次の日の朝、アンジェ付きのメイドと名乗る人物がやってきて、アンジェの身支度を手伝ってくれた。
シャティエルと名乗った彼女はストレートの茶色の髪に、漆黒の瞳をしていた。
寡黙そうなイメージの彼女はてきぱきとアンジェに上等なドレスやらで着飾らせてゆく。
「アンジェお嬢様とお呼びしたほうがよろしいですか?」
「え?」
「まだ、ご主人様とは結婚なさってないので……奥様とお呼びするのはお早いかと……」
嫌味ではなく、正直に困ったような表情をしながらシャティエルが言った。
アンジェは、奥様、お嬢様、と言った言葉が自分を指した者であるという事に恐縮する。
「アンジェでいいです」
「では……アンジェ様と呼ばせていただきますわ」
「あの……シャティエル」
「はい?」
「この……お屋敷の……ラファエル様のお母様の事をご存知?」
どうしても、ファヌエルの口から聞くよりも早く聞きたかった。
昨夜もラファエルの母親の事が頭に引っかかって寝付けなかったのだ。
「……アナンセル様の事ですか?」
「アナンセル……」
小さな疑問を口にすると、シャティエルが怪訝そうな声色で答える。
イメージも何もないが、いざ名前を出されるとちょっとした衝撃だ。
「今は、どこに」
「……私の母親がアナンセル様に仕えてらっしゃいました……お亡くなりになったと聞いたんですが。私もあまり詳しい事はききませんでしたの」
「そう……」
ラファエルが、もっとも憎んでいる―人。
そこまで彼の心に残っている人。
何も事情はわかっていないのに、ざわざわとアンジェの心に不安だけが広がっていく。
「綺麗ですわ……アンジェ様」
「あ……」
結い上げられた茶色の髪、髪飾りは―ラファエルの瞳と同じ色の翡翠。
同色系の落ち着いたドレスを身にまとい、アンジェは思わず鏡の中の自分を見入る。
コレだけで変わるものなのだろうか。
人は―過去に関わらず見た目で……こんなにも。
「用意は出来たか?」
短いノックと共に、背後で低い声がする。
思わず振り向くと、同じように正装したラファエルが立っていた。
純白の手袋をぎゅ、と嵌めている。
「お二人が並ぶと、まるで絵画のようですわ!」
興奮したように言うシャティエルに、アンジェは恥ずかしくなった。
たしかにラファエルの姿は凛々しい、だが隣にたっているアンジェの格好こそ綺麗であれど、がりがりな体にはまるでドレスに着られている、といった感じに見える。
本来ならば並ぶ、などと絶対に無理な相手なのだ。
結婚を承諾したはいいが、あまりの身分の差に少々怖気づいてくる。
「今日は、何処へ……?」
「荷物はもう移動の必要はない、養子と結婚両方してしまおう」
「―へ?」
「女王陛下は……ある意味頭がとても柔らかいお方だからな」
そう言ってラファエルがアンジェへ手を差し伸べる。
戸惑いながらも自らの手を重ねると柔らかく包まれる。
すでに体を重ねた仲だと言うのに、こうして己の一部だけを触れさすという行為は逆に相手の体温を意識して落ち着けない。
見上げる長身は何度見ても、美しい。
落ち着いた鳶色の髪に縁取られたシャープな顔立ち、まるで宝石のような翡翠の瞳はほかの誰の緑目とは違っていた。
「本当に……私を妻にする、おつもりですか?」
「……そうだと言ったろう。……多少気紛れもあるかもしれないが、お前が私の一族の中に入ってしまえば決して……この間柄を破棄したりなどはしない」
「……もし、ラファエル様が他の女性を……妻にと望まれる事があったら、私はどうすればいいですか?」
「………要らぬ心配だな。私は、誰も愛すつもりはない。愛しても、手元には置きたくはない」
「なぜですか?愛してるなら、傍にいたいんじゃ」
「それは私を破滅させるものだ。くだらない話はコレで終わりだ。早く車へ乗り込め」
急に乱暴になった口調に、アンジェは自分が一瞬ラファエルの地雷を踏んだ事に気づいた。
今の言葉がラファエルの過去に―彼の母親に関するものなのか……否か。
知りたいと思う心とは裏腹に、知るのが怖いという声もする。
「完璧な淑女でいろとはいわんが、振りくらいはしてくれ」
「は、い……」
乗り込んだ車の中で、ラファエルがアンジェの方も見ず、そう言った。
アンジェは望まれたとおりただ従順に返事をした。
5th/Sep/06