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雲雀の求める快楽はゆっくりではあっても確かに加速していた。雲雀は山本に暴力を求めた。山本はそれを拒絶した。したかった。けれど巧妙に雲雀は暴力の色を薄め、まるで誰でもやっていることがほんの少しだけエスカレートしただけのように山本に吹き込んだ。
そこに愛があるなら、これは暴力ではない。強く、何より強く求めて欲しい。その手段が少し過激なだけで、暴力などではない。君は僕の欲しいものをくれただけ。そう唆す雲雀は慈悲に満ちて優しげでさえあった。
最早催眠術か洗脳に近い状況だが、薄々そうと気付いてはいても、山本には雲雀を拒否できなかった。どれほど嫌悪していたことでも、一度こなしてしまえば抵抗は薄れる。雲雀がどうしてもとねだるので、山本は色々なことをしてやった。首を絞め、幾度も犯したり、手足を縛り、口の中にタオルを詰め込んで性具を咥え込ませたり。
その都度雲雀は喜びの声を上げ、山本を愛した。そして更なる行為の飛躍を目指すのだ。
ある夜、枕に顔を押し付けながら背後から雲雀を犯し、絶頂に達した山本は脱力して身体を離した。雲雀は支えを失ってベッドに倒れこみ、ピクリとも動かなかった。
疲れ切っていた山本だが、微動だにしない雲雀の様子を心配し、身を起こして彼の肩を揺さぶった。雲雀は反応しない。不審に思って身体を仰向けにさせると、雲雀は失神しているようだった。呼吸もままならぬ状態で犯され、失神のオーガズムで達しながら。
彼がどれほどの快楽を得たのか、山本にはわからない。だらしなく弛緩した表情のまま、雲雀は意識を失っている。
焦点を結ばない黒い瞳はわずかに開かれたままで、力を失ったその瞳を、山本は死人の目のようだと思った。
望まぬ暴力的な行為は、次第に山本の苦悩を深めていった。
どれほど雲雀が口ではまことしやかに愛情の行為と唆しても、彼の求めるものが倒錯した行為であることは疑いようが無い。ただ何かの性具を使うとか、子供の遊びのような行為を求めるとかならば、まだいい。けれど雲雀は身体への負担となる行為を好み、山本に要求するのだ。
今や雲雀の身体には無数の傷痕がある。手足を縛った痕、首を絞めた鬱血の痕、濡れた布で背中を叩き付けた痕。雲雀は自虐的な行為を好む。辱められ、貶められることを喜び、そうすることを山本に望んだ。それが彼の『願い』なのか。
山本は疲れていた。とてもとても、疲れていた。彼は雲雀を愛している。傍にいて、雲雀にも同じように愛して欲しいと思う。
雲雀は山本を好きだという。愛しているという。けれどそのためには、精神をすり減らし、望まぬ行為に励まねばならない。山本にとってそれは苦痛だった。
苦痛は思考停止を生み、最早何故雲雀を喜ばせるのか、山本にはわからなくなっていた。それ以上に雲雀にとっての自分が何であるのか、わからなくなった瞬間、山本の苦悩は怒りへと変貌を遂げた。
「いいかげんにしろ!」
首を絞めろ、犯せ、無理強いして欲しいと唆す雲雀に、ある夜ついに山本は叫んでいた。
あまりに突然であったために雲雀も予想できなかったのか、驚いたように山本を見つめている。
その夜、雲雀は深夜を遅く回ってから帰宅した。すでに休んでいた山本は、人の気配で目を覚ました。
隣室から聞こえる無遠慮に大きな足音に、山本はベッドを下りて扉へと向かった。どうせ雲雀が上機嫌で暴れているのだろうことはわかりきっていたので、別段急がない。酒でも飲んだのか、それとも仕事が首尾よくいったのか、ときたま雲雀は上機嫌に振舞った。
山本が扉の前に立ったとき、ノブに触れるよりも早く、勢いよく扉が開いた。驚く山本の前に立っていたのは案の定雲雀で、彼は山本を眼にすると、飛び掛るようにして山本にくちづけた。
「んっ…………!」
さすがに面食らった山本は、だが雲雀の身体をしっかりと受け止め、背後に数歩よろめいた。仕事の直後なのか、わずかに衣服に付いた血しぶきがまだ色鮮やかである。雲雀はそのまま山本をベッドへと押し倒した。
「ふふふ」
血臭のする雲雀はすでに瞳が欲情に揺らいでいる。自分に跨った雲雀が獲物を捉えた猛獣の目をしていたので、山本は抵抗を諦めた。どのみち、上機嫌の雲雀に襲われるのは悪い気分ではない。
雲雀は身を低くすると、舌を出して山本の顔をベロリと舐めた。獲物の味を確かめるような仕草である。それから山本のTシャツの襟を掴み、高い音をたてて引き裂いた。
晒されたのは逞しい胸郭で、雲雀は舌なめずりをする。唾液に濡れたくちびるが笑みを刻むと、眼前に露になった首筋に、雲雀は文字通り齧りついた。
「いっ…………!」
思わず山本が腕を掴むと、雲雀は顔を上げ、これ見よがしに血の滲んだくちびるを舌で舐めまわした。
肉食獣を思わせる雲雀の扇情的な媚態に、山本は欲情する。敏感にそれを嗅ぎつけた雲雀は喜んで山本の下肢に手を這わせ、欲望のありかを突き止めた。
「ふふ、もうこんな……」
嬉しげに囁き、雲雀は乱暴に山本の下肢から衣服を剥ぎ取った。そこにあった欲の塊に、陶酔した視線を向け、雲雀はため息をついた。それは快楽をもたらしてくれる魔法の楔だ。雲雀は頭をもたげ始めた欲望に、惚れ惚れと見入っているのだ。
雲雀は山本自身にむしゃぶりついた。飢え渇いた人間が水を求めるように、山本の欲望を吸い上げた。彼はそれが大好きなのだ。
ぴちゃぴちゃと音を立てては山本自身を舐め上げ、雲雀は溢れ始めた蜜を吸い上げた。先端のふくらみを吸い上げ、くびれの部分に舌を宛がう。脈動するかのような肉の塊を、愛しげに舐め上げる。
そのあいだも忙しなく手は動き、雲雀は自らの衣服を脱ぎ去っていく。硬く熱い欲塊を熱心に舐め上げる彼は、今すぐ山本が欲しくてたまらないのだ。
器用に衣服を脱ぎ捨てた雲雀は、舌なめずりをしながら山本の上に跨った。硬く育った欲塊に手を添えて、一気に自らを貫く。いくら慣れた身体とはいえ、何の準備もしないままではと、山本が止めに入る隙も無い。
「あっ! ……あぁ、すごい……」
ズブズブと根元まで咥え込み、雲雀は震える声で呟いた。唾液に濡れた肉塊が、身体の奥へ奥へと入り込む。飲み込んだ質量に圧倒され、感動さえ覚えているのか。
「ヒバリ、大丈夫か?」
急激に迫り来る内壁の甘い責め苦に顔を歪めながらも、山本は問いかけた。わかりきってはいたが、雲雀は嬉しげにこくんと頷いて見せる。
「すごい、大きい」
返答になっていないが、雲雀は欲情に潤んだ瞳で山本を見下ろし、ゆるりと腰を動かし始めた。
身内に咥え込んだ硬い楔が体内をかき回し、雲雀は甘い声を上げた。山本の上に跨り、彼の欲塊を飲みこみ、好き勝手に腰を振る。見た目に淫らな動きは実際にも快感をより多くもたらしてくれるため、雲雀は艶かしく腰を使った。
うねるような雲雀の腰の動きは、何かの舞踏のようでもあった。躍動する若々しい筋肉と、隠そうともしない欲望が見るものの目を焼いた。押し倒された山本の目に、原始的な欲望を満たそうとする雲雀の姿は美しく映る。こんな風にあけすけに求められて、気を悪くするような男などいない。ましてや山本は、彼を愛しているのだ。こんな風にまともにセックスするのは久し振りで、余計に山本は嬉しかった。
「あ、あ、あぁっ !!」
体内のある一点を攻めるように腰を使い、咥え込んだ熱塊で擦り上げていた雲雀は、金属的な悲鳴を放って背筋を仰け反らせた。無駄なく絞り込まれた優美な背中を汗が伝い、それよりもはるかに速い速度で快楽が駆け上る。
電撃に似た快楽の波は、背骨から脳へ、脳から全身へ、毛細血管の至るすべての箇所に広がってゆく。それは津波に似た衝撃であり、雲雀の全てを奪い攫う、淫蕩の波だった。
悲鳴が消え入るのと同じくして、雲雀の仰け反った背がぐらりと傾いだ。慌てて山本が腕を伸ばすと、雲雀はくたりと倒れこんでしまった。
「おい、大丈夫か!?」
驚き慌てる山本は受け止めた雲雀の身体を抱き寄せ、ぐったりとした美貌を覗き込んだ。雲雀の顔は快楽に火照り、内側から輝くばかりの艶かしさであった。視線は亡羊として焦点を失い、くちびるは快楽の余韻にわなないている。吐息は浅く繰り返され、頬に血は上っているものの、どこか空恐ろしいまでの透明感があった。
「ヒバリ、ヒバリ!」
身体を離し、ベッドに雲雀の身を横たえると、山本は懸命に呼びかけた。汗の浮いた額にくちづけると、不自然に冷たかった。どうやら彼は、絶頂の強すぎる衝撃で、貧血を起こしたようだ。加減を知らぬ、呆れるほどの貪欲さだ。
「ヒバリ、大丈夫か……?」
ようやく目に焦点を結んだ雲雀に、山本は噛んで含めるように問いかけた。握り締めていた雲雀の手が、そっと山本の手を握り返す。それに安心した山本は、雲雀を抱き寄せてくちづけを交わした。安堵と愛情の入り混じった、優しいくちづけ。これほど満足のいくくちづけを、最後に交わしたのはいつだったろうか。山本には思い出すことができなかった。
どうやらその絶頂感は今まで感じたことも無いほどに強いものであったらしく、雲雀は意識を回復すると、しきりにもう一度味わいたいと口にした。もっと強く、もっと長く、そして何度でも。
しかし山本はあまり乗り気ではない。貧血を起こすほどの快楽が、身体に与える影響はお世辞にもいいものではないだろう。つい今しがたの雲雀の様子を見たあとでは、気軽に首を縦に振るわけにはいかなかった。
山本が渋っても、雲雀は諦めない。山本の首に腕を回し、彼にセックスをねだるのだ。どうせ同じ快楽を得るのは無理だと言っても聞きはしない。あれは首を絞められて失神するときの快楽に似ていただの、無理にでも抉るようにして内側を擦ってくれれば、もう一度味わえるだの、犯してくれれば同じだけの興奮が得られるはずだのと楽しげに提案する。いくら山本がやんわりと否定しようにも、目の前の快楽に雲雀は夢中だった。彼にとって必要なのは、快楽を与えてくれる道具であって、山本ではない。雲雀の無邪気な様子は、山本の忍耐を超えた。
「いいかげんにしろ!」
いきなり怒鳴りつけた山本に、さすがの雲雀も驚いたように丸い目を向けた。
無邪気に、首を絞めろ、犯せ、無理強いしろと求められて、山本は素直に喜べるような男ではない。これまでの我慢とて理性を総動員してのことだった。今夜は暴力を含まず、久々にお互いを貪るだけで抱き合ったはずなのに、どうしてこんなことになるのだ。
「オレは、そんなことしたくないんだ」
山本は雲雀に訴えかける。殴るのではなく抱擁を、犯すのではなく情交を、罵るのではなく優しい言葉を交わしたいのだ、と。
必死に訴えかける山本は悲愴なほどであったが、彼が言葉を紡ぐほど雲雀の表情は硬く冷たくなっていった。つい今しがまでベッドの上で麻薬めいた甘いくちづけを交わしていたとはとても思えない。表情を消した雲雀の顔は、氷で出来た彫刻のように冷酷であった。
激情を吐露し終えた山本は、ベッドに叩きつけるように拳を振り下ろした。溜まりに溜まった鬱憤を吐き出す彼に、雲雀の様子を観察している余裕は無い。それ以前に、肩で息をした山本は雲雀を正視することはできなかった。頭のどこかで、雲雀が山本の訴えを受け入れてくれるわけが無いと、知っていたのかもしれない。
「言いたいことはそれだけ」
肩で息をして項垂れる山本に、絶対零度を思わせる雲雀の声が降り注いだ。いつの間にかベッドの傍らに立った雲雀は、いつかのように虚無の深遠を内包した瞳で山本を見下ろしていた。
「君は、僕の願いを叶えてくれないの」
言葉の一つ一つが氷のつぶてとなって山本に降り注ぐ。やはり彼にとって必要なのは、願望を実現してくれる便利な道具。どれほど必死になって訴えても、雲雀に山本の言葉は届かないのか。
「オレの願いはどうなる!?」
焦れたように山本は叫んでいた。雲雀への不満はもうすでに吐き出していた。今あるのは、絶望への恐怖だ。
怒りと恐れを抱く山本を、雲雀は表情を変えずに見下ろしていたが、それならと呟くと、
「君はいらない」
雲雀は踵を返し、寝室を出て行った。いつかの夜を髣髴とさせるその後姿を見つめながら、山本は立ち上がる気力さえ持たなかった。
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