1999
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大学の中庭のベンチ。水曜の午後3時。太陽の光は秋の匂いに包まれてやわらかく、風も誰の気にも止まらないで、気ままな散歩を続けている。
伊藤美弥子は青葉幸次郎の目を、自分の二つの目でしっかりと捉えて離さなかった。相手の目をしっかりと見ることが、美弥子なりの真剣さの表現らしい。おかげで幸次郎は目を逸らしたいのに、あまりの真剣さに逸らせないでいる。 伊藤美弥子はショートカットにジーンズというボーイッシュな格好に似合わない分厚い眼鏡。眼鏡のレンズが厚くて、表情がなんだかわかりにくい。 幸次郎は読みかけの本のページを開いたまま、こくこくと相槌を打つ。正直、面倒だから反論せずに頷いているだけだ。 「あの、さっきも言ったけれど、本当にお時間を取らせてすいません。けれど、これが私の意味だと思うんです」 伊藤美弥子と名乗った1年生は、鼻の上にずり下がってくる眼鏡を気にも留めずに、3年生の幸次郎の目を見つめ続けた。あまりの剣幕に幸次郎はただただ苦笑いで相槌を打ち続ける。 そもそも。3限と5限の間の空き時間がいけないんだ。と、幸次郎は思う。水曜の2時30分から4時10分までの中途半端な時間に、ロクな授業を用意していない大学のせいで、僕はこんな面倒な思想家の女の子に話しかけられてしまったんだ、と。 「ミレニアムが来ます」 美弥子は大きな声で、幸次郎の目に語りかける。 「神が生まれてから、2千年がたった。そう考える人も多くいます」 美弥子は次々と言葉を並べていく。幸次郎は黙ってこくこく頷いていく。 「歴史がいつから始まったのか、そのことは私に興味はないんです」 こくこく。話ぶれてるけど、つっこまない。こくこく。 「ただ、ここまで来るのに、幾億以上の命が積み重なってきたんです」 ふんふん、と幸次郎は軽く鼻を鳴らす。 「その間に繰り返されたのは、多くの人間同士の、憎しみや思想のぶつけ合いでした」 一瞬息を止めて、ゆっくりと幸次郎は息を吐き、頷く。つまり考えたフリをした。 「2千年問題。ご存知ですよね」 幸次郎は慌てて首を立てに振る。少しタイミングが遅れかけた。 「まあ、そんなことはどうでもいいんです。大事なのは我々が人の命の上にいるということで……」 幸次郎は口を開きかけて、やめる。話がぶれたことにツッコミを入れたところで、不毛なことだと感じたからだ。 「愚かなことなんです」 美弥子は一人頷いた。 「例えば、神がいたとして……、あ、先輩は神を信じますか?」 「いや……、わからないね」 相手のスタンスがわからない以上、曖昧な返事をする。 「神がいたとして……いや、どうでもいいんです、そんなこと」 美弥子は首をぶんぶんと振った。眼鏡が少しまたずれたが気にもしない様子だ。 「ええと、私が言いたいのはですね……」 幸次郎は美弥子に聞こえないくらい、ため息の代わりにゆっくりと息を吐き、美弥子が喋ろうとする前に声を出した。 「つまり」 すっと息を吸い込む。 「僕ら人類は、人と人とで多くの気持ちをぶつけ合ってきたんだ。それも、僕らにとって……おそらくだけど、不毛な争いを重ねたんだよね。そして、多くは戦争という形、時には一方的な暴力で、積み重ねられてきた秩序や歴史の上に僕らは立ってしまっている。2千年という区切りが、いつしか多分君にもたらしてくる不安感は、そういう歴史の上に成り立っている。そうだろう?」 幸次郎は、タバコを吸いたいなと思いつつも、きっとうるさく言われるだろうから、ガマンをして言葉を続ける。 「人は人を憎むことはやめられないんだよね。それは誰かを大事に……愛とかって言葉は僕はまだ苦手だからね。誰かを大事に思う気持ちに必要なもの。人は自分の弱さを知ることで強くなれるんだよね」 美弥子は言葉を捜しながら呆然とした。もう、幸次郎の目は見ていない。 「僕らは世界の支配者じゃない。もし、世界を支配できたと言うなら、死を克服しなければならない。そうだろう?」 幸次郎はそう言って、ベンチから腰を浮かせた。そろそろ潮時だ。 「さて、君が伝えたいメッセージは、不特定多数に言うべき言葉だろうか?」 幸次郎は美弥子の唇をじっと見ていた。そして、彼女の唇がぴくりとした瞬間に、言葉を重ねた。 「いや、まず、君が。自分の心のメッセージを感じなければいけない」 再び、美弥子の唇がかすかに動く。 「今は言葉を出さない方がいい。まだ、時期が早いんだ」 幸次郎は自分の言葉に頷く。 「2千年の歴史が長いと感じるのは、君の勝手だけど、僕らは短い、あるいは長い今を生きているだけの存在だ。誰も夜の流れを止めることはできない。僕らに必要なのは、今をじっくり感じることだよ」 幸次郎は、振り返らずに歩き出した。これ以上喋ればボロが出る。ついさっき聴きながら見ていた洋楽の歌の訳詩を、適当に使っただけだ。 2000年まで、あと少し。コンピュータの暴走。 それだけじゃなくて。一番簡単なのは兵器。身近なのか、遠い出来事なのかわからない、世界の終焉を迎えるために作られたとしか思えない。他国の人の譲れない思想や宗教。 「誰だって、不安をごまかしたり、考えないようにして生きてんだ」 幸次郎はタバコの煙に、誰も聞こえないようにそんな言葉を小さく混ぜて5限の授業に向かった。 ふんっ、と鼻を鳴らしながら。 |
mixiブログに書いたものをちょっと修正。モチーフは歌。1993年に発表されたビリージョエルの「Two
Thousand Years」です。
あるタイプの人から教えを説かれると絶対に反発したくなるのは、何故だろう?
それにしても読んでて面倒くさい話だと、修正してて思った。(21.06.28.もいっちょ修正)
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