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 初めてベッドを共にして以来、雲雀は山本のアパートに住み着くようになった。理由はよくわからない。山本が問いかけたところで、まともに答えてくれる相手ではない。
 セックスが気に入ったのか、それとも朝食が気に入ったのか、山本の可能性に賭けたのか、単なる気まぐれか。ともかく、雲雀は山本と生活を共にするようになった。
 それまで好意を抱いてはいたものの、ささやかな願望にすぎぬと苦笑交じりに諦めていた山本には、雲雀の気まぐれは嬉しかった。暴力と破壊を生業とするだけに、手に入れた人並みの幸福はあまりにも甘美で、山本はどうしようもなく雲雀に惹かれた。彼の言う『願い』が何なのかは知らないが、もとより恋しい人の求めるものを与えてやりたいと思うのは当然のことだ。
 新しい生活は楽しかった。同じ組織内にあっても、お互いの仕事について言及することなど無いために、山本は雲雀のことをあまりよく知らなかった。決して寡黙ではないが、気の向いたときに気の向いたことしか話さない男であるから、余計に謎が多かったのだ。すべて気まぐれでしか行動せず、他人の意思など意に介さない唯我独尊の行動様式は相変わらずだったが、それでも山本には嬉しかった。
 普段は誰とも馴れ合わず、孤高を貫く雲雀だが、その分ベッドのなかで山本に甘える姿は目を覆いたくなるほどの媚態だった。彼は自分の欲するところを隠そうとしない。あけすけで貪欲。気まぐれでわがまま。けれど、稀に見せる慈悲に似た深い愛情が山本を魅了し、捕らえて放さない。
 雲雀の目がこちら向き、くちびるが名を呼び、山本の与えた刺激によって絶頂を迎え、悲鳴を放って陥落する姿は、何より官能的だった。最早山本は雲雀の底知れぬ魅力に引きずり込まれ、深みに嵌っていくばかり。しかしだからといって何の悪いことがあるだろうか。雲雀に溺れたとしても、それはベッドのなか、あるいはアパートのなかでだけの話。玄関を一歩出れば、雲雀は冷徹な殺人鬼の仮面を被り、山本を一顧だにしない。切り捨てるような変わり身さえも山本には愛しいが、その感情を外の世界で雲雀が受け入れることはない。ならば、何を懸念する必要があるのだろうか。
 自他に厳しい雲雀が相手では、自分の甘えなど通用することが無いということを熟知していた山本は、依存と紙一重の雲雀への溺愛を危惧することはなかった。雲雀の嗜好がやや常軌を逸していたとしても、それは今更の話であるのだから。






 二人の生活は濃密だった。
 雲雀は気が向くと、どこまでも山本を求めた。山本はいつでも同じだけの愛情でそれに応えた。抱いた男は雲雀が初めてだが、明るく朗らかで人当たりもよく、整った顔立ちに均整の取れた長身を有する山本は、昔から女に不自由したことがなかった。更に雲雀には及ばないまでも、運動能力は飛びぬけて高く、学習能力も記憶力も優れており、何より負けん気の強い山本は、すぐに雲雀を身悶えさせるほどの手足れに成長した。それは雲雀を満足させたようである。
 山本が雲雀に夢中であるように、雲雀も山本に夢中である、……と思うのは、山本の願望だけなのだろうか。山本は自分の都合の良すぎる解釈に苦笑を零したが、満更思い込みだけでもない。雲雀はいつだって、仕事を終えればまっすぐに山本の元へ帰ってきた。たとえセックスを求めないときでも、それは変わらなかった。気が向かないのか、それとも本当にオフなのか、仕事に出ない日など、一日中家のなかで寝て過ごし、山本の帰りを待っていた。そしてそういうときの雲雀は、必ず情熱的に山本を求めた。これでは自惚れるなというほうが無理である。
 気位の高い肉食獣に懐かれたようで、山本はいささか自分の境遇がおかしい。けれどそこに後悔や自虐は無く、むしろ雲雀への愛しさは募るばかりであった。
 故に山本は雲雀のわがままをどこまでも許容する。『願い』を叶えるという約束もある。だから山本は雲雀にねだられると、自分にできる限りのことならばどんなことでもした。
 身体を重ね、交わる回数が増え、混ざり合う部分がより深くなると、雲雀の嗜好は山本の知らぬ世界へと向いていった。

「ひどくして」

 そう求められて、山本には一瞬意味がわからなかった。雲雀はいつも飛躍したことを言い出す。山本は置いてけぼりだ。ベッドのなかで裸で抱き合い、くちづけを交わした直後だと言うのに。
 愛情深い山本に、雲雀はくすくすと笑って見せた。揶揄するような、隠微な笑い。切れ長の目の端に、愛欲を滲ませた微笑は、雲雀の美貌によく似合う。彼は硬く締まった長い腕を伸ばして山本の首を引寄せ、水を含んだ口調でねぇと囁いた。

「ひどくして」

 甘える声で吹き込まれ、耳朶をくちびるに食まれたとき、ようやく山本は理解した。思う様に振舞って、犯すように抱いてくれ、と雲雀は求めたのだ。
 一瞬にして脳に血が上り、体温が急上昇するのを山本は感じた。恋人にそんなことをねだられて、平静でいられる男がいるものか。急に熱を帯びた身体と、硬く膨れ上がった末梢器官の存在に気付き、雲雀は楽しげに咽喉を鳴らした。からかいを含んだ笑声に、山本は獣めいた仕草で雲雀の咽喉元にかじりついた。雲雀は息を呑み、喜んで山本を受け入れた。
 それ以来、雲雀はよく乱暴な行為を求めるようになった。激しく、情熱的で、気が遠くなるほどの。
 山本もよくそれに応えた。愛情深い彼はお互いに尊敬を抱き、優しさと強さの同居する愛情を是としていたが、雲雀の求めるものを与えてやりたいという欲求が勝った。ましてや雲雀は、山本と暮らし始めるまで、どういう生活を送っていたのか定かではないような男。一応彼がねぐらとしている場所を山本も聞き知ってはいたが、本当にそこで暮らしていた確証は無い。むしろ、幾つものセカンドハウスを持ち、気ままに住居を変えていた可能性のほうが高い。
 何しろ雲雀は希代の殺し屋であり、冷徹無常な殺人鬼だ。彼に恨みを抱く人間は多い。情報通とは言いがたい山本さえもが聞き知っているようなねぐらに、本当に住んでいるはずがない。
 住処からしてそんな状態の雲雀の生活は、一言で言えば謎だった。どこから来てどこへ帰るのかさえわからず、普段の日に何をしているのかなど皆目検討もつかない。物を食べるのを見たことが無い、などという噂さえある男だ。山本ごときが推し量ることなどできようはずがなかった。
 それがどうだろう、今では山本のアパートに住み、同じベッドを共有し、あまつさえ山本の腕の中にいる。くちびるは甘えた声で山本を呼び、これ見よがしに媚態をさらす。奔放な手足は山本の欲望を求めて身体をまさぐり、その痩躯に熱く硬いものを咥え込もうとねだるのだ。これほどの僥倖があるなど、誰が想像できようか。
 雲雀を抱くときの山本は幸福だった。長いとはいえない人生の中で、最も幸福だった。そして幸福を掴んだからには放したくない。彼とて人間である。一度手に入れたものには欲が出る。
 ましてや全ては雲雀の気まぐれの上に成り立っているのだとしたら、彼の機嫌を損ねるのは得策ではない。今を持って雲雀の考えていることは謎であり、初めて山本と寝たときにはすでに男に馴染んで久しい淫猥な身体の持ち主であった。いつ山本に飽き、この生活をやめるとも限らない。ならば出来る限り幸福な時間を引き延ばしたいと考えるのは、当前のことではないだろうか。
 山本は雲雀の求めるままに彼を抱いた。ねだられる事象には可能な限り対応した。それなりに場数を踏んでいるはずの情事のなかで、一度も手にしたことのないような性具での交合も覚えた。温度を持たない器具で犯され、それを山本に見られることを雲雀は悦んだ。いや、恥ずかしい、やめて、ひどい、と涙ながらに訴えても、それは雲雀が悦んでいる証拠だ。雲雀の性癖は辱められることに喜びを覚えるというもので、彼はすがるようにして山本に許しを求めた。
 普段の、冷徹で厳格で、誇り高く、強くあることに克己的なまでの彼を知る山本は、雲雀の痴態に少なからず興奮した。表面上とは言え嫌がる相手に行為を強いるのを初めは躊躇ったものの、すぐに慣れた。それどころか、雲雀の嗜好が伝染したかのように、恥辱に悶える彼の姿に欲情する自分を山本は自覚した。戸惑いは長くなかった。山本はそれを受け入れた。そうすれば雲雀が喜ぶであろうことがわかっていたからだ。






 蜜月は長く続いた。雲雀の嗜好を理解した山本はよきパートナーとして、恋人を甘やかした。そうすると雲雀は喜び、山本を愛する。その関係は理想的であったろう。
 しかし緩やかにエスカレートする関係は、山本の脳裏に警戒信号を点らせた。それがよくある恋人たちの行き過ぎたお遊びであるうちはいい。だが、その行為は暴力と紙一重だ。雲雀にその境界線がわかるようには山本には思えなかった。
 雲雀は躊躇うことなく決定的な方向へと踏み込むだろう。根拠は無いが、その想像は容易かった。何しろ彼は人を殺すことを生業としている。彼にタブーは無い。となれば、いつか山本により比重の重い暴力的なセックスを求めることは想像に難くない。ならばそろそろ、原点に立ち返るべきではないだろうか。
 雲雀が咽喉を紐で絞めながら犯してくれとねだってきた夜、山本は自分の危惧が現実となりつつあることを知った。

「……なぁ、たまには普通のセックスしねぇ?」

 できるだけ雲雀を刺激しないよう、何となく思いついたかのように山本は提案した。

「縛るとか、口塞ぐとか、最近そういうのばっかだし、かえって新鮮かもしんねーし」

 やんわりと雲雀の願いを拒絶して、山本は提案した。半部は本当、半分は嘘。強すぎる刺激に慣れた人間は、中々元には戻れない。けれど、原点に立ち返れば、再び同じ道をたどり、同じ快楽を味わえる。
 宥めるように背を撫でて、ご機嫌を伺う山本を、雲雀は見上げた。ベッドのなかでの彼はいつもそうして山本を見上げる。ときには愛情深く、ときには欲情を湛え、そしてときには射る様に。
 挑戦的と言うには何かが多すぎ、何かが足りない視線を向けていた雲雀は、山本が内心怯んだのを敏感に読み取ったのか、ふいに目を逸らした。

「そう」

 呟いた声は大きくなかったが、それは裁判官の断罪する声に似て、山本を怖れさせた。
 雲雀は身を起こすと、手早く衣服を身にまとった。止める暇もない。雲雀は山本に一瞥をくれることもなく寝室を立ち去った。慌てて後を追おうとした山本の耳に響いたのは、アパートを出て行く扉の音。無機的な音が耳に届くと同時に、山本は自分が過ちを犯したことを悟った。








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