■□■ 14 □■□
奇妙な新発見などがあったものの、二人は平和な生活を送っていた。シリウスは釣りと庭造りに精を出し、リーマスはいつもと変わらずのんびり過ごしていた。たまにはシリウスの庭造りを手伝ったりもしたけれど、強い日差しの苦手なリーマスはすぐにダウンしてしまい、かえって邪魔だと呆れられたりもしたが、概ね仲良くやっていた。
リーマスは相変わらずのマイペースで、何を考えているのか悟らせなかったが、少なくともシリウスを嫌っているわけではないようだ。彼は自分で明言したとおり、シリウスの寝室を訪れることを厭わなかった。それはいつかの状態に似てはいたが、あのときよりもずっと親密であり、義務的では無いようにシリウスには思えた。
その証拠に、誰かが一緒だと眠れないというのが嘘だとばれて以来、リーマスは開き直ったのかシリウスと夜を明かすのを嫌がらなくなっていた。どころか、
「ここはもともとぼくの部屋だったんだ」
などとほざいては、シリウスがいないあいだに勝手に寝室に入り込み、ベッドを占領して寝ていたこともある。待たせるのが悪い、とリーマスは反論したが、そもそも部屋にいることさえ知らないシリウスにどうしろと言うのだろうか。その場合彼が取る行動は、リーマスの身体をベッドの端に追いやって自分も一緒に寝るか、適当に服を剥いて襲うかのどちらかである。そしてリーマスはどちらでも気にしないようだった。
そんな風にして平穏な日々を過ごし、八月も近付いてきたある夜のこと、書斎で書き物をしていたシリウスのところへ、リーマスが訪れた。
「仕事?」
通常にも増して眉間の皺の多くなったシリウスを見て声をかけたらしい。
「手紙だ。もうすぐ終わる」
シリウスが目も上げずに言うと、ふうんと鼻を鳴らしてリーマスは壁際に置かれた長椅子に腰を下ろした。今夜はシリウスを待つつもりであるらしい。
ペンを握っていたシリウスは新しい紙に急いで細かい文字を書き込んでいった。それは避暑の名目で別荘に引きこもってしまったシリウスに対する、親類からの嫌味の手紙に対する返信だった。どうせ彼らはシリウスが何しようと気に入らないのだから、好きにするまでである。そしてこの日のシリウスは、わざわざペンを取って嫌味返しに『この夏の素晴らしい釣果』を事細かにしたためていたところだった。もちろん手紙の主が釣りのつの字にも興味が無いことを知っていての嫌がらせだ。
猛然と、かつ憎々しげな表情でペンを走らせているシリウスを眺めていたリーマスは、
「いつまでも飽きない人たちだね」
彼はしょっちゅうシリウスに親類から手紙が届けられていることを知っている。そして毎回シリウスはそのほとんどを無視し、返信をするにしても敵意むき出しの手紙をしたためているのだ。内容までは知らなくても、たまに手紙に目を通しては憤慨しているシリウスを目の当たりにしているため、リーマスも今のシリウスの表情で手紙の相手が誰なのか察したようだ。
「これが俺の生涯の敵だ」
低い声で皮肉っぽく言ったシリウスは、尚も文面に目を走らせたままだ。そんな彼にふうんと再び鼻を鳴らし、リーマスは背もたれに寄りかかって細長い脚を組んだ。
「……ロンドンはどうだった?」
しばらくのあいだは黙ってクッションをいじったりしていたリーマスだが、沈黙に飽きたのかシリウスを眺めて言った。段々と背を丸め、憎しみを込めた筆圧でペンを取るシリウスは上の空で口を開いた。
「ん? いつも通りだ。ああ、今度マクベスの新しいのがやるらしいぞ」
新解釈だかなんだか、とシリウスは付け足した。しかし演劇にはさして興味が無いのか、リーマスはそう、と呟いただけ。手にしていたクッションを脇へのけ、膝に肘杖をついて上目遣いにシリウスを見た。
「従姉妹さんの赤ちゃんには会ったの?」
「天使だった」
即答だった。相変わらず文面に視線を走らせたままのシリウスにリーマスはあからさまに呆れた表情を向けた。
「……その分じゃ、お嫁にやるとき大変だね」
彼は従姉妹の赤ん坊に対するシリウスの並々ならぬ愛情を知っている。何度写真を見せられ、何度終わりの無い話を続けられたことか。溺愛とはまさにこのことだ。
「俺の眼鏡に適わん奴には、嫁にやるわけにはいかん」
「あのねぇ、応援してあげなよ。嫌われちゃうよ」
「やかましい! そのかわり結婚式は世界一盛大なのにしてやるんだよ」
一瞬だけ手紙から顔を上げてシリウスは断言した。痛いところを突かれてとりあえず怒鳴って誤魔化し、またそそくさと手紙に戻る。口論で負けそうになったときのシリウスの常套手段だ。とにかく意識を別のものにやってしまうことで逃げるのが彼の癖だった。
呆れたリーマスは肩を竦めて今度は肘掛に凭れてシリウスを見た。話を打ち切って猛然と手紙に取り掛かっているシリウスは、リーマスの視線を感じながらもなるべくそちらに目を向けないようにしているのが丸分かりだった。
「……まぁ、君の血縁なら、さぞや綺麗な花嫁になるだろうね」
「当たり前だ」
無視を決め込もうとしていたシリウスだったが、話題がいい方へ向かったとたん現金にもリーマスを見た。あまりにも分かりやすい彼の態度にリーマスは苦笑したようで、わずかに肩を震わせて俯いていた。
今日のリーマスはシリウスとの会話にご執心であるらしい。もともと多弁ではないリーマスには珍しいことだが、ここのところ二人の会話は格段に増えてきている。シリウスにとっては嬉しい兆候だ。もうすぐ別れがやってくると思えば尚のこと。
だからシリウスは手紙をしたためながらもリーマスとの会話を打ち切らない。邪魔だと言って寝室に追いやったりせず、傍で好きにさせているのである。
再度シリウスが手紙に目を落とし、思い出したように何か書き付け出すと、リーマスは彼をリラックスした表情で眺めた。シリウスが段々手紙に没頭していくのを瞳に映しながら。
「そう言えば、こないだの結婚式はどうだった?」
「ん? ああ、すごくいい式だったぞ。美男美女の新郎新婦で……」
言いかけたシリウスはハッとして顔を上げた。視線の先にはどこか物悲しい微笑を浮かべるリーマスがいた。責めるでもなく勝ち誇るでもない微笑に、シリウスは彼が全てを知っていることを悟った。
「……気付いてたのか?」
降り積もる沈黙に耐えかねて、観念したようにシリウスは声を出した。ペンを置き、リーマスに向き直る。
「おかしいな、とは思ってた」
厳しい表情のシリウスに対し、リーマスは微笑を崩さない。困っているようにも見える物悲しい微笑みは、彼の内面を覆い隠す鎧なのかもしれない。
シリウスはため息をついて瞠目した。リーマスが言っているのは、シリウスが隠していた出来事。それは彼が以前に二日間だけ、別荘を離れた本当の理由だ。ロンドンへ行ったのは、シリウスが口にしたように病院の建設のためではない。友人の結婚式に出席するためだ。そしてその友人とは、リーマスの元恋人。
「君がぼくに何か大事な贈り物をくれるのは、いつも何か大変なことがあったあとだから」
指輪をくれたのは『あの人』が亡くなったとき。お墓に連れて行ってくれたのは喧嘩のあと。では別荘をくれるほどのこととは何か。そう考えたのだとリーマスは静かに語った。
どうやらリーマスは完全にお見通しであったらしい。シリウスは自分の浅はかさに落胆し、疲労したように掌で顔を撫でた。
シリウスがこの別荘を早くから訪れた本当の目的は、リーマスの耳に友人の結婚の話を入れないためである。いくらリーマスがブラック家の屋敷から勝手に出歩かないとしても、ロンドンにいてはいつその噂が耳に入るかわかったものではない。しかもシリウスは自らのミスで、彼に友人が婚約したことを知らせてしまっている。
結婚式の招待状が届いたのは春のこと。これ以上リーマスを傷付けたくないシリウスは、彼を別荘へと連れ去ることでロンドンから遠ざけ、嘘をついてでも隠し通そうと試みた。別れを切り出すためならばもっと暑くなってからでも構わなかった。本当ならばできるだけ先延ばしにしたい事態なのに、あえて早急に事を起こしたのはリーマスを想うが故。釣りと別れ話は上手く本当の目的をカモフラージュしてくれていたのに、聡明なリーマスはわずかな情報だけで真実に行き当たってしまったのだった。
「………………」
問いたいことは山ほどあれど、言葉が出ずに押し黙ったシリウスに、リーマスは宥めるように微笑を深めた。
「……婚約したにしては結婚したって素振りも無いし、君はほとんど屋敷を空けなかったからね」
あまり他人に興味が無い性質と思っていたリーマスは、何気ない視線でちゃんとシリウスのことを見ていたらしい。聡明な彼はシリウスが例えどこかに出かけたとしても、目的が結婚式ではないことを知っていたようだ。
「……騙すつもりじゃなかった。よけいなことをしたなら謝る」
嘘はついたが、騙したかったわけではない。シリウスは憮然とした表情でリーマスを見つめた。不機嫌にも不愉快にも見えるシリウスの表情は、彼が本当に思い悩んでいる証拠だ。そのことをリーマスは知っているのか、気遣わしげな微笑を向けたまま、
「いいよ、別に。君がぼくのためを思ってくれたのはわかってる」
声は優しく、意識的でありながらも明るさを失ってはいない。彼のことはもう整理がついているから、とリーマスは微笑む。それがかえって痛々しく、シリウスは目を眇めて彼を見つめた。
「……お前のこと、気にかけてた」
それは結婚式でのこと。久々に姿を見せた親友に、美しい新郎は面映い微笑を向け、遠慮がちにリーマスの息災を問いかけた。
シリウスの言葉にリーマスは寂しげに笑う。
「前に君と喧嘩したとき、彼と上手くいかなかったのを君のせいにした。ごめんよ」
「いや、あれは俺が……」
言いかけるシリウスを手で制し、リーマスはゆるゆると首を横に振る。
「君の言うとおりだった。彼はぼくをもてあまし、ぼくも苛立ってた。そんなで上手くいく筈無いのに、責任を転嫁して君のせいにしようとしてた」
「………………」
「多分あのころのぼくは必死だったんだ。あの人を裏切ってまで彼を選んだのに、それが上手くいかなくて」
物憂げなリーマスは視線を自分の膝に落とす。自己を責める気持ちで顔を上げていられないのか。
「……裏切ったわけじゃないだろ」
慰めだけでなく本心からのシリウスの言葉にも、リーマスは首を横に振る。同じだよ、と呟いて、
「十年も一緒に暮らして、初めて人間らしい幸せを教えてもらったのに、最後の最後であの人を捨てたんだ」
彼は病気だったのに、とリーマスは肩を落とした。
「でもお前は知らなかったんだ。責任を感じる必要は無い」
リーマスの落胆は激しく、何とか彼を慰めようとシリウスは口を開いたが、本心からの言葉でもリーマスの悔恨を払拭することは不可能だった。視線を落としたままのリーマスは自らの膝を掴み、
「だけど気付くべきだった。あのころ、あの人は体調を崩し始めていて、食も細くなって、体重も減り始めてたんだ」
年齢のこともあるし、一番傍にいた自分が気付くべきだったとリーマスは苦しげに言う。そして傍を離れず、共に病と闘い、最期を看取るべきだった、と。リーマスは項垂れて頭を抱え、髪をかき回した。
「ぼくは恩知らずだ。自分の幸せに目が眩んで、あの人のことを忘れた。一番傍にいるべきときに、あの人を見捨てたんだ」
世界で一番大切な人だったのに、と搾り出すような切ない声をリーマスは上げる。彼の後悔の正体がそこにあった。彼はずっと自分を責め続けていたのだ。リーマスを捕らえていたのは、思慕であり愛情であり、そして悲しいまでの自分への怒りだ。それは憎悪にも似てリーマスを支配し、当時彼と共にあったシリウスの友人との関係をも破綻させた。
二人は好き合っていたけれど、それでは上手くいくはずもない。
シリウスは席を立ってリーマスの隣へと腰を下ろした。俯き顔を覆ったリーマスの肩を抱くでも手を握るのでもなく、自己嫌悪に苛まれて震える彼を見つめていた。
「……どうしてあんな恥ずかしいことができたんだろう。自分のことばかり考えて。傍を離れるべきじゃなかったんだ」
せめてあと半年、とリーマスは呟く。おそらくあれからずっと思い続けてきたことなのだろう。そしてその言葉はシリウスに向けられたものではない。今彼が話しているのは、後悔の中にある恩人への懺悔だ。それを知っているからこそシリウスは手を伸ばそうとはしなかった。
「……そうだ、せめてあと半年待てば、あの人を独りにしなくて済んだんだ。死の間際にあの人を不幸にしないで済んだのに」
掌から顔を上げたリーマスは泣いてはいなかった。ただ幻を追うように視線を彷徨わせ、疲れたように目を閉じた。
「……別に不幸だったわけじゃないだろ。お前に自分の元を離れるよう諭したのだって、伯爵だった」
宥めるようなシリウスの声にリーマスは表情を変えた。自己の過ちを憎むような暗い眼差しで膝の上で硬く握られた手を見つめ、
「そこで気付くべきだったんだ。あの人がぼくを手放すなんて、それこそ変だって!」
歯軋り交じりの苦渋に満ちた声。数年間にわたって溜め込んできた後悔がリーマスを満たしている。腹底に澱となった後悔は怒りへと変貌し、自己へ向けられた。そのことをリーマスはずっと誰にも言えないでいたのだ。
「……お前が幸せであることが一番大事だって言ってた」
病の床で伯爵は確かにシリウスにそう言った。病のためにリーマスを手放したのかと問いかけたときだ。しかし彼の慰めにリーマスは敵意に近い光を宿した瞳を向けた。怒りの矛先が自己から他へと移行したのか。けれどそれさえ本当にシリウスに向けられたものか怪しいものだ。
「ぼくはあの人のほうが大事だった! それなのに……」
リーマスの思考は堂々巡りを続けている。そうやって何年も悩み、自分を責め続けてきたのだろう。恐らく彼を苦しめているのは、伯爵を見捨ててまで恋人を選んだのに、幸せになれなかったという事実だ。だからリーマスはその原因をシリウスに転嫁しようとした。結局理性的なリーマスはそれさえも失敗したけれど。
「せめて、最期のときだけでも傍にいられたら……」
くちびるを噛むリーマスにシリウスは何気ない風を装って言った。
「……伯爵は、自分が死んでお前を不幸にしたくなかったから、手放したんだ」
そのためにシリウスが呼ばれた。信頼できる友人を与えたかったのだろう。残念ながらそればかりは伯爵の思惑通りにはいかなかったが。
リーマスは興味を失ったようにシリウスから視線を外した。冷めた目つきは自分の罪を侮蔑しているようで、シリウスは青ざめたリーマスの横顔を見つめた。
「看病さえ許してもらえないより不幸なんて無い」
看病どころか、リーマスは伯爵の元を去って以来、彼とついに言葉を交わすことさえなかった。一度も対面を許されず、伯爵はこの世を去り、リーマスは残された。哀れといわずして何をそう呼ぶのか。
「……だが、お前に会わなかったのは伯爵の意思だ」
同情を感じながらもそれを押し隠した冷静なシリウスの言葉に、再びリーマスは敵意に満ちた美しい瞳を向けた。
「それはあの人の甥や親類たちがぼくを傷付けないための方便だ!」
確かにそれもあっただろう。今まで目を瞑り、無かったことにしていたとしても、男娼の存在を許したわけではない。ましてや伯爵がリーマスに惚れ込んでいたことは彼等も知っていたはず。今際のきわにリーマスと対面するようなことがあれば、せっかく約束をとりつけた遺言を破棄されかねないと考えても不思議はない。欲深く愛情に欠ける親類たちが、リーマスに何らかの害意を抱くことを怖れて、伯爵は彼を遠ざけた。それは紛れも無い事実である。
しかしシリウスは根気強くリーマスを優しい冷静な眼差しで見つめ、首を横に振った。刺激しないようにできるだけゆっくりと。
「違う、それだけじゃない。伯爵は、お前に見られたくないと言ってた」
「どうして!?」
リーマスは激昂し、シリウスに詰め寄った。憎しみに輝く瞳が間近に迫る。最早誰に向けられた憎悪なのか、きっとリーマス自身にさえもうわからないだろう。
「ぼくらは愛し合ってた! あの人がどんな姿になろうと、ぼくはかまわない!」
彼の言葉は真実であろう。きっと伯爵も立場が逆なら同じことを言ったに違いない。それでもシリウスは尚も首を横に振り、違うんだと諭すように呼びかけた。
「伯爵は、お前にみっともない姿を見られたくなかったんだよ」
「だからどうしてだよ! みっともないなんて、思うわけ無いのに」
「お前はそうだろう。でも伯爵はそうは思わないんだ」
どうして、とリーマスは駄々をこねるように言った。このときようやくリーマスの視線は本当にシリウスを捉えた。それまでの幻の影を追うような危うい光は遠のき、現実にある疑問を問いただすために。
「伯爵はお前に惚れてた。だから、見られたくなかったんだ」
痩せ細り、変わり果てた姿ではなく、健康で、リーマスにとって誰よりも敬愛する姿だけを記憶していてほしかったのだ。それは確かに伯爵の傲慢な望みであったろう。残されるリーマスの悲しみを癒すことではなく、自分の望みを優先した。けれど伯爵とて人間だ。わがままを許してくれることを望んだことを、リーマスは恨むだろうか。
シリウスの言葉にリーマスは眉尻を下げ、今にも泣き出しそうな表情を作った。初めて聞く伯爵の最期。彼は子供のようなわがままを言ったが、リーマスを愛していることに変わりはなかった。死の間際の伯爵は、恋しい相手の失望を怖れる、ただの男だったのだ。
そんな、と呟いたリーマスは激しいまでの情動に耐えるように再び俯いた。
「……それでも、傍にいさせて欲しかった」
うなだれたリーマスの肩を、躊躇った末にシリウスは抱き寄せた。驚かせないように、赤ん坊に触れるように優しく。
「そうだな。それでも、あの人の最後のわがままくらいきいてやってくれよ」
リーマスは何も言わず、シリウスの首筋に額を当て、わずかに頭を左右に振った。駄々をこねる子供の仕草にシリウスは苦笑を漏らした。
「そう言うなよ。あの人はお前にずっと格好つけておきたかったんだよ」
だから許してやってくれ、とシリウスはあえて柔和に笑いかけた。子供を宥めすかす年長者の微笑。多少の困惑と、愛情を込めた微笑だ。
リーマスはしばらくのあいだじっと息を殺していたが、シリウスの手が慰撫するように肩を撫ではじめると、たまらなくなったようにか細い声を漏らした。
「……リチャード…………」
やっと聞き取れるようになった声は、繰り返しその名を呼んでいた。シリウスは黙ってリーマスを両腕で抱き、彼の背を撫でた。
耳慣れぬ名を呼ぶリーマスはいつしか嗚咽を漏らし、シリウスの胸に縋っていた。リチャード、と繰り返される名前が伯爵のものであるとシリウスが気付いたのは、リーマスがもう声を殺すこともできずに泣きじゃくり始めたときだった。
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