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訪れたときの激しさに比例して、冷酷なほど早く消え去った絶頂の余韻を手放して、雲雀は目を開いた。いつのまにか閉じていた目の先に、携帯電話が転がっている。その無機質な黒い表面を茫洋とした視線で眺めながら、雲雀は咥え込んでいた指をずるりと引き抜いた。
「っ…………」
微かに呼吸が乱れたのを合図に、携帯電話が雲雀の名を呼ぶ。窺うような労わるような声に、それまで確かにあったはずの奔放な男の色香は感じられない。
「ヒバリ?」
呼びかける声は元の軽やかさを取り戻しており、今初めて電話が通じたかのようだ。
「………………」
だるい右手を上げた雲雀は、送話器部分を爪先でコツリと引っ掻いた。返事としてはそれで充分で、山本が屈託のない声で再度雲雀を呼ぶ。
「なぁ、ヒバリ、どうだった? 良かったか?」
明るい声でよけいなことを問う山本は、わざとなのか単に馬鹿なのか判然としない。携帯電話を壁に叩きつけたやりたい衝動がないわけではないが、今は何もかもが億劫で雲雀は呆れたため息を零すに留めた。
「あれ? ヒバリ? 良くなかったか?」
執拗な山本の問いかけに雲雀はふと、相手が声意外に判断材料を持たないことを思い出した。山本にしてみれば結果が気になってたまらないのだろう。良すぎても困るし、悪くても面白くないといったところか。
「……君とするより良かったよ」
いっそ君がいなくてもいいくらいに、と憎まれ口を叩くと、むしろ安堵したように電話口で山本は笑った。本当に雲雀が不機嫌であれば、とうの昔に通話は切れているだろう。憎まれ口さえ彼には愛しいのだ。
「うっわ、ひっでぇな」
苦笑する山本の声に怒りの成分はなく、むしろ楽しげである。表情が伴わないだけに大げさに表現することを学んだのか、
「オレなんてすっげぇ我慢してんのに」
嘆く声はわざとらしいながらも、微妙に含まれた切羽詰まった響きが雲雀の耳をくすぐった。何かと思えば、さすがの山本も車のなかで自慰に耽るわけにはいかなかったようだ。雲雀を言葉で愛撫しながら、燃え立つ欲情にずっと耐えていたらしい。運転席との仕切りは完全防音とは言え、マジックミラー越しに運転手の姿が見えている。向こうから見えないことはわかっていても、やはり抵抗があるのだろう。それに車を汚すのは気が引けるのだとか。大胆なくせに変なところで遠慮深い男である。
身体が落ち着きを取り戻すにしたがって、正常な思考を取り戻した雲雀は山本の言い草にクスリと笑った。揶揄も皮肉も含まれない微笑を聞き取った山本が、急に重いため息を吐いた。いつだって場違いなほど明るい彼には似つかわしくないため息だ。
「あーあ、何でオレ、ヒバリの傍にいないんだろな」
「………………」
「アンタの声もすっげぇよかったけど、やっぱ直に触れて抱きしめたいのな」
感慨の籠った声は哀切に満ちている。受話器から聞こえるのは甘い愛の囁きだ。無意識にか低めた声で山本は訴える。今すぐにでもそっちへ行って、しどけなく身を投げ出した雲雀を抱きしめたい。乱れた着物を丁寧に取り払って、汗に濡れた肌を味わい、男を求める身体に沈み込みたい。一秒でも早く雲雀を抱いて、オレのものにしてしまいたい。一秒でも長く、オレのものにしていたい、と。
傲慢とも呼べる山本の言葉に、しかし雲雀は腹を立てなかった。静かな部屋に響く山本の声にてらいはなく、ただ彼は本心から雲雀を欲しているのだろう。身体を繋げ、腰を絡め、得られる快楽を追い求めるだけのことではない。雲雀という唯一無二の存在を希求する言葉は賛美であり、同時に渇望を訴える。そして渇望は山本だけのものではなく、雲雀もまた、与えられる声だけでは満足することなど不可能だった。
雲雀は携帯電話を枕もとに引き寄せると、妖艶とも悪戯っぽいとも言える声で囁いた。
「早く来なよ」
僕の気が変わらないうちに、と。
〔おしまい〕
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