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 シリウスの中におけるリーマスの地位向上はあっという間になされてしまった。てっきり満月の時期だけだと思っていた行為は、それ以後も続いた。考えてみれば普段の彼はある程度普通の成人男性なのである。しかも慢性的にそういったことをして生きてきたのだから、無いほうが彼の生活からしてみればおかしいのである。だからリーマスはシリウスを拒むことはなかった。
 狼の夜を経て、すっかり憔悴してしまったリーマスをよくシリウスは見舞ったのだが、2日後には同じ寝台の中にいた。少し疲れた様子のリーマスもまた淫靡でそそるものがある。だが相手は病人、と自分に言い聞かせていたシリウスの手を取ったのはリーマスの方だ。誘われたというより、許された感じがする。けれどシリウスがリーマスを慰めたことも事実だろう。
 こうなるともうシリウスにはリーマスがたまらなく愛しくなってきた。もともと情には厚い男であるし、正義感の強いタイプでもある。今更彼にリーマスを手放すことはできない。
 またリーマスも何を考えているのかはわからないが、少なくともシリウスを拒むことはなかったし、多分憎からず思っていてくれているのだろう。相変わらずマイペースではあったが、彼からシリウスに会いに来ることも多くなったし、単なる思い上がりではないだろう。
 その情愛は肌を重ねる回数が多くなるほど深く強くなっていった。だからと言って別にシリウスはただリーマスの身体に惚れ込んでいたわけでもない。あの微妙に思い通りにならず、対等に喧嘩もできるところが気に入っている。お互いに面と向かって減らず口を叩いているのは楽しかった。そうしてシリウスは、リーマスもリーマスと過ごす時間も、貴重なものであると思うようになっていったのである。








 リーマスには噛み癖がある。それにはシリウスは初めから気付いていた。彼は人狼の影響かシリウスの肌によく歯を立てる。もちろん愛撫の一環としての程度だが、それでもリーマスは夢中になると少し手加減が緩み、痛い思いをしたこともある。なのでそう言ってみたのだが、先方は肩を竦め、

「悪かった。でも、気持ち良かっただろう?」

 などとのたまう始末。ふざけんな、とシリウスは怒ったが、実際次のときにその快楽を教えられてしまったのだからたまらない。もともと狙っていたのだろうが、シリウスが達するときを見計らって、肩口を噛まれ、これが思いがけず良かったのでシリウスは閉口してしまった。だがリーマスは奢るでも勝ち誇るでもなく、

「じゃあ、今度はぼくにもやってくれ」

 そう言ってシリウスに噛むことを要求するのである。これはやはり人狼の悪影響だろうか?
 そんなことをブツブツ言っていたが、シリウスも莫迦ではないので言われた通りにしてやった。まぁ、狼とか犬とかって生き物は噛んでじゃれあうものであるし、そもそも確か犬の祖先は猫だったはず。なるほど、こういったことが好きなわけだ。
 だが噛むこと以上にシリウスが毎回感心してしまったのは、リーマスが口淫を嫌がらないことだ。むしろ積極的にしてくれる。その上シリウスが口の中に吐精することも厭わないし、しかもそれをごく当然のように飲み下してしまう。それにはむしろシリウスの方が慌ててしまった。
 考えてみればリーマスはずっとそういった世界に生きてきて、こうすることが礼儀なのだと教えられてきたのであるから、当然なのかもしれない。だが女性にだって飲めとは言わないシリウスであったから、驚いたのは当たり前だろう。それにシリウスはリーマスのものを触ったり愛撫はできても、まだそれを口にしてやることはできなかった。いや、そういった問題以前に、あんまりその口にキスをしたいとは思えないものだから。
 吃驚するシリウスを見上げて、リーマスは首を傾げた。手の甲で口許を拭いながら、何をこの男は変な顔をしているのかと訝しんだものである。そのうちシリウスは何を思ったのか、

「……それは、どんな味がするもんなんだ?」

 素朴な疑問であったが、シリウスは真剣だった。彼がしてくれる以上、そのうちシリウスもしてやりたいし、そうしなければならない気もする。ならば先にどんなものか聞いておくのは有効だろう。少なくとも心の準備にはなるから、と。そのための質問である。
 するとリーマスは暫し眉間に皺を寄せて何事か考えている様子だったが、ふいにそのまま顔を上げると、

「……しびれ薬?」

 …………どうやら、ものすごく不味いものであるらしい。
 そんな風に思わず血の気の引いてしまったシリウスであったが、一週間後にはそんなことはどうでもよくなり、10日後には同じことをしてやるようになっていたのである。








 夏の間に二人はたいそう親密になった。家人の目から見ても明らかなほどであったから、本人たちの歩み寄りの度合いは数ヶ月前から考えると奇跡に近いものがある。
 初めはただ無言でしていた食事も、

「お前はもう少しきちんとした食事を取れ!」

 などと心温まる会話がよくなされるようになったし、以前はバラバラだった午後のお茶も、

「君は紅茶にまでブランデーを垂らすのか。それじゃあ紅茶にブランデーが入ってるんだか、ブランデーに紅茶が入ってるんだか、わかったもんじゃない」

 という優しい気遣いの言葉が聞こえるようになったのである。多分これはいいことなのだろう。
 ある日優秀なる老執事は、主人に午後のお茶はアレにしてくれと言われて、今度は何を始める気だと思いはしたものの、口に出しては何も言わずにただ一礼して部屋をさがった。別段身体に毒な物ではないし、多分リーマスに色々な経験をさせてやろうという主人の気遣いなのだと良い方向に解釈したからである。そして出された緑色の液体に、リーマスは驚愕の表情を見せたのだった。
 普段からリーマスの表情は、執事と同程度のバリエーションしかない。執事のそれが職業ゆえの無表情なのに対し、リーマスのそれは自己防衛のためである。子供の頃から不当な搾取に晒されてきた彼は、最早泣くこともわめくことも放棄し、ほとんと諦観して全てを受け入れるようになったのである。どうせなら楽しんだ方がいいから、とつまらなさそうに言っていたのはつい先日のこと。
 だが感情が豊かで行動的なシリウスには納得しがたく、ならばこれはどうだと差し出したのがその緑の液体だったのである。

「な、何だいこれは一体……!?」

 マンボウを正面から見てしまったかのような困惑の表情でリーマスはカップの中を覗きこむ。確か絵の具の緑を溶かすとこんな感じの水ができたようだったが、こんなに透明度は高くなかった気がする。それに若葉めいた黄緑色の綺麗な液体であるが、緑の絵の具は毒性が強いから間違っても口にしてはいけないものである。だがカップに入っている以上飲み物なのだろう。あ、シリウス飲んでるし。
 そのシリウスは優雅にカップをソーサーに戻すと、何故か勝ち誇った微笑を閃かせ、

「どうした、飲まないのか? せっかくのグリーン・ティーが冷めてしまうぞ」

 それは現在アジアを旅行中の彼の両親が送って寄越した東洋のお茶であった。
 ティーと聞いてやっぱりお茶なのかとリーマスも恐る恐るカップを口許に持っていく。何だろう、この香りは。以前何かの祝いの席で特別に食べさせてもらった、西瓜とかいう果物と似た香りがする。しかしテーブルに砂糖が出ている以上、甘くは無いのだろう。
 ニヤニヤ笑うシリウスに見つめられつつ、リーマスは恐る恐るグリーン・ティーをすすった。

「熱っ!」

 予想外の温度の高さにリーマスは慌ててカップをソーサーに戻したが、すっかり舌先を火傷してしまった。彼にとってお茶とは紅茶のことで、それは基本的にせいぜい人肌以上程度の温度である。故に紅茶のイメージまま飲もうとした彼は火傷をしてしまい、むっつりとシリウスを睨んだ。

「これはな、紅茶と同じ葉でできてるんだぞ」

 それどころか、多分こっちの方が歴史が長いだろうとシリウスはしたり顔で説明した。こいつ、自分が少しばかり大学を出ているからって偉そうに……。
 だが実は好奇心の強いリーマスは勇敢にも再びグリーン・ティーに挑んだ。何度も息を吹きかけ、表面を温くしてから飲んでみたのだが、これが結構渋かった。

「……嘘吐き」

 これがあの紅茶と同じものだなんて、シリウスの嘘に決まっている。そうやってリーマスを騙すつもりなのだろう。紅茶はもっと甘くて柔らかい香りがするものだ。にんじんだって生で食おうがソテーしようが、基本的な味や香りは変わらない。なのにこの緑の液体はどこをとっても紅茶と同じ部分は無かった。だからシリウスは何も知らない自分を騙そうとしているのだと結論したのである。

「嘘じゃない、他にもウーロン・ティーだってあるし、同じなんだぞ」

「ウーロンだかセーロンだかコーロンだか知らないが、そうやって人を騙すのは誉められた趣味じゃないぞ」

「失礼な奴だな、これは栄養学の本にだって載ってることなんだからな」

「だったらその本を書いた奴が間違ってるんだろう」

 そうでなければ、そいつに皆騙されたんだ、とリーマスは聞く耳を持たなかった。
 その後も暫く口論は続いたのだが、二人以外の誰ももう耳を傾けはしなかった。ほとんど子供の喧嘩であるし、何しろ忙しいのだ、付き合っている暇は無い。ただ側に控えていた執事だけは多少被害を被ったようだが、彼は後日こう言って口を緘したのである。仲がいいのは良いことだ、と。








 楽しい夏は飛ぶように過ぎ去り、秋がやって来た。夏の休暇に避暑のため田舎の領地へ出かけたシリウスは、リーマスをフライフィッシングに誘った。夏用の別荘の広大な庭を流れる川での話なのだが、暫くすると強い日差しにリーマスがダウンしてしまった。どうやら普段の日でもあまり外へ出るのは駄目らしい。
 ならばオペラにでも連れて行ってやろうかと思ったのだが、それには最大の難関が待ち構えていた。シリウスは実は音楽に全く興味が無いのである。小さい頃貴族のたしなみとして無理矢理ピアノやヴァイオリンをやらされたので、弾けないことはない。が、ピアノはともかくヴァイオリンにいたっては、たまたま遊びに来ていた母の友人が真っ青になりつつ、

「ど、独創的な音ですこと……」

 つまり全く音楽になっていなかったのだろう。あれは確実にシリウスの性に合っていない。だが余りにもリーマスが外出をしないので、少し心配になったのである。
 そこで本人に聞いてみたのだが、彼は人込みは嫌いだし、音楽には余り興味が無いと言った。別にボックス席を一つ借りれば、二人だけで鑑賞出来るのだが、ひょっとしたら誰か顔見知りに出会ってしまうことを考慮しているのだろうか。そう考えたシリウスは屋敷の敷地内でできる散歩とチェスに切り替えたのである。
 秋の夜長にはよく本を読んでやった。すっかり本の虫と化していたリーマスは、自分で読めない本をシリウスに読んでくれと要求する。シリウスが学校で外国語も習っていたと知るや、手当たり次第に本を持ってくるようになった。特にガリア戦記を読んでくれと持ってこられたときは、流石のシリウスも勘弁してくれと却下したものである。
 それにしても妙な光景なのだろうな、とシリウスは本を読んでやりながら何度も思ったものだ。いい歳をした男が二人、絵本だの子供向けの本だのを音読しているのだ、他人が見たら正気を疑うことは間違いない。しかもリーマスは途中途中で疑問に思ったことをシリウスに問い質す。曰く、何故ロンドン橋は落ちるのか、どうしてシェイクスピアの正体を疑うのか。だがそれにシリウスは答えられない。そんなもの学校では習わなかったし、疑問にも思わなかった。だがそんなことを言おうものなら、リーマスは片眉を吊り上げ、口許に冷笑を閃かせるだろう。しまった、こんなことなら面倒くさがらずに、『機知に富んだ会話』とやらを真面目に鍛錬しておくのだった。
 そうして悩んだ結果、

「……その方が面白いからだろ」

 渋々言ったシリウスの言葉に、なるほどとリーマスは納得したようである。確かに真理は突いている。おかげで一先ず安心したシリウスであった。
 こういったやり取りについて、シリウスは困惑しながらも、リーマスにとっては良いことだと思っている。まず身近な些細な事柄を疑問に思い、考えることから思考は始まるのである。そうして育つ内に政治の権力構造に対する疑問や、社会的な矛盾に対する怒りを感じられるようになるのだ。特にリーマスはそうしたことを考えた方がいい。諦めるだけが全てだった彼に、こうした変化が見られるのはとてもよい兆候であって、実に歓迎すべきことである。
 ……ことであるのだが、流石に真夜中の休息中にまで持ち出されてはいささか面白くない。二人でシリウスの寝台に横になっているときに、どうせ暇なんだからと何処から取り出したのか本を手渡されては、流石のシリウスも閉口した。それが愛を主題とした詩集だとでもいうならまだいいものを、マルクスの資本論ではどうして楽しく読んで聞かせてやれるだろうか。いや、別に詩集だってシリウスにはちっとも楽しくは無いのだが。
 しかしそれにしても何故資本論なのだろうか。ほとんど棒読みで本を読んでやりながら、ちらりと横目で隣を見ると、リーマスは難しい顔で神妙に聞き入っている。夜中に寝台の中で、しかもお互い裸でという場面でなかったら、勉強熱心なことと誉めてやってもいい。だがこの間まで絵本を必死になって読んでいた男が、また随分な変遷である。多分たまたま手に取った程度の理由だろうが、ちゃんと理解できているのかはなはだ疑問だ。それ以上にそろそろ嫌になってきて、シリウスは文句を言うリーマスを無視して本を閉じたのだった。










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