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雲雀は風呂場にいた。そして檜の大きな浴槽につかっている。
了平も風呂場にいた。そして檜の大きな浴槽につかって雲雀と向き合っている。
情事の痕跡を洗い流すために入浴をしているのだが、先ほどから二人は無言のままである。もともと多弁な両者ではない。
雲雀は疲労のために浴槽に背を預け、緩く足を伸ばしている。了平は胡坐を組んで座り、二人の視線は交差したまま大分立つ。先ほどまで初めての情交に耽っていたとはとても思えない二人は、見つめあうというよりは睨み合うに近い状態ですでに十分近くを経過していた。
先に視線をそらしたのは了平だった。蒸気が天井を濡らし、水滴が頭に垂れたのだ。驚いたのか了平は弾けるように天井を見上げ、頭をかいた。
「……もう少しこっちくれば」
天井を見上げたままの了平に雲雀は掠れた声をかけた。まともな発言は、了平が彼の部屋に入って以来かもしれない。
うむと呟いた了平は少しだけ雲雀に近寄った。だが、何しろ資産家で有名な雲雀邸の自慢の風呂場である。雲雀が脚を伸ばして座っていても、浴槽内はまだまだ余裕があった。
微妙な距離を置いて場所を決めたらしい了平は再び雲雀を見た。
「それで、確かめたいこととやらはわかったのか」
自分の胡坐に両手をついた了平は、背筋を正して雲雀を睨んでいる。いや、見つめている。雲雀はやはり気だるげに首を傾げ、
「残念ながら、よけいにわからなくなった」
確証を得たくて了平と抱き合ってみたが、それは余計な混乱を呼んだだけだった。
だが了平と抱き合うという行為は、雲雀にとって不快ではなかった。何しろ初めてなのであまりうまくいかなかったし、決して気持ちよくもなかったのだが、
「悪くなかった」
その雲雀の発言に何故か了平はやや仰け反った。鼻白んだのだろうか。相変わらず行動の読めない男である。
「……身体は辛くはないのか?」
どうやらそれなりに案じていたものらしい。雲雀は物憂げに了平を睨んだ。いや、見つめた。
雲雀は了平に選ばせた。する側とされる側とどっちがいいか、と。彼が無理に誘ったのだから、そのくらいの選択権はくれてやろうと思ったのだ。了平の返答はする側で、即答だった。そんな色気の欠片も無い協議のあと、二人は真剣に抱き合った。常日頃よけいな発言の多い了平もこのときばかりは言葉少なく、稚拙な愛撫を受けながら雲雀は珍しく真面目な了平を観ることを楽しんだ。
初めての行為は酷い結果にはならなかったが、雲雀の身体は少なからずダメージを受けた。彼はしばらく立ち上がれず、こうして向き合っている今もまだ何かが中に入っているような気がしてならない。
あけすけな雲雀は平然と了平にそう言い放った。もちろん了平はどう反応していいかわからず、壊れたおもちゃみたいに口を開閉させた。
「別に痛くはなかったけど、吐きそうだった」
「な、何故だ?」
「突き上げられるから」
「そ、そうか」
普段は他人を巻き込んで独自の世界を展開する了平だが、このときばかりはそうもいかなかった。雲雀の発言に一々目を白黒させる彼が面白い。傍へ行って頭を撫でて殴り倒してやりたい欲求に雲雀は駆られた。けれど動くのが億劫なので彼はそうしなかった。自分が命拾いしたことを了平は知らない。それが雲雀には面白く、彼は微笑を浮かべ、でもと呟いた。
「悪くなかった」
苦しかったし気持ち悪かったし大変だったが、本当に悪くはなかった。雲雀はそう感じた。流石に初めててで快楽を得るのは難しいだろう。了平はともかく、雲雀は無理だった。身体の苦痛が大して気にならない雲雀だが、流石に身体は上手く反応しなかった。了平はどうにか気持ちよくしてやろうと努力したのだが、雲雀はそれを拒否した。いいから早く終わらせてよ、と。
もしかしたら了平はそのことを気に病んでいたのだろうか。自分だけ気持ちよかったことに罪悪感を憶えているのだろうか。面白い男だと思う。何故そんな風に思うのか雲雀には理解できない。だからこそ面白いと思う。彼は雲雀を退屈させない。これからもこうして二人でいたら、了平はもっと雲雀を楽しませてくれるのだろうか。それはとても面白そうではないか。
雲雀は温めのお湯を両手ですくうような仕草をして湯船に視線を落とした。
「僕は君が好きなのかもしれない」
飽きることの無い興味の対象。それを手放すのが惜しいと思うことは、好意ではないだろうか。抱き合うことで感情は複雑化し、思ったような確証は得られなかったが、了平に対する興味は深まった。悪意の無い興味は好意と同義。イコール自分は了平を好んでいる。
湯船に目を落としていた雲雀は、水面が急に波立ったのを見て顔を上げた。すると間近には了平が迫ってきており、彼は雲雀の肩に両手を置くと、ぶつかる勢いで抱き寄せた。
「だからオレは初めからそう言っているだろうが!」
耳元で叫ぶように言われた言葉は浴室に反響し、今度は雲雀が面食らう番だった。
「オレはお前が好きだ」
ざぶざぶと水面が揺れている。了平はぎゅっと雲雀を抱きしめたままで、どうにか顔を動かして見た彼の耳は真っ赤になっていた。
雲雀は突然理解した。了平がどうして自分に付きまとうのか。どうして彼が厭わしくないのか。どうして理不尽に抱きつかれて、噛み殺したくならないのか。
「へぇ、そういう意味だったんだ」
「それ以外どんな意味がある」
むっとしたのか了平の声に棘が篭る。しかしそれも照れ隠しに過ぎないだろう。
雲雀は了平の肩に頬を寄せ、悩ましげに嘆息した。
「どうしてそう思ったの」
湯船は窓から差し込む日差しに煌いている。昼間の入浴は珍しいことではないのに、雲雀はそれを生まれて初めてきれいだと思った。
「うむ、随分前に弁当を食っているときにだな」
了平は何故か中空を見上げた。うなじの赤みが引き始め、雲雀の背中に回された腕は戸惑ったように力が抜けていった。
「何となく、これから一生お前とそうして飯を食うような気がしたのだ」
やけに力強い断言がかえって彼の動揺を伝えてくる。流石に自分の発言の非論理性に気付いたのか。
「……それだけ?」
「充分だろう」
これまた不機嫌に言い放つ了平の腕はすでに雲雀の背中を離れ、手持ち無沙汰に湯船に沈んでいる。だから今度は雲雀が腕を上げて了平の首を抱いた。
「来週も来なよ、了平」
初めて口にした名前に、雲雀は自分で忍び笑いを漏らした。もちろんそのことに気付いた了平は喜びの表現か雲雀の身体を抱き返し、
「ああ、そうさせてもらおう」
了平は気だるげな雲雀をひっぺがすと、ほとんど味わうことのできなかった彼のくちびるに、自分のそれを重ねた。
〔おしまい〕
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