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 名にし負うブラック家の屋敷は、城と呼ぶにやぶさかではない。その敷地面積はロンドン近郊でも屈指の広さを誇り、居室は大小会わせて120に及ぶ。地下一階、地上三階建てのその建物は、ブラック家がいかに権勢を誇る一族であるか、一目で物語っていた。

「……と言ったところで、ほとんどの部屋は使ってないんだがな」

 まるで自らの一族の虚栄を見下すようにシリウスが言ったのは、リーマスがこの屋敷にやってきた翌日のことである。当日はさすがに思うところがあったのか、リーマスは言葉少なに疲労を訴え、早々に自室に引き取ってしまった。さもありなんとシリウスは焦ることはせず、翌日の昼まで待ったのだった。
 昨日より幾分顔色のよくなったリーマスを連れて、シリウスは屋敷の案内に出かけた。百二十室もあると案内無しでは迷ってしまう可能性が高いからだ。ましてや通常の表廊下の他に、召使用の廊下などが入り組んでおり、子供がかくれんぼなどをしようものなら、遭難の危険性さえある。

「今は俺しか住んでないから、表の主要部分の部屋しか使ってない。鍵の開いてる部屋は好きに使っていい」

 足音も無くシリウスのあとに続くリーマスはもしかしたら、ブラック家の前当主夫妻がすでに亡くなっていることを聞き及んでいるのかもしれない。シリウスの言葉に驚くでもなく、冷静な表情を変えなかった。
 シリウスが案内するあいだ、リーマスはほとんど口をきかなかった。虚飾的なまでの壮麗さに呆れているのかも知れない。するとリーマスは玄関ホールの壁に掛かった家族の肖像画の前に立ち止まり、

「……これ、君?」

 指差したのは今も変わらぬ仏頂面の幼いシリウスだ。ゆりかごの前に立った彼は、画家のほうを睨み付けるようにして立っている。幼いころより際立った美貌であったため、可愛げの無さがひときわ目立つ。
 その隣には椅子に腰を下ろして高慢で魅力的な笑みを浮かべる母親と、椅子の背に片手を置いてシリウスそっくりの仏頂面を巧みに高貴な印象に見せている父親の姿があった。二人とも等分にシリウスに似た、美貌の夫妻だった。

「可愛くないね」

 平然と言い切ったリーマスだが、シリウスは驚かなかった。事実であるし、事前に伯爵からリーマスは外見と中身がだいぶ違うということを聞き知っていたからだ。伯爵曰く、リーマスの魅力は歯に衣を着せず、いかなる相手にも臆せず意見をする点にある。穏やかな外貌に似合わず気が強く、闘うことを怖れぬ清冽な魂を伯爵は愛した。惚れた欲目もかなりあるだろうが。
 それなりに長い付き合いもあって、リーマスの辛らつな言葉も気にせず、シリウスは陽気さを装って案内を続けた。そうでもしないと、距離を探るようなお互いの緊張感が発露してしまいそうで、それだけは避けたかったからだ。
 大広間、応接室、広間、画廊、控え室、更衣室、朝昼晩と分かれた食堂室、図書室、音楽室、娯楽室、サロン、居間、客用の居間、遊戯室、シリウスの部屋、書斎、サンルームと、絢爛豪華なる部屋部屋を案内するあいだリーマスはほとんど口をきかなかった。もともと伯爵家も友人の屋敷も立派なものであるから、今更戸惑いはしないだろう。ただ、彼等の屋敷に比べてブラック家のそれは格式と伝統、そして無駄にかかった金銭の面で遥か上を行っていた。社交界でも暗に『真の王家』と呼ばれるだけのことはあるのである。
 探りを入れるまでもなく呆れているのだろうリーマスを連れて、シリウスは取って置きの場所へと向かった。それは屋敷に隣接した巨大な植物園である。
 サンルームの奥の扉から短い回廊で繋がった植物園は、シドナムにあるクリスタルパレスを髣髴とさせるものだった。

「………………」

 シリウスは出入り口で立ち止まったまま圧倒されているリーマスを横目で盗み見た。初めてこの植物園を訪れて、思わず口を開けなかった人間はいない。例に漏れずリーマスもまた、驚いた表情で薄く口を開いて立ち尽くしており、シリウスは内心で何故か勝利を確信した。

「ここは祖父が趣味に飽かせて集めた、アジアだのアフリカだのの珍しい植物を集めた温室なんだ」

 わざとらしい咳払いのあとに続いたやけに饒舌なシリウスの台詞に、我に返ったリーマスが振り返った。

「……お祖父さん、何者?」

 歩き出したシリウスのあとを追う声にあるのは困惑だ。幾らブラック家が金持ちでも、ここまでの浪費を許せるものだろうか。そう問いたげな声にシリウスは一々振り返らなかった。

「植物学者だ。俺の卒業した大学の学長もやってたな。どのみち、ここを作ったのは教授職に着く前だけどな。放蕩三昧とは言いがたいが、とんでもない浪費だ」

 シリウスの祖父は変人だった。と言っても、『ブラック家の当主は変人でないと勤まらない』と揶揄されるほど、ブラック家には変人が多かった。その中でも近年抜きん出て変なのがシリウスの祖父だ。
 シリウスの祖父は父に英国王の従兄弟を持つ。世が世なれば、彼にも王位を狙う充分な地位があった。しかしそんなものにはとんと興味が無く、自らの趣味の世界に没頭したところがブラック家の当主たる所以であろう。
 祖父は学業を終えると、若さに任せて英国を飛び出した。世界中を巡って植物の採集に励み、特にアジアとアフリカでの成果は目を見張るものがあった。しかしそれもあとから付いてきた栄光である。当時は山男のようになってまで帰国しない時期当主に一族は困惑し、息子を放置している父親に嗜めるよう訴えた。しかし変に野心を持たれるよりはよっぽどましと、父親は息子の放浪を許したのである。
 確かに王家の権力争いに巻き込まれるよりは遥かに建設的と言えよう。しかしたまに手紙が届いたかと思えばやれ金を送れだの、やれ温室を作れだのとろくでもないことしか書いてこない時期当主に、最後には一族の老人連もあきれ返った。
 趣味のままに突っ走った祖父も、実父が病臥したとあれば帰国せずにはおれない。渋々帰国した祖父はブラック家の財力と権力と影響力で大学の研究職に着き、当主の座を継ぐと今度こそ好き勝手し始めた。
 と言っても別段女や酒や博打に明け暮れるわけでもなく、ひたすら研究に没頭し、それなりの成果を挙げ始めた祖父に一族も口を出しにくかったようだ。そうしているうちに温室はどんどん拡大し、集められた標本は生きたものも死んだものも合わせて数万点に上った。彼が植物採集にかけた金額がいかほどになったのか、それは誰も知らないし、できれば数字で目の当たりにはしたくなかったことだろう。
 しかし何とかと天才は紙一重という言葉もあるとおり、祖父はただの植物莫迦ではなかった。彼は大学の同窓生でもある医者や薬学部の友人たちが立ち上げた製薬会社に快く投資した。それによってブラック家はいつの間にか莫大な利益を生む製薬会社の理事長となっており、少なくとも祖父が湯水のように消費した財産分以上にブラック家は潤ったのだった。

「……たまには変人も役に立つもんだね」

 最早呆れているのを隠そうともしないリーマスに、全くだとシリウスは笑いかけた。彼は自分が変人であることを自覚していたが、祖父ほどではないと思っていたし、それはきっと正しいのだろう。
 祖父は死ぬまで植物を愛し続け、遅くに結婚した幼妻からは『貴方が死ねば全部ただの雑草なのよ!』と嫌味を言われ続けたらしい。それには祖父が妻の誕生日も結婚記念日も忘れて、研究にばかり没頭していたからという事情もある。そんな両親を見て育ったシリウスの父は、記念日という記念日を絶対に忘れない男に育ったのだった。
 話しながら温室を回り、南端にある小さな人工の池のほとりでシリウスは立ち止まった。静かな水面には眠たげな睡蓮が花開いている。それは伯爵の庭にあったものと同じ種類の蓮だった。

「ここも好きに出入りしていい。俺は朝は大概ここにいるから、用があれば使いを寄越してくれ」

「……ここで毎朝何しているの?」

 水辺にしゃがんだシリウスにリーマスの声が振り注いだ。感情の読み取れない、けれど朝よりはずっと親しい声。シリウスは顔を上げずに植物の手入れだと答えた。半ば無理矢理ブラック家の自慢と化した見事な植物園だが、放っておけば植物は好き勝手に繁茂し、あるいは枯れ、あるいは野生化し、収拾のつかないことになってしまう。一応専門の庭師が四名いるが、父と違ってシリウスは彼らだけに任せっぱなしにはせず、自らもその管理を担っていた。何故なら彼は、釣りの次に庭いじりが好きな男であるのだから。

「……わかった」

 呟くように言うと、リーマスも同じように水辺にしゃがみ、シリウスと並んで睡蓮に柔らかな眼差しを向けたのだった。






 リーマスはすぐにブラック家に馴染んだ。と言うより、どこへ行っても自分のペースを乱さぬ性格なのであろう。もともと陽気でお喋りでもないのだから、当たり前と言えば当たり前だ。だがやはり環境の違いに緊張してもいたようで、会話の中に距離感を探るような感覚を覚えることもあった。
 やっと二人が打ち解けたのは、リーマスがやってきてから一ヶ月ほど経過してからだった。リーマスの野生の獣めいた警戒心が消え、食事以外でも二時間以上顔を合わせてくれるようになったのである。それはシリウスにはとても嬉しいことで、彼はよくリーマスに話しかける様になった。
 かつて伯爵が言っていたように、リーマスは水辺が好きだった。植物園や庭の池の傍で時間を過ごすリーマスの姿をよく見かけたシリウスは、両方にベンチを置いてやることにした。どうやらそれはリーマスのお気に召したようで、彼は自分の持ち物である黒っぽい表紙の本を持って、水辺で午後を過ごすことが多かった。
 一方シリウスはというと、いつでもリーマスにくっついているわけにもいかない。彼はできるだけリーマスを屋敷に一人にしないよう努めたが、それにも限界がある。たまにはロンドンのクラブへ出かけ、数少ない友人知人たちと顔を合わせることもあった。特に彼が贔屓にしている釣り好きのためのクラブでは、最近シリウスが屋敷に引きこもっていることを疑問に思う人間が多く、彼は弁明せねばならなかったのだ。
 シリウスと言えば、ブラック家の名に恥じぬ変人であり、三度の飯より釣りが好きという、クラブでも一目置かれた存在であった。それがここのところ旅行にも出かけず、何故かずっとロンドンにいるのだから不思議にも思うだろう。もちろん広大なブラック家の敷地内には大きな池も川もあるので、釣りが出来ないわけではない。だが、いきなり一年半もエジプトへ行ってしまう人間が、急に腰を据えたのには理由が必要だった。

「旅行は厭きた。それより、従姉妹に娘が生まれた。顔を忘れられては困るから、ロンドンを離れるわけにはいかない」

 そう断言したシリウスに、クラブの友人知人は納得したような哀れむような表情を向けた。なるほどブラック家の当主なだけはある、と思ったらしい。事実シリウスは週に一度は必ず従姉妹の家に出向くか、何か贈り物を届けていたので嘘ではない。そしてシリウスの奇妙な言い訳を嘘と確認する必要性を、釣り莫迦たちは有していなかった。
 こうしてシリウスは屋敷に引きこもっても誰も気にしない状況を作り上げ、リーマスと時間を過ごすことを選んだのである。








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