其ノ九 暗雲に霹靂

 キンと凍てつく空気の中、西日に照らされた巨大駐車場に、千にも及ぶ人影が集まっていた。まだ陽のあるうちに行われる、この合同集会は年に一度だけこうして年の始めに決行される。
 すでに何人か集まり始めた、白い特攻服の集団横には、綺麗に並んだ紫の列があった。メンバーたちをぴしりと一列に整列させ、狂乱怒涛の総頭一輝は、その左端について腕組していた。

 この集会では、ブラックホールの幹部が発表される事になっていた。過去最年少でヘッドの座についた姫を除いて、アフロディーテやミロを始め特攻隊長や作戦係など幹部の大多数が、本年度をもって引退する為である。
 一輝の横で、すでに輪となり雑談に興じている白い特攻服の集団は、恐らく次期幹部の座が決定しているメンバーであろう。一輝が目を泳がせると、ぞくぞくと集まった人影の中に、かつて渋谷で、自分が倒した青いバンダナを巻いた男を見つけた。
 スキンヘッドだったウダガワの頭には、短い金髪が生え、身体は少し痩せたようだった。顎に蓄えられた髭が、あの時よりも一層人相を悪くしている。

「最近上が揉めてるって話、知ってるか?」
 横で雑談をしていた、白衣の少年たちの声が、不意に一輝の耳に入ってきた。
「紅龍会内部の派閥争いの事だろう? 同家の大幹部が新しく組織を立ち上げたとか。」
「ああ。近頃、陰であちこちのチームに、けつ持ちの話を持ちかけてるって噂だぜ。」
「金と兵隊を掻き集めているのだろうが、これは、うちのバックとカチ合うのも時間の問題だな……。」
 バンダナの男は、一輝の視線に気付いたようだった。刃物のように鋭利な視線を一輝に向けたまま、首だけで小さく会釈したが、一輝はその男をただ一瞥しただけで、前に組んだ腕すら、解こうとはしなかった。
「上のいざこざは、そのままこっちに飛び火するからな。滅多な事が無ければいいが……。」
 小声で交わされた言葉を、一輝は顔を前に向けたまま、黙って聞いていた。

 白いバンが集会場に到着し、ブラックホールの現幹部が次々と降り始めた頃には、全てのチームが揃っていた。新たなチームがあちこちで発足している為、去年よりも数が激増している。
 アフロディーテは集会場を見渡したが、チーム登録時に姿を見せた、ヘッドこそ顔合わせは済ませてあるものの、他のメンバーたちの顔ぶれはどれも初めて見るものばかりだった。
 中には自分の知らない間に、ヘッドの交替をしているチームまである。ミロは把握しているのだろうか? 
 と、その時。アフロディーテに続いて車を一歩降りた覆面の少年に、全ての視線が集まった。

「姫って思ったより小っせえな。」
「美人って噂は本当かな? 顔見てえな~。」
 ブラックホールがこうして公の場に姿を現す例は、この合同集会を除いて他にはない。少年達は、自分達のヘッドでもある姫の姿を、興味深そうに眺めながら、口々にそう呟いていた。
「ちわす!」
 メンバーが挨拶する中、アフロディーテと他幹部数人に両脇を固められながら、瞬は凛とした態度で歩みを進めた。  
「姫!」
 群衆の中から大声で呼んだのは、ゴールデンカプリコーンのシュラだった。
 呼ばれた少年は、ぱっと顔を明るくして、幹部たちの制止を振り切りシュラに駆け寄った。
「シュラ、明けましておめでとう!」
 瞬は人懐こい笑みを浮かべながら、シュラを見上げた。その付近にいた少年達は驚いて、二人を取り囲み円を描くように遠目から眺めた。
「あの晩は会えなかったが、イベント、成功したようでよかったな!」
 しっかりと瞬の両手を握って言ったシュラに、瞬は目を細めながら答えた。
「シュラのお陰だよ。僕もずっとお礼が言いたかったんだ。」
 シュラの手を握りかえして瞬がそう礼を述べた時、黒光りするメルセデスが、先ほど到着した白いバンの横に付いて静かに停車した。
 車から出て来たのは、紅龍会のイケガミとトウドウである。バタン、と車のドアを乱暴に閉める音に、シュラは気付いて瞬に耳打ちした。
「役者が揃ったようだ。早く戻れよ、姫。」
「うん……じゃぁ、後で……。」
 背中を押されてくるりと向きを変え、そして一度、名残惜しそうにシュラを振り返った少年が、"姫"に戻った瞬間を、一輝は遠目に捉えて僅かに眉間に皺を寄せた。

     ★

 時期幹部の発表は、面倒見が見守る中、厳かに行われた。
「これでやっと俺達も引退か。肩の荷がおりたぜ。」
 いつからこの役職が自分にとっての重荷になったのだろうか。ミロは、名簿を片手に読み上げるアフロディーテを見つめながら、遠い記憶を手繰り寄せる。

 不良の道に足を踏み入れた時、自分たちはまだ子供で、未知なる世界とそこにある刺激とで、毎日が楽しくて仕方なかった。
 喧嘩の回数を重ねるごとに、自分の名前が知れ渡り、夜の繁華街で人は道をあけた。

「俺も昔はあんなんだったのかなぁ……。」
 ブラックホールの幹部になる。それはまさに、不良のエリートコースである。そこに籍を置く事が決定した少年たちは、瞳を輝かせて姫に挨拶した後、面倒見の側に走り寄り、緊張した面持ちで深々と頭を下げている。
 いつか彼らも気付くのだろう。
 自由気侭に見える不良の世界も、結局のところは、金と暴力という法にまみれた、権力社会に変わりないのだ。
 アフロディーテもかつては、この辺でもかなりの悪だった。
 病気で休学という名目で、その実何度も鑑別所に入っていた為に留年したという、彼の華々しい過去を知っている者は、もはやミロおいて他に居ない。
 だがブラックホールの幹部でも、ヘッドの次に権力のある、あの役職に就いてから、アフロディーテは全くもって丸くなってしまったのである。
「自由に暴れる事ができるのも、下っ端だけだからな。気付いたら、俺らの周りはしがらみだらけよ。」
 正直言って、もうウンザリだった。
 ミロはもう、この先自分が戻る事のないであろう集会場を、最後の見納めにと一瞥した。

「今回のカンパ金は、お前一人の力で集めたっていうじゃないか。大したもんだ。」
 集会の後、瞬を車の傍に呼びつけたトウドウは、窓越しに上機嫌な様子で言った。
 対暴法と長引く不況で、このようにあからさまな高級車を乗り回すヤクザも、最近では珍しい。
 瞬はふと、トウドウの乗った車に飾られているエンブレムに目がいった。本来ベンツのマークがあるはずのそこには、見なれない紋章が掲げてある。どこかの代紋なのだろうが、紅龍会のものではなかった。
「若頭が今回の話を聞いてな、お前を是非欲しいと言ってたぞ。といっても、盃をもらうにはまだ若すぎる。引退まで待ってくれるそうだ。」
 トウドウは短く切り揃えられた前髪を、掻き上げるように撫で付けながら言った。
 きょとんとしてその言葉を聞いていた瞬だったが、やがてトウドウが何を言いたいのか、その意味を理解し表情が凍り付いた。
 準構成員として、自分を引き入れようとしているのだ。
 今回の自分の稼ぎを買っての事なのか。不良だって無理があるのに、ヤクザなんて勤まるのか。だがそんなことは今、問題ではなかった。
 無言で呆然と立ち竦む瞬の姿に、トウドウの表情が翳りを帯び始める。
「なんだよ、それ位の覚悟も無くてヘッドの座を受け入れたなんて言わせねえぞ。若頭直々に盃を授かるんだ。後でちゃんと挨拶に行けよ。俺の顔に泥塗るような真似したら、ただじゃおかねえからな!」
 先ほどまでの上機嫌な時とは全く違う場所から出ているような声である。トウドウは地響きのような声で十八番を唱えると、運転席のイケガミに目配せして車を発進させた。
 バンの影に独り残された瞬は、足下を支える地面が、からがらと、音を立てて崩れていくのを感じていた。思いもよらない出来事に、頭が混乱して血の気が失せる。
「う、嘘でしょ……。」
 瞬は顔面蒼白のまま、その場に蹲った。

 幹部の引継ぎが終了した後、この日は"合同初流し"が予定されていた。
 西日はとうに落ち、いつもの闇が帳を落とし始める。彼らが活動する時間がやってきたのだ。
 旗を広げて記念撮影をするチームや、隣に居合わせ交流ができたチーム同士で、名刺やステッカーを交換する者など、緊張したムードが一転して、集会場は、まるで同窓会のように和やかな雰囲気に包まれていた。
「お前も一緒に行くだろ? 俺はチームのやつらをまとめないとだから、先行って乗ってろよ。」
 シュラは一輝の側に歩み寄って車のキーを差し出しながら言った。返答に詰っている一輝に向かって、シュラはにっと片目をつぶって笑うと、キーを放り投げ、人ごみの中へと消えていった。
 受け取った車のキーを、暫く見下ろしていた一輝だが、意を決したように顔をあげた。その視線の先には、黒塗りのメルセデスが走り去った後、駐車場の隅に座り込む、姫の姿があった。

「……姫。」
 頭を抱えて蹲る少年の背後から、一輝は声を掛けた。それに気付いた少年が、ピクリと肩を震わせる。
「その、差し出がましいようなんだが……。」
 一輝は声が掠れそうになる自分を情けなく思いながらも、腹に力を入れて、一度深呼吸した。
「俺で力になれるようなら、何でも言ってくれ。俺のチームの戦力もそうだが、その、気に病んでいることが、あったら……。」
 少年は答える事はおろか、振り向きさえもしなかった。だが一輝はそれでもなお続けた。
「あんたの力になりたいと思っている。」
 もちろん、何人も部下がいるのは知っているが……と、一輝は身を屈めて、そっと蹲る少年の小さな肩に手を置いた。
 紅龍会の男と、先程何を話していたかは知らないが、彼にとって、良からぬ話だったに違い無い。一輝は小刻みに震える肩に、そう確信した。
 集会前にブラックホールのメンバーが口にしていた、上同士の揉め事という話も一輝は気になっていた。
 面倒が起きた時、彼に一番近い場所にいる人間が、自分であって欲しかった。
「一人で何でも背負い込むな。」
 自分は今、震える声を咽の奥から絞り出しすようにして、そう告げる事しか出来ない。
 一輝は最後の一言に、想いを込めた。
「俺を、頼ってくれ。」
 苦し気に、耳もとで囁かれたその言葉に……、
 肩に感じる温もりに、瞬は泣き出しそうになるのをぐっと堪えて何度か瞬きした。
 振り返ってこの人に縋り付けたら、どんなに救われるだろうか。もし自分が弟という立場なら、迷いも無く飛び込めたであろうその胸が、しかし今の瞬には、とてつもなく遠いもののように感じられた。
 そして、一輝の言葉尻に含まれる、ある種の想いに瞬は心当たってもいた。
 何故それに気付いたのか。
 それは、自分が兄に対して抱き続けている思いと、同じ種類のものだからに他ならなかった。

     ★

「姫、なんて顔してんだよ。」
 駐車場に所狭しと並んだ車の影から、フラフラと現れた瞬の姿を見つけてシュラは驚いたように、その肩を掴んだ。
 少年たちは、次々と単車にまたがり出発している。辺はエンジン音と排気ガスで充満していた。
「さっきアフロディーテが探してたぞ? ……しゅ、姫?!」
 シュラの言葉と、泣きじゃくり始めた瞬の声が、けたたましい改造ホーンのメロディーに掻き消された。二人の横を、もの凄いスピードで四輪が掠め、後部に積まれたウーハーが、和太鼓のような音でリズムを刻んでいた。はしゃいだ少年がアスファルトに背中を擦り付けるようにして窓から身を乗り出している。
 シュラは慌てて人目から隠すように、瞬の身体を抱き込み、駐車されたままの無人の車を見つけると、その影に隠れた。

「に、にいさん、……にいさんの好きな人、って。姫……だった。」
 しゃくりあげながらも途切れ途切れに、瞬はシュラにそう訴えた。
「……あぁ、知ってたよ。」
 あいつめ……。
 シュラはあまりに鈍感な一輝に内心舌打ちしながらも、あくまでも冷静に、そう答えた。
「え? いつ、から?」
 驚いて顔を挙げた瞬の乱れた髪を、大きな手のひらで撫で付けるようにして、シュラは言った。
「夏くらいかなあ。」
 半分自分がけしかけた部分もあるのだが。
「そんなに前から……?」
 きょとんと見つめ返してきた瞬の、赤く腫れた瞼が痛々しい。
 シュラは瞬の顔を隠している、覆面を外してやると、頬に流れ落ちる涙を拭った。

 グラード学院に今年優秀な生徒が入学するらしい。それもあの一輝の弟だというから、適役だろう。
 アフロディーテは、久々に寄越した電話でシュラにそう告げた。
 しかしアフロディーテの期待に反して、その熱烈なスカウトも、一度はきっぱり断られたとも聞いた。
 だが程なくして決定した一輝の狂乱入りが、事態を変えた。
「兄を守る事が出来ますか?」
 少年は、アフロディーテにそう尋ねたという。
 力では、一輝の上に出る者は滅多にいないだろう。シュラはかつて、一度だけ共に居合わせた抗争現場での、一輝の喧嘩を思い出した。瞬はむしろ幼いころからずっと、そんな彼の後ろで守られて来たのではないか。
 しかし一輝が保身の為に身に付けてきた腕力だけでは、どうにもならない事があるのが世の中であり、組織というものだ。特に一輝のような、一匹狼気質においては。

「お前、あいつの事、本気なんだな。」
 シュラは目を細めると、小さな肩に手を置いた。
「だったら良かったじゃないか。正体ばらしちまえよ。」
「駄目だよ! 兄さんは、姫が好きなんだ。僕じゃない……。」
 瞬は力なく項垂れた。
 想いを寄せる相手が、弟だったなんて知ったら、兄はどんなにか失望するだろう。
「姫は、瞬だろ?」
「違うよ。姫は、姫だ。」
 姫はブラックホールのヘッドのために、誂えられた作りものでしかないのだ。実際に姫なんて少年は、存在しないのだから。
 兄は、姫のどこを見て"好みだ"と思ったのだろう。
 姫をどんな人だと思っているのだろうか?
「だったら、こう考えてみろよ。」
 激しく泣いていたかと思ったら、今度は海の底まで沈み込んでしまったような瞬を、引き戻そうとシュラは手を伸ばした。
「一輝の前でのお前は、弟としての瞬だ。だが、この覆面をしている時の瞬は……。」
 シュラは、涙で濡れてしまった白い布を、差し出しながら続けた。
「これを付けてる時のお前は、一人の男としての、瞬だ。……だろう?」
 自分の目をしっかりと見つめて、話すシュラの一言一言を、瞬は理解しようと、真剣に耳を傾けている。
「その瞬に、一輝は惚れたんだ。弟だからという、あの最強煩悩メガネを外しても、あいつはお前に惹かれたんだよ。」
 正面から瞬の顔を見つめながら、もっと自信もてよ、とシュラは呟いた。
 泣き腫らした顔で、瞬は、シュラの言いまわしにクスリ、と子供のような、無邪気な笑顔を作ってみせた。しかし、ともすれば少女にも見える面持ちの、その胸の奥には少年らしい芯の強さがある事も、あどけなさの残る瞳には、大人びた眼差しが芽生え始めていることも、シュラは知っている。
 覆面で覆われていなければ、一輝は弟の一面に、気付くことなどなかっただろう。
 あの贔屓目は、良くも悪くも盲目にするのだ。

「シュラ、ありがとう。」
 優しいね、と瞬は小声で呟いた。自分よりもずっと大人な彼は、温かくて頼りがいのある青年だった。
 瞬は照れくさそうに俯くと、シュラの胸から身体を離した。
「でも、まだ兄さんには内緒にしてて。」
 そう言って、顔を挙げた瞬はずいぶん吹っ切れたようであったが、しかしその微笑みには、拭いきれずになおも残る暗い色がある。
「なんでだ? まだ何かあるのか?」
「う、ん。ちょっと、ね。でももう大丈夫。兄さんにはちゃんと後で僕から説明する。兄さんが好きだって事も。」
 シュラは何となく、瞬の抱えているもう一つの悩みに察しがついた。恐らく、紅龍会だろう。
 紅龍会一家の大幹部が、新たに"ハナダ組"などという組織を立ち上げ、対立しているという噂を聞いたのは、最近になってからだ。
 そのハナダ組が、即戦力を欲しがっているという事も。だとすると、このどさくさに紛れ、反発分子が寝返る可能性も考えられる。
「……お前の味方には、沢山の野郎がいるって事、忘れんなよ。」
 込み上げる様々な思いを、廻した両の腕に託して瞬を力強く抱き締める。
 腕の中で綺麗に笑顔を作った少年の、表情の隅に浮かんだ影を取り除いてやりたいと、シュラは祈るような気持ちで、手にした覆面をそっと瞬の顔に戻した。




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