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一人で眠るには広すぎる寝室で、雲雀はベッドに横になっていた。枕もとには通話中の携帯電話。手を放しても会話できるよう、スピーカー状態になっている。
浅くなり始めた呼吸を繰り返しながら、乱れた裾から内股へと手を差し入れた雲雀に、熱っぽい山本の声が語りかけた。
「なぁ、ヒバリ。今どんな格好してるんだ?」
受話器に耳を当てるよりひび割れて聞こえる声に、雲雀はくちびるを舌で湿してから答えた。
「着物」
短い言葉はそっけないと言うには色めいた響きが強かった。
「ああ、いつもの黒いやつか。あれ、エロいよなー。襦袢だっけ? あれだけ赤くてさ。アンタの肌の白さが際立って」
舐め回したくなる、と言う山本の言葉に舌なめずりの音が続いたように思うのは幻聴だろうか。どのみちわざわざ確かめようとは思わず、雲雀は内股に忍ばせた手を蠢かせる。山本の求めに応じて自らを慰める手はローションに濡れており、途切れ途切れに隠微な水音を立てる。しかしそれはあまりに微かな音であり、山本にとっては残念だろうが、電話の向こうに聞こえることはないだろう。
「なぁ、気持ちいい?」
まるで耳元で囁きかけるような山本の声に、熱っぽく潤んだ瞳を雲雀は眇めた。手のなかのものは徐々に昂ぶり、快楽を刻み始めている。子供ではあるまいし、一人で慰める必要のないはずの身体は、久しく忘れていた興奮に熱を持ち始めている。下腹部に忍ばせた手は汗ばんだ肌を感じ、それにさえ高揚を覚える自分がいる。照明を落とし、ベッドサイドのランプだけの明かりが照らす部屋のなか、壁に映る影の蠢く様が目を背けたくなるほど淫猥であった。
ヒバリ、気持ちいい、と男の声が問う。枕もとの電子機器から発される山本の声は優しいながらも楽しげである。間近であれば拳の一撃で沈められる可能性があるけれど、携帯電話が繋ぐ距離は果てしなく遠い。いかに雲雀の腕が長くとも、山本までは届かない。それが幸か不幸かについては考えようとはせず、
「……気持ちいい」
答える雲雀の声には甘える響きが強い。それは山本同様、あるいはそれ以上に事態を楽しむために、意識的な選択によるものだった。
電話の向こうで小さく笑う気配がする。咽喉の奥が鳴るような声を聴きながら、雲雀はいやらしい音を立てる自らの手をせわしなく動かした。徐々に大きくなる自身は熱を持ち、内股を濡らしている。埋めた両手を自在に動かし、己を慰める姿は滑稽であるにも関わらず、いつになく自分が興奮していることを雲雀は自覚していた。手のなかのものは硬く膨らみ、指を濡らしてさらなる快楽を生む。その手も、自身でさえも、まるで他人のようでありながら、確かに自分のものなのだ。
「ヒバリはさ、舐められながら指でされるの好きだよな」
揶揄を含んだ山本の声がする。浅い息を繰り返しながら雲雀は無意識にこくんと頷いていた。そうしたところで山本から見えるはずもないのに、と火照り始めた頬に自嘲が閃く。
「なぁ、そろそろ指入れてみ?」
もう入るだろ、と山本は囁く。優しげな声だが、抗いがたいものがあることに彼は気付いていないだろう。むろん雲雀にはそれを拒絶するだけの意思の力と実力があったが、今はそれに流されたい気分だった。
先端から零れるものを指で掬い、雲雀は肌を伝って己の後庭を探る。肩で息をしながら小さく背を丸め、横になった姿はいたいけでもあるが、残念ながらそれを楽しむ観客はいない。その部屋にいるのは当事者の雲雀ただ一人。
自分のものではないかのような指先が探り当てた個所は、皮膚を伝って零れたもので濡れそぼっていた。繊細な入口を指の腹でなぞると、腹底に熱が灯るのを感じた。じんわりと広がるそれは快楽である。
身体の奥底に生まれた熱源の存在をより明確なものにしようと、ほっそりとした指を内部へと潜らせようとした雲雀は、腕に絡む布の存在に舌打ちする。夜目にもわかる仕立ての良い着物と、肌に映える緋色の襦袢。それが絡んで腕の動きを阻害するのだ。
意識してしまったら最後、この上なく邪魔に感じる着物を脱ぎ捨てようと、雲雀は身を起こしかけた。しかし衣擦れの音に事態を察したのか、慌てたように山本が止めに入った。
「駄目だって、着物はそのままにしててくれな?」
子供の癇癪を止めるような山本の声に、雲雀は眉根を寄せて携帯電話を睨んだ。
「どうして」
不愉快も露わな声に、山本は苦笑した。愛情の成分の多い声は柔らかに雲雀に呼びかけ、
「乱れた着物脱がすのって、やっぱ男のロマンじゃね?」
「………………」
「そっちに着いたときにさ、乱れきった着物姿のアンタがいてさ。一人で楽しんで、太腿汚して、身体火照らせて、オレのこと待ってるって思ったら、たまんねーじゃん」
だから脱がすのはオレの役目、と山本はことのほか優しい声で囁いた。普段はどこまでも無邪気で快活な印象の声が、濃厚な男の色気を含んで諭す様には独特の力があった。情熱を孕んだ手に衣服を脱がされ、自慰に火照った肌を暴かれる想像に興奮を覚えぬはずがない。荒々しく脱がされるのか、それともじれったいほどうやうやしく脱がされるのか、そのどちらであっても興奮はいやがうえにも高まるだろう。
「……馬鹿じゃないの」
呟く雲雀の声は軽蔑を露わにしながらも、楽しみを先延ばしにすることを厭うてはいなかった。その証拠に、雲雀は再びベッドに横になると、もどかしい腕を伸ばして己の秘所に触れる。袂を払って伸ばした腕は、すんなりとその個所に届いた。
「ん…………」
自分を高揚させるためにもわざと大きく甘い声で啼いた雲雀は、ゆっくりと埋め込んだ指先の感覚に囚われていた。肉を分け入る異物の存在。自分の意思で蠢くそれは、器用で繊細な淫具のようだ。抵抗の強い入口を抜け、奥へと押し進めれば、指先は内側の柔肉を探り当てる。
「そこ、どんな感じ?」
まるで自分のものを自慢するかのような山本の声に雲雀は顔を上げる。いつのまにか口に溜まった唾液を飲み下すと、静かな部屋に音が響いて奇妙に羞恥心が疼く。誰もいない部屋のなか、すべてを聞く男に雲雀は答えた。
「……すごく、キツイ」
吐息交じりの声は思った以上にエロティックであり、雲雀は体温が高まるのを感じた。
「ああ、すっげーキツイよな。いつまで経っても、何度してもキツくてさ。すっげーいいんだわ……」
感嘆の籠った山本の声に背筋が粟立つのを感じ、雲雀は身体を震わせる。山本の脳裏には、これまで交わした情事の光景が繰り広げられていることだろう。硬く締まった雲雀の腰を掴み、己をねじ込んで得た快楽はいかばかりであったか。山本は雲雀の身体を称賛し、愛を囁く。押し広げられた箇所に咥え込まされた楔の大きさと、それが生み出す快楽を雲雀は知っている。内部を探る灼熱の肉塊は雲雀を翻弄し、何度も、何度も、何度も容赦なく貫く。汗で滑る肌と、山本の息遣い。自分の上げる掠れた声。それらすべてがこの上なく雲雀を興奮させる。
「指、一本じゃ足らないよな」
内部を探る指の細さに無意識に腰が蠢いていた雲雀を見抜いたかのように、山本が電話の向こうで低く笑って言った。男の身体の与える快楽を知った雲雀が、指だけで満足するはずがないことを、彼は充分すぎるほどよく知っているのだ。
「でも、二本なら達けるよな?」
山本の指摘は間違ってはない。二本の指があれば、敏感な個所を探って絶頂を得ることもできるだろう。しかしそれは満足とは程遠い、瞬間的な刺激の結果でしかない。一時的な肉欲は満たせても、かえって渇きは募るだろう。深く、どこまでも甘い快楽を求めて身体が疼くことを知っていて、山本はそれを示唆するのだ。
本能的なものであるだけによけいに性質の悪い駆け引きに雲雀は自然とくちびるを笑ませていた。吐息に濡れたくちびるは熟れる寸前の青さを残した果実めいた誘惑を見せるも、それを目にする人間はいない。
「……そうだね」
皮肉を帯びた声音で言って、雲雀は二本目の指を埋め込む。ぬるりと潜り込んだ指は入口を押し広げ、圧迫に抗って内部を探る。それに連動して左手で昂ぶりを慰めれば、痺れるような愉悦が腰から背筋を駆け上った。
「ぁ……ン、ふ…………」
ぬめりを帯びた左手の直截な愛撫と、緩やかに抽挿を繰り返しながら内部を暴く指の快楽。あさましいとも呼べる己の痴態を想像する必要もなく、羞恥と背徳的な歓びが興奮を高めてゆく。
枕ものと携帯電話は沈黙を破ることなく、雲雀の艶めかしい声を余さず聞き取っていることだろう。酷く罵られるよりも、赤裸々な言葉で嬲られるよりも、沈黙に撫でられることが何より勝る、緩慢で眩惑的な愛撫であった。
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