ミカエル、と云う名に震えた体を女王は気づいたことだろう。
再び馬車に揺られ、街を移動する。
この街はすべてが凝縮しているように見える、明るい町並みも一歩奥に踏み入れればそこは眼を逸らしてしまうような景色が広がっている。
光と闇の対極差はバランスよく共存しているように思える。
母親との会話が弾むはずもなく沈黙だけがその場を支配する。
『ローズライン』
忘れられないあの日、家に来ていたのがローズライン伯爵とその嫡子だと聞いた。
そして彼があの『ミカエル』なのだとも。
女王陛下の気紛れに授けられる名前の主は良い意味でも悪い意味でも有名であり、皆見目麗しいときく。
そういうものだから名を授けられたのか、その名がそうさせるのか。
たしかに幼い頃に出会った少年は美しい顔をしており、眼をそらせない何かをもっていた。
そして―――
『わかった、じゃあ、僕の秘密も見せるから―』
ただ、ミカエルは知らないのだ。
あの頃は死産とされていたガブリエルを使用人の子かなにかと思っていた。
あの日の思い出さえもあやふやになっているのがあたりまえだろう。
ただガブリエルの中でだけ、柔らかな記憶として残っている。
あの日から変わった気がするのだ。
初めて優しい言葉をかけられ、女王陛下に名を授けられ、初めてこの世に容認された。
その出来事だけがガブリエルを今まで生かしてくれた。
本当は自分でもミカエルに会うのが嬉しいのか、嫌なのか分からない。
その感情が何なのかわからないが、あの日からミカエルはガブリエルの特別だった。
***
物思いに耽っていた所為で馬車が止まったことに気づくまでにガブリエルは少し時間がかかった。
「着いたわよ」
「……っあ」
苛ついたような母の声色に急いで面をあげる。
ドアを開けられ、ガブリエルはぎゅ、とローブのすそを握る。
地面に降り立ち、ローブのすそを握ったまま目の前の屋敷を見上げる。
ガブリエルの実家の二倍近くはあろうかという屋敷を前にぽかん、と口が開いたままになる。
「ようそこ、メロスコット夫人………そして、我が従妹どの」
屋敷に眼を奪われていたガブリエルの耳に届いたのは、凛とした声だった。
あの日の面影は声変わりをしたせいかなにもないのに、声だけで、分かってしまう。
恐る恐る視線を屋敷から、声の方へと向ける。
そこに立っていたのは、光る金髪に漆黒の瞳をした隻眼の青年だった。
今だに瞳を隠しているのを見てガブリエル切なそうに目の前の青年を見つめた。
しかしどんなに見つけたところで重たいローブに覆われたガブリエルの顔、またはその瞳を見ることは不可能だろう。
無礼とはわかっていても、今更この姿をさらすには抵抗があった。
『ガブリエル』の名を継ぐ自分自身がどのように噂されているかすでに知っていた。
それに結局、この姿を知っているのは母と、目の前の青年と、女王陛下だけなのだ。
だとすればこの姿を見られない限り、ミカエルに知られる心配はない。
「よろしく、お願いします」
「………礼儀正しい、ってわけでもないのか………親戚のオレにさえその姿でいるつもりか」
「っ、いや!」
ミカエルの手がローブに伸びるのに気づくと、ガブリエルはすばやくその手から逃れる。
そして一歩下がったところでミカエルの背後から声が響いた。
「ミカエル!何をしているの!早く中にお招きしなさい」
「…………ご無礼をお許しください。レディ。中へどうぞ」
そう言ってうすら笑いを浮かべながら手を差し伸べる目の前の青年は決して悪いとは思っていないのだ。
恐る恐る手をとると、優しく握り返された。
そしてゆっくりと屋敷へとエスコートされる。
(怖い……)
じわじわと心を支配するその色は恐怖によくにている、だがあの時と同じく眼が離せない。
手を振り払う事ができない。
腕から伝わる体温がガブリエルの冷静さを奪う。
(この人が、怖い……)
17th/Oct/07