車が緩やかに止まったとき、アンジェの緊張は一気に高まった。

まるで夢を見ているかのようだ、スラム街に居た頃、遠目でしか見た事がなかった王宮が今、目の前にある。

扉の中からでてきた男が車のドアを開くと、ラファエルが外にでてアンジェへ手を伸ばす。

恐る恐る夫へと手を委ねると意外にも優しく握りかえされた。

 

「そんなに心配する事はない。毅然としていればいい」

 

耳元でそう囁かれ、ラファエルの優しさが不安に倒れそうなアンジェを励ますものだとわかった。

重々しい扉が開かれ、アンジェはラファエルにしがみ付きながら前へ進む。

腕にしがみ付くなどはしたなく見えるかもしれないが、そうでもしなければ本当に倒れてしまいそうだったからだ。

お付の一人が高々とラファエルとアンジェの訪問を告げた。

兵に固められたその部屋の一番奥に、誰もすわっていない椅子があった。

ただの椅子ではない、宝石に固められ、今までアンジェが見たことも無いような贅沢な椅子だ。

 

「ノザウェル侯爵とその婚約者以外の者は退室を願います」

 

凛とした、妙齢の女性の声が広間に響く。

その言葉に誰一人として驚いたような事はなく、ぞろぞろと扉の外へと下がっていく。

ラファエルでさえ、平然としている。

だが、アンジェには分からなかった。

たとえ女王陛下がラファエルの名付け親だとしても、この世でただ一人尊い血を引くお方が護衛も付けずに他人に会ってもよいのだろうか。

 

「このような事が無い限り、お前は私の命令でも城にはこないのだからな、ラファエル」

 

現れた人物を見て、アンジェは驚きに声をあげた。

女王陛下たるもの、豪勢なドレスに身をつけての登場だとおもったのに。

目の前の、二十台後半くらいの女性が見につけているものはラファエルのモノとそうかわらない。

そう、男性が着るような服を身に着けているのだ。

驚いたように女王を見つめていると、目の前の彼女は笑いながらアンジェを見た。

 

「そのような反応が一番嬉しいよ。最近は誰一人として私の愚行に対して驚くモノはいなくなったのだからね」

「それこそ愚問という所ですよ、陛下」

 

おどけたようにいうと、ラファエルは片手を胸にあててラファエルがお辞儀をする。

それを見てアンジェもぎこちなくであるが、最敬礼をする。

 

「申し遅れました、アンジェ、と申します」

「アンジェ・フェザード男爵令嬢で間違いないかね?」

「女王陛下が許可なさるなら」

「そんな事カマエル男爵に申した方がいいんじゃないかね。まぁ、人の良いやつだ、奥方様も最後まで子宝に恵まれなかったようだからね、よころぶだろう」

「………男爵、令嬢……?」

 

一人ワケがわからないでいると、慈愛に満ちた微笑を女王がアンジェに向ける。

 

「この世界には身分制度が存在するのだよ、アンジェ」

 

そう言われてアンジェは改めて自分のいままでの生活が思い浮かぶ。

華やかな王宮とは正反対な、暗くて毎日怯えていた日々。

誰が悪いわけでもない、光あれば闇もある、どんなに激動の時世が過ぎたといっても、まだまだ今は不安定なのだ。

 

「ラファエル、少しだけお前の婚約者を借りるよ?」

「………それが、命令であれば」

「命令じゃないよ、お願いだ」

「ならば断ります。彼女を私の傍から離すような事はしたくない」

「心配するな、危害は加えない、ちょっと話したい事があるだけだよ」

 

平然と陛下の『お願い』を断るラファエルを見て、アンジェはぎょっとした。

ラファエルはあくまで対等に陛下と話をしている、そして陛下もそれを許している。

気が付いたときにはラファエルが不満そうな顔で陛下を見ていた。

ラファエルの手がアンジェの肩に添えられる。

 

「イヤなら、もう一度断るが」

「いや、だなんて……っ、私なんかが話していいかたではないのにっ……」

「婚約者どのは承諾したよ。彼女はまだお前の奥方ではないのだからね」

「ですが数日後にはそうなりますよ」

「だからってお前は彼女の人生を手に入れたわけではない。覚えておいでラファエル、お前は思い違いをしているようだが彼女のの人生は彼女のものなんだ。気持ちも、勿論―体もね」

 

不服そうに女王の言葉に是と返事をするとラファエルが退室する。

ついに部屋には女王とアンジェだけになってしまった。

 

「こちらにおいで」

「えっ……」

「怖がる事はないよ。アンジェ」

 

アンジェは震える足を叱咤し、陛下の近くまで歩いていく。

そんなアンジェを見て陛下は満足そうに笑う。

 

「お前は不思議な子だね。庇護欲をそそると言うか。だが強いね。あの街で生き延びてきたんだ……外側はすぐにはじけてしまいそうなのに芯は強いのは良い事だよ」

「陛下、わ、私」

「アンジェ、良い名だ、大事になさい。……そして、これをお前に授けよう」

 

恐る恐る近づいてきたアンジェの手をとると、女王は己の横にあった白い布を取ると彼女に頭からかぶせる。

白い、純白の布。

 

「私の許可さえあれば、結婚式はいつでも行えるのだよ、アンジェ。ただし、覚えておいで」

「……はい」

「この白は―偽りのものだよ。指輪はお前を縛る為にある。……私にもあの男が本当にナニを考えているのかはわかりかねるからね」

「それでも、いいんです。何を考えてらっしゃっても、お傍にいれれば、いいんです」

「どうしてそう思う?出会ってまだ数日しかたっていないのに?今のお前はまるで初めて親鳥を見た雛のようだよ。本当にラファエルはお前の全信頼を預けるに相応しいと思うかね?」

「?……私に、そのような権利は、ないでしょう?」

「あるよ、私の娘。……哀れな娘よ。今だけだよ、この白にまぎれて逃がしてあげよう。留まるなら、縛られなくてはいけない―わかるね?」

「お傍にいられるだけで、いいんです」

「………ならさっそく結婚式といこう。気がかわらないうちに、ね」

 

女王は、まるで、哀れみのような表情を浮かべ、アンジェに笑いかけた。

 

(縛られる事が悪い事だとは思わない。……私は、縛られていたい)

 

それは、甘い甘い鎖、だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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24th/Sep/06

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