犬とワインと狼と
雪の降る夜だった。卒業以来すっかり忙しさにかまけていた四人の友人たちが、久し振りに全員顔を会わせることとなった。
人家のまばらな北のある地方に、リーマスは自宅を構えていた。そこは僅かな起伏と針葉樹の森が続く静かな土地で、今は夜の闇と降り積もる雪に覆われている。その中に建つ一軒家がリーマスの家だ。外見は堅牢な石造りだが、柔らかな光に照らされた室内は木造で、暖炉には煌々と暖かな火が踊っている。その暖炉の前のテーブルセットには、出来合いらしいご馳走が並び、それを囲むようにして座った四人の青年の顔色も、すでにほの朱くなっていた。
ビールを片手に笑い合う四人は、ジェームズ、シリウス、リーマス、ピーターの面々。学校を卒業して以来、連絡を取り合ったりたまに会って食事をしたりはしていたが、全員の面子が揃うのはほぼ半年振りだ。おかげですっかり上機嫌な彼らの話題は尽きることを知らない。ローストビーフを頬張りながらピーターが、
「で、リリーはどうしてるの?」
するとジェームズはいつものうそ臭い苦笑を浮かべて、
「安心しろ、相変わらず良い女だ」
他人が聞いたら惚気にしか聞こえないだろう台詞だが、彼らにしてみれば最も判りやすい近況報告である。そうか、相変わらず良い女か、とすっかり納得したようだ。
リーマスも何気なくビールに飽きたらしいシリウスに訊く。
「叔父さんは元気かい?」
手紙やシリウスの話でしか知らないブラック家の変人……もとい、素敵な叔父さんは、現在何をしているのやら。シリウスは水の入った壜を良家の子息とは思えない行儀悪さで口許に持っていきながら、ああ、と諦めたような返事を返した。
「今はバリ島にいるらしい」
バリ? と友人たちは顔を見合わせる。確か卒業後すぐに聞いた話では、フランスにいたのではなかったか。それを察したのかシリウスはごく平然と、
「寒くなってきたから、避難したんだろ」
雪は南極で見飽きたらしいから、と。一体何がどうしたら南極なんぞに行こうと思うのか甚だ不思議だが、そんなことはシリウスにも判らないだろう。大方オーロラでも観に行ったのだろうが。
「お前の叔父さんって人には、是非一度会ってみたいもんだな」
しみじみとジェームズが腕を組みながら呟く。噂の渦中の人物は、フランスにいたときは川べりでヴァイオリンを弾いて生活の糧にしていたらしい。そんな魔法族など、ジェームズの知る限りでは皆無だ。是非お近付きになってみたいものである。しかしシリウスはどーかなと呟いてソファの背凭れに寄りかかった。
「あの人、いつも何の連絡も寄越さずにひょっこり帰ってくるからな。運が良ければ会えるだろ」
何しろフーテンノトラサンだからな、と呟いたシリウスの言葉に何それ、とピーターが笑う。しかしシリウスもあっさりと、
「知らん。本人が言ってた」
最近叔父さんが帰ってきたのは、シリウスが卒業のため帰省してすぐだった。可愛い甥の卒業を祝わずに叔父と名乗れるか、とか何とか言いながら。実は学校入学以来、休みのほとんどを友人たちと学校で過ごしていたシリウスも、叔父と会うのは五年振りで、大層喜んだ。赤ん坊の頃、尻までベビーパウダーをはたいてもらった叔父よりもシリウスの背は高くなっていて、それでも彼に勝てる気は全くしなかった。多分、器の大きさがまるで違うのだろうとシリウスは思う。
「それでな、叔父貴が卒業祝いをくれたんだが、何を貰ったと思う?」
シリウスは緩みかける口許を必死に引き締めながら、三人に問い掛ける。この相好の崩し方からして、まず一般人が貰って喜ぶものではないだろう。ピーターが、
「……ヴィンテージだけど、酸っぱくなっちゃったワイン?」
しかしシリウスはブーっと駄目出しをする。続いてリーマスが、
「じゃあ、アフリカ辺りの民族楽器とか?」
ところがこれも外れ。では一体何かと暫しの沈黙の後、ジェームズがポンと手を打って、
「わかった! 車の設計図だろう」
「あ〜、惜しい! 違うんだな〜」
ついにヘラヘラと笑い始めたシリウスは、酔いが手伝ってか身振り手振りを交えて話し出した。
『お祝いだ』
と言ってニヤニヤしながら叔父さんはシリウスを家の外に手招いたと言う。一体なんだろうかとワクワクするシリウスは、素直にその後に従った。叔父さんはそのままシリウスを屋敷の裏手に案内し、果たしてそこには白い布を被った謎の物体が置いてあったのだった。
「それがな、凄いんだ!」
その場に立ち上がったシリウスは興奮した体で見えない布を取り払う仕草をする。その様子からすると、かなり大きい物のようだ。一体何があったのかと興味津々の三人に、
「ホンダCVCCのエンジンがこう、ドーンと!」
一人はしゃぐシリウスを他所に、三人は一気に脱力してしまった。何だ、結局それかよ、と。その姿はお祝いを目の当たりにしたときのシリウスの両親にそっくりだった。それにむっとしたシリウスは抗議する調子で、
「何だよお前ら、CVCCは世界初の低公害エンジンなんだぞ! そもそもアメリカの(中略)っていう凄いエンジンなんだからな」
力一杯説明してみても、勿論誰も聞いてはいない。めいめい食事を続けたり、ソファのほつれを気にしてみたり、ビールの壜を眺めてみたり。三人がすっかり呆れた様子なのがシリウスは気に入らない。あんな素晴らしいものなのに、こいつらときたら。今日だって本当はお気に入りのバイクを文字通り飛ばしてきたかったが、この冷え込みではオイルが凍ってしまうために断念した。その辺はちょっと不便かもしれないが、あの技術の素晴らしさが判らないだなんて!
また何か演説をかましそうなシリウスの気配を察して、ジェームズはリーマスに目配せする。これ以上こいつのマニアックな話に付き合っていられるか。リーマスが視線で同意を示すと、ジェームズはむきになっているシリウスには気付かぬ振りをして、
「そう言えば、リーマスも一旦実家には帰ったんだろう?」
まあね、と答えてリーマスは微笑む。
「7年振りに両親に会ったよ」
さり気無く投じられた爆弾に、シリウスは口を噤んでソファに座りなおした。ピーターは忙しく目を動かして相変わらず笑顔のジェームズとリーマスを交互に見る。単純でのんき者……もとい、誠実で正直なシリウスにとって、あまり上手くいっていないらしいリーマスと彼の両親の話はタブーである。シリウスを黙らせるにはこの手に限る。悪口雑言は得意でも、友人を貶める口は持って生まれなかったシリウスは、黙ってビールに手を伸ばした。
「そうか、リーマスは一度も家に帰ってないんだっけ」
「ああ。二人とも背が縮んだみたいで、変な感じだね」
本当は自分の背が伸びただけなのに、とリーマスは笑う。久々に会った両親は、昔と同じように喜んでリーマスを迎え入れてくれた。そう、迎え入れてはくれたが、やはりこの七年の間に深まった溝は埋めがたく、リーマスは家に残していた荷物を纏めると、すぐに実家を出たのだった。
「……おい、これもう無いぞ」
シリウスがさりげなくビール壜を示しながら、しかし非常にわざとらしいタイミングで話を逸らす。こういった状況の得意ではないピーターも便乗して、
「もう全部飲んじゃったみたいだね」
テーブルや床の上に置いた壜はほぼ空である。二、三本だけ僅かに中身が残っていたが、気の抜けたビールを好んで飲む人間は希少だろう。それなら、とリーマスは立ち上がり、
「地下室にまだあるから、ちょっと取ってくるよ」
階段横の扉に向かって歩き出したリーマスに、俺も、とシリウスが続く。リーマスが杖を持って立たなかったのを目聡く見つけて、手伝ってくれるつもりらしい。扉に手をかけながらリーマスは背後を振り返り、
「なら丁度いい。ワインもあるから……」
安物で悪いけど、とリーマスは微笑む。わかった、と答えながらシリウスも地下へと伸びる階段に足をかけた。
軋む階段を降り切ったそこは、薄暗い地下室だ。明り取りの窓も、今は雪で埋もれて何も見えない。頭上の扉から漏れる光だけが頼りだ。もちろん暖炉などの無い地下室は凍えるような寒さで、吐く息は白くなってどこかへ消えた。リーマスは寒い寒い、と呟きながら部屋の片隅に歩み寄る。何やら箱のような物が積み上げてあるところを見ると、物置にしているようだ。
シリウスは何気なく室内を見回して、地下室が上階と比べて妙に狭いことに気が付いた。何故だろうと目を凝らしてみると、壁面の一つが他と違う色をしているのが目に止まった。どうやらもう一部屋あるらしい。酷く頑丈そうな扉を見遣って首を傾げつつ、
「なぁ、あの部屋、何だ?」
ビールの入った梱包を探していたリーマスは顔を上げ、
「ああ、『特別室』だよ」
何気ない口調にシリウスは気まずくなりながらもなるほど、と頷いた。どうやらこれが叫びの屋敷の代用らしい。しまった、訊くんじゃなかった。
自分の失敗にむっつりと黙り込んだシリウスにリーマスは首を傾げてみせる。ほんの何年か前にリーマスの秘密を暴露するような悪戯を同級生に仕掛けておいて、そのくせこんな些細なことに後悔の嵐。実に面白い男である。しかしそれをからかっていられるような室温ではないので、リーマスは何も気付かなかった振りでシリウスを手招いた。
「こっち。ワインは赤と白とどっちにする?」
ロゼもあるけど、とリーマスは棚の間から顔を出す。ラックに収まっていた赤と白のワインを手に取りながらシリウスを待つ。コツコツと小さくても響く足音に振り返り、
「肉が多いから、やっぱり赤かな?」
間近に迫った長身は何故かリーマスの腰に腕を回すと、唇を寄せた。お、と何故か口走ったリーマスの口唇を塞ぐと、辺りは静けさに包まれる。上階から漏れ聞こえてくる微かな音楽。リーマスは口唇をついばまれながら素直に目を閉じた。
身体を寄せ合っているのでとても暖かい。それでも唇を離す際に漏れた吐息は、白く煙って闇に溶けた。
「……シリウス」
やっぱりどこか憮然とした表情のシリウスに、ワインを両手に持ったままリーマスは提案する。
「今日は泊まっていくか?」
「あー。……そうだな」
呟き終えるとシリウスは再びリーマスを抱き寄せた。半年振りのキスである。懐かしい味がする。けれどそれでいてどこか以前と違うような……。
お互いの舌を吸ったり、軽く歯を立てたりしながらつい夢中になってリーマスの腰を抱き寄せた。
「ぐわっ!」
突然シリウスは、ローラーに掛けられたガマガエルのような声を上げ、身体を丸めながら自分の左向こう脛を擦り始めた。鈍い音がするほどしたたか脛を蹴り上げたリーマスは、素知らぬ顔で手にしていた白ワインをラックに戻す。
「お楽しみはまた後で。口唇が紅くなるじゃないか」
……飲み物を取りに行っただけにしては妙に時間をかけて二人が戻ってくると、相変わらず食べ続けていたらしいピーターが、
「何か変な声したけど、どうかしたの?」
「いや、シリウスが箱につまずいてさ」
しかしピーターの見たシリウスは、ビールの入った箱を抱えながら物凄い形相でリーマスを睨んでいる。どうやらまた何かされたらしい。だがそんな日常茶飯事のことを気遣う彼らではなく、
「相変わらず莫迦だな、シリウス」
とヘラヘラ笑いながらジェームズが火に油を注いでみたり。
「そうだね。まごうかたなき莫迦だね、シリウスは」
ニコニコと笑顔の鉄面皮を向けながらリーマスも断言する。うるせえっと鋭く吐き捨てたシリウスは、ぞんざいに箱を床に下ろすと、リーマスの持っていたワインを奪い取り、頑健そうな歯でコルクを引き抜いた。
「うわっ! 汚いな〜」
わざとリーマスに向けて咥えていたコルクをぷっと飛ばしたシリウスに非難の声があがる。しかしすっかりやさぐれてしまったらしいシリウスは、
「うるせえ、うるせえ!」
それだけ言うとギャーギャー文句を垂れる三人に背を向けて、ワインを呷り始めたのだった。
夜半をとっくに過ぎて、客人たちは漸く重い腰を上げた。酔いもある程度冷めたし、これなら煙突飛行中に道に迷うことも無いだろう。一応着てきたコートに袖を通しながら心配そうにピーターが、くだをまいてソファに寝転がったシリウスを見た。
「大丈夫かなぁ。連れて帰ろうか?」
もちろんジェームズも手伝ってくれたらの話である。不貞腐れた酔っ払いのシリウスを一人で連れ帰れるほどピーターは力持ちではない。しかしほろ酔い加減のジェームズは、
「放っておけよ、ピーター。どうせそのうち自力で帰るか、そのまま眠りこけるだろうよ」
あんなデカブツの世話なんて御免だね、と自分も結構なデカブツであることを棚に上げてジェームズは毒づく。リーマスも苦笑しつつ、
「一人くらい泊められるから、大丈夫だよ」
そうして、ジェームズとピーターの二人は穏やかな微笑を浮かべるリーマスに見送られながら帰っていったのだった。
さて、あとはジェームズ曰くデカブツのシリウスだ。どうせ起きてはいるんだろうが、相変わらずこちらを無視している。ならば、とリーマスは窓に歩み寄りながら、
「ほら、いいかげん機嫌直せよ」
ガタガタ言う窓を開けると、サッと冷たい空気が部屋に流れ込んだ。アルコールに火照った顔に冷気が心地いい。しかし振り返ってもシリウスは不貞寝したままだ。ワインの壜を抱きかかえたまま、というところが見事にオヤジくさい。
「おーい。シリウス、起きろって」
しかしやっぱりシリウスは目を瞑ったままだ。よし、警告は済んだ。リーマスは窓に積っていた雪を摘むと、ソロソロとシリウスの無駄に長い脚がはみ出したソファに近付いた。
「うわっ!」
突然項に雪をなすりつけられて、シリウスは反射的に跳ね起きた。頭にきて振り返ったが、愉快そうに笑うリーマスはとっくにシリウスのリーチの範囲外だ。これが平地ならば蹴り飛ばすところだが、当然ソファの上にいることを計算しての行為だ。相変わらずメフィストフェレスめいたそつの無さである。リーマスは気の置けない友人以外には絶対に見せない底意地の悪そうな笑顔を浮かべ、鼻でシリウスを嘲笑う。
「だから君は莫迦だって言うのさ。勉強だけ出来たって、何の意味も無い」
事実リーマスは人狼化による影響で授業に出られないことが多々あり、成績では7年間一度もシリウスに勝てたためしがない。しかし実生活においてのヒエラルキーは、リーマスの方が常に上であった。半年振りにそれを思い出させていただいたシリウスは、悪態をついてリーマスから目を逸らした。結局リーマスの言うとおりらしい。
「……さっさと片付けるぞ!」
都合の悪いことから話を逸らして、シリウスは威勢良く腕まくりをした。
腕まくりをしたところで、片付けなど杖を一振りするだけである。まだ食べられるものは集めて取っておくとして、他は全てゴミ箱行き。皿などは流しに置いて、やはり杖を一振りするだけだ。料理の才能は皆無に等しいリーマスだが、片付けは得意である。一方、大抵のことなら何でもできる上に、最近酒のつまみを中心とした料理に凝っているシリウスは、咽喉が渇いたと勝手に水を飲む。杖を振るだけでも料理の才能の差はやはり出るのだな、とリーマスは思うのだが、シリウスをつけあがらせるようなことは口にしたりしない。体よくこき使うとき以外に、シリウスを誉める必要などないとリーマスは信じている。この辺が二人の上下関係を示す判りやすい思想だ。
一通り片付けを済ますと、リーマスは窓を閉めながら、
「シリウス、シャワー浴びるか?」
しかしゴミ袋の口を縛りながらシリウスは、
「いらん。面倒くさい」
キッパリ断言すると、お前は、と問い返す。ガタガタ軋む窓に錠を下ろしながらリーマスは何故か中空を見上げ、
「……いや、ぼくもいいや」
どうせ後で入るんだし、と。それから二人して家の戸締りを確認して暖炉の火を消すと、二階に上がった。二階には寝室とバスルーム、客間と屋根裏に続く階段がある。勿論シリウスはごく当然の顔をしてリーマスと一緒に寝室へ入った。
「明りはどうする?」
カーテンを閉じながら問うリーマスに、セーターを脱ぎながら、
「暖炉があるからいらないだろ」
それもそうかとリーマスは杖をベッドの向かいにある暖炉に向けて、火を灯す。シャツを半分脱ぎかけたシリウスはベッドを見て不満そうな声を出した。
「小せぇな〜。ベッドはデカイの買うのが基本だろう」
確かにいくらダブルサイズとは言え、最早子供ではない二人が寝るには少々狭い。しかしその責任の半分以上は無駄に背の高いシリウスにある。
「うるさいな、だったら向こうで寝ればいいだろ」
リーマスはベッドに座って靴を脱ぎつつ顎で扉の方を指し示す。客間のことを言っているのだ。
同じようにベッドに腰を下ろして靴を脱ぎ始めたシリウスは盛大なため息をついてみせた。
「白けること言うなよ。お前、本当に俺のこと好きなのか?」
胡散臭そうなシリウスの視線も、リーマスの厚すぎる面の皮を剥がすことは出来ない。リーマスは服のボタンを外しながらよりによって、
「日による」
などと言い返したものだから、すっかりシリウスは不貞腐れてしまったようだ。何だよそれ、とぼやきながらベッドに手足を伸ばす。幾ら暖炉に火を入れてあるとはいえ、半裸の男がベッドで大の字になっているほど鬱陶しいことは無い。リーマスは迷惑そうにシリウスを追い払う仕草をして、自分一人ベッドに潜り込んだ。頭上でシリウスが呼ぶおい、という声が聞こえるが、面倒くさいので無視する。うるさく文句を言うなら、このまま眠ってしまうまでだ。
完全無視モードに入ったリーマスを言葉で宥めるのは至難の技と見て、シリウスももぞもぞとベッドに入る。こうなったら実力行使あるのみ。向こうを向いてしまっているリーマスに腕を回し、耳の後ろ辺りに口付ける。リーマスは首を振ってシリウスを拒むが、腕を払われはしなかった。ならいいのだろう。長袖のTシャツの下に手を入れ、掌で胸や腹を撫で擦る。もう一度耳の後ろに口付けると、クスクスと忍び笑いが聞こえてきた。おい、と声を掛けるとリーマスは振り返り、シリウスの首に腕を回した。
あれ、とシリウスが思ったのは、お互い裸で抱き合いながらキスをしているときだった。リーマスは裸の脚をシリウスのそれと絡め、腕を背中に回している。押し付け合った腰には、熱いものが当たる感触。頭の角度を変えるたびに擦れ合って、甘い痺れが背中を走る。
それでもある程度の理性のあったシリウスは、やっぱり何か違うと頭の隅で確信した。リーマスのキスの仕方が、昔とは違うのだ。昔、と言ってもたかだか半年前なのだが、違うものは違う。何しろあの頃のリーマスは、セックスどころかキスすらもシリウスが初めてで、何をするにも思い通りだったのだ。
「シリウス、早く……」
とっておきの甘い声音で囁かれ、シリウスは割り開いた脚の間に身体を埋める。あっと口走って目を閉じたリーマスの頬は、上気して子供のようだ。半年振りに迎え入れられたその部分は、幸い久し振りの感を否めないきつい圧迫感でシリウスを陶酔させた。
キシキシと音を立てるベッドの中で二人は抱き合う。リーマスは痩せすぎでほっそりとした脚をシリウスの腰に絡め、悩ましげに柳眉を顰めている。腰骨をどうにかしてしまいそうなほど力強く突き上げられ、たまらないほどの快楽だ。それでも喘ぎ声の合間を縫っては、
「もっと、もっとぉ……」
催促の言葉にシリウスは微苦笑を浮かべる。身体の中心で溶け合いそうな部分を無理に動かして求める快感は、背筋を伝って脳に至る。世界中のどんな麻薬よりも、人間の脳内にあるものの方が効力が強い。リーマスとこうしているときが、最も脳内麻薬に侵されていることだろう。
「お前、少し、自制、しろよ、な……」
言っていることとは裏腹に、シリウスは実に楽しそうだ。押し包むような感触のリーマスのある部分に咥え込ませたもので、身体の奥底をえぐるように突き上げる。それがあまりに好くて、リーマスはシリウスの背中に爪を立てた。軽い電流みたようなものが背を走り、一層しっかりとシリウスに抱きつく。きつく閉じたはずの瞼にありえない光を見て、リーマスは悲鳴をあげた。
雲間を漂うような幸福感をすっかり味わうと、リーマスは寝返りを打って目を開いた。こういうとき明りが暖炉の火だけなのが有り難い。光源が強すぎると、折角の余韻も台無しだ。目をやると散々ひとの中に放ったシリウスも、自分の腕を枕にこちらを向いて横になっている。端整な顔立ちが揺らめく炎の明りに浮かび、リーマスはじっとその表情を窺った。眠っているわけではないだろう。炎が揺れる度に影が動き、表情が変わったように見える。しかしよく見た顔はどこかあどけなくて、リーマスは昔を思い出して思わず微笑んだ。
「……何だよ、ひとの顔見てニヤニヤしやがって」
いつの間にか目を開いていたシリウスは、気持ち悪いと吐き捨てて身体を起こす。乱れてしまった髪を撫で付けながら辺りを見回し、水差しに手を伸ばす。向こうを向いたシリウスの背中にくっきりと浮かぶ自分の爪痕を見て、リーマスは密かに舌を出した。
「お前、何か前と違わないか?」
そんなことをシリウスが言い出したのは、二度目の行為に取り掛からんとキスをした矢先だった。ぱちくりと目を瞬いたリーマスは、腕をシリウスの首に回したまま、
「何かって、何が?」
「そりゃあ……キスの仕方とか」
そうかな、とリーマスは首を傾げつつシリウスに跨る。そうだよ、と憤然と言いながらもシリウスもリーマスの腰に腕をまわし、胡座をかいた自分の上に座らせる。やることはきちんとやりながらも二人の話は続く。
「そうかなぁ。やっぱり、他の人としたからかな?」
さらりと言われたリーマスの台詞に、驚いてシリウスはまじまじと友人兼多分恋人の顔を見つめた。ひとの上に跨りながら、何をあっさり浮気宣言してるんだこいつは。
「浮気って、それは君の方だろう。毎月違う女の子と遊んでたくせに」
「あれは、仕方ないだろ。むしろお前の方が浮気みたいなもんだったんだから」
そもそもそうしようって提案したのはお前じゃないか、と。ならばぼくも同じことだよ、とリーマスは嘲笑う。普段からして腹の立つやつだが、こうも真正面に抱き合ったまま言われると、尚更むかつく言い草だ。頭にきてリーマスが腰を落した瞬間に合わせて、力強く突き上げる。
「あっ……!」
ビクッとリーマスの身体が揺れ、驚きとも喜びともつかない声が漏れた。思わずリーマスはシリウスの首に縋りつき、ため息をつく。ううむ、こうくるとは思わなかった。見るとシリウスはちょっと溜飲が下がったらしく、満足そうな面持ちだ。
そこでリーマスは作戦を変えることにした。シリウスの肩に尚も顔を埋めたまま、どこか甘えるような響きのある声で、
「いいじゃないか、ぼくだって上手くなりたかったんだ。相手は女の人だし、それに……」
君だってぼくが上手い方がいいだろう? と耳元で囁くと、シリウスは唸ってリーマスを抱く腕に力を込めた。
確かに、学生時代シリウスは遊びの範疇として数えるのが面倒なほど異性と付き合った。しかも当時友人でしかなかった筈のリーマスとも抱き合っていたのだから、我ながら凄い体力である。若気の至りという言葉だけでは説明しきれないほど元気だったと思う。そしてその間リーマスはシリウス以外の誰とも付き合ったことが無く、となれば現在のリーマスをとやかく言う資格などあるはずもないだろう。それでもやっぱり……。
ちゅっと首筋にキスを落すリーマスの背中をよしよしと撫でながら、シリウスは妙に厳しい顔つきで、
「で、何人と付き合った?」
リーマスは顔を上げ、考えるように中空を見上げる。
「えーっと、5人かな……?」
5人!? と素っ頓狂な声を上げてシリウスは悪びれた様子の無いリーマスを見つめた。半年間で、5人だと!?
「お前それは多すぎだろうが」
思わず自ら論点をずらしてしまったシリウスの目の前で、リーマスはそうかなぁと小首を傾げる。それがちょっと可愛いとこんな場合に思ってしまったシリウスは、少し現実逃避に入っているらしい。
「向こうが言い寄って来るんだよ」
しかも全員年上なんだ、とリーマスは不思議そうに首を傾げる。本人に彼女たちを誘った記憶は全く無い。そんな面倒くさいことをしてまで付き合いたいとは思わないのがリーマスだ。別段好きなわけではないが、嫌いでもないのでまぁいいか、と。
「お前、結構最低なやつだな……」
かつて遊び人の名を欲しいままにしていたシリウスを、いつか刺されると表したのはリーマスだ。だというのにこの男、むしろよっぽどこいつの方がろくでなしなのでは?
ちょっとこちらを剣呑な目で見つめるシリウスに、リーマスは頬を少し膨らませて見せる。
「いいじゃないか、上手くなりたかったんだから」
そうすれば君も喜ぶかと思ったのに、と拗ねた調子で言ってみる。実際にはそんなこと蟻の触覚の先ほども考えなかった。が、あくまでお前のためなんだぞ、と吹き込むのだ。すると単純で尚且つ何故かリーマスにはとことん弱いシリウスは、むうっと唸って何やら考え込み始めた。リーマスの背中や腰を尚も撫でながらだが、多分現在の彼の脳みそはフル回転で何事か計算しているのだろう。それも都合のいい方に。
リーマスはさり気無くシリウスの様子を窺いながら彼の耳に口付ける。耳朶を口唇で食み、頬に口付ける。指で背中をなぞり上げたら、ちょっとその気になったらしい。
「ほら、早く……」
耳元で囁くと漸く決心が決まったらしく、ちくしょうとか何とか言いながら、リーマスをベッドに押し倒したのだった。
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