■□■ おくりもの □■□






 うらやましい、と揶揄する調子で雲雀は問いかけた。咽喉の奥で鈴が鳴るような玲瓏たる声に、恭弥は瞬きもせず実父を睨みつけた。
 いつもどおり退屈な学校に飽きて自主的に早退した恭弥は、昼だというのに珍しく起きていた父の姿を居間で見つけた。普段は布がかけられたまま存在さえ忘れ去られている姿身を覗き込み、首元に手を当てたまま動かない。左手を畳について身体を支え、優雅に横座りしたその姿は、一幅の日本画のようである。ほどよく着崩した着物の線にさえ匂い立つ色香を纏う父の背中を、恭弥は居間の入り口に立ったまま見つめた。
 鏡のなかの雲雀が目を上げ、恭弥を見返した。底知れぬ闇夜を思わせる目が細められ、得物を見つけた猛禽類の眼差しとなる。雲雀はゆっくりと口角を上げて逆らいがたい微笑を浮かべると、鏡越しにきょう、と息子の愛称を呼び掛けた。

「………………」

 最早すべての凶事が回避できぬことを受け入れて久しい恭弥は、眉一つ動かさずに居間へと足を踏み入れる。父の一挙手一投足、紡がれる言葉の何一つにも反応しないことだけが、彼に許された唯一の反乱だった。
 頑なな息子の態度など歯牙にもかけず、雲雀はゆったりとした動作で振り返る。息子が目の前に腰を下ろすのを待って、首に当てていた右手を外すと、そこには目にも鮮やかな緋色の痕が浮かんでいた。

「きれいだろ」

 恭弥が無意識に目を見張ったのを認め、陶然と雲雀は語りかける。夢見る口調とは裏腹に、その首に浮かぶ鬱血の痕は、死を連想させる手の名残だった。

「山本がくれたんだ」

 さも愛しげに言って、雲雀は白い指先で緋色の痕を辿った。毛細血管が切れて浮かび上がった索状痕を、美しい首飾りのように語る父を、恭弥は無言で見つめている。この家の家主にして父と熱烈に愛し合う恋人である山本が、おそらく数時間前につけた痕だ。淫らに交わりながらその細首に手をかけ、締め上げて作り出したおぞましくも美しい贈り物だ。蝋めいた白い肌に浮かぶ緋色の痕は数時間で赤黒く変色し、華やかに肌を彩るのはわずかなあいだだけ。雲雀はそれを惜しみ、鏡を覗き込んで自らの肌を彩る贈り物に魅入っていたのだろう。
 白い指先がなぞる緋色の痕の艶やかさに、恭弥もまた目を奪われる。皮下に広がる血液の味が口腔に溢れるようで、無意識に咽喉を鳴らしていた。恋人に犯されながらその手を自らの首へと導き、際どい快楽をねだる父の姿が脳裏を離れなかった。

「うらやましい?」

 抑揚に欠けるいつもの口調ではなく、明確に問いかけを口にして雲雀は嫣然と笑いかけた。肉感的なくちびるが描き出す高貴な微笑は、目を覆いたくなるほど艶やかであるのに、意に反して恭弥は目を逸らすことができなかった。

「……これはあげられないから」

 頑是無い子供のわがままに困ったような口ぶりで呟いて、雲雀は恭弥を見つめる。頑なで真っ直ぐな視線を真っ向から捉えたまま、両手をついて這うように息子との距離を縮め、

「新しいのをあげる」

 クスクスと咽喉の奥で笑った父の手が眼前に迫るのを見つめながら、恭弥は瞬きさえすることができなかった。






 決して広くはない和室に熱が篭ってゆく。完成された肉体と、未だ成長をやめぬ幼い身体から発する熱は、興奮の波となって空気を汚染する。実の親子でありながら、獣のごとく交わることで得られる快楽は、何ものにも換えがたい至上の媚薬だった。
 下半身を剥き出しにされ、仰向けになって脚を広げられた屈辱的な姿勢で、恭弥は父に犯されていた。着物を乱して肩と胸を露にした雲雀は、深々と息子の内部に己を突き立てている。露になった胸元には、わずか数時間前に付けられた濃厚な情交の痕が浮かび、よほどしつこい愛撫を受けたのか、胸の突起は熟れすぎた果実を思わせた。

「……ぁあ、すごく、気持ちいい」

 惚れ惚れと呟いて、雲雀は熱い息を零す。恭弥の狭い空洞を肉で埋め、緩やかに腰を蠢かせながら呟く様は、むしろ愛撫を受けているかのようだ。底知れぬ黒い目は肉欲に潤み、頬は上気して子供のように滑らかだ。もう幾度もくちづけを交わしたくちびるは、どちらのものとも知れぬ唾液に濡れている。呼吸の度に見え隠れする口腔は、濡れた肉の淫らさで目を奪う。そのなかに隠された舌の甘さを、恭弥はもうどれだけ味わっただろう。
 無様に脚を開かされ、固く凝った熱塊を咥え込まされた恭弥は、自分に覆いかぶさる父を見ることに全ての力を注いでいた。その視界が度々霞み、赤い斑点が浮かんでは消えるのは、彼の首にかかった二つの手のせいだ。

「かっ、……は…………」

 くぐもった声が自分の口から漏れるのを、恭弥は他人事のように聞く。潮騒に似た激しい血流のざわめきが耳のなかに溢れ、自分の声ですら聞き取れない。それなのに恍惚とした父の声だけが直接脳に響くかのように聞こえるのが、ただただ不思議でならなかった。
 組み敷いた息子に覆いかぶさった雲雀は舌先を覗かせ、いやらしい仕草でくちびるを湿すと、ふふふと密やかに笑う。

「山本がね、すごくすごく興奮してたんだ」

 僕のなかに潜り込んだものが、どんどん固くなって脈打って、大きくなるのが嬉しかったんだ……。
 夢見る口調で言いながら、雲雀は自分よりもさらに細い恭弥の首を締め上げる。彼の脳裏にあるのは、今朝の濃厚な情事であり、首を絞められているのは自分だ。愛しい男の欲望を咥え込んで、体内でその脈動を感じ、吐き出される精と愛欲が嬉しくて、堪え切れずに一杯出してしまったのだと雲雀は語る。恥らうように目元を染めた雲雀は、首を絞められる度に無意識に身体に力が入ることで、山本の思うがままに彼を締め上げた。その度に体内に潜り込んだ獰猛な楔が、固く張り詰めてゆくのを感じ、歓喜に打ち震えた。もっともっと彼を歓ばせたくて、もっともっと気持ちよくなりたくて、雲雀は首にかかる熱い掌がさらに力を増すことを望んだ。そして山本は恋人の望みを叶え、雲雀は生きながらにして死の快楽を味わった。とめどなくあふれ出た欲望は彼の腹を濡らし、山本をも汚した。それはとてもはしたないことだけれど、恥ずかしいことではないんだよ、と雲雀は慈悲深い微笑を浮かべ、諭すように息子に囁きかける。

「だから一杯出していいよ」

 傲慢でどこまでも優しげな微笑を浮かべた父の手が、恭弥の首を締め上げる。咽喉の奥から空気の塊が出る音を聞くこともできず、恭弥は色を失いつつあるくちびるで、無音のままに拒否の言葉を紡ぎ出した。
 いやだ。
 違う。
 そうじゃない。
 繰り返し紡がれる言葉に音が伴ったとしても、雲雀は彼の意思など汲んではくれないだろう。それでも恭弥は違うと心のなかで叫び続けた。彼が望むのは父が言うようなものではない。彼が欲するのは、埋め込まれた欲望の脈動ではなく、無意識に父を締め上げて切ない声を上げさせるふしだらな身体でもない。恭弥が望むのは、悩ましげな表情で自分を見下ろす父のその首だ。目にも鮮やかな緋色を帯びたその首を、肌の弾力と血液の流れを感じながらゆっくりと締め上げて、彼のすべてを奪いたかった。父が望むなら、その肉体に自らを埋めて、卑しい欲望を満たしてやりたかった。感極まって打ち震える身体を陵辱し、その魂までも我が手にしたかった。しかし恭弥にそれをすることは許されず、きつく首を絞められてこれまで感じたことがないほどの強烈な絶頂感に襲われながら、快楽に喘ぐ父の顔が赤く、黒く、塗りつぶされてゆくのを見ることしかできなかった。








〔おわり〕





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