其ノ六 姫ノ素顔ヲ狙エ!

  最終電車が通過した後でも、昼間とさほど変わらぬ賑わいを見せる、渋谷駅前センター街。
 飲食店やカラオケ店などが軒を連ねる一角に、ひっそりと地下へと延びる階段がある。
 階段を降りた先には、さびれたゲームセンターがあり、数人の少年たちが、缶ビールを片手にゲームや雑談に興じていた。
「なぁ、姫ってどんな奴だか知ってるか?」
「姫? ブラックホールのか? さあな、実際に会ったことなんかねえよ……あっ、くそっ!」
 男はゲーム台の画面を拳で叩くと、両替機へと向かった。
「俺も見た事はないけど、姫って素顔をあかしてないだろう?……それについて、最近こんな噂があるんだ。」
 男はゲーム機を操作していた手を止めた。
「姫の素顔を見た奴は、姫を服従させることができる……つまり、ブラックホールを乗っ取ることができるって噂さ。」
「はあ?! マジかよ。あのブラックホールをか? 姫の素顔見たってだけで?」
「あぁ、ブラックホールの存在を煙たがっている奴も多いからな。この噂が本当かどうかは知らないが、連中が行動を起こす契機になる事だけは確かだな……。」
 男はゲーム台の画面に点滅する「GAME OVER」の文字を見つめながら言った。
     
     ★

 湘南で起きた乱闘事件いらい、ブラックホールと接触する機会の無かった一輝が、急な呼び出しを受けたのは夏休みが始まってからニ週間程経った、ある蒸し暑い日の午後だった。
 一輝が指定された場所、彼らのアジトに到着した時点では、人の気配がなく、普段は十人も集まると窮屈なその場所が、殺風景さも手伝ってかガランと広く感じた。

 他人を呼びつけておいて待たせるとは……などと胸の内で思いながらテーブルの方へと近付いていくと、卓上に置かれた白い特攻服が視界に入った。
 純白の特効服は、発注先から届いたばかりなのか奇麗に畳まれて、まだビニール袋に入ったままだった。
 一輝は手持ちぶたさに当りを見回していたが、集会所内は長机が一つと椅子がいくつかあるだけで、大して面白そうな物はない。一輝は手近にあった椅子に腰掛けると、畳まれた特攻服をその手に取った。

 白一色で統一されたシンプルな特攻服には、よくある自己陶酔に浸った文句や、喧嘩上等などのスローガンの刺繍もない。ただ、胸元と背中部分だけに、組織を判別する為のチーム名が刺繍されているだけだ。
「……姫のか。」
 手にした物を良く見ると、後見人である紅龍会の紋と東京ブラックホールの文字の下に"十代目総頭"の文字が入っている。湘南との抗争の最中に彼は腕を負傷し、身につけていた特攻服は血で染まってしまった。
 一輝は遠い昔の事のように記憶を手繰り寄せながら、手にした特攻服を袋から出した。
「あいつと同じ位だな。」
 自分の身体に当ててみると、思ったより一回りも二回りも小さくて、唯一の肉親である、弟の姿を連想し、一輝の口から微笑がこぼれる。
 こんな身体で、と一輝は思っていた。
 東京中のチームを治める、組織の頭を張るとは。体格も年齢も彼を上回る人間などゴロゴロいるはずなのに。

 彼がいかなる経緯でヘッドの座に就任したのかは、一輝の知る所ではなかったが、シュラの話からすると本人の意志というよりは、周囲から祭り上げられたという印象が強かった。
 自分が今のヘッドの座に就いた時と、同じように……。

 例え自分の意志では無かったとしても、数十人もの人間を束ねるヘッドの座を受け入れた以上、半端な態度をとる事は許されない。姫と呼ばれる少年もそうであっただろうということも、今の一輝には容易に想像できた。
 自分に課せられた分を遥かに上回る責任と重圧が、どれ程のものかは計り知れないが、それでもあの晩、彼の姿は毅然としていた。
 それは単なる虚勢ではなく、組織の頭として下の人間の期待に応えようという、健気なまでの、彼の意志の表れであろう。

「何をしているのだ。」
 いつの間に現れたのかアジトの入り口には、一輝とその胸元に当てがわれている、特攻服を交互に見つめながら、怪訝そうな顔をしているアフロディーテの姿があった。
「……一輝。姫に惚れるのは勝手だが、ストーキングはよくないぜ?」
 アフロディーテに続いてやってきたシュラは、ニヤニヤしながら一輝の肩に手を置く。
 肩上の手を払った一輝にじろりと睨みつけられたシュラは、かつて揉めた記憶が頭をよぎり、思わず身を引きかけた、が。
 ……… !
 しかし次の瞬間、硬派な顔立ちに思いきり似合わず、ほんのりと頬が赤らんでいるのを発見してしまったシュラは、必死に笑いを堪えていた。
 そんなシュラを無視して、一輝はテーブルの上に特攻服を戻すと、自分をここに呼び出した張本人である、アフロディーテの方へと渋面を向けた。
「突然呼び出したりして、済まなかったな。」
「用件は何だ。」
 手短に済ませてくれ、と言わんばかりの一輝の態度に、アフロディーテは早速本題を切り出した。

「近ごろ、妙な噂が広まっているらしい。」
「……噂?」
「ああ、シュラが六本木で小耳に挟んだらしいのだが……。」
 そこまで聞くと、真顔になったシュラが話に割って入った。
「……姫の素顔を暴いた奴は、ブラックホールを乗っ取る事が出来るって、そんな噂が、どこからか流れているらしい。下らん戯れ言だと思って気にしてなかったんだが、どうやらその噂はポンギに限らず都内全域にまで広まっているみたいなんだ。」

 ブラックホールの象徴でもあり、実際に多くの人員を動かす力を有する、姫の素性は謎のヴェールに包まれている。
 それは、目の行き届かない所で起きた事件や、ブラックホールとは全く関係のない犯罪が起きる度に、その指揮者として名前が上がってしまう事の多い、姫という人物の存在を不確かにするのと同時に、とかく外部から標的にされ易い彼の身を守る為でもある。
 彼らにとってそれ以上の意味も、それ以下の意味もなかったが、ヘッド姫の謎は、不良少年達の間で恰好の話のネタになっていたし、アンチたちにとっては、どうしても暴露したい部分であるらしい。

「暇つぶし程度の噂から始まった、つまらないゲームにすぎないだろう。しかし私たちの地位を脅かす危険性も、充分に孕んでいる。」
 世間の噂というものの影響力は思いの他大きい。
 一度でも弱味を見せようものならば、噂が噂を呼びあっという間に弱者のレッテルを貼られてしまうのだ。
 当然、一度失われた面子を取り戻すのも容易でない。とくにここ、弱肉強食の不良世界では、なおさらである。

「もともと姫の素顔とブラックホールの面子とは関係ない話だが、こんな噂がたった上、姫の素顔が暴かれてみろ。都内を治める者として形無しさ。デマでも広まれば、それは事実になる。噂ってのはそんなもんさ。」
 アフロディーテやシュラの話を黙って聞いていた一輝は、ふつふつと腹の底から怒りが込み上げるのを感じていた。
「……話は分かった。姫のガードは引き受ける。」
 それだけ言うと一輝は立ち上がり、立てつけの悪いアジトの扉へ手をかけた。
「だが、お前たちの案じている組織の体面とやらに、関知するつもりはない。」
 一輝は外に出ると、背を向けたままそう吐き捨て、後ろ手で乱暴にドアを閉めた。

「お~お、お兄さん怒っちゃったよ。」
 シュラは切れ長の瞳の上の、形のいい眉を上げて言った。
「あいつ、まさか本当に"姫"のこと……、」
 アフロディーテがそこまで言うと、シュラは皆まで言うなとばかりに、唇の前に人さし指を立ててみせた。

     ★

 夏休みも半ばに入ったある日、瞬は一輝と共に買い物に出掛けていた。瞬にとっては兄の誕生日が近い事もあり、ひそかにプレゼントをリサーチする目的もあった。

――新宿はよく行ってるから、買ったお店が分かっちゃうし。

 一輝が普段寄りつこうとしない、渋谷へ行こうと言い出したのはむろん瞬の方である。
 さきほどから瞬は、路上で売っているシルバーアクセサリーなどを物色しては、一輝の顔色を伺っていた。
 そんな行動を繰り返している弟を見て、なんとなく察しのついた一輝であったが、自分には到底不釣り合いなストリート系の店などを見つけては、あそこが見たいと走っていく、瞬の微笑ましい姿に、何も言わずについて行くのであった。

「良かった~。これ、欲しかったんだ!」
 最後に入ったショップは、民族風なものが雑多にセレクトされた店だった。瞬は手にした"ビリケンさん"とネーミング札のついた木彫り人形を抱えて、蔓延の笑みを浮かべている。
 幸福を呼ぶといわれる、その奇妙な笑みを浮かべた人形が、瞬の趣味でない事は一目瞭然であった。自分の行動の、一体どこがストライクゾーンに入ったのかと一輝は悩んだが、どうやら瞬はこの店を第一候補に決定したようだった。

「兄さん、僕お腹すいた~。どこかでご飯食べようよ。」
 店を出た瞬が、近くに飲食店はないかと見回した時だった。カポリ、と先程買ったばかりのビリケンさんの入った袋が、瞬の手から落ちた。一輝は路上に落ちた紙袋を拾うと、硬直している瞬の視線の先を見上げた。
 
 八月某日 白の姫を狩る
 
 閉店したドラッグストアのシャッターに、青いスプレーで大きくそう書かれていた。一般人が見たら、何の意味も成さずに、ただの落書きと見過ごしてしまう程の短い文であったが、一輝や瞬にとって、それは一つのメッセージとして充分に伝わった。

 現在渋谷を徘徊している不良少年は、米国ギャングを真似て結成されたものであった。そこに属している少年達は、畑違いの暴走族やヤンキーたちを毛嫌いしていて、過去に何度か争いが起きたものの、そのテリトリーがはっきりと区分されてからは、全くと言って良いほど、接点が無くなっていた。
 だか最近では勢力拡大の野望すら抱いているという彼らと、過去、瞬も顔を合わせる機会があった。当然ヘッドは友好的な態度を見せたが、胸の内には何を秘めているか分からない、不透明な印象を受けたことをよく憶えている。

「瞬、どうかしたのか?」
 一輝は落書きの文字を胸に刻むと、瞬の肩に手を置いた。
「……ううん、このお店、帰りに寄ってこうと思ってたんだけど、……閉店しちゃったんだね。」
 ぼんやりと遠くを見つめたまま瞬は言った。
 先ほどまでとは打って変わって、その語尾はセンター街に溢れる喧騒と、立ち並ぶ商店からの騒々しいBGMに、今にも消え入りそうだった。

     ★

 水面下に広まった噂が具現化するまで、それほど多くの時間を要さなかった。
 あれから数日後、夜の渋谷界隈にて白い服を着る人間がいなくなった。
 白い服を身につけた少年が、片っ端から暴行されるという事件が起きたからだ。それは、明らかにブラックホールへの挑戦状だった。

「巷では、我々と渋谷のギャングが揉めている、という事になっているらしい。」
 アジトに集まった幹部達の前でアフロディーテは言った。
「勿論その話には"姫の素顔を巡って"という尾びれもしっかり付いてまわっている。」
「そんな噂があったなんて……知らなかった。」
 覆面の奥で、瞬は唇をきつく噛み締めた。姫の素顔を巡って、こんな馬鹿げた噂が横行していたなんて。それも、全く自分の知らない所で。
「姫、しばらく街には出るな。……私たちもだ、やつらもこのまま終わらせる気はないだろう。この近辺にも、いつ現れてもおかしくない。」
 アフロディーテの言葉に、幹部達はそれぞれ頷いた。
「待ってよ、このまま黙って見てる訳にはいかないよ!」
 瞬は立ち上がって言った。
「みすみすあいつらの誘いに乗る事はない。無意味な血を流しても仕方ないだろう?」
「犠牲になったのは関係ないのに襲われた通行人だよ。僕が出るまで、あの人たちの暴行は終わらないよ。」
 瞬は前を見据えて言った。
「八月某日は今週の土曜だ。僕は渋谷に乗り込む。来たい人はその前にここで落ち合おう、いいね?」
 兄ゆずりの強い瞳で前を見据え、瞬はきっぱりと言いはなった。
 ヘッドのその一言でチームの明暗が分けられる。
 だからこそ自分達の命運をゆだねる価値のある人間を、このポストに選んだのだ。

「わかったよ、姫。私たちのヘッドは、お前だ。」
 両手を挙げてふっと笑い、アフロディーテは頷いた。
 
    ★

 禁忌とされている、純白の衣をまとった集団が、センター街を通過したという情報は、すぐに町中にたむろする少年たちに知れ渡った。覆面姿のヘッドを取り囲むようにして、彼らは更に奥へと進んだ。
 少年たちは、ブラックホールとギャング達がとうとうぶつかると口々に囁き合い、中には後をつけてくる野次馬もいた。

「だいたい、どうしてこんな噂がたったんだろう。」
「皆、退屈しているのだろう。」
 瞬の言葉に、アフロディーテは溜め息混じりにそう答えた。携帯電話で喋りながら横切る制服姿の女の子や、道ばたに座り込む若者たち、そんな当たり前の光景が、妙な違和感を伴いながら瞬の目には映っていた。
 決して恵まれているとは言えない生い立ちで、しかし、かけがえのない兄という存在に助けられながら必死に生きてきた彼には、こうした都会の夜特有の、倦怠や虚脱感とは、今まで全く縁が無かったのである。

――血は争えないなあ。
 結局は自分も、硬派な態度で通している兄、一輝の弟なのだとこんな時に実感する。

 しかし、これから一戦交えるというのに、こんな時も兄のことなど考えているなんて。
 呑気な自分に、瞬は小さく笑った。

 青いバンダナで口元を被った少年達が、ビルの隙間から姿を見せたのは、ひと気のない裏路地に入った時だった。
 やっぱり……と、瞬は思った。
 青いスプレーで書かれていた落書きで、ピンとは来ていた。
 数ある集団のなかでも青ギャング、と呼ばれる彼らは、"ブルーシャクス"というチームであった。彼らはチームカラーである青いバンダナを着用する事によって、結束を高めていると聞いていたからだ。

「ずいぶんと、派手に騒いでいるようだな。」
 アフロディーテの声に、集団から一人、前へ出た少年は言った。
「やっと俺達のラブコールがブラックホールに届いたようだ。……さて、姫にちょっと用があるんだが通してもらおうか。」
 チームのリーダーであるその少年は、たしか"ウダガワ"と言ったか。
 がたいが良く、スキンヘッドには青いバンダナがきつく巻かれていた。

「そう易々と、ヘッドのもとへは通せんな。」
 アフロディーテも一歩前へ出ると、自分よりも身長のある相手に、きっと視線を飛ばして言い放った。
「……だが、ヘッド自ら挨拶も無しとは少々礼儀に欠けるんじゃないか?」
「貴様らに一つでも、礼について語る言葉があったとはな!!」
 息巻くアフロディーテを宥めるように、瞬はその背に手をあてると、集団の前へと踏み出した。覆面姿の少年を視界に捕らえたウダガワは、にやっと笑った。間近で見た少年は、力を込めてこちらを睨んではいたが、その瞳は冴えて美しかった。
 素顔が見たい。
 獲物を前にした衝動に、男たちの瞳に狂気にも似た光が帯び始める。
 一人の男が突き動かされたように、集団から踏み出した。
 にやにやと締まりのない笑みを浮かべたその男は、腰に付けたチェーンや何かをチャラチャラとさせて近付いて来た。
目の前まで近づいてきた男は、突然かっと目を剥くと、瞬の顔面めがけて拳を繰り出した。
 際どい所でそれをかわした瞬は、間髪入れずに体勢を整える。
「うわあっ!」
 と、次の瞬間、瞬の繰り出した右ストレートが、男の左目から頬にかけて奇麗に決まっていた。
「ふっ……あれから腕を上げたようだな。」
 アフロディーテの言葉に、瞬は右手の甲を摩りながら、片目をつぶってニコッと笑った。

「情けねえ声出しやがって……。」
ウダガワは、仲間の醜態に低く呟くと、周囲に目配せした。ブラックホールの少年達もそれを受けて身構える。
 その時だった。青い集団の背後から、紫色の特攻服が流れ込んできだ。
「狂乱怒濤、見参!」
 あまりにもベタな台詞を発しながら手当り次第に敵を殴り散らすという、兄らしい登場の仕方に、瞬は溜め息の一つでも吐きたい心境に陥ったが、一斉に始まった抗争の最中に、そんな余裕はもはや無かった。

「姫、後ろ!」
 どこからか駆け込んできた少年が、素早く敵の攻撃をかわしながら瞬の後ろに付いた。
 背後から襲いかかる敵に、背中合わせで応戦したのは貴鬼である。この抗争に参加するにあたり、姫を守れとただそれだけを一輝は自チームのメンバー達に伝えていた。
「こっちはおいらに任せて!」
 だが身軽さはあっても腕力もタッパも、ここにいるうちでは平均以下の二人である。目前にいる敵と揉め合う事だけに集中していた瞬と貴鬼は、スタンガンを持った男の忍び寄る影に、まるで気付いていなかった。
「……ヒッ!」
 突然身体を駆け抜けた衝撃に、瞬は息を呑んでその場に崩れ落ちた。なんとか声だけはあげずに済んだが……、瞬の顔を被っていた布が、解けて路面にはらりと舞い落ちた。
 街灯の少ない裏路地の黒いアスファルトとのコントラストに、落ちた白い布地は、夜目にもはっきりそれと分かった。
「姫……アッ!」
その素顔を見て、目を見開いたまま硬直してしまった貴鬼に、黙っていて、と瞬は目顔で訴えた。しかし、視線をあげると貴鬼の後ろにも数人の少年達の影が見て取れる。

――ふたり、三人か……!
 瞬は悔しそうに目を閉じた。
「姫を仕留めたぞ!」
 その声に、スキンヘッドのウダガワは嬉々として振り向き、アフロディーテの、そして一輝の顔色が変わった。
 路上に面を伏せている瞬の前に、両手を広げて立ちふさがる貴鬼をあっけなく張り倒したウダガワは、瞬の肩に手を掛けた、が。
「ぎゃあ!」
 鋭い悲鳴が上がった直後、そこには顔を押さえて転げ回るウダガワと、それを無言で見下ろす一輝の姿があった。バンダナを、赤黒く染めたあげたその男に、既に戦意がないのは、どこから見ても明白である。
「へ、ヘッド!」
自分達のヘッドを、一瞬にしてのしてしまった、狂乱の文字を背負ったその男に、少年達はゴクリと固唾を飲み込むばかりだった。

 ゆっくりと自分のもとへと歩み寄る一輝の気配を感じて、瞬は固く瞳を閉じた。姫の正体が自分だと知ったら、兄はなんて思うだろう。怒るだろうか……それとも、ずっと騙し続けていた自分を、蔑むだろうか?
 まるで判決を待つ罪人のような心持ちで、身を固くしていた瞬の頭を、バサリと覆ったのは一輝の着ていた特攻服であった。
 上半身を包みこみ、その特攻服ごと抱き上げた一輝は、腕の中の肩が微かに震えているのに気付いて、支える腕に力を込めた。

「姫に用があるというなら、この狂乱怒濤の一輝を倒してからにして貰おうか。俺とやり合いたいやつは今すぐ前へ出ろ!」
 厳然と言い放った男の、上半身に点在している傷痕が、過去いくつもの抗争をかいくぐってきた事実を物語っている。この男の気迫は、決しはったりなどではないと気付いた少年たちに、動こうとする者はなかった。  

         ★

「ブラックホールの姫はすごい美人らしい」
 その噂は、瞬く間に都内全域に広がった。しかも、
「姫は狂乱の頭と好い仲らしく、下手に手を出すと殺(や)られるらしい」という、でっかい尾ビレまでも、ご丁寧に付いてまわっている。

「まあ、無事解決って事で良いではないか。」
 アフロディーテはにこやかに笑うと、クリーニングの袋に入った、紫の特攻服を一輝に手渡した。
 瞬があれほど嫌っていた紫の特攻服。それが、今回姫の素顔を守った。
 その気になれば幾らでも姫の素顔を見る隙はあったのに、迷わず彼の顔を覆ってくれた、一輝の潔い行動にアフロディーテは感謝していたし、その男らしさに感動すら覚えていた。
 わざわざクリーニングに出したのも、彼なりに礼の意味を込めてした事である。

「……一つ、気掛かりな事があるのだが。」
 一輝は差し出された袋を受け取ると、表情を固くして言った。
「あれだけの騒ぎで、なぜ警察が動かなかった。」
 白い服を来た通行人が無差別に暴行を受けた事件は、ワイドショーで特集を組まれるほど話題になった。しかし、今回の抗争については新聞の片隅にも掲載されていない。一輝はそれを不審に思ったのだった。

「その事か。」
 アフロディーテは何も大した事ではない、という風に答えた。
「この件については、姫がきちんと話をつけておいた。それだけだ。」
「どういう事だ。」
「喧嘩をする前に、上を通す。あとの処理は上の仕事だ。」
「………。」
 自分の知らないところで巨大な力が動いていた事実を、この時一輝は初めて知った。

 狂乱が勝手に動くと迷惑を被るのはブラックホールなんだからな!
 姫ってヤツがヤクザに関係しているらしいぜ……。

 一輝の中で、全ての事柄が一つの線となって結び付いてゆく。
 暴力団が背後で根回しし、事件を揉み消す。その橋渡しが、姫。
 言いようのないイラただしさと、つかえたような胸の痛みに、一輝は唇を噛んだ。

「よっ !! 一輝、良かったな!」
 緊迫したムードをぶち壊したのは、ふらりとやってきたシュラの一言だった。
「シュラか……!」
 この男が空気を和ます、言ってみればマイナスイオン発生機能を備えた空気清浄機のような役割を果たしていることに、アフロディーテは最近気付いたばかりである。
 目の前で、渋い顔をしている男の、険悪な空気はどうやら自分だけでは浄化出来そうにない。
「どこが良かったんだ。」
 姫を守ると言い出したものの、その素顔は数人の少年に目撃されてしまった。
 ブラックホールにきつく咎められたのか、貴鬼も他の少年も固く口を閉ざしており、姫の素姓が公になる事態は避けられたものの、一輝にとってこれは明らかに失態だった。

「美人だってな、姫。」
 しかしシュラは一輝の肩をポンポンと叩くと、耳許で全く見当違いなことを言い出した。このネタで一輝をからかう事に、もはや何の躊躇いもなくなったシュラである。
「いや~可愛い目してんなあとは思ってたが……しかしお前と恋仲とはね~。 俺だって命は惜しいからな~!」

 シュラの台詞に、顔が熱を帯びてゆくのを感じながらも、一輝はむきになって反論した。

「だからそれは噂だ、ウ ワ サ !」



yVoC[UNLIMITȂ1~] ECirŃ|C Yahoo yV LINEf[^[Ōz500~`I


z[y[W ̃NWbgJ[h COiq 萔O~ył񂫁z COsیI COze