■□■ 7 □■□






 全ては雲雀の思惑通りに運んだ。
 意地を張った山本が、それでも自分から雲雀を切り捨てられないことも、彼の嫉妬心を煽れば、暴力を否定する心のたがも容易く外れてしまうであろうことも、そして一度たがの外れた山本が雲雀の思い通りになるであることも、全てお見通しだった。
 山本はもう雲雀に逆らわない。負けを認め、彼の足元に平伏した。
 思えば無駄な抵抗だった。山本ごときが敵う相手ではないことは初めからわかっていたのに。
 ささやかな山本の反抗も、幾度かの喧嘩も、全ては雲雀が楽しむための要素に過ぎなかった。自覚せぬままに、山本は雲雀の仕組んだ策略に嵌められ、あがいていたのだ。愚かすぎて笑う気にもなれない。
 諦めのついた山本はもう、雲雀に対抗しようなどとは思わなかった。そうしたところで、雲雀の楽しみが増えるだけのことだ。山本にとっては無駄な労力であり、疲れ切った彼にそんな余力は残されていなかった。
 完全に山本を掌中に収めた雲雀の奔放さは、限度を知らなかった。彼は浮気を繰り返した。山本のあずかり知らぬところで男達を咥え込み、セックスを楽しんだ。それを山本に知らしめ、彼の嫉妬心を煽る。
 どれほど疲れ切っていても、山本の嫉妬心は健在だった。それだけが彼に残された唯一の感情であったのかもしれない。山本はアパートに男を連れ込むことだけは許さなかった。
 そんなささやかともいえる山本の抵抗を、雲雀は受け入れた。単なる気まぐれか、それとも自分の領域に他人を連れ込む気は初めから無かったのか。
 あの夜、雲雀が男をアパートに連れ込んだのは、間違いなく山本の嫉妬心を煽るためだ。それは功を奏し、雲雀は山本を手に入れた。
 他人からすれば信じられないかもしれないが、雲雀は山本を愛していた。浮気を繰り返しながらも、確かに彼は山本を愛していた。それだけは疑いようが無い。でなければあれほど迂遠な方法を取ってまで、山本を怒らせる必要がない。
 誰より傲慢で何より孤高の雲雀にとって、気に食わぬことがあれば強制的に排除すればよかった。それがわざわざ策を弄し、長すぎるほどの時間をかけ、山本を手に入れたのは何故か。考えるまでもない。彼は山本を愛していたのである。純粋に、雲雀は山本が欲しかったのだ。
 今や山本は雲雀のものである。ただ、雲雀が山本のものであるかどうか、山本にはわからない。だが、彼が雲雀のものであることは間違いなかった。
 自嘲的に雲雀と自分の関係を考える山本の傍らにあって、雲雀は尚も浮気を繰り返す。それは単に楽しいからでもあり、何より山本の執着を確かめるためでもある。それを知っているからこそ、山本は雲雀が自分を愛していると思えるのだ。どれほど捻じ曲がり、破滅的で自分勝手でも、それが雲雀なのだから仕方が無い。
 山本は諦めていた。そして雲雀の望むままにしてやることにした。最早何も考えられない。考えたくもない。考える必要も無い。是も非も、可も不可も、山本には関係ない。全ては雲雀の一存による。彼の『願い』を叶えてやるというのは、一番初めに交わした大切な約束なのだから。
 自分に対する執着を試すため、ひいては山本の愛情が自分にあることを確かめるために、雲雀は浮気を繰り返す。その都度、山本は雲雀の求めるままにひどいことをしてやった。殴ることも犯すことも厭わない。それを雲雀が求めるのなら。
 ある夜のこと、アパートに戻ってきた雲雀は、いつになく上機嫌だった。首筋から他人の香水のにおいを立ち上らせる彼は、試すように山本を見つめる。
 嫉妬心を煽られて無言で怒りを腹底に溜め込む山本に、雲雀はしなだれかかって囁いた。

「ねぇ、お仕置きして……」

 耳朶に頬を寄せる雲雀の声は、水を含んで舌足らずだ。くすくすと続く笑声は耳障りで、山本は雲雀の髪を掴んで寝室へ連れ込むと、むしるようにして衣服を剥ぎ取った。
 硬く締まった手首をネクタイで拘束すると、山本は雲雀をベッドに突き飛ばした。よろけた雲雀はうつ伏せにベッドに倒れこむ。スプリングが軋んで雲雀を受け止めたベッドへと、山本は大股に近寄った。
 身を竦めるようにして雲雀は山本の行動を待っている。怯えているように見せかけているが、内心は期待と欲情に溢れかえっていることだろう。
 無感動な様子で山本は雲雀の腰を掴むと、彼の秘所に指をねじ込んだ。

「ひっ…………!」

 雲雀が悲鳴を飲み込んで屈辱に耐えた。身体の中をぐるりと撫でた指が引き抜かれる。山本は自分の指を見下ろして苛立ったように眉を顰めた。
 指は濡れていた。誰のものか知らぬ精液で、たっぷりと。
 忌々しげに舌打ちを零すと、山本は雲雀の髪を掴んで顔を上げさせ、眼前にその指を突きつけた。
 哀れみを誘うような上目遣いで雲雀は山本を見た。目元が赤く染まっている。山本の無体な仕打ちが彼を興奮させているのだろう。
 ぐいと突きつけられた指を、雲雀は舌先で舐めた。指先に感じる生暖かい感触に、山本は軽蔑をこめた視線を向ける。それでも指を離そうとはせず、雲雀が汚らしい精液を舐め終えるのを待った。
 指が綺麗になると、山本は雲雀の髪を離した。顔からベッドに倒れこんだ雲雀は、わずかにもがいてみせる。自分が弱く無抵抗な存在だと思わせるためだろうか。山本など足元にも及ばぬほどの戦闘能力を有しているくせに、山本にはそれが苛立たしい。
 ベッドの傍らに立つと、山本は自分のベルトを引き抜いた。バックルを握るようにしてベルトを手に巻きつけ、長さを調節する。長すぎず、短すぎず、あくまで使いやすさを重視して。
 バックルを握りこむ音に雲雀は息を呑み、身を硬くしていた。何が起こるかわからずに怖れているのではない。彼は期待しているのだ。
 手に巻きつけたベルトの長さを調節している山本を、雲雀がじっと見つめている。ベッドにうつ伏せになったままの彼の眼差しは、期待と興奮に満ちて輝くようだった。あくまで哀れみを誘う上目遣いでありながら、雲雀の目は山本に命令をつきつける。彼を欲情させ、満足させろと。
 小さく息をつくと、山本は手にしたベルトを振り上げ、振り下ろした。

「うあっ……!」

 ビシッという高い破裂音が部屋に響き渡った。
 雲雀が悲鳴を上げ、背を仰け反らせる。ベルトが背中を打ち、痛覚が電気のように身体を駆け抜けたのだ。
 無感動な様子で山本は再び腕を振り上げ、振り下ろした。風を切る音、背中を打つ音。そして雲雀の悲鳴。しかしそれは喜びの悲鳴だった。
 ベルトが振り下ろされるたび、雲雀はよがり声を上げた。無抵抗なままにベルトで打ち据えられるのは、彼の一番のお気に入りの愛撫だった。山本はそれを知っていて、雲雀を喜ばせてやっているのである。

「くぅ、……ひっ…………!」

 幾度も背を打ち据えられながら、次第に雲雀の目は陶酔に蕩けていった。背中のみならず、男を咥え込んだ尻や、くちづけの痕の残る腿の裏までもが標的になる。酷く打ち据えられるたびに雲雀はあられもない声を上げ、興奮に身を焦がした。
 本来は男を咥え込むために出来ていないはずの末梢器官は、山本の暴力に蜜を零して耐えた。誰とも知れぬ精液を零し、ひくついて収縮を繰り返す淫らな器官は、すでに濡れそぼって山本を待っている。
 打ち据えるごとに蜜を零す器官を目の当たりにし、山本の興奮はいやがうえにも呼び起こされた。本当はこんなこと、したくないはずなのに。
 けれど山本は、もうずっと昔からわかっていたのかもしれない。自分には、暴力的な愛情を持つ一面があることを。彼は誠実で愛情深く、どこまでも優しいが、その一面で、心の奥底では、本当はずっと獣じみた衝動を抱き続けていたのかもしれない。それは理性によって限り無くゼロに近いまでに押しつぶされた願望だった。雲雀はそれを見つけ、引きずり出し、肯定し、解き放っただけ。山本はそれを、認めたくなかっただけなのではないか。
 そうでなければ、人より優れて強い意志と行動力を持った山本が、雲雀を切り捨てられぬ理由がわからない。おぞましい、万死に値すると嘆くほどの罪悪感を抱きながらも、彼に縋ってしまうのは何故なのか。雲雀が狡猾で一枚上手であったせいだけでは説明がつかない。結局山本は、雲雀の導き出そうとするものを、心のどこかで望んでいたのではないだろうか。
 その証拠であるかのように、いつしか次第に熱を帯びた暴力は、快楽へと移行する。後悔も罪悪感も、痺れ始めた頭の芯に、訴えかけるものは最早無い。残るのは本能だけ。本能は欲望を呼び覚まし、猛り狂った獣を解き放つ。山本は目の前に横たわる生贄の背を一際高く打ち据えると、ベルトを投げ捨て、雲雀の腰を掴み寄せた。

「……や、あっ……!」

 それがポーズに過ぎないとしても、雲雀の制止を振り切って、山本は彼の中に猛り狂った自身を突き込んだ。いくら先に別の男を咥え込んでいたとしても、それから随分と時間が経っている。ひくついた蕾は散らされ、雲雀の身体は苦痛に仰け反った。

「ひっ! 痛い、嫌だ、やめ……」

 懇願は自らと、そして山本を煽るためのものだ。涙ながらに訴えていても、雲雀の欲芯は熱く膨れ上がっていた。
 無理矢理自身をねじ込みながら、山本は雲雀の腰を抱き上げ、肩で体重を支えるようにさせると、脚のあいだに息づく淫らな欲芯を掌に握りこんだ。
 ぐちゅぐちゅと山本自身を飲み込む箇所といい、雲雀の身体はどこまでも淫猥に出来ている。手の中の欲芯は先端から零れた蜜に塗れ、滴るほどだ。
 片頬を釣り上げるようにして笑い、山本は雲雀の膨れ上がった欲芯の根元を握りしめた。それは過度の圧迫であり、雲雀が息を呑んで首を竦める。こうして根元を握りこめば、容易に達することはできない。
 組み敷いた雲雀から絶頂を遠ざけながら、山本は激しく腰を穿つ。擦り上げる内壁は熱く、収縮を繰り返す蕾は必死で山本を求めている。今夜すでに別の男を咥え込み、今また山本を咥え込んだ秘所は、ぐずぐずにとろけていくかのようだ。
 すすり泣くような声が聞こえた。部屋に響く隠微な水音の合間に聞こえるのは、雲雀の声だ。確かにすすり泣いてはいるが、山本はそれが演技だと知っている。自らを哀れみ、より一層高ぶらせようとしているにすぎない。それと同時に、山本の加虐心を煽って、欲情させようという魂胆だろう。
 見え透いた雲雀の行動に、山本は乗ってやることにした。手に握りこんでいた雲雀自身を解き放ち、強い調子で擦り上げる。それと連動するように突き上げてやれば、雲雀は喜んで自ら腰を使った。

「あ、駄目……あぁ……」

 自身を擦り上げられ、後背から犯され、熱で浮かされたように雲雀は訴えた。身体の中をかき混ぜる無体な熱が、雲雀の脳髄に快楽を刻む。はしたない器官を擦り上げられ、絶頂はそう遠くない。力強く突き上げる律動に身体が揺さぶられ、息もままならない。けれどそれが好くて好くて、雲雀はよがり声を上げて身を捩った。
 激しく犯されたにも関わらず、雲雀は今までに無い快楽の絶頂を味わった。失神しかけるような、急速に迫り来る闇を彼は見た。呼吸は止まり、背筋は仰け反ったまま筋肉が収縮し、雲雀の記憶は途絶えた。






 山本が雲雀の体内に吐精したとき、雲雀はすでに意識を失っていた。あるいは絶頂のあとしばらくは起きていたのかも知れないが、一気に駆け巡る血潮と、何より疲労によって眠りに引き込まれたのだろう。
 ぐったりとして動かなくなった雲雀を、山本は手厚く介護した。手首の拘束を解き放ち、痩躯を抱き上げてバスルームへ向かい、念入りに身体を洗い清めた。
 シャワーを終えた雲雀を清潔なバスタオルでくるみ、きれいに水気をふき取る。それからシーツを変えたベッドへと運び、熱を帯びた背中を癒してやった。
 冷水に浸したタオルと氷嚢で腫れた背中を手当てしていると、雲雀が意識を回復した。うつ伏せに寝そべったまま彼は山本を見つめ、心酔する瞳で微笑みかける。あれほどの快楽を与えてくれた山本を、心から尊崇しているのだろう。
 山本は何も言わず、雲雀の背中の腫れを手当てした。
 幾度かタオルと氷嚢を交換し、発熱していた雲雀の体温が安定すると、ようやく山本もベッドへと上がった。雲雀の隣に仰向けになり、疲労の重く滲むため息をつく。
 そんな山本の胸に、雲雀が手を乗せた。山本が顔を向けると、胸によじ登るようにして雲雀が身体を合わせてきた。
 首筋に顔を埋めるようにして、雲雀は熱を帯びた身体を山本に寄せた。山本も抗わず、外傷の少ない場所を選んで身体を抱きとめてやる。もう片方の手で雲雀の髪を梳いてやると、満足げに目を眇めて、雲雀がため息をついた。

「僕は愛されているね」

 幸福をかみ締めるような声音で雲雀が呟き、山本の胸を撫でた。山本は雲雀の髪を梳く手を止めず、

「……ああ」

 それは真実であり、否定する必要の無いことだった。
 雲雀は嬉しそうに微笑を浮かべ、彼の願いを口にした。

「いつか、僕を殺してね」

 ほんの一瞬、山本の指が止まった。雲雀は何も言わない。山本も何も言わない。ただ山本は、雲雀の髪を梳く手を再び動かし始める。とても優しい手。その感触を味わいながら、雲雀は微笑を深めると、そっと目を閉じた。








〔了〕





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