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 どうやってベッドへたどり着いたのか覚えていない。けれど、きっと自分が誘ったのだろうとアキラはぼんやりと考えた。バスルームからベッドまでの短い距離の記憶は欠落し、きっと永遠に戻ることは無いだろう。白いシーツの上でナノに力強く抱きすくめられながら、アキラは無意味なことを考えるのをやめた。
 ナノの身体は熱かった。白い皮膚のどこに手を置いても、その身体は熱く、焼けるようだった。アキラは両腕を広げてナノを抱きしめる。触れ合う裸の胸。ナノの手が膝を割り、硬い指がアキラの中に潜り込む。意思に反して強張る身体を抱きすくめ、ナノは口付けを繰り返した。
 その瞬間アキラは天井を見た。異物の侵入。息が詰まる。身が竦む。あの日の情景が脳裏を過ぎる。くちびるをついて出そうになった悲鳴を無理矢理飲み込み、アキラはナノの首にしがみついた。細く骨の浮いた肩なのに、アキラを受け止めてびくともしない。背中に回した指が爪を立てても、ナノの表情は変わらなかった。それはアキラが初めて見るナノの    快楽の表情だった。

「っ………………」

 軽くくちびるを噛んだナノの表情。苦痛に耐えるように目を細め、眉根を寄せた表情は艶かしく、アキラの目を奪った。くちびるから漏れる吐息。濡れた髪が額に張り付き、それをかきあげる仕草。くちびるは口付けに濡れて赤くなり、陰になった咽喉が男性的な色気を感じさせた。

「アキラ…………?」

 初めての問いかけ。アキラは無言でナノの頭部に手を伸ばす。いつの間にか苦痛を忘れていた。だが今はそんなことよりも、彼の全てが欲しかった。
 アキラはナノの髪に指を通し、彼の頭部を引き寄せる。抗わぬままに近付くナノの端正な顔。くちびるが重なり、蕩けるような刺激に陶酔するようにアキラは目を閉じた。
 自分の中にあるナノが質量を増した気がする。アキラは無意識に微笑を浮かべ、ゆっくりと動き出したナノの身体を掻き抱いた。開いていた脚で硬い胴を抱きこみ、鼻にかかった声を上げる。触れあう素肌。汗に濡れた胸を通して、ナノの心音が伝わってくる。鼓動は早く、彼が自分と同じように興奮していることがわかり、それがひどく嬉しかった。

「あっ、あぁっ…………」

 幾度も突き上げられ、アキラは声を上げる。内側の敏感な部分を狙ったようにナノは抉る。アキラがあの日の苦痛を覚えていたように、ナノもまた彼の甘い場所を記憶していたのだろうか。
 視界の隅でシーツに広がった水の染みが更に大きくなる。水の中に沈み込むような錯覚。流れ込んだ感情が混ざり合い、どちらのものか判別がつかない。抱き縋ったナノの首筋に顔を埋め、彼の芳香に酔いしれる。波に攫われるように気が遠くなる。身体のどこかから気泡が弾けだす。立ち上った泡は急速に膨れ上がり、アキラを翻弄するように砕け散った。






 荒い息をつきながらアキラはベッドに沈み込んだ。指の先にまで散った快楽の気泡が余韻を残している。潮が引くように、けれどずっと遅い速度で熱は冷めてゆき、忍びやかな現実が戻ってくる。重い身体、覚束ない思考、初めての感情……。
 アキラはだるい身体を投げ出したまま、少し遅れて欲望を吐き出したナノを見上げた。彼が肩で息をしている。初めて見る余裕の無い表情。けれどアキラの視線に気付いたナノは、慈しむような微笑を浮かべた。その優しげな光の浮かぶ青い目に柔らかな愛情を見て取って、アキラも自然と微笑み返していた。きっと自分も同じような目をしているのだろう。
 ナノはアキラの中から自身を引き抜くと、小さなため息をついてベッドに横になった。二人で横になるには狭いベッドの中で、ナノはアキラを抱き寄せる。濡れた髪を指先で梳き、額と、瞼と、くちびるに口付けを落とした。同じようにアキラもナノのくちびると、目元と、額に口付ける。ナノはアキラを抱き寄せて首筋に顔を埋めると、ようやく落ち着いたような吐息を漏らした。
 どのくらいそうしていただろう。ナノの頭部を抱きこんで、段々乾いてゆく髪をいじるアキラの耳に、呼びかけとも独白ともとれる声が聞こえた。

「……痕に、なってしまったな…………」

 一瞬何のことかわからずに、アキラは顔を上げた。腕の中でナノは彼を見つめ、どこか寂しげな表情を浮かべる。彼の指が鎖骨を辿り、左の首筋をなでるのを感じてようやく思い至る。あの日ナノが歯を立てた白い傷痕。今となってはあまりに非現実的な日々に、夢ではなかったかと錯覚してしまいそうになるわずか数日間の出来事。それを証明する何より確かな証拠に、ナノはくちびるを寄せた。

「……別に、かまわない」

 投げやりにも聞こえるアキラの声にナノは再び顔を上げた。傷痕なら他にいくらでもある。拳や、膝や、腕にだって。けれど、首筋に浮かぶ傷痕だけは特別だった。ナノとアキラが正反対の存在であり、相容れぬことも、溶け合うことも決して無いと示した証拠だ。何よりそれがナノによってつけられたものだと思えば、厭う理由などアキラには存在していなかった。
 多分、困惑しているのだろうナノの頭部を再びアキラは抱き寄せる。彼の表情は変わらないが、何となくそうではないかという気がした。髪に鼻先を埋め、口付けを落とす。金に近い薄茶の髪をきれいだと思う。この髪を染めてしまうのは惜しいようで、アキラはそれを明日に引き伸ばすことに決めた。

「アキラ…………」

 上向いたナノがアキラを抱き寄せ、口付けを求めた。くちびるを重ね、舌が触れ合うだけの優しい口付け。こんなに口付けを交わしたのは初めてのことだ。
 狭いベッドの中でアキラはナノに身体を預け、安堵したようにため息をついた。お互いに触れ合っている部分からとろとろとした眠りが溶け出してくる。疲れきった身体に甘美なひと時を与えようと。長いあいだ緊張を強いられた生活を続けてきた彼らにとって、それは極上の贅沢であった。
 アキラはゆっくりと目を閉じると、誘われるようにして深い闇にまどろんだ。それは暗く青く、溺れるほどの至福であった。





〔了〕







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