アンジェはベッドに寝そべり、ぼんやりと窓を見ていた。

あの男に逢ってから、客は取っていない、幸いにも男がくれた金があれば当分は大丈夫そうだ。

何もする気がおきない、ただぼんやりと窓の外を見つめている。

 

「……ラファエル様」

 

あの日であった男の名前なんどか口ずさむ。

もちろん答える相手はいないが、口にだせば幸せな気持ちになれた。

銀のクロスを撫でながら、アンジェは穏やかな気持ちになった。

と、突然部屋の壊れかけたドアが乱暴に開く、その音に体を震わせると二組の男がドアの所に立っていた。

 

「……な、何……?」

「聞いたぜぇ?貴族サマを相手にしたんだってな、おら、貰った金はドコだよ」

「やめてっ、何するの」

 

机の上においてあった金を乱暴に掴み、男が笑う。

抵抗しようと伸ばした手は簡単に捕まれ、逆にベッドへと戻されてしまう。

 

「あのばばあがお前の為にオレたちから借金してたのはしってるだろう?」

「全部、返したわ」

「利子っつぅもんがあるんだよ……お前が死ぬまで、ずっと、な」

 

男はそう言ってアンジェの顎を掴む、アンジェはありったけの力を込めて男をにらむ。

借金とかどうでもいいのだ、男が欲しいのはお金なのだから。

今こんな男に構っているよりも―早く出て行って欲しい。

 

「……早く出て行って」

「なんだよ、売春婦の癖して……なァ…アナエル?」

 

アナエル、というのは一緒にすんでいたおばあさんがつけてくれた名だ、決してアンジェと言う名は不用意に他人には教えるなといわれてきた。

 

「離してっ!」

「買ってやるよ、お前の事」

 

腕を強く握られ、折れるかと思うほど力を込められる。

こんな痛み―久しぶりだ。

昨夜、あんなに優しくしてくれた男の思い出が残るこのベッドで―こんな風に抱かれたくない。

いやだ、と声にだし抵抗をする、それに苛立ったのか男は力いっぱいアンジェの顔を殴る。

もう一人の男が衝撃にぐったりとしたアンジェの手をすばやく紐で結ぶ。

 

「女ごときが抵抗するんじゃねェよ」

「おい、ロイド……次はオレだぞ」

「待ってろよ、この女に教育してやるよ」

 

抵抗する術を失ったアンジェの征服欲が満たされたのか、男は満足そうにアンジェを見下ろしている。

忘れていた―これが日常・・だ。

昨日はただの非日常で、それに成れること自体無理な話だったのだ。

 

「……」

「おい、見てみろ、淫乱だなぁ、もう濡れてきてるぞ」

「根っからの売春婦なんだよ、この女はなぁ」

 

下卑た男の声も、行為もすべて薄い膜に守られた外の出来事だ。

ラファエル様、と小さく口にする、男に聞こえないくらいに。

それだけで、耐えられる気がした。

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

ひんやりとした感触に、アンジェは呻いた。

先ほど男に殴られた頬に何か冷たいものが当たっているのだ。

なんだろう、と思い目を開くと、思いもよらぬ人物が目の前に居た。

 

「ラファ、エル……様?」

「私の名を、覚えていたのか?」

 

意外そうに男がそう言う、昨夜見た姿を一寸違わぬ姿で、男がいた。

頬にあてていた濡れタオルを取ると、もう一度水に濡らす。

力をいれて起き上がろうとするが、目の前の男に止められる。

 

「酷い事をするな」

「……っ」

 

昨夜男が見た体よりずっと、アンジェの体は傷ついていた。

恥ずかしくなりシーツに包まると、男はアンジェの横に座った。

 

「金はどうした?」

「………」

「盗られたのか?」

「…………」

 

それは見て取れる事実であったが、肯定する事はいよいよ自分を惨めにさせるのでアンジェは無言を貫いた。

ラファエルは一つ小さくため息をつくと、アンジェの方を向いた。

 

「こんな生活を、何時まで続ける?」

「……死が、私を天に導くまで」

 

その答えに馬鹿らしい、と言わんばかりにラファエルの顔が歪む。

バカにされた事はわかったが、アンジェは口を噤む。

沈黙を先に破ったのはラファエルだった。

 

「……私の元へくるか?」

「え?」

 

思わず俯いていた顔をあげて、ラファエルを見る。

ラファエルの瞳は冷たい、冗談を言っているような顔ではない。

その代わりその顔のどこにも愛情というものに満ちた所がない。

 

「私が欲しいのは、従順な妻だ。身分は関係ない。私と結婚できるか?」

 

突然の話だった、アンジェは開いた口が塞がらないといった風に目の前の男を見る。

たしかに、男の声色は女を口説くようなものではない、どこか事務的だ。

 

「必要なら、金も払おう。私の妻として―その一生分の値段を」

「いりませんっ……!」

 

とっさにアンジェは叫んでいた。

震えた肩を抱きながら、アンジェは潤んだ瞳でラファエルを見る。

そんなアンジェにラファエルの感情は何も動いたように見えない。

 

「……私は、売春婦です、娼婦です……!決して貴族に嫁げるような身分ではございませんっ……!」

「売春婦にしては、綺麗な言葉遣いをしている……、ソレに、身分など買えよう。まぁ、サロンの連中にはバレるだろうが……高潔な貴婦人でさえもお前よりも淫乱な女はいる」

「どうして、私なのです?」

「言っただろう?あとくされのない女がいい。性根が卑しい女より扱いやすい」

 

突き放すような酷い言い方だ。

他の男がそうであるように、アンジェを辱めるような言葉ではない、ただ突き放し、上からみ下ろすような、言葉。

そちらの言葉の方が何倍も痛い、だがアンジェは決意した。

 

「わかりました……行きます……」

「……賢明な答えだ、アンジェ」

「……!名を」

「車を待たせてある、着替えはあるのか?」

「え……はい」

 

と、言っても所々汚れたような服か、下着のような服しかない。

車を待たせているという事は、違う人間もいる、という事なのだ。

どうしようと迷っていると、ラファエルはため息をついて持っていた鞄から何かを取り出す。

 

「口に出してくれ、煩わせるな」

「……ご、ごめんなさいっ」

 

まるで分かっていたかのように、服を手渡されアンジェはどうしようもない気持ちになった。

ラファエルはそのまま立ち上がると、すたすたと歩いていく。

 

「着替え終わったら、呼んでくれ……車は分かりにくい所にあるからな」

「はい……」

 

着替えのためわざわざ外へ出てくれたのだ、昨夜、自分の体の全てを見たというのに。

何か、自分は取り返しの無いことをしているんじゃないだろうか。

ココで暮らしていても、これからの生活はこれ以上悪くはならない。

だが、もし男についていったら、どうなるんだろう?

それが―希望なのか、絶望に繋がるのか、まだわからない。

でも、

 

(名を覚えていてくれた)

 

行こう、彼が望んでくれるなら。

彼が望む従順な妻の姿になろう。

 

 

 

 

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10th/Jul/06

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