫で下ろした。それからツナの元へやってくると、ちょっと躊躇った末に、ツナの足元に跪いた。
 さすがに驚いたツナが腰を浮かすのを制し、獄寺は膝に置かれたツナの手を取った。

「好きです、愛してます、一生お傍にいさせてください!」

 噛みもせず、つっかえもせず、低い声ではっきりと告げると、獄寺は真摯な眼差しでツナを見つめた。おそらくもうずっと長い間、そのときに臨んだらこうしようと決めていたに違いない。まっすぐだけれど、緑の瞳にどこか不安げな光が揺れているように思うのは、ツナの思い違いではないだろう。ただ獄寺は、ツナに拒絶されることだけを恐れている。それがわかるからこそ、ツナは獄寺が愛しくて、自然と微笑がこぼれた。

「……うん。獄寺くんがいてくれたら、すごく心強いよね」

 自愛さえ滲ませたツナの言葉に、獄寺の表情が輝く。ギリシャ彫刻を思わせる整った顔立ちであるだけに、ただ無表情でいるだけで獄寺はひどく冷酷に見える。それが心からの喜びにほころぶ様は、間近で見ていたツナが呼吸を忘れるほどに美しかった。
 目の当たりにした人間がとろけるほどに愛嬌を含んだ笑顔のまま、獄寺はツナを抱きしめる。いつの間に彼が立ちあがったのかもわからぬまま、ツナは獄寺に押し倒されていた。
 溢れかえる愛情そのままに、獄寺はツナの顔じゅうにキスの雨を降らせた。子供っぽい仕草だが、格好つけている余裕などないのか、夢中でキスを贈る獄寺に、ツナの緊張もほどけていった。くすぐったいような気持ちでいっぱいで、やましくも恐ろしくもない。動物の愛情表現はやはりキスなのだろう。そんなふうにしていると、例えば獄寺の手が服の下に滑り込んできても、それとなく体重を預けられて組み敷かれても、ツナはとても自然に受け入れることができた。

「ん……十代目、肩を……」

 頬にくちづけながら、至近距離で獄寺がささやく。頬のうぶげを震わせるような密やかな言葉に肌がざわめくのを感じながら、ツナは肩を浮かせた。上半身を起こすのが負担にならぬよう、獄寺はツナの背中に腕をまわし、うやうやしくロングTシャツを脱がせた。外気にさらされた肌が一瞬ひやりとしたものの、獄寺の腕に抱かれている安心感からか、寒いとは思わない。ツナは横目でTシャツがベッドの下に落ちるのを眺め、小さくため息をついた。興奮のためか、先ほどから胸が熱くてたまらないのだ。
 よそ見をしていたツナの咽喉元に、何か冷たくて硬いものが当たった。ひゃ、と驚きの声を上げると、間近にあった獄寺の眼と視線がかちあった。前々から知っていたが、女の子たちがうらやむ長さの睫毛を瞬かせ、獄寺は慌てて身を起こす。

「あっ、すみません。今、外します!」

 獄寺は急いで首に腕を回す。何のことかと思えば、炎を象ったペンダントヘッドの、シルバーの首飾りがツナの咽喉に触れたのだ。
 あれだったのか、とベッドに寝転んだままぼんやりと見上げるツナの前で、獄寺は次々とアクセサリーを外してゆく。首飾り、ブレスレット、時計、指輪……。男っぽいながらも繊細な指から抜き取られる指輪を、ツナは眼で追った。すみません、と小さく呟いてツナの頭の脇に片手をつき、獄寺はサイドボードにアクセサリーを乗せる。その硬質な音がツナを身震いさせた。

「……寒いですか?」

 ツナの微妙な変化さえ見落とさない獄寺が心配げに問うと、ツナはようやく我に返った。

「いや、だいじょぶ。何でもないよ……」

 身体が震えたのは温度のせいではなく、期待や興奮のためであろう。漠然とそう悟ったツナがあわてて否定したが、何か思うところがあるのか、獄寺は真剣な表情を浮かべた。
 不安にさせてしまったかと内心で自分の忘我を恨むツナに跨ったまま、急に獄寺が自分の服の裾に手をかけた。今は照明のせいで真っ黒に見えているが、ダークグリーンのアーミーシャツと、その下に着た黒のロングTシャツごと一気に脱ぎ捨てる。あまりの勢いに糸の切れる音がしたが、獄寺は構わない。無造作に服を床に放り捨てると、今度は素肌でツナを抱きしめた。
 近づく獄寺の秀麗な顔立ちと、銀糸めいた長めの髪。逞しい肩に迎えられるように抱きすくめられて、ツナは心臓が不規則に跳ね上がるのを感じた。背中に回された掌が熱く、焼けつくようでたまらない。密着させた胸が触れ合って、ため息の温度は上がるばかりだ。

「ぁ…………」

 意図せずにこぼれ出た吐息は上ずったもので、自分の声にツナは驚いた。抱きすくめられているせいで、獄寺の耳がすぐそこにある。今の声を聞かれたことが恥ずかしくて、ツナは言葉を失った。フォローしようにも、何を言ったらいいのかわからない。
 慌てるツナの心境をよそに、かえって獄寺は抱擁を強める。掻き抱くのに似た様子でツナを抱きよせ、その首筋に噛みつくようなキスを落とす。猛々しいとさえ言えるような仕草にツナは驚いた。それまで壊れものを扱うようなうやうやしい様子であっただけに、態度の急変に戸惑ったのだが、それも獄寺が押し殺した声でツナを呼ぶまでだった。
 肌に刻むようにツナを呼ぶ獄寺の声は熱を帯び、欲情に濡れて鼓膜を打った。押しつけられた腰に熱を感じ、ツナは顔の表面が火照るのを自覚した。ツナの声は本人が思う以上に煽情的であったようだ。
 今度は違う理由で言葉を失ったツナの肌を、何度も獄寺がその舌で味わう。わずかに当たる歯と、熱くぬめる舌の感触がたまらない。しかし背中を辿る手は優しく、皮膚を吸い上げるくちづけはもどかしいほど穏やかだ。それは恐らく、獄寺が必死に自分をコントロールしているためだろう。
 胸の上を細い灰色の髪がくすぐるのを受け入れながら、初めての感覚に酔い始めた瞳でツナは獄寺を見上げた。美貌と呼んで差支えない秀麗な顔立ちのなかに、興奮と理性のせめぎ合いが垣間見える。大事にしたいという感情と、引き裂いてでも自分のものにしたいという欲望が、彼のなかにあるのだろう。
 心臓が移動してきたかのように脈打つ指先を上げ、ツナは獄寺の胸に触れた。それまでなすがままだったツナの変化に、獄寺も顔を上げる。ねぇ、と呼びかけたツナは、

「平気だよ」

 オレ、男だし、と照れ隠しに笑うツナに、感極まったのか獄寺がしがみついた。もしかしたらこの抱擁は、感情が高ぶったときの獄寺の癖なのかもしれない。すがるように抱きつく獄寺の背に腕をまわし、安心させるようにツナはその背を撫でた。
 子供みたいで何だかかわいいじゃないか、などとご満悦で考えるツナの耳元で、獄寺が彼を呼んだ。かすれる声に気を取られた瞬間、ツナの耳たぶを獄寺がかじる。意表を突かれたツナはあっと声を上げ、またも赤面して口をつぐんだ。そのツナの耳たぶをくちびるでついばみ、軽く引っ張っては離す。その間も獄寺の短い呼気が耳朶をくすぐり、ツナは眼を硬くつむってしまった。

「十代目……」

 囁かれる声はそれまでと違い、色香に満ちたものだった。抱き寄せられ、押しつけられた腰がわずかにすりつけられる。獄寺のくちびるはなおもツナの耳殻を辿り、柔らかい骨の感触を味わうように甘噛みを繰り返す。目をつむったせいでよけいに他人の体温とくちびるの感触がリアルで、ツナは身をすくめてしまう。それに合わせるように獄寺の舌がツナの耳に滑り込む。思わずひゃっと声を上げたツナが恐る恐る眼を開けると、すぐそばに陶然と微笑する獄寺の顔があった。
 はたしてツナの許しの効力のためか、獄寺の微笑は優美でさえあった。いつの間にか瞳には愛欲が滴り、くちびるは嫣然と微笑んでいる。男の色香を存分にたたえた微笑は、ツナを魅惑するのに充分すぎるほどだ。

「ご、ごくでらくん」

 問いかけたいのか呼びかけたいのかさえもわからぬままくちびるを開いたツナに、迷いのない微笑で獄寺は答えた。

「はい、何でしょう?」

 十代目、と続く言葉は欲情に濡れ、ツナは自分が獄寺の欲望を呼び覚ましたことを知った。






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