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 七月に入るとシリウスは二日ほど別荘を空けた。ロンドンに用事ができたからだ。

「明日からちょっとロンドンに行ってくる。何か欲しいものがあるなら今のうちだぞ」

 夕食の席で言ったシリウスを、鴨のローストを切り分ける手を止めてリーマスは見つめた。

「何かあったの?」

「ああ、今度下町に建てる病院のことでな」

 多くの貴族の例に漏れず、シリウスもまた慈善事業家としての肩書を多く持っている。その中で来年の春に着工予定の慈善病院の予定地に、問題が持ち上がったのだと彼は説明した。

「どうせ俺は金を出すだけなんだが、銀行の頭取から資金の件で直接話したいと電報があってな」

 面倒くさそうにシリウスはブツブツ文句を言い、リーマスは再び手を動かし始めた。あまり興味が無いらしい。とにかくシリウスはロンドンに戻らねばならなくなった。それに対してリーマスは、

「……そう」

 と、一言呟いただけだった。






 ロンドンからシリウスが戻ってきたのは、もう暗くなった時分のことだった。七月の太陽が沈むのはかなり遅くなってからで、すでに夕食も済んだ時刻に戻ったシリウスは、

「土産は明日届く。楽しみにしてろ」

 そう言いつつも、ロンドンで買い込んで来たお菓子の数々をリーマスに手渡した。
 出立前のシリウスにリーマスはやはり何も要求しなかったが、差し出されたお土産は嬉しそうに受け取った。綺麗に包装されたお菓子の包みは、彼にとっては宝石箱のようなものなのだろう。ともかく寝る前には食べないようにと、寄宿学校の生徒に対するような注意を与え、シリウスは早々に自室に引っ込んでしまった。旅の疲れのせいだと彼は言い、不思議そうに見つめるリーマスの視線を遮った。






 翌朝、シリウスは日課としていた朝釣りもせず、のんびりと午前中を過ごした。リーマスはその傍で昨夜我慢したらしいお菓子の包みを次から次へと開けては、やや興奮したように頬を紅潮させていた。どうやらかなり気に入ってくれたようである。
 二人が昼食を済ませ、次はどの花を庭に植えようかと話しているところへ来客があった。それはシリウスがロンドンで注文してきたお土産で、アイスクリームの行商人たちだった。
 イタリアのシチリア王国が起源とされるアイスクリームは、英国でも大人気の菓子だった。とはいっても販売は夏だけ。冷蔵庫の無かったこの時代、保存がきかず、製法こそ単純ながら多大な労力と制作費のかかるアイスは、高価なお菓子だったのである。
 甘いお菓子が大好きなリーマスであるから、きっとアイスも好きだろうとシリウスは考えた。そして先日ロンドンでシリウスの依頼を受け、行商人たちは特殊な保存容器にアイスを入れてわざわざこの別荘までやってきたのである。実際には別荘に一番近い町に道具類を運び込み、そこで作ったアイスを別荘まで運んできたというわけだ。
 アイスクリームと聞いて、リーマスの目の色が変わった。かつて伯爵がリーマスを狼と評したように、彼は空腹をかかえた野生の獣の眼差しでアイスが出てくるのを待っていた。全く表情を変えないまま、行商人たちがアイスクリームを取り出す様を虎視眈々と狙い済ましているかのようなリーマスは鬼気迫るものがあった。行商人たちは居心地悪そうな様子であったが、前払いで大金を貰っている以上文句を言うわけにもいかない。
 おっかなびっくり行商人が器に盛ったアイスを差し出すと、リーマスは大喜びで食べ始めた。どうやらアイスはよほどの好物であるらしく、リーマスはスプーンを持つ手を止めない。彼がそれこそ小気味いいほど喜んでアイスを食べるので、シリウスは大満足だった。
 が、それも最初のころの話。初めはお茶をしながら楽しげにリーマスを見守っていたシリウスであったが、いつまで経ってもリーマスがお代わりを繰り返すので、段々心配になってきた。合間に紅茶を飲んだり、口直しにビスケットを食べたりしながらも、リーマスは飽きることなくアイスを食べ続けている。それこそ行商人たちが居心地悪そうな表情から、驚嘆の表情へと変わるまで。

「……おい、いい加減そのくらいにしとけよ」

 シリウスが心配のあまり止めに入ったのは、八回目のお代わりのとき。通常アイスクリームというのは、ペニー・リック・グラスと呼ばれる、限りなく底上げされた小さなグラスにほんのちょっと盛り付けて販売される。グラスのサイズは様々だが、代表的なものはショットグラスのサイズだ。
 しかし今回はリーマスの希望から、ティーカップにたっぷりと盛り付けて出してもらっていた。考えるまでもなく食べすぎである。
 口直しに用意されたオレンジを摘んでいたリーマスは、やおらシリウスに真面目な顔を向けた。その振り返る仕草がやけに機械的で、シリウスは背筋に悪寒が走るのを感じたほどだ。

「シリウス、心配はいらない。ぼくは生まれてこのかた、腹を壊したことがないから」

「……一度も?」

「一度も」

 いつになく断言したリーマスは、依頼主の制止発言にどうしたらいいのか事態を見守っているアイスの行商人たちを振り返り、お代わりのカップを差し出した。さぁ早くしろ、と言わんばかりのリーマスの仕草に行商人たちはシリウスのほうを窺ったが、呆れた様子の彼がそれ以上何も言わないのを許可と取ったようだ。
 結局リーマスは、飽きることなくアイスを食べ続け、冷気に舌が麻痺したことでシリウスの制止を受け入れた。本当のところ、まだ残っていると渋ったのだが、また今度呼んでやるからというシリウスの言葉でようやく納得してくれたらしい。
 ここにきて化け物並みの甘味好きを発揮したリーマスだったが、流石に午後のお茶は満腹で辞退した。しかし夕食はきちんと残さず平らげた。そのときのリーマスは普段と何ら変わったところもなく、昼間に浴びるほど糖分を摂取したなどおくびにも出さなかった。そして言葉通りお腹を壊すことのなかった彼を、シリウスは心密かに畏怖したのだった。








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