屋敷に帰ってきても、不思議と穏やかな気持ちは続いた。

女王陛下を謁見できたという高揚感も続いており、がらにもなく浮きだっている自分がわかる。

 

「結婚式が明後日だなんて。アンジェ様にはマリッジブルーになるお暇さえもありませんわね」

「そんな……まだ、実感が、ないから……」

 

部屋の掃除をしながら、シャティエルがそう言う。

『結婚』を、するのだ。

今まで漠然と、ラファエルの事を神聖かし、無償の愛情を抱いていたが、今はただ、胸のときめきがとまらない。

あの精悍な顔つきや、翡翠の瞳が、見たくてたまらなくなる。

それをシャティエルにいうと、彼女は少し困ったように笑い、旦那様をよほど愛してらっしゃるのですね、といわれた。

愛しているのか、ときかれれば。

愛している。

彼は、助けてくれた、キスをくれた、抱いてくれた。

だから、アンジェの神様なのだ。

その人をどうして、愛せずにいようか?

 

ただシャティエルの言った『愛』はアンジェのおもっている『愛』とは違うのだ、と漠然と理解した。

そして、ラファエルに抱いている感情が、シャティエルの言ったものに近いという事も。

『私は、誰も愛すつもりはない。愛しても、手元には置きたくはない』

いつか、この結婚について疑問をラファエルにぶつけたときに帰ってきた答えだ。

彼は誰も愛していない、でも、アンジェだって本当に人を愛するという事を知っているわけではない。

少し前までは、愛するということが縛ることだと思っていた。

客の男達が妻の話をするときそんな風にいうからだ。

でも、愛がなくても結婚はできる。

それとも、縛られるという事は結婚とは別ものなのか。

 

(それとも、本当は『愛してる』なんてそんな重要じゃないのかもしれない。だってまるで消耗品のようにお客さんたちは私にその言葉をくれていたもの)

 

「ちょっと、外に出てくるわね」

「お供いたしましょうか?」

「大丈夫よ。ちょっと行ってくるだけだから」

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

徐々に、であるが、アンジェは行動範囲を広げていっている。

当初は迷ってばっかりだったが、今は迷う回数も減っている。

 

(もう少し、遠くまで)

 

そうやっているうちに、いつか出口にたどり着くかもしれない。

たとえそうなっても、アンジェはその出口を見なかったことにするだろう。

丁寧に手入れされた庭はまるで迷路のようでいて、自然のアーチを作っている。

思わず上を見上げながら歩いていると、上から声がする。

 

「緑のアーチをくぐってくるどんな天使かと思ったら―君がラファエルの娼婦かい?」

「っ……」

 

目の前にいたのは男だ。

日の光にあたり痛いほどきらめく金髪で顔半分が覆われている、見えている瞳は黒だ。

男は好色そうな瞳で、アンジェの頭からつま先までみやる。

それは慣れていた視線のはずだった、だがこの屋敷の生活になれつつあったアンジェは羞恥心を感じずにはいられなかった。

目の前に男性がラファエルと近い関係にあるのはわかった、『娼婦』の秘密を知っているのはラファエルとファヌエルしかいないはずなのだから。

無礼な態度がとれるわけでもなく、まるで蛇ににらまれた蛙のようにアンジェはその場で立ち尽くす。

 

「オレはね、ミカエルだよ。君の名は?」

「……アンジェ、です」

「なるほどね。ラファエルが言った通り、か。それほど美しいわけでもない、平凡な子、ね」

 

アンジェがミカエルのその言葉に傷つくのを見ると、ミカエルは満足そうに笑う。

 

「ああ、でもそそるな。……まだ結婚前だから、貞操を誓う必要もないしな」

 

そう言うとラファエルは緑の絨毯にアンジェを押し倒す。

そしてスカートの中にすばやく手を進入させる。

別の手で、繊細な生地のドレスの胸元あたりを破りさる。

抵抗しなくてはいけない事はわかっているのに、あまりの恐怖に体が動かない。

 

「や、やめて、くださいっ」

「どうして?君はこれで今まで生き延びてきたんだろ?」

「―だから、これ以上、汚れたくないっです」

 

びりびりとすばやい動きでアンジェの体を覆っていた布が少しずつなくなっていく。

下着の中に進入してきた手に涙ながら訴えたその言葉にミカエルは冷淡に笑う。

 

(……怖い)

 

ラファエルと違い、ニコニコと笑っているが―瞳は笑っていない、決して。

ただの『興味』からこんな行為に及んでいるのだろう。

 

「ラファエルのために、少しでも清く?―もう遅いだろうに」

「ぃやっぁ……お願っ」

 

口を片手で塞がれる、そしてアンジェの体の中心を暴きつつある指が増やされた事を感じると、アンジェはますます絶望を感じる。

違う、と感じる。

 

(ラファエル様……!)

 

「ミカエル!!!」

「、おっと」

 

突然ラファエルの怒声が響いたと思ったら、アンジェの体の上にあった重みが消える。

よろよろと起き上がると、ラファエルがミカエルを地面に押し付けているのが見える。

 

「貴様、ナニをしたかわかっているのか?」

「ちょっと、味見を、と思っただけだよ。まさかお前がそこまで怒るとは、ね」

「こんな卑劣な真似をしておいて、なんだその言い草は!」

「女を金で買うことは卑劣じゃないのか?」

「!……ナニがいいたい?」

「ちょっかいをかけただけだよ、離せよ。レディに謝罪をさせろ」

 

ラファエルの腕から開放されて立ち上がったミカエルに、アンジェは一瞬体を震わせる。

そんなアンジェを守るかのようにラファエルがアンジェの腰をささえ立たす。

 

「長い付き合いになりそうだね。飽きたらいつでもオレの所においで」

「ミカエル!」

「人妻になるまで、待とうと思ってね」

 

そう言って笑った顔は、ちゃんとした笑顔だった。

少しだけ安心するとアンジェはぎゅ、とラファエルの服を握り締めた。

 

 

 

 

 

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24th/Sep/06

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