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 翌朝、シリウスは庭にいた。袖をまくり、庭いじり用の汚れてもいい服を着て、庭の端にしゃがんでいた。何をしているのかと訊かれれば、彼は造園だと答えたことだろう。その割には手を動かすこともせず、ほとんどどこかを惚けたように見つめて物思いに耽っていたのだが。
 自他共に認める釣り莫迦がこんな天気のいい日に河へ出かけなかったのは、釣りに集中していることが出来ないであろうことを自覚していたからだ。シリウスの手を止めてしまうのはもちろん昨夜の出来事だ。数ヶ月ぶりに腕に抱いたリーマスの身体は、相変わらず極上で、彼を夢中にさせた。細く締まった身体も、切ない吐息も、甘いくちびるも……。
 昨夜のことを思うと無意識に溜息が漏れる。リーマスが何を考えているのかわからないが、これでは別れの決意が鈍ってしまうではないか。せっかく今度こそ諦めようとしたのに、何故急に関係を許すのだろうか。わざとシリウスの気を引いて、からかってでもいるのだろうか。
 そんなわけはない、とシリウスは実際に首を振った。他所から見れば一人芝居にしか見えないが、彼は真剣だった。
 リーマスは本当にタダでこの別荘を受け取ることが嫌だったのだろう。その上でシリウスが金など受け取らないことを見越して、自分にできる範囲で代金を支払おうとしたのだ。悪意でシリウスをベッドに導くようなリーマスではない。彼は誇り高い人物だ。
 昨夜の出来事はシリウスを困惑させたけれど、正直なところ彼は嬉しかった。あと二ヶ月余りで別れねばならないにしても、それが意味するのが代金の支払いにすぎないとしても、リーマスと触れ合えることは嬉しかった。拒めばかえって彼を困らせるだけ、と自分に言い訳することもできたし、それならば短い夏のあいだだけ、リーマスを愛してもいいではないか。
 わけもなくシャベルを何度も左右に持ち替えてはぼんやりしゃがみこんでいるシリウスに、背後から声がかけられたのはそのときだ。

「何してるの?」

「うわぁっ!?」

 突如として背中に投げかけられた声にシリウスは文字通り飛び上がらんばかりに驚いたが、反射的に立ち上がりそうになるのを堪え、しゃがんだまま頭上を振り仰いだ。

「造園だ!」

 するとシリウスの上に身をかがめていたリーマスはふうんと鼻を鳴らし、隣の空いているところにしゃがみこんだ。

「その苗、買ってきたの?」

 シリウスの足元に行儀良く並べられた草の苗をリーマスは指差した。青々とした状態の苗は、何かの花かそれとも草木なのか素人目には判別がつかない。

「ああ、今朝町から届いた。この庭も前は綺麗だったんだろうが、ずっと手付かずだったからな」

 言って見渡した庭は、最低限芝生が整えられているだけの状態だ。買い手が決まらず、管理人の夫妻だけではこれが手一杯だったのだ。おかげでシリウスはこの夏のあいだ、釣りの他に楽しみができたというわけである。

「……君がやるの?」

 指先で庭と雑木林の境界線に生えた雑草をいじっていたリーマスは、見上げるようにシリウスを見た。窺うような眼差しが愛らしく、シリウスは視線を逸らした。

「まぁな。何だ、不満か?」

 しかしリーマスは首を横に振った。思い出の庭をいじられるのが嫌なわけではなく、庭師と見分けのつかない格好のシリウスを面白がっているようだ。ロンドンの屋敷でもシリウスは植物園の手入れをしているときはこの格好なのだが、仕事を邪魔しないためかリーマスは彼がいるあいだは植物園にやってこないので、知らなかったのかもしれない。

「計画は?」

 両膝を抱えるようにしゃがんだリーマスの問いかけに、田舎風にするとシリウスは答えた。何しろ田舎であるし、

「お前、田舎風の庭園のほうが好きなんだろ?」

 立ち上がって腰を伸ばしたシリウスをリーマスが物珍しげに見上げた。

「何でそう思うの?」

 ちんまりとしゃがんだリーマスは、立ち上がって見下ろすとますます愛らしく、シリウスは自分の色眼鏡がどんどん曇ってきていることを自覚した。それでも今更見方を変える必要もなく、この夏のあいだはせいぜい本能に逆らわぬようにしたいと心に決めた。

「伯爵の屋敷は田舎風の庭園だったからな」

 それにシリウスも、幾何学的に刈り込まれた庭があまり好きではない。嘘くさく、妙に支配的に感じるからだ。伸びやかに育った草木の庭を作り上げるのは、彼の夢でもあった。

「裏の池の辺りも手入れするから、そうしたら午後のお茶もできるようになる」

 シリウスが指差した先にある木陰を見つめ、リーマスは目を眇めた。繁茂した草木の中に辛うじて見て取れる小道の先には、日の当たる居心地のいい広場と、涼しげな池があるはずだった。でもまずは見える範囲から手をつけようと気合を入れなおしたシリウスに、足元からリーマスが言った。

「ねぇ、シリウス」

 シリウスは驚いてリーマスを振り返った。ぼんやりした様子でしゃがんだまま庭を眺めているリーマス。聞き違いでなければ、彼がシリウスの名を呼んだのは初めてのことだ。
 それはシリウスにとって格別に嬉しい出来事だった。どのくらい彼が喜んだかと言えば、かつてシリウスが幼い頃、家族の猛反対を押し切って飼い始めた捨て猫が、初めてベッドの中に潜り込んできたあの冬の日の感動をも遥か凌駕するほどに。
 感動による動揺で返事もできずにいるシリウスをリーマスは見上げた。

「……今日もする?」

 何を、と問い返すほどシリウスも莫迦ではない。

「する」

 足元を見られる心配もできずに即答したシリウスを、リーマスはいつもと同じ表情で見上げていた。

「じゃあ、今のうちに昼寝しておく」

 立ち上がったリーマスは伸びをし、悠然と立ち去っていった。






 二人の奇妙な関係は続いた。シリウスがご機嫌伺いをするまでもなく、いつかと同じようにリーマスは目ざとく彼の欲求を察して部屋へやってきた。もしかしたらリーマスは、一々夜のお誘いを受けるのが面倒なだけかもしれない。
 おかげで『身体が触れ合っていると気になって眠れない』というリーマスの言葉が本当ではないことを今のシリウスは知っている。
 ある夜、つい調子に乗って求めたら、疲れ果てたリーマスはいつの間にかシリウスのベッドで眠ってしまった。それはとても貴重な体験で、シリウスは嬉しくなって彼の寝顔をそれこそ朝まで見つめていたため、日課の朝釣りを中止したほどである。何もかもがシリウスにとっては新鮮で、嬉しい日々であった。
 しかしそれも夏のあいだだけのこと。いかに浮かれて見えてもシリウスはちゃんとわかっていたので、以前のような失敗は繰り返さなかった。リーマスは文字通り代金を身体で払っているにすぎないのだ。この夏が終われば二人の関係も終わる。リーマスは別荘に残り、思い出と共に暮らすだろう。シリウスはロンドンに帰り、たまに手紙を書くのだ。きっと返事が来ることはないだろうけれど。
 暗い考えに陥りがちになる自分に気づいたシリウスは憮然とし、思考法を改めた。この夏、リーマスはシリウスといてくれる。キスをしても拒まれず、夜になれば肌を合わせ、少なくとも優しい間柄でいられるのだ。それが期間限定の恋人であったとしても、幸いと思うべきではないか。
 シリウスは自分の子供めいた強がりに苦笑したが、欲望には忠実であることを選んだ。そういった分かりやすい人間のほうが、リーマスも安心できるだろうと思ったからだ。








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