らいうのよるに






 空が裂けてしまいそうな雷の音と共に、激しい雨が降ってきた。あまりの勢いに視界もきかないほどの雨は、あっという間にその山を覆ってしまった。そして運が悪いことに丁度そこを通りかかっていたわんこが一匹、あわてて駆け出してゆく。まさしく『困ってしまってわん・わん・わわん』だ。幸い少し先の峠に今にも崩れそうな小屋を見つけ、彼はそこへ飛び込んでいった。

「ふぃ〜、まいった、まいった」

 ブルブルッと水気を跳ね飛ばして、わんこは床の上に座り込んだ。厚い雲と雨の所為で小屋の中は真っ暗である。それでも彼は構わずに奥へと進み、手ごろな台を見つけると着ていた服を脱ぎ始めた。小屋の大きさや扉の壊れ方から言って、誰かが住んでいる気配は無い。ならば濡れた服を絞って乾かす間くらい、脱いでたっていいではないか。

「ああっ、たくっ、厄日だぜ」

 彼は低い声で悪態をつきながら服を絞る。彼の名はシリウス。昼のうちに行動ができれば、こんなことにはならなかったのに。彼は今日、この山を越えて向こうにあるわんわん谷まで行ってみるつもりであった。実はここのところ彼の友人が行方不明になる事件が多く、運良く帰って来た者の証言によれば、彼らは狼に食われてしまったのだそうだ。
 今までもわんわん谷に住む狼の犠牲になった者は少なくなかったが、今回はちょっと話が違う。行方不明になった者は皆、どういうわけか自分から向こうへ行ってしまったのである。何でやねん!? とシリウスが唯一の帰還者に尋ねると、魂が抜かれてしまったような様子のわんこは妙な話をし始めた。

『わんわん谷には魔性の美狼が住んでいる』

 何じゃそら、と突っ込むまでもなく彼は照れながらそのスーパーアイドルさながらのとんでもない狼の話をし始めた。特筆すべきほどの美貌というわけでもないし、身悶えるほどの可愛さでもないのだが、とにかく一目会ったその日から、恋の花咲くこともあるって感じなのだそうだ。どうやらとにかくすんごい奴らしく、そいつと出合った者はあっちゅー間に虜になってしまうらしい。で、そいつに会うためにふらふらと出かけたわんこたちは、あるものは谷底へ転落し、あるものは他の狼に捕食され、あるものは貢物のために無理して働き、過労死したらしい。要するに、本人たちの勝手不手際であったらしい。
 だがまぁ、そこまですんごい奴がいるとなっては見てみたくなるのが人情というもの。すっかり好奇心を刺激されてしまったシリウスに、仲間はやめとけと必死で訴えた。そんな恐ろしいフェロモン狼がいるような所に、むざむざ行かせるわけにはいくまい。第一、向こうは来る者は拒まないようだが、わざわざ出向いてこないことがわかっているのだ、あえて危険を冒す必要は無い、と。
 だがしかし、そう言われればむしろやってみたくなるものであって、これをロミオとジュリエット効果と言う。それはともかく例に違わずシリウスはその美狼のご尊顔を拝しに出かけたわけである。何たって彼は群れの中でも腕っ節が強くて有名であり、狼の二三匹程度では、軽くあしらうことができるほどなのだ。
 それでも友人だの群れの長老だのが目を光らせているので、夜陰に紛れるくらいの工夫はすることにした。それに昼間は彼の大事なすいかの栽培があることだし。幸い彼は真っ黒な毛並みのため、夜の行動だと目立ちにくい。丁度いい、と出かけてみたら、見事に雷雨に遭遇してしまったのだ。女の機嫌と山の天気は変わりやすいと言うが、全くもってその通りだと、シリウスは不貞腐れながら心底思った。
 さて、そこへ突然ギギ〜という扉の軋む音が。吃驚してシリウスが顔を向けると、丁度誰かが転げ込んでくるところだった。

「ああ、もうっ!」

 よほど急いで走ったのか、ハァハァという荒い息遣いと共に闖入者は悪態をつく。声からして男のようだが、誰だろう。一瞬身構えたシリウスだったが、次いで聞こえたコツン、コツン、という音にほっと胸を撫で下ろした。ひづめの音か。ならば、山羊か何かだろう。

「……大丈夫か?」

 闇の中から突然掛けられた声に相手はわっと声を上げて退いたようだ。

「あ、驚かして済まん。俺も雨宿りなんだ」

 基本的に弱者だとか年下に優しい気性のシリウスは、見えもしないのに慌てて手を振ってみせる。

「……何だ、先客がいたんだ」

 ああ驚いた、と呟く声は明るく、再び蹄が床を叩く音がした。それですっかりシリウスは相手を山羊だと勘違いしてしまったのだが、実は彼は狼なのである。彼の名はリーマス。今日、夜のうちに山向こうのもんもん谷へ忍び込むつもりでやって来た。それと言うのも、彼の数多い信者がよく話題に上らせる、大きな黒犬を盗み見に行くためである。
 リーマスはどういうわけか昔から異常にもてた。ひょっとしたら何か特殊なフェロモンとか周波とかが出ているのかもしれない。そうしてわんわん谷のめぼしい相手を食い尽くしてからは、あちこちに手を伸ばし始めていた。と言うより、彼の噂を聞きつけた美味しそうな若者が、勝手に会いに来てくれるのである。これ幸いと美味しくいただきまくり、最近ではすっかり食傷気味であった。
 好きですーとか、愛してるーとか言って色々貢いでくれるのは良いが、最近ではそれにも飽きたし、質のいいのが減ってきたようでもある。しかも昔遊んでやっていた同じ谷のお友達が妙な悋気を出し始め、リーマスにはすんげーうざかったのである。
 と、そこへ最近リーマス教の信者となり始めたもんもん谷のわんこたちが、彼を楽しませようと妙な話をするようになった。その中に、やたらめったら顔は良いが、どうにも頑固で昔気質の職人のような黒いわんこがいるというのがあったのだ。しかもそいつはまだかなり若いらしく、すいかの栽培が趣味なために、滅多に谷の外には出てこないと言う。それですっかり好奇心の刺激されたリーマスは、その大きくて黒いわんこに会いに行こうと思ってしまったわけである。そしてあわよくば美味しくいただいてしまおう、なぁ〜んてね☆

「酷い雨だね」

 ふー、と一息ついてリーマスは奥の暗闇に向かって話し掛ける。顔は見えないが、声からすると同じ歳くらいの男か。

「全く、何も見えやしない」

「そうそう、おかげで足は捻っちゃうし、碌なもんじゃないよ」

 ご近所の付き合いは時候の挨拶から、と相場は決まっている。リーマスは愛想良く応じながらうんしょ、と床に腰を下ろした。

「大丈夫か?」

 ゴソゴソという音と共に意外と近くからした声にリーマスは驚いて顔を上げた。

「足が痛いなら、こっちに伸ばしていいぞ」

「うん、ありがとう」

 どうやら結構狭い小屋であるらしい。それとも奥に何か置いてあるのか。
 ともかくリーマスはお言葉に甘えて足を伸ばすことにした。その足がちょんっとシリウスの膝に当たって、彼は首を傾げる。おや、蹄にしては柔らかい感触だな、と。しかしどうせ膝でも当たったのだろうと勝手に納得し、ふと鼻にむずがゆさを覚えて顔を顰めた。

「ぶぇっくしょい!」
「ぶぇっくしょい!」

 ほぼ同時に出てしまったくしゃみに、二人は吃驚してお互いの方を見つめた。同じくしゃみの仕方にほんのり親近感。そして何故だか照れ笑い。

「鼻風邪でもひいたかな?」

「俺もそうかも」

 二人は鼻の下を擦りながらえへへへ、と笑い合う。

「……ぼくたち、似てるかもしれないね」

「そうだな。ちょっとな」

 照れ隠しにリーマスはそんなことを言い、シリウスもついつい相槌を打つ。鼻が利かないので、お互いがあまり良好な関係を保てる種族ではないとは全く気付いていない。それでこんな日にこんな状況で、気の合わない奴と一緒になるよりははるかにいい。と、そこへ天地を切り裂くような稲光と爆音が!

「うわっ!」

「ぎゃんっ!」

 何しろ二人とも犬と狼であるから、恐ろしく耳がいい。おかげで間近で聞こえる落雷の音は、ほとんど拷問のようなもので、二人に限らずわんわん谷の者も、もんもん谷の者も、大の苦手なのだ。

「うわ〜、やめてよ〜、雷は駄目なんだ」

 リーマスは耳を塞いで情けない声を出した。

「そっちは窓が近いから、こっち来た方がいいぞ」

 まだジ〜ンとする耳をかっぽじりながら、シリウスは奥へ寄って場所を空けてやった。そうする、と呟いてリーマスも床を這うようにしてやってくる。手探りで進むとき、伸ばした指先にふかふかのものが触れた。お、と思う間も無くサッと無くなってしまったところをみると、尻尾であるらしい。何だ、彼も狼なのか、とリーマスは勝手に納得してシリウスの隣に腰を下ろした。何しろ二人は驚いてすぐに目を瞑ってしまったため、雷の光でお互いの姿を確認することは出来なかったのだ。
 隣に現れた体温を感じてシリウスは困惑する。もうちょっと離れた方がいいだろうか。しかしそれほど広い小屋ではないし、第一この方が暖かい。気配からして山羊らしく小柄なようだし、お互い我慢すればさほど窮屈でもない。ならば仕方ないか、とシリウスが諦めたとき、再び稲光が迸った。

「ぎょわっ!」

「ぎえっ!」

 耳を抑えて二人は思わず身を寄せ合う。ただでさえ苦手な雷なのに、山の上では尚更雲は近い。暫く二人はジンジン言う耳を抑えて、目を回しかけたままより掛かり合っていた。

「あ、あれ?」

 先に顔を上げたのはリーマスだった。思わず寄せ合った身体の、手が触れた部分に服を感じなかったのだ。その困惑に気付いてか、シリウスも顔を上げ、

「ああ、濡れたんで、絞ってそこに干してあるんだ」

 上着くらいは無くても良いかと思って、と彼は弁明する。その間リーマスはふ〜んと言いつつ暗闇にほんのりとしか陰影の定かでない男を見上げた。指先の触れた感じでは、結構いい身体をしているようだ。先刻から声が頭上から降ってくるところをみると、背もだいぶ高いらしい。声質もいいし、印象も悪くない。顔はわからないが、多分彼はわんわん谷の狼ではないだろう。そんな好みの狼がいたら、とっくの昔にリーマスは食べてしまっているだろうし。
 そこでリーマスは多分相手の顔があるであろう辺りを見上げて自分の顎を擦る。ベタだけどシチュエーションは面白いし、顔立ち以外は実に好みだ。どんな不細工だったとしても、見えなければ関係無いのだし、闇鍋みたいなものだと思えば悪くないかもしれない。せっかくの美味しそうな獲物にもありつけなかったのだから、据え膳は食っておこうかな。
 そんな恐ろしいことを考えながら、しかしリーマスは違うことを口にした。

「ぼくも脱ごうかな。どこに干せるの?」

「ん? ああ、置いてやるよ」

 貸しな、と出てきた手に、リーマスは大人しく上着を脱いで渡す。だがそのときどこに手があるのかわからない振りで腕を軽く掴んでみた。おお、良く締まってていー感じ。そんなことには気付かずシリウスは、

「これ、ちょっと絞るぞ」

 頼む、という声を聞く前にすでにシリウスは部屋の隅で手渡された服を絞っていた。水の滴る音が聞こえ、リーマスは音を探るようにして身体を乗り出し、シリウスの背中に触れる。

「うわ〜、凄いね、力持ちだ」

 ぼくじゃあそんなにきっちりは絞れないよ、ととりあえずおだてると、

「いやぁ、簡単だよ」

 と照れ笑いの気配。うわぁ、こいつ莫迦だ、いい奴だ、とリーマスは一人でにっこり。良く言えば素朴でのんき、悪く言えば気が利かなくて莫迦、というのは非常に好みだ。しかも見えない振りしてペタペタ触った感じでは、予想通り美味しそうな身体つきをしている。これは逃す手だては無い。リーマス☆チャ〜ンス!
 一瞬暗闇の中でキュピーンとリーマスの目が光ったが、運悪く服を干しに立っていたシリウスはそれを知らない。雷の音は少し遠くなって、二人を妨げることはもう無いだろう。

「雷、遠くなったみたいだね」

 そうだな、と応じておいてシリウスも腰を下ろしながら窓のある方に視線を転じる。

「これで雨さえ上がってくれれば、さっさと帰るところなんだが」

 そいつは困るぜとは言えずに、リーマスも神妙な様子を装ってそうだね、と頷いた。そうして流れる暫しの沈黙。さて、どうしたものか、とシリウスは大人しく隣に座っている気配に目を向けた。雨はまだ止みそうも無いし、こうなったらどうにか場所を確保して横にでもなろうか。眠ってしまえば時間もすぐに経つだろうし、幸い雷も遠くなった。ちょっときついかもしれないが、我慢してもらおうか、と思案するシリウスに、ねぇ、と隣の気配が声をかけた。

「君、寒くない?」

 少し低められた声にシリウスはそうかな、と首を傾げる。別に冬というわけでもないし、雨に濡れたくらいではシリウスは大して寒いとは思わない。だが、隣で膝を抱えたらしい山羊は、カチカチと歯を鳴らし始めた。

「おい、大丈夫か?」

 心配して覗き込んだシリウスに、うんと呟いた声は弱々しい。これはいかん、ひょっとしたら風邪かもしれない。鼻が利かないとも言っていたことだし困った、何か羽織る物でもないだろうか、と首をめぐらすシリウスの腕に、冷たい指が触れる。

「ねぇ、君。迷惑じゃなかったら、くっついててもいいかな?」

 鼻にかかった弱々しい声で訴えられては、シリウスに断ることは出来ない。こいつ、近所の公園で鳩に餌をやっているタイプだな。

「うん、まぁ、別にいいけどよ」

 相手は男だというのに何でか照れてしまったシリウスはわざとらしく咳払いをして身構えた。このとき彼はすでにリーマスのやる気フェロモンに毒され始めていたようである。ありがとう、という呟きと同時に触れてきた冷たい手に、内心ひゃっと声を上げた。こいつ、本当に冷たいぞ、と彼は動揺して明後日の方向を見上げた。

「うわぁ、暖かいや」

 顎の下から聞こえる嬉しそうな声に、シリウスは恐る恐る背中を擦ってやる。ほとんど胸に縋るような相手の身体は、想像以上に細くて、再び沸き起こった動揺を悟られぬようにするのが精一杯だった。
 一方リーマスはと言うと、凭れ掛かった胸の逞しさにニタリと不敵な笑みを零す。う〜ん、思った以上にいい身体してるな、と。寒いなどというのはもちろん嘘っぱちであり、彼の体温は普通より極めて低い。よって、リーマスはいつ触っても冷たい肌の持ち主なのだ。おかげで夏はヘばり気味だが、こういうときは非常に役に立つ。

「だ、大丈夫か?」

 微かに上擦った声にリーマスはこくんと頷いてみせる。暗くて見ることはできなくても、胸元で頭が上下したのはわかるだろう。背中を擦る手も大層気持ちがいい。その手がオロオロと離れそうになるので、

「待って、もうちょっと……」

 凄く気持ちいい、とこっそり囁くと、相手はくらくらきたようだ。おっし、あともう一息!
 口許だけで笑ったリーマスは、恐る恐る再び背中を撫で始めた感触にため息を漏らす。試しに指の背で脇腹を撫でたら、驚いたように動きが止まったのが面白い。もう少し、あとちょっと……。
 そんなリーマスの腹黒い策略に全く気付いていない莫迦でいい奴らしいシリウスは、一人で目を白黒させている。抱き込んだ身体の細っこい感じが、女を連想させて妙な感じだ。でもぴったり合わさった胸は真っ平で、更に妙な感じだ。っつーか、こいつのこの色気は何だ!? 男だろうが! でも何っつーの、この艶っぽい息遣いとか、微かに触れてくる指の感じとか。ヤバイ、ちょっと押し倒したくなってきた。だってどうせ見えなかったら極端に痩せた女と同じようなもんだし、でも男だしー、と危険思想が散々脳みそを虚際した挙句、混乱を極めたシリウスは突然リーマスを突き放したのだった。

「うわっ!」

 予想外の展開にぽかんとするリーマスに、シリウスは済まん、と何故か謝る。

「わ、悪いがこれ以上は駄目だ、ちょっと離れていよう」

「え、ぼくは大丈夫だよ?」

 いーや、俺がいかんのだ、とシリウスは喚く。だから離れてもう寝てしまいましょう、ね? と何故か妙な言葉遣いになるシリウスに聞こえぬように、リーマスは舌打ちをかます。ちっ、いい感じだったのに、怖気づいたのか? となると作戦変更だな、とリーマスは急に居住まいを正すと、

「わかった。じゃあ、せめて背中合わせでもいいかな?」

 離れるのは寒くて、と訴えると、暫しの沈黙の後、

「わ、わかった」

 それは苦渋の選択であったろう。どのみち、この狭い小屋では離れて眠るなど無理なのだが。
 じゃあ俺はこっちであんたはそっち、と場所を決めると、早速シリウスは剥き出しの床に横になった。ああ、せめて服が乾いていればこんな事態にはならなかったのに。とにかく、心頭滅却すれば火もまた涼しいとどっかの偉い人も言っている。色即是空、空即是色などと心の中で呟きながら、シリウスは出来るだけ早く眠ってしまう努力をし、マッハの速さで黄泉の国に墜落していったのだった。
 ぐがー、と音速でいびきをかき始めた隣人に、リーマスは呆れつつもチャーンス☆と身を起こす。試しにちょっとつついてみたが、シリウスに起きる気配は無い。
 しめしめ、とリーマスはシリウスに気付かれないように立ち上がると、自分のベルトを引き抜いた。どうやら相手は体格に見合っただけの力がありそうなので、抵抗できないように腕を縛ってしまおうという魂胆だ。流石に後ろ手に縛るのは無理があるので、両腕をそっと持ち上げて胸の前でベルトをかける。仰向かせて何をしても目覚めない点は、非常に都合が良いが、全く反応が無いのはつまらない。もう少ししたら起きてくれると良いな、などと自分勝手に考えながら、リーマスはうんしょとシリウスに跨った。






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