■□■ 関心と無関心と □■□






 白大理石でできた呆れるほど広い玄関で靴を履いていると、鉄板を挟ませたオーク材の扉が開いた。特注品のその扉の鍵を持つ人間は極少ない。よく手入れされた革靴を履いていた恭弥は、自然体を装った臨戦態勢で訪問者を迎えた。
 音もなく扉を開いたのは雲雀だった。日本人だとすれば長身と呼ばれる部類に属する身体を無造作に動かし、そのくせ一部の隙もない足取りで帰宅してきた男。世間では父親と呼ばれるその人物を、恭弥は抜け目のない視線で真っ向から見つめた。
 オーダーメードのダークスーツを優雅に着崩した男は、緩やかに小首を傾げて恭弥を見た。

「いたの」

「まあね」

「行くの」

「そう」

「ふうん」

 親子の会話は短い。極めて酷似した容姿を持つ二人は、気性も性格も驚くほどよく似ていて、言葉だけを聞いたとしたらどちらがしゃっべっているのかまるでわからない。同じ抑揚、同じ声調、同じ無関心……。
 しかし二人が違う人間であることを示すように、雲雀は恭弥の横を音もなく通り過ぎ、振り返ることもないまま廊下へと消えた。真っ白な大理石の床に反射する間接照明によって投げかけられた、父親の幽鬼的な影が消えるのを見届けると、恭弥は何も言わず玄関を出て行った。






 久々に訪れた街を危険を求めて徘徊しながら、恭弥は漠然と父親のことを考えていた。
 恭弥の知る限り、父親は得体の知れない男だった。おそらく他人から見れば恭弥も同じであろうが、その彼からして父親は謎の人物だった。日本人の名前を名乗っているが、実際に国籍が日本という確証はなく、他にも多くの名前を持っている。おかげで恭弥は人生の大半を外国で過ごし、帰国したのは実に四年ぶりのことだった。
 いや、それは正確ではない。一週間ほどの滞在などはたまにあったのだが、本拠地を日本に移したのが久しぶりだったのだ。それに伴って恭弥も日本へやってきた。父親に追従したからではなく、どうでもいいことだったから。
 その父の様子が最近おかしい。恭弥の知る父は、悪逆と殺戮を好み、自己を満足させるためならば退屈しのぎに自分の腕でも切り落としかねない男だ。社会にとっては害悪以外の何者でもないだろう。危険をはらみ、悪意によって動き、衝動のままに破壊を繰り返すような。それは恭弥にとっては興味深い人間であったが。
 実際の非道を目の当たりにしたことはほとんどないが、人でなしと尊称される父親が、妙なことに凝り始めたらしいことに恭弥は気がついた。それは日本に帰国してからすぐのこと。いくつもある根城のなかで、おそらく父が最も気に入らないあの白大理石の家で気がついた。先ほど恭弥が出てきたマンションだ。
 石より木のほうが好きなくせに、気まぐれで手に入れたマンションに、当初父親はほとんど戻らなかったようだ。ようだ、というのは、恭弥もまた気分次第で帰る家を変えるので、必ずしも毎日父親に会っていないので確証がないからだ。が、初めて大理石の廊下を裸足で歩いたとき、あからさまに眉を顰めたところを見れば、父親があの家を気に入っていないだろうことはすぐにわかった。
 ところがここのところ、父親はあの家によく滞在しているようなのである。完璧に清掃の手が入ったマンションでも、恭弥には父親のにおいがわかった。それは嗅ぎ取るというより、感じ取るたぐいのものであったろう。普通の人間には理解できないであろうが、父の一卵性の双子にも似た恭弥にはそれがわかった。
 気まぐれに訪れたマンションで、父親の気配を嗅ぎ取ったとき、恭弥は首を傾げた。一度ならず同じことがあり、確信にいたった。父親はどうやら、お気に入りの玩具を見つけたようだ、と。
 恭弥は颯爽と街を歩く。気分を高揚させてくれる何かを求めて。自分がこれほど渇いているのが、先ほど会った父親のせいだと自覚しながら。
 間接照明に照らされた父の闇色の服に、濡れたような光沢があった。確かめるまでもない。返り血であろう。鼻腔をくすぐる鉄さびの匂いは、甘いトワレでも隠しようがない。そして何より無表情の父の口元に張り付いていた残虐さの名残がそれを示していた。殺戮と悪意を欲しいままに振る舞い、冷酷非道、悪逆無情と呼ばれる、欲情にも似た満足を、父は纏って戻ったのだ。
 押し込まれた殺意と侮蔑が恭弥を刺激したことを彼は否定しない。彼と父親はよく似ている。興奮が感染したとしても、不思議はない。それに何より、父親を否定したいほど、彼は父親に興味がなかった。どうでもいいことだったのだ。






 一時の興奮を持て余すことなく発散し、歩き回ることにも戦闘とさえ呼べない低レベルの戦いにも飽きて恭弥がマンションへ戻ったのは、大分遅くなってからだった。
 シャツにわずかな血痕を認めても、ポーカーフェイスのコンシェルジュはただ深々と頭を下げたのみ。よく教育が行き届いている。もしかしたら父親がここにねぐらを決めた理由も、その辺にあるのかもしれない。
 埒の開かないことを考えながらエレベーターに乗り、降りたときにはコンシェルジュの顔さえ忘れ、恭弥は玄関の扉を開いた。無駄に広い白亜の玄関に、薄汚れた安物の靴があった。それを認めると恭弥は眉を顰め、何も言わず廊下へと上がった。
 長い廊下の先に、暖かな光をともす居間がある。空気が孕んだ嗅ぎなれないにおいに強い警戒心を抱きながら、恭弥はそこへ足を踏み入れた。

「お、きょん、久しぶり!」

 音もなく居間に現れた恭弥に、ソファにかけていた男が気づいて声をかけた。『きょん』というのは、どうやら恭弥のことであるらしい。新しいようだが明らかに安物の服を着た背の高い男。他人の警戒心を削ぐ効力のある不可思議な満面の笑顔で、男は恭弥に笑いかけていた。

「夕飯にトマトの磯辺焼きとかれいの煮つけと、ほうれん草のおひたし作ったのな。今、温めなおすかんな」

 惜しみなく立ち上がろうとした男。だが、その男の膝には別の人物の脚が乗っている。ソファの肘掛にクッションを当て、背中を預けて寝そべっているのは父親だ。その脚が甘えるように男の膝に乗っている。そして父親は口の広いワイングラスに入った赤ワインを舐めながら、愉快そうに二人のやり取りを見守るだけで、脚をどけようとはしなかった。

「ヒバリ、ちょっとどかすぞ」

 苦笑ではなく、脂下がった笑顔を父に向けた男は、丁寧な手つきで膝に乗った脚を抱き上げた。

「……いらない」

「ん?」

 恥ずかしげもない二人の様子に恭弥は呆れかえって言った。

「いらない」

 吐き捨てるのでもなく、不愉快をしめすのでもなく、ただ言い切った。

「そーか? んじゃ、腹減ったら言ってくれな」

 おもねるのでもなく、追従するのでなく、男は再び屈託なく笑ってソファに座りなおした。その膝にはまだ、父親の脚が乗ったままだ。
 再び父親に意識を向けた男にはもう興味などなく、恭弥は視線を外した。彼が気になるのは珍妙な招かれざる客などではない。これ見よがしに男を自分の所有物と主張して見せる父親だ。
 ソファにほとんど寝そべった父親と目が合った。先ほどの飢えた獣の妖艶さはなく、まとう空気に血のにおいは感じられない。それどころか、今まで感じたことがないほど弛緩した空気をまとい、ただ楽しげに微笑している男。初めて会った他人のような父親。
 恭弥を見つめる父親の眼差しには奇妙な光があった。それは息子に自分の玩具を自慢する、小賢しい光だ。
 いまだかつて見たことのない父親の様子に、恭弥は眉をひそめた。彼はそのまま踵を返すと、居間を出て行った。父にも、珍妙な客人にも、もう興味はない。どうでもいいことだ。
 だがその一方で、恭弥の脳裏には新たな欲求が生まれていた。自分とそっくりであるあの父の変容に対する興味だ。何があの男を変えたのか。今後どのように変わっていくのか。それらがもたらす影響がどの程度であるか。もしこのまま父が変容を続けるのであれば、恭弥にとっても無関係ではいられない。
 恭弥と父親は、顔だけでなく全てにおいてあまりにも似すぎている。性格も好みも、哲学さえも。それがどうだ、今の父親は恭弥の知らぬ側面を見せている。父の何もかもを知っていたと思うほど愚かではないが、その変化はあまりにも顕著過ぎた。
 原因はわかっている。あの若い男だ。あの男は無意識であろうが、恭弥の父親に影響を及ぼし、変容させた。おそらく父親は自分の変化を知っていて、それを止めようとはしなかった。何故か。答えは簡単だ。父がそれを望んだから。
 恭弥と父親は、顔だけでなく全てにおいてあまりにも似すぎていた。それは最早過去のことだ。もし父が昔のままであるなら、変化など求めなかったことだろう。まるで一人だけ違う時間を生きているような父の変容は、恭弥にとって大変興味深いものだった。今後更に変化していくのか、このまま何も変わらないのか。どちらにせよ、恭弥にとっては面白い事態である。もしかしたらあの若い男は、父だけでなく恭弥にも何らかの変化をもたらすかもしれない。それはとても、面白そうなことではないだろうか。
 冷たい大理石の廊下を歩む恭弥の表情は、一歩ごとに無表情へと変化した。しかしその口元には、かすかな微笑が潜んでいる。おそらく父親だけが気づくであろうその微笑は、残酷さにも似た満足の証だった。








〔完〕





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