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 了平が気がついたとき、そこは医者の家だった。何が起こったのか分からない彼に医者が説明してくれたところによると、彼は凍死寸前の状態で村人によって発見されたのだそうである。
 吹雪の荒れ狂った日の翌朝、山の様子を見に出かけた村人が、何故かそこだけ雪崩にでもあったように雪に埋もれた了平の家を発見した。これは変だと察した村人が仲間を連れてどうにか雪を掻き分け、家にたどり着くと、戸締りのしてある家の中で雪に埋もれて倒れている了平を発見したのだった。
 了平は体中に凍傷を負ってはいたが、寒さに弱いはずの指も鼻も切断が必要なほどではなく、しばらくすると火傷のような痕を残して完治した。問題だったのは身体の傷ではなく、失ってはならぬものを失ってしまった心の喪失感だった。自らの過失が招いた最悪の結果は、了平の心を粉々に打ち砕いてしまった。






 翌年の冬のことだった。いつかの日と同じような吹雪の夜に、了平は禁を破って一人で山に分け入って行った。彼が目指すのは、数年前に不可思議な夜を過ごしたあの山小屋だ。そこに何があると確証があったわけではない。けれど、そうせずにはおれなかったのだ。
 雲雀を失ってからの了平の人生は、無意味な喪失の日々だった。かけがえの無いものを失った彼は過去に生きるしかなく、自分を死んだようなものと感じていた。
 そんな了平を村人や、嫁に行った妹は至極心配したが、彼の喪失は埋められるものではなかった。そのうえ不可思議なことに、村人の誰一人として雲雀のことを憶えてはいなかった。群れるのを嫌った雲雀は滅多に村人と馴れ合おうとはしなかったが、彼の美貌は田舎の寒村には珍しく、村人は雲雀のことを良く知っていたはずなのに。そしてそれは了平の喪失感をより増す結果となった。
 雪を掻き分け、吹雪の中を進みながら、了平は雲雀のことを一心に考え続けていた。もし彼に一目会えるなら、命を差し出すとさえ山の神に誓ったほどだ。彼は何としても雲雀に会いたかった。もう二度と会えぬのならば、いっそこのまま雪の中で死んでしまいたかった。
 どれほど歩いたものか、いつの間にか了平の足は動かなくなっていた。戻るつもりも無かったから、雪山の装備はほとんど家に置いてきた。もともと片道に耐えられればよいと、無謀な行動だったのだ。
 もう動けない。そう思ったが最期、了平は雪の上に倒れこんだ。思ったよりも雪は温かく、吹き付けては積もってゆく雪が彼の身体を覆ってゆく。それは雲雀の体温にも似て、了平に懐かしささえ感じさせた。
 気付くと了平は目を閉じていた。酷く眠い。それなのに、何故か起きなければいけない気がして、彼は目を開いた。
 目の前はただ白いばかりの雪で、何も見えなかった。……いや、違う。雪の中に何か異質なものがある。了平はゆるゆると視線を上向ける。目玉を動かすだけのことが、こんなにも疲れることだとは彼はついぞ知らなかった。
 見上げた視線の先に、妖が立っていた。

「ひばり……」

 弱々しく呟いて、了平は自然と笑みが零れるのを感じた。夢か幻か知らないが、希求して止まなかった雲雀が目の前に立っている。恋しくて恋しくて、胸が潰れそうに痛かった。
 妖は、……雲雀は雪の上に立ったまま了平を見下ろしていた。彼の周りに足跡は無く、柔らかな雪にも埋もれることの無い素足が痛々しいほど白かった。

「…………死ぬの」

 小さいのに雲雀の声は了平の頭の中に響いた。それは了平のよく知る雲雀の声だった。

「……そうなるな」

 了平は微笑を浮かべていたが、それは自嘲のためではない。雲雀に会えたことを純粋に喜んでの微笑だ。彼はもう寒さを感じていなかった。熱いとも思わない。これが死ぬということか。
 雲雀は不愉快そうに表情を曇らせた。

「せっかく見逃してあげたのに、死ぬのか」

 侮蔑するような言い方がとても雲雀らしい。それが嬉しくて了平は微笑を深めた。

「どうしてもお前に会いたくてな」

「君の愚かな行動を僕のせいにしないでくれる」

 斬り捨てるような雲雀の言は正論である。自暴自棄で取った行動を、雲雀に転嫁しているのも同然だ。こんなときでも雲雀は決して了平に甘くはない。だからこそ雲雀は雲雀なのだ。

「悪かった」

 了平は心から謝罪した。降り積もる雪のせいで雲雀の姿が見えづらくなりつつある。けれど了平にはもう身体を起こす力は残っておらず、彼は精一杯の謝罪を言葉に込めた。

「何が」

 問いかける雲雀の表情は見えない。

「……約束を破って、悪かった」

「………………」

 雲雀は答えない。了平の耳に聞こえるのは、降り積もる雪と吹き荒れる風と、そして段々弱くなっていく自分の心臓の音だけ。自分の声さえもう聞き取りにくい。それでも彼にずっと告げたかったことが叶って、了平は満足だった。
 もしあのとき了平が迂闊なことを口にしたりしなければ、雲雀はいつまでも彼の傍にいてくれたことだろう。それこそ飽きてしまうまで、ずっと。その証拠に、あのとき雲雀は了平の話を遮るように、言葉を打ち切るようにしていた。それなのに了平は彼の態度の裏に気付かず、自ら幸福を打ち壊した。雲雀に対する裏切りとも言える。そのことをずっと、謝りたかったのだ。

「……死ぬの」

 再び問いかけられた言葉に、消えかかっていた意識が再浮上する。了平は動かない頭を巡らせて、短くああ、と答えた。山の神は了平の願いを聞き入れて、彼の命を奪うだろう。それでいい。それ以外に道は無い。
 了平は目を閉じた。雪の白さは掻き消えて、穏やかな闇に沈んでいく。心地よい睡魔が彼の身体をどこかに引きずり込むようで、波にたゆたうのを彼は感じた。けれど不思議なことに、闇の中には雲雀の姿があった。自ら淡い燐光を放ち、了平の前に立っている。彼は冷たく白い手を差し伸べ、了平を見つめていた。星の無い夜を思わせる彼の瞳に自分が映っているのを認め、了平は嬉しそうに微笑んだ。
 了平は差し伸べられた手を取った。冷たい指先は彼の手の中で馴染み、了平は押し寄せる感情のままに雲雀を抱き寄せた。雲雀は何も言わなかった。けれどのその身体は、ゆっくりと了平の体温にぬくもっていった。




〔終〕







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