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雲雀の身体は冷たく、ついに了平の体温が移ることは無かった。一晩中素肌を合わせていても、ぬくもりは拒絶されたように了平だけのものだった。まるで血の通わぬ身体のようである。だたくちびるでつけた鬱血の痕だけは赤く残り、雲雀が確かに人間であることの証のように了平には思えた。それ以上に、白く透けるような肌に火を灯したようで、雲雀の肌に散る鬱血の痕は美しく了平の目に映った。
雲雀は了平と抱き合いながら、さかんに熱いと口走った。それでも彼は了平を放そうとはせず、長い手足を絡めて了平に縋るようだった。
甘く蕩けるような口付けも、快楽の極みであった交合も、全てが了平を魅了した。雲雀は普段の憎らしいほどの冷静さが嘘のように、甘える声で了平を欲した。彼の身体はまるで初めから男を悦ばせるために作られているようで、誘い込んだ了平をいくらでも昂ぶらせた。どういった具合か雲雀の身体は敏感で、了平の愛撫に絶えることなく潤っていった。
雲雀と初めて抱き合ってからというもの、了平は彼に夢中になった。もともと好意を抱いてはいたが、それにしても呆れるほど雲雀のことしか考えられなくなってしまったのだ。
何をしていても了平の頭の中は雲雀のことで一杯だった。昨夜の雲雀の様子や、声が脳裏を色鮮やかに駆け巡っている。雲雀当人を目にすると、さらに輪をかけて彼のことで頭が一杯になった。これほど愛しい存在がこの世にあるなど、考えたことも無い。
しかし不思議なもので、想い人がいるということが張り合いを生むのか、仕事も日々の生活も、愉快なほど順調だった。今の了平には何もかもが楽しくて仕方がなく、彼は幸福の絶頂にあったと言えよう。
一方雲雀はというと、彼は相変わらず何を考えているのかわからなかった。了平とそうなる前と、普段の様子に変わったところは見られず、相変わらず暇になると寝てばかりいた。居候のくせに偉そうで了平の手助けをしようなどと殊勝なことを考える様子は全く無い。自由気ままで我儘で、そのくせ了平以外には誰一人として馴れ合おうとはしない。そんな雲雀を見ても気位の高い野良猫に懐かれたようなもの、とかえって嬉しそうな了平は明らかに重症だった。
雲雀は了平のために小指一つ動かそうとはしなかったが、それは普段の生活についてだけだった。あけすけで大胆な彼は興がのればどこででも了平を求めたし、どんなことでもしてくれた。淫らがましい声を上げながら自慰をして見せることもあれば、了平に跨って腰を振ることもあった。昼日中に了平を誘い、断られると無理に彼をその気にさせる。戸の開いた状態だというのに、三和土に膝を着いて了平の下腹部に顔を埋め、口淫をしかけたこともあった。
気まぐれな雲雀は自分の欲望は必ず満足させるくせに、必ずしも了平の求めには応じてはくれなかった。気が向かなければ了平の誘いを無下に跳ね除けることもあり、何が逆鱗に触れたのか、手ひどいしっぺ返しを食うこともあった。それでも好き嫌いのはっきりした雲雀の性格は好ましく、了平は苦笑して彼の我儘を許容したのだった。
結局は惚れたほうの負けなのである。そう了平が悟りを開くのに大した時間はかからず、完全に雲雀に参ってしまっている自分を了平は笑って受け入れた。どうあがいたところで雲雀には敵わず、了平は彼に魅了されている。冷たくあしらわれる昼も、情熱的に求められる夜も、全てが了平を魅惑した。雲雀は何も言わないが、未だに了平の傍を離れないところを見ると、憎からずは思ってくれているのだろう。それが了平は無性に嬉しかった。
了平が雲雀と過ごす日々を手に入れて三度目の冬が来た。退屈なはずの冬はもう昔と違い、外に出られない分だけよけいに親密な時間を過ごす季節となっていた。
その日はいつかと同じような、雪の激しく吹きつける酷く寒い夜だった。夕餉を済ませ酒を酌み交わしていた二人は、気付くとどちらからともなく距離を縮め、くちびるを寄せていた。
浅く軽い口付けと、深く濃厚な口付けを繰り返し、了平は細い雲雀の身体を抱き寄せた。お互い膝立ちで身体を押し付けると、雲雀も腕を了平の背中に回し、頭部を手で支えて余計に深い口付けを望んだ。繰り返される口付けは呼吸を弾ませ、時折甘い溜息が混じっては火のはぜる音に掻き消された。
「ん……あぁ…………」
きつく抱き合いながらも、了平が着物の裾を割って手を差し入れると、雲雀は喜んだように甘い声を上げた。すでに押し付けあった腰には硬いものがしこっている。相変わらず冷たい雲雀の肌をくちびるでたどり、咽喉元に歯を立てる。了平に咽喉笛を噛み千切られるような行為に雲雀はくすくすと笑い、器用な手で彼の着物の帯を解きにかかった。
「了平……」
はだけた胸元に飽きもせず接吻を繰り返していた了平を、水を含んだ声で雲雀が呼んだ。彼は了平の頭を撫で、そっと身体を離すと床の上に仰向けに寝そべった。見せ付けるように帯を解き、僅かに脚を開いてみせる。雲雀は微笑し、自ら着物の合わせを開くと、肌の上を指先で辿り始めた。
「ふふ…………」
了平が唾を飲み込む音が聞こえたのか、雲雀は笑って彼を見つめた。冷たい指先は絶えず自らの肌の上を辿り、付けられた鬱血の痕を数えるようだ。指は胸を過ぎて腹部に達し、そのまま肌を下ってゆく。細長い脚の付け根には優雅に首をもたげる欲芯があり、雲雀はそっと指を絡めた。
「ん…………」
わざとらしい嬌声を上げて、雲雀は咽喉を仰け反らせた。すでに濡れていたその部分は、慰めをくれる指に硬くなってゆく。指先を濡らす体液は淫らに糸を引き、雲雀は美味そうにそれを舐め取った。
「………………」
それまで黙って見ていた了平は、怒ったような表情で突然行動を起こした。雲雀の硬く締まった足首を掴むと、勢いよく脚を広げさせたのだ。
「あっ……!」
雲雀の脚のあいだに身体を割り込んだ了平は、折り曲げた膝の裏に手を添えて、彼の下腹部に顔を埋めた。身体の中心に撒きつく蛇のような手指を邪険に振り払い、臆することなく雲雀の欲望を口に含んだ。
「ああっ、りょぅ、へい……」
切れ切れに喘ぎながら、雲雀は歓喜の声を上げた。褒めるように了平の髪を撫でながら、彼は胸を波打たせた。逞しい了平の肩を腿で挟み、施される愛撫に嬌声を堪えようともしない。この数年で雲雀の身体を知り尽くし、男の欲望を教え込んだ了平は、的確に彼の弱い部分を攻めてくる。硬くなった中心部を強く吸い上げながら、すでに濡れそぼった蕾を指先でなぞり、焦らすように間を置いてしまう。甘い拷問は雲雀にため息をつかせ、彼は了平の髪を掴んで悪戯を責めた。
雲雀の様子に満足したのか、ようやく了平は節の高い指をその部分に差し入れた。すでに男を受け入れることに喜びを覚えて久しい秘所は、了平の指をやすやすと根元まで受け入れた。身体の表面と違って雲雀の体内は熱く、その落差が了平には好ましい。彼が血の通った人間であると、確かに思い知ることができるからだ。
「ぅ……あ、やっ……!」
指先が敏感な部分を圧迫し、雲雀の背中が跳ねた。ただでさえ口淫に蕩けさせられているいうのに、指にまで犯されては堪らない。先端を舐められながら、幾度も指に犯されて、雲雀はもう限界だった。
苦痛に似た呻き声を上げて雲雀が達すると、了平は強く強く彼自身を吸い上げた。残滓の一滴すら残すのが惜しいと言わんばかりで、音を立てて飲み下す。身体を起こした了平が無造作に口元を手の甲で拭うと、それを見上げていた雲雀が潤んだ瞳でため息をついた。了平の若い雄らしい色気に、すでに身体が疼いているのだ。見上げた逞しい身体が火影に赤く染まり、雲雀は夢見るように隠微な表情で彼を見つめていた。
了平は肩から滑らせるように着物を脱ぎ落とすと、雲雀の膝に手をかけた。冷たい膝を慰撫するように撫でると、雲雀が息を呑んだ。着物を取り払った了平の下腹部に、自分のせいで硬くなった欲望を認めたからだ。それが雲雀に施す恐ろしいまでの快楽は、彼を狂喜の世界に誘う。了平が自分に潜り込んで、身体の中に熱を放つのを、彼は心から喜んだ。
「了平、早く」
くちびるを舐め、両手を差し伸べて了平を求め、雲雀は囁くように命じた。彼の傲慢で愛らしい態度に了平は苦笑し、雲雀の身体を抱くように腕を回して腰を推し進めた。
「あ…………」
ゆっくりと押し入ってくる異物に、雲雀は悩ましげに眉根を寄せた。大きな質量が肉を押し分け、身体の中に入ってくる。了平の欲望は硬く大きく、甘く犯される実感に雲雀は身体が震えるのを止められなかった。
「雲雀」
耳元で囁かれ、耳朶を食まれる。耳の後ろの皮膚の薄い部分を強く吸われて、雲雀は声を上げた。触れ合わせた胸が荒い呼吸に波打っている。汗ばんだ肌が吸い付くようで、より密着度を増していた。
了平は舌で雲雀の肌を味わった。白い肌に浮いた汗の玉を舐め取り、胸元の尖りを口に含む。了平によって慣らされた部分は口の中で硬く尖り、そのくせ低い体温のせいで氷砂糖を思わせた。
「ぁん……いい…………」
緩やかに腰を揺すり上げられ、雲雀は掠れた声で賞賛した。彼は了平の髪に口付け、火照った耳殻に歯を立てた。たっぷりと愛情を込めて抱かれながら、彼も同じだけのものを返そうと、了平の背中を指でなぞり上げた。
背に浮かぶ貝殻骨を数えるような悪戯な指の動きは淫猥で、了平は欲望を煽られて雲雀を激しく突き上げた。それまでのゆるやかな律動と打って変わって、無体な仕打ちに雲雀は背を仰け反らせた。奥歯をかみ締め、咽喉を鳴らす彼の表情は余計に了平を欲情させる。普段は酷薄なまでの彼であるから、情事の際の表情の変化は劇的なほどだった。
「雲雀……いいか?」
こめかみに口付けながら問いかけると、幾度も頷きながら雲雀は、
「いい…………」
答える声は夢見心地で、呼吸は荒く不規則だった。雲雀は堪えきれないのか再び硬くなり始めた自身に指を絡め、自慰を始めた。彼の指は濡れ、突き上げられるたびに反射的に敏感な蕾はきつく了平を締め上げた。
細長い脚を開き、秘所に男を飲み込んだまま、自慰に耽る雲雀は凄絶なほどの艶やかさで了平の網膜を焼いた。自らの体液で硬い腹部を汚し、濡れたくちびるで了平を呼ぶ。切れ切れの呼びかけは愛欲に濡れた響きを持ち、彼の劣情と限りない信頼、何よりも無条件の好意を知らしめていた。
「あ……了平、もう…………」
涙ながらに訴えかけられ、了平は頷く代わりに雲雀の頬に接吻を落とした。雲雀は顔を了平に向け、目を閉じる。つんと上向いたくちびるに誘われるように口付けると、薄い舌が忍び込んできた。喜んでそれを受け入れながら、了平は強く雲雀を突き上げる。雲雀は了平の背中に腕を回し、彼の無体を責めるように爪を立てた。
「くっ…………」
硬く締まった脚を身体に巻きつけられ、強く舌を吸われて了平は呻いた。雲雀の身体は素晴らしく、了平の欲望を嫌でも導き出す。汗ばんだ背中は了平の腕の中で仰け反り、お互いの腹部で擦れた雲雀の欲望がしとどに濡れそぼった。
繋がりあった部分だけでなく、くちびると舌と、さらけ出された肌の全てで求め合って、二人は限りない欲望を吐き出した。
「ああっ…………!」
ひときわ高い声を放った雲雀は涙を零し、こめかみを伝って零れ落ちるそれを、了平はそっと舐め取ったのだった。
了平の高い体温と、雲雀の低い体温を一つの床に潜り込ませて、二人は穏やかな時間を過ごしていた。激しく求め合ったせいで指先まで満ち足りた身体を寄せ合って、眠ってしまうのが惜しいとでも言うようだ。特に何を話すでもなくただ頬を寄せ合うのは幸福な時間であり、それが夜明けまで続くことを彼らは疑おうとはしなかった。
壁を一枚隔てた外は荒れ狂う吹雪だというのに、抱き合って横になった寝床の何と平穏なことだろうか。了平は半分夢見心地で雲雀の髪に鼻先を埋めて口付けを落とした。
「……そういえば昔」
不意に思い出した情景を瞼の裏に思い描いて、了平は笑うように言った。
「お前がうちに転がり込んできたのもこんな夜だったな」
「そうだね」
「あのときは驚いたぞ。まさか雪の妖が来たのかと思ったくらいだ」
「…………何それ」
雲雀は身じろぎし、話を遮るように盛大な欠伸をした。相変わらず好き放題の雲雀の背中を慰撫するように撫でてやりながら、了平は楽しげに笑う。
「本当だぞ、オレは本気で驚いたのだからな」
初めて雲雀を目にしたとき、了平はあの吹雪の夜に出会った妖が、命を奪いに来たのかと本気で考えた。けれど雲雀はただの旅人で、今は了平の大切な想い人だ。
「下らない」
言って雲雀は了平に背を向けた。莫迦な話など聞きたくないと言うかのように。しかしそんな雲雀の態度も了平には無意味だった。雲雀の傍若無人な態度などいつものことで、慣れきった了平は彼の意図を汲むことができなかったのである。
「そう言うな。実はな、お前と出会う一年ほど前にな、オレは山で妖に遭遇したのだ」
「………………」
「それはそれは美しい妖でな、恐ろしいのに、オレは目が離せなかったんだ」
背を向けた雲雀の艶やかな黒髪を指先でいじりながら、了平は懐かしむような視線を中空に向けた。そこに思い描くのは雲雀にあまりにもよく似た妖の姿。男か女か、それさえもわからぬ美貌の妖は、何故か了平の命を奪おうとはしなかった。
「親父は死んでしまったが、常日頃から死ぬときは山で死にたいと叫んでいた山の男だからな。かえって本望だったろうとオレは思う」
それ以前に、妖は敵意や悪意があって了平の父親の命を奪ったのではないだろうと思うのだ。おそらく妖にとって、人間は食料なのだ。妖は人間の魂を狩り、自らの糧とする。それはつまり、了平が食べるために猟をするのと同じこと。弱者は強者によって淘汰される。永遠不変の山の理だ。ならば妖が人間の命を奪うのも仕方が無いことだ。
きっと父親も同じように考えるに違いない。だから了平は妖を恨んではいない。それもまた、寿命だったのだろうと彼は思っている。
「しかし他人の空似とはよく言うが、本当にお前はよく似ている」
しみじみと言って了平は一人で頷いた。雲雀は何も言わず、向こうをむいたままだ。いつの間にか激しくなった風の音が壁を通して響き渡り、了平はうそ寒そうに首を竦めた。無言の空間に響く風の唸りが獣の咆哮のようで、雲雀が何か言わないものかと期待してしまう。しかし彼が相変わらず何も言わないのは、妖と似ているなどと言われて不機嫌になったのか、それとも眠ってしまったのだろうか。
雲雀を起こさぬように了平はそっと身を起こし、布団の足元に広げてあった綿入れ羽織を手に取った。雲雀が寒くないように肩の辺りにかけてやる。と、不意に雲雀が身を起こした。
「む、何だ。起きていたのか」
それとも起こしてしまったのか。しかし雲雀は一言も口をきかず、無造作だが優雅な動作で立ち上がった。暗闇に浮かぶ白い着物姿は、自ら燐光を発するように淡く輝いて見えた。
「ひば……」
何かを感じ取ったのか、不安定な声で呼びかけた了平の言葉が遮られたのは、自分の吐く息が突然白く煙ったことに気付いたからだ。傍の囲炉裏ではまだ火が燃えているというのに、どうしたことか。
「……妖は、君に何か言わなかった?」
立ち上がったまま振り返りもせず雲雀が言った。床の上の素足が雪のように白い。困惑した了平は彼を見上げ、
「あ、ああ。他言したら命はない、と」
言いながら了平は気がついた。雲雀の着物から、いつの間にか模様が消え去っている。部屋の気温は更に下がり、歯の根が合わずに音を立てた。
雲雀はゆっくりと振り返る。了平は魅入られたように彼を見上げている。振り返った雲雀は最早彼の知る雲雀ではなく、透き通るように白い肌をした、壮絶な美貌の所有者だった。火影さえも染めることのできぬその肌は、血の通わぬ氷の青白さだった。
「お前、まさか……」
凍てつく寒さ以外の理由で震える声を、了平は制御することができなかった。雲雀は、否、かつては雲雀であった妖は、冷厳な視線で彼を見下ろしている。指先まで氷で作られたような美貌の妖。首筋につけたはずの鬱血のあとさえ消えうせて、そこにはただ冷酷があるばかり。
妖は言った。高くも低くもある、直接頭に響くような声で。
「……君は約束を破った」
だから君の命は僕のものだ、と。
「………………」
妖が冷たい指先を了平に差し向け、部屋の中に吹雪が吹き荒れる。それでもなお了平は妖を黙って凝視していた。魅入られたように、凍りついたように。
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