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……天国のお花畑を浮遊するいい夢を見て、シリウスは目を覚ました。だが目の前は真っ暗で、一瞬自分の置かれた状況に戸惑う。だがそれ以上に彼はいい夢を見た原因に思い当たって、変な声をあげてしまった。
「どわぁぁぁっ! お、お前っ、なななな、何してやがる!?」
慌てて起き上がろうとして何故か腕が利かず、再び寝転がってしまったシリウスの下腹部からリーマスが顔を上げる。彼はごくりと咽喉を鳴らすと、
「何って、やっぱある程度硬くないと入らないからさ〜」
「ふざけんな、っつーか腕に何しやがった!」
「うん、ちょっと邪魔だったから、縛らせてもらった」
えへへへ、と無邪気にそんなことを言われてもシリウスが納得できる筈は無い。やっぱり暗くてよく見えない相手にシリウスは力一杯怒鳴りつける。
「何なんだお前は、ふざけたことしやがると、承知しねぇぞ!?」
しかし相手はよっぽど肝が据わっているのか、まるで堪えた様子も無い。さっきまで寒さに震えていたのと同一人物とはとても思えない変わりようだ。第一こいつ、足を捻ったんじゃなかったのか!?
そのリーマスはまぁまぁと相手の気を逆なでするようなことを呟きながら身を起こすと、
「遭難したときは裸で温め合うのが登山家のマナーってもんじゃない?」
「うるせぇ、それは雪山だろうが!」
「あ、そっか。でも大丈夫、ぼく凄く上手いから。この暗さじゃどうせ見えないし、いいでしょ」
よくねぇ! と叫んでみてもリーマスは聞いてくれない。
「大丈夫だよ、痛くないから。それとも、逆の方がいい?」
途端に低くなった声音にシリウスは自分の血の気が引く音を聞いたような気がした。多分胸に顎を乗せてにっこり笑っているだろう相手。こいつ本当に山羊なのか!? ちくしょう、腕さえ自由ならこんな奴一発でのしてやるのに、ぜってーぶっ殺してやる、今に見ていやがれ等々、心の中で散々悪態をつくシリウスに予想通り笑顔を浮かべながらリーマスは訊いた。
「で、どっちがいい?」
「……このままでお願いします」
実はちょっぴり小心者でもあったらしいシリウスは、よろしいと満足げに呟いたリーマスが自分に跨るのを感じてぎゅっと目を閉じたのだった。
ザーザーと、それでも先ほどよりはるかに雨脚の弱くなった水音を聞きながら、シリウスは敗北感に打ちひしがれていた。未だ縛られた手を床について項垂れる彼の心を占めるのはこの一言。
『……強姦されてしまった』
よもやこの歳になってしかも同性に乗っかられちゃうとは思わなんだ。せめてもの救いは寝てたけどタチであったことか。それにしたって何でこんなことになっちまうんだろう。どーせこうなるなら、やっぱあのとき押し倒しておけばよかったな〜。そうすりゃせめてイニシアチブはこっちのもんだったし。しかもむかつくのはこれが結構良かったもんだから自尊心打ち砕け。うん、まぁ、そんな大した自尊心じゃないけどさ、それにしたってこーゆー目にあったら普通はさ……。
剥き出しの床にのの字を書きながらブツブツ呟くシリウスの後ろでは、満足そうなリーマスがう〜んと伸びをしている。煙草でもあれば一服するところだが、贅沢は言えまい。思ったのとちょっと違うシチュエーションになってしまったが、こういうのも面白くていいものだ。しかもやっぱり美味しかったし、雨でずぶ濡れになった甲斐があるというものである。
うふふふ、と一人で愉快そうに忍び笑いを漏らしたリーマスは、ふと思い立って隣のシリウスににじり寄った。彼は未だに落ち込んで背中を丸めており、床に垂れた尻尾をリーマスは手探りで探し当てた。
「うわ〜、ふかふか。大きい尻尾だね」
極めて明るく、舌っ足らずに言われた言葉に、肩越しに振り向いてシリウスは睨む。だがどうせ暗くて見えないので効力は無い。
「ねぇ、耳も触っていい?」
駄目だとシリウスが言うより早く、リーマスはサッと彼の耳を掴む。ひゃあ、と声を漏らさなかったのは彼のプライドの最後の一遍か。
「うわぁ、ツヤツヤだ!」
嬉しそうに耳をクイクイと折り曲げるリーマスは酷く楽しそうである。自分にもあるくせに、だがこういったことは他人のをやるから楽しいのである。
おい、と不機嫌そうに声をかけたシリウスの背にリーマスは抱きつきながら、
「凄いね、耳も尻尾も大きくて。君はきっとさぞや格好いいんだろうね」
「………………」
「いいよね、ぼくももっと大きくなりたかったな。こんな風に逞しく……」
言いつつ前に回した手で胸元を撫でるリーマスに、声に出さずシリウスは悲鳴を上げた。いかん、これでは相手の思う壺だ。そそそそ、そんなことより、
「お、お前、これ外せよな」
どうせ暗闇で見えないが腕を上げたのは肩の動きでリーマスにもわかった。彼はちょっと考える素振りを見せた後、
「……取っても、酷いことしない?」
「しないしない」
「怒らないって約束するか?」
「するする。だから早く取ってくれよ」
「じゃあ、最後に一つ」
「あ〜、もう、何だよ!?」
苛々と振り返ったシリウスの耳元で、クスッと笑う声がした。
「もう一回する?」
その瞬間シリウスの脳裏では先ほどのリーマスの『凄〜い、硬〜い、気持ちいい〜!』という声がフラッシュバックし、もともと気の長い方ではない彼の理性をブチッと焼き切ってしまった。おかげで一瞬失語症に陥ったシリウスが子供のようにこっくりと頷くと、にんまり笑ったリーマスが、
「よろしい」
ちゅーと愛情を込めてキスをしてから、腕のベルトを外してくれた。
後のことはよくわからない。
雨が上がったのが何時のことだったのか、シリウスにはさっぱりわからないが、えへへへ〜、うふふふ〜という余韻から醒めてみたら、雨音がしなくなっていたのだ。そこで隣で丸まっていたリーマスを起こし、二人は散らばっていた服を身に付け始めた。
「大丈夫か? ちゃんと歩けるか?」
あの後すっかり理性のぶっ飛んでしまったシリウスなので、手加減もクソもあったもんじゃねぇ。だが何しろ小さい頃から遊びまくっていたリーマスなので、それはもうめちゃめちゃ楽しんでいたようだ。
「うん、大丈夫。帰れるよ」
ちょっと眠そうな声で応じるリーマスの輪郭は、少しだけ明るくなった小屋の中で曖昧だ。向こうからすれば自分もそうなのだろうと考えて、シリウスは頭を掻いた。何だか妙に現実感が薄くて、夢と言うより騙された感じがする。と言うより、名残惜しいのか。珍しく感傷的になったシリウスはふと思いついて口を開いた。
「今度、まともに飯でも食わないか?」
「ん? ……ああ、そうだね、ハイキングでもしてみようか」
そうすれば君の顔も見れるしね、とリーマスは笑う。じゃあ、弁当でも持っていくか、とシリウスも笑う。
「折角だから、明日でも、どう?」
着替え終わったらしいリーマスはぎゅっとシリウスに抱きつきながら問い掛ける。これはぼくのも〜ん! とでも言いたげだ。同じようにぎゅっとリーマスを抱き締めながら、
「そうだな。じゃあ、どこで待ち合わせする?」
数時間前まで強姦されたと落ち込んでいた男とは思えない喜びようである。
「ここでいいんじゃない。隣に木があったから、そこにしよう」
お昼頃にそこで、と決めて、リーマスはふと可笑しくなった。実はこの期に及んでお互い名前も知らないのである。まだ朝日も出ていないので、もちろん顔もわからない。どうかこいつが自分好みの顔でありますように!
「合言葉でも決めておくか?」
「そうだね、じゃあ『らいうのよるに出会ったひと』ってのは?」
「長いな。『らいうのよるに』だけで充分だろ」
「なるほど、『らいうのよるに』ね」
「そうそう、『らいうのよるに』な」
クスクスと笑いながら、二人は小屋を出る。じゃあ、と呟く前にちゅーと長くキスをして、二人は踵を返した。そのまま振り返りもせずに二人はどんどん山を下ってゆく。そのうち漸く顔を出した朝日が辺りを染め始め、狼と犬を明るく照らし出した。
こうして二人はとんでもない誤解を抱えたまま山を下り、家路についた。数時間後に再会した二人がどんな反応を見せるかは、まだ誰も知らない。
〔おしまい〕
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