「急な引越しだからな……今はまだ必要最低限のものしかない。何か物入りがあれば言えば良い」

「は……はい」

 

案内された部屋はアンジェが住んでいたアパートメントの二倍はありそうな部屋で、ベッドやら全ての家具がそろっている。

これで、必要最低限・・・・・のものしかないという事は、貴族は一体ナニが必要なのだろう。

あの部屋を手に入れるためにそれこそ血反吐を飲むような思いをしてきて手に入れたアパートメントよりも数倍美しい部屋。

悔しいような、悲しいような思いが胸中によぎる。

その感情をぎゅ、と押さえつけると、笑顔でラファエルの方へと向く。

 

「朝になればカマエル叔父が迎えにきてくれるだろう……養子にさえなれば貴族の称号なんですぐ手に入る。そうしたらすぐに女王陛下に許可を貰いにいく」

「女王……陛下」

 

神への信仰がなくなったこの世界で、女王陛下はただ一人の『尊い人』である。

貴族でもよほど王族との繋がりが強くなければ逢う事は叶わない。

貴族の結婚には女王陛下の承認が必要だ、だが普通は女王陛下本人に会うのではなく、結婚申請をし、返事が返ってくる間またなくてはならない。

多忙な女王陛下の身ではだいたい、一ヶ月以上はかかる。

そんな話を小耳に挟んでいたアンジェなので、自分が目の前の男と結婚するのがそんなに早いとは思っていなかった。

 

「本人に会えるのですか?」

「ああ、そうだ」

「わ……私なんかが、お会いできる相手では、ないです」

「お前は私の妻になるんだろう?……これぐらいで怖気づくな」

 

今更ながらファヌエルが言った言葉が当たり始めている気がする。

貴族、とは言えどただの貴族ではない。

女王陛下本人に会う権利を持ち、尚且つ名を賜った事があるのだ。

それこそ……アンジェとラファエルは会合する事さえ奇蹟のようなのだ。

 

「間違っても、逃げだそうなど考えるな」

 

怖気づいたアンジェの心を読むかのように、ラファエルが言った。

その言葉にアンジェはとんでもない、といわんばかりに首を降る。

 

「一人で逃げ出せば、迷うぞ」

 

そう言って扉が閉められる。

一人になった部屋で、アンジェはベッドへと腰掛ける。

アンジェの部屋の硬くて軋むベッドとは違う、柔らかくて気持ちいい。

匂いだって不定多数の男の匂いなんかじゃない、花の甘い匂いがする。

車でちょっと走っただけで、どうしてこんなにも世界が違うのだろうか。

スラムで肩身の狭い生活をしていたあの頃の自分が、遠く見える。

 

こんこん、とノックの音が聞こえ、アンジェはビックリして寝転がっていた体を起き上がらせる。

 

「よろしいかしら?」

「勿論です、ファヌエルさま」

 

扉の向こうから響いた優しい老婆の声に、アンジェは扉へと走る。

にっこりと開いた扉の向こうでファヌエルの笑顔と出会う。

 

「あの子はね」

 

部屋に入った瞬間ファヌエルは喋りだした。

あの子、といったのがラファエルである事は明白だ。

 

「あなたと私を二人きりにしたくなかったみたい。……まさかただの娼婦を妻にしようとしてるわけじゃないでしょう。さぁ、あなたの秘密はなんですの?」

「ひみ、つ……?」

「そう……たとえば」

 

ファヌエルの手がアンジェの手首にかかり、手首を隠していたバンクルをはずす。

気づいたときにはもう遅く、その痛々しい赤い筋後が光の下照らされる。

思わず隠すが、ファヌエルは苦笑を浮かべている。

 

「勿論気づいてましてよ。……辛いのなら話さなくてもいいわ……わたくしあなたを気に入っていますの」

「私は……幼い頃から……ずっとこの体を売り物にしてきました……私は……私もラファエル様がなぜあのような事を言われたのか……わからないんです」

「でも、あなたはラファエルが好きなのね?」

「あの人は……私の神様ですから」

「神?」

 

怪訝そうなファヌエルの声に、アンジェは胸元からクロスを取り出す。

それを大事そうに握り締める。

 

「私の……生きる印、ですから」

「純真ね」

「まさかっ……汚れてます……」

 

その言葉はアンジェに向けられるような言葉ではない。

むしろ目の前の微笑む貴婦人に相応しいように思えた。

 

「なぜ?体を売り物にしたからですか?そんな事は恥ではありませんよ。生きるためにそれだけしか選択を与えなかった……それこそ神が悪いのよ」

「でも、ラファエル様に会えました。私に優しくしてくれた人は、あの人が二人目で……勿論ファヌエル様が三人目です……」

「……わたくしはね、アンジェ……あなたのように『神』を信じていた女を、一人だけしっているわ」

「―え?」

 

神、という名はすでに古代神学となり、教会は廃れ、神も人々の心から消えて行った。

信仰というならば唯一女王陛下に当てはまる。

人が苦しんでいても救いの手を伸ばしてくれない天上の創造主よりを、人間は捨てたのだ。

 

「誰……ですか?」

「……あなたと同じ、悔悛と希望が入り混じった瞳をもった女……ラファエルがこの世でもっとも憎んでいる人―あの子の実の母親」

「はは、おやを……?」

「………今日はここまでにしましょう、アンジェ」

 

ファヌエルはにっこりと笑って話を打ち切った。

アンジェは続きを欲したがファヌエルは優しい笑みを浮かべ、また今度、と言った。

 

「いずれ、すべてを聞くでしょう。あなたがこの家に来るのなら」

「……ファヌエルさま」

「今はお休みになって……じきに眠れない夜も出てくるでしょうから」

 

まるでそれは予言のようであった。

ココから先は―未知の世界なのだと、いわれたようだった。

 

 

 

 

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17th/Aug/06

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