「沙柚梨ちゃんってさー、可愛いよね」

「え、あ、ありがと……」

 

少々居心地の悪さを感じながら、沙柚梨は隣に座っている男に笑いかける。

まだ始まったばかりで、全員集まったわけでもないので皆騒がしい。

話しかけてくる男達をすり抜けて、カラオケの一室から逃げ出す。

 

「……ぁぁー、やっぱこなきゃ良かったかもぉ……」

 

見かけによらず人見知りが激しい沙柚梨は人知れずため息をつく。

今のうちに逃げ出してしまおうかとさえ思ったが、それでは人数が足りなくなってしまう、そうするとまなか達に迷惑をかけてしまうかもしれない。

それだけは、いやだった。

 

「……まだ、はじまんなぃし、いーよね」

 

お手洗いに進もうとして、後ろから名を呼ばれる。

驚いて振り向くと、先ほど沙柚梨に話しかけていた男がやってくる。

首をかしげながら、どうしたの?、と聞くと男はそっと沙柚梨の手を取る。

 

「ねぇ、抜けださねェ?」

「―え?」

「オレ、沙柚梨ちゃん結構好みなンだよね、ね、二人きりになれるところ行こうよ」

 

その誘いがどんな意味か分からないほど沙柚梨は子供ではない、しかし握られた手を振り解こうにもびくともしない。

 

「ぃ、ぃや」

「いーじゃん、ね?」

 

無理やり引きずられそうになり、声にならない悲鳴をあげる―と男の悲鳴が聞こえた。

 

「痛っ―、おい、何すンだよ!月夜」

「嫌がってンじゃねーか。離せよ」

 

沙柚梨に慣れなれしく触っていた男の手をつかみ上げ背中で不自然な形に押し付けているのは、今日沙柚梨が放課後みた男だった。

男は沙柚梨に一瞥むけると、つかんでいる男に向き直る。

 

「オレが貰うからな」

「はっ!?ちょ、おい!月夜」

「ンだよ、文句あンのか?」

 

そう言った瞬間力を入れたのか、男の顔が歪む。

しぶしぶといった表情で男は去り、沙柚梨の前には突然現れた男がいる。

 

「あの……ぇと、ありがとう……」

 

沙柚梨が恐る恐る男の顔を見上げると、ぷいと横を向いてしまう。

照れているという感じでもなく、ただたんに沙柚梨に顔を見せたくないと言わんばかりだ。

 

「別に……」

 

そう言って歩きだそうとする男のシャツに、沙柚梨の手が伸びる。

無意識のうちに彼のシャツの一部を握ると、沙柚梨も月夜と呼ばれた青年もビックリする。

 

「なんだよ?」

「ぁ、ぇーと。貰ったんでしょ??」

「――は?」

「だって、さっきの人に『オレが貰うかなら』って言ってたの」

「お前を助けるために、言っただけだ」

「水族館行こ?」

「…………は?」

「暑いし、それがいいよ。ね、一緒行こ?」

 

にっこりと笑い、彼の手を取る。

沙柚梨自身、どうして自分がこんな事をしているのか分からない。

ただ、ここで別れてはいけない気がするのだ。

 

「ばっ!お前、男をそんな風に誘う意味分かってンのかよ」

「え?」

「わかってるわけないよな。大体お前って昔から後先考えてないんだよ」

「……………『昔から』?」

「……っ、水族館行きたいんだろ、行くぞ」

「わ、ひゃっ」

 

ごつごつとした男らしい手に握られている自分の手はいつもよりずっと小さく見える。

『昔から』と、確かに彼は言った、いい間違えなんかではない、こんな風に動揺するわけがない。

少し黙って二人並んで歩く、繋がれた手は、離すタイミングを失い、そのまま。

握られた手から伝わる体温は暑苦しいとは思わない。

だから沙柚梨はそのままで良いと思った。

 

と、ふいに沙柚梨の頭を小さな思い出がかする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『つぅーちゃあん』

『ばか、沙柚梨動くな!』

『降りれない〜〜〜』

『後先考えないからだろ!』

『だってぇー、上まで上りたかったんだもん』

『いいから、まだ枝につかまってろ』

『うん、つぅちゃん』

『ほら、手ェだせ』

『うん、っっわ』

『沙柚梨……!』

『だめだよ、つーちゃんまで落ちちゃうっっ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つーちゃん!」

 

突然叫んだ沙柚梨の声に月夜はぎょっとして振り向く。

沙柚梨の瞳はキラキラと輝いている。

 

「なに、それ」

「つーちゃん、沙柚梨の事覚えてないの?」

「……オレら初対面だろ」

「嘘!沙柚梨の近くに住んでたもん!」

「証拠は?」

「ないけど……」

「幼馴染なんて、オレには居ない」

 

沙柚梨は納得いかない表情で月夜を見る。

疑惑に満ちた視線をに耐え切れないのか、月夜は明後日の方向を見ている。

 

「……む〜〜……」

「ンだよ?」

「……じゃあ、改めてヨロシク、つーちゃん」

「その呼び方やめてくれない?」

「沙柚梨、そう呼びたいの、いーでしょ??」

「……いや……かも」

「……いーでしょ??」

「っっっわーったよ」

 

沙柚梨のおねだり光線(と沙柚梨は呼んでいる)に負けた月夜はため息をついている。

その横顔も、雰囲気も、なぜ気づかなかったのかと思うほど、記憶の中の”つーちゃん”と酷似している。

幼い頃しか知らないのに、絶対に彼がつーちゃんだと確信している。

 

ふふ、と嬉しくなって月夜の腕をとるとぎゅっと抱きつく。

一瞬月夜は構えると、まるで呆れたような表情を沙柚梨に向け、そのまま二人は何事も無かったかのように歩く。

 

「夏休み、何するの?」

「……バイトとか?」

「後は?」

「別に、旅行に行く予定もなぃし、暇と言えば暇だな」

「じゃあ、沙柚梨と遊ぼっ」

「…………っかげんにしろよ」

 

呆れたため息に少し怒りがまじっており、不機嫌な月夜の顔に沙柚梨は一瞬にして不安になる。

どうしよう、何を言えばいいのだろう、と迷っていると、月夜が幾分か落ち着いた声で沙柚梨に話しかける。

 

「お前が本当に遊びたいのは、その『つーちゃん』なんだろ?……そこまで身代わりはゴメンだ」

「身代わりじゃないよ」

 

まぁ、多少はその意味もう含めているかもしれないが。

もし沙柚梨自身本当に”つーちゃん”の幻影を彼に求めているのなら、中身が、違う。

沙柚梨の知っているつーちゃんは、もっと……。

 

「……はぁ?」

「顔は似てるけど、私の知ってるつーちゃんはもっとかっこよくて、優しかったもん。だから、沙柚梨が遊びたいのは『月夜君』だよ」

「〜〜〜っ、お前なぁ」

「つーちゃんって呼ばれるのいやだったら……やめるから……」

「………いーよっ、別に。つーちゃんでも何でも」

「へへっ」

 

照れたようにそっぽを向いた月夜が少し可愛く見える。

 

(そういえば『可愛い』って思った瞬間、人って恋に落ちてるんだよね)

 

 

 

 

 

 

 

 

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