■□■ ミラクル8デイズ □■□






 特別な客のために用意された豪華だが落ち着きのある個室で食事を楽しんでいると、山本の携帯電話が鳴った。規則的な電子音を聞きつけると、慌てて山本は上着のポケットを探る。普段は電源を切っているのか、あるいは振動のみにしているのか、滅多に山本の携帯電話が鳴ることはなく、それが雲雀への配慮であることを彼は知っている。

「……わりぃ」

 顔の前で左手を立て、謝罪してから山本は席を立ち、テラスへと出て行った。その短いあいだにツナ、と呼びかける声が聞こえた。なるほど、彼のボスからの電話であったようだ。
 遠くどこまでも暗い夜空の下に立ち、何事か話をする山本の背中を、ガラス越しに雲雀は見つめた。姿勢のいい長身が半身になり、テラスの柵に左腕をかける。室内からの明かりで淡く照らされた横顔は、ひどく男っぽく見えた。普段がへらへらとしただらしない笑顔であるだけに、たまに真摯な表情をするとやけに精悍に見える。
 わずかに目を眇めた、どこか遠くを見る眼差し。最小限の動きをするくちびる。ガラスを隔てただけであるのに、どこか異世界にでもいるような雰囲気の山本を、雲雀はなおも見つめていた。
 さほど長くはかからずに、山本は戻ってきた。無限の闇が広がる夜空の下から、室内に足を踏み入れたときには、山本はいつもの余裕を取り戻していた。眉根を寄せる困ったような独特の微笑を浮かべ、

「急用ができちまった。10分で行かねーと」

 この埋め合わせは必ずするから勘弁な、と後ろ手にガラス戸を閉じながら言う山本は、非常に残念そうである。それはそうだろう、お互いに多忙の身であり、長く時間が取れることはそう多くない。ましてや雲雀のホームグラウンドは日本であり、ここイタリアが山本の本拠地だ。二人の間に横たわる距離は絶望的に遠かった。
 山本が携帯電話を上着のポケットに戻しているあいだに、雲雀は席を立った。山本のお気に入りだというこの店の食事は期待以上だった。特別に取り寄せたという日本酒も雲雀の好みをよく考えてあり、携帯の電子音が鳴るまでは全てが完璧だった。

「……ねぇ」

 ゆるやかに、けれど隙のない足取りで近付きながら、雲雀は呼びかける。上着の襟を正していた山本は、急に雰囲気の変わった雲雀に気付いて息を呑んだ。
 雲雀は腕を伸ばし、山本の首を抱く。絡め取る仕草に山本はあっけなく囚われた。
 間近に目を覗き込み、雲雀は嫣然と微笑んだ。

「10分あればできるよ」

 密やかに艶やかに囁き、山本のくちびるの端を舌先で舐める。思いがけない雲雀の誘惑に、山本は動きを止めた。
 見下ろす視線を感じながら、雲雀はさらにくちづけを仕掛けた。うっすらと開いた山本のくちびるをそっとついばみ、甘えるように柔肉を食む。すると山本の両腕が上がり、ぴたりと身体を寄せた雲雀の腰を抱いた。しかしその腕の優しさとは裏腹に、山本はいつもの困ったような微笑を浮かべて雲雀の誘いを拒絶した。

「悪い、ボスが呼んでるんだ」

 申し訳なさそうに、しかし妥協の余地のない口調で言うと、山本は雲雀の髪にくちづける。ふんわりとした黒髪に鼻先を埋め、

「……10分でするんじゃ、勿体ないしな」

 また今度ゆっくりと、と茶化すように囁いて、山本は微笑した。意思の強い、薄い茶色の瞳を見上げ、雲雀はシニカルに笑った。誘いを断られてなおも引き留める彼ではなく、興味が失せたことを示すかのように山本の腕を振りほどくと、踵を返して席に戻って行った。
 つれない雲雀の態度に苦笑しつつ、山本もまた踵を返すと、部屋を出て行った。残された雲雀は日本酒の注がれたワイングラスを取り、くちびるに寄せる。
 山本のお気に入りだというこの店の食事は期待以上だった。特別に取り寄せたという日本酒も雲雀の好みをよく考えてあり、携帯の電子音が鳴るまでは全てが完璧だった。だが、山本は部屋を去り、もうここにはいない。彼はボスのオーダーを優先し、雲雀の誘いには応じなかった。
 それでいい、と雲雀は内心で一人ごちた。ボスのオーダーより雲雀を優先するような男に、彼は興味などない。山本は決して雲雀を選ばない。優先順位を違えることはない。だからこそ彼は雲雀のお気に入りであり、そして今夜は最後まで全てが完璧な夜だった。





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