「アンジェ様!?」
葉っぱだらけになって帰ってきたアンジェを見て、シャティエルは絶句した。
アンジェを支えていた手が優しく、ベッドへと誘う。
足は未だにがくがくと振るえ、立てる状態ではない。
「湯浴みを頼む」
そう言って屋敷の主人は婚約者を部屋に残したままさっていく。
シャティエルは状況が飲み込めないまま、アンジェの手を優しく握り締める。
「さぁ、お風呂に入りましょう」
「…………湯浴みしたって……私が汚い事には変わらないわ」
最後の方、ミカエルと名乗った男は笑顔だった。
冗談だった、ゴメン、と言っていたが、彼にはアンジェの負った傷が見えないのだ。
彼の言葉がどんなにアンジェを傷つけたのか。
それはアンジェ自身、驚いた。
「アンジェ様」
「ああ、あなたまで騙すつもりなんてなかったのに。私は、お嬢様でもなんでもない……ただの、娼婦だもの」
「まさか、ナニをいいます。アンジェ様は血筋もはっきりとした」
「ラファエル様がお作りになったお話よ!……私は、スラム街で娼婦をしていた所をラファエル様に拾っていただいただけだから」
「…………」
「ごめんなさい。あなたもいやよね。こんな女に仕えるの、なんて……」
自分で言っていて、涙が出そうだ。
ここにきて、ようやくラファエルと自分の身分の差という漠然とした者が形になってきたのだ。
ミカエルがアンジェを扱った方法こそ、本当の自分の扱われかたなのだ。
シャティエルの手がアンジェの手を包みこむ。
「いいえ、アンジェ様。育ちがなんであろうと、アンジェ様は優しい心をもっていらっしゃいます。あなたの侍女であることが誇りです」
「……シャティエル……!」
「沈黙を守りますわ」
「……私も、あなたが傍にいてくれて、よかった……」
シャティエルの顔に浮かぶ穏やかな笑みは、彼女の言った言葉が本当であると証明しているのも当然だった。
包み込むような優しさに触れて、アンジェは頬から一筋涙がこぼれるのを感じた。
***
「ミカエル!」
アンジェを部屋まで送るとラファエルは急いで自室に戻った。
ソコには案の定友人が優雅に座っている。
「ナニしてんだヨ。ちゃんと傍にいて慰めてあげろよ?暴漢に襲われたんだぞ」
「その暴漢を懲らしめても文句は言われないだろ?」
「―っ、ぉい、ちょ!」
ラファエルが勢いよくミカエルの襟を掴むと力任せに殴りつける。
床に叩きつけられる音の後は荒い息の音しか聞こえない。
「口、切れたぞ」
「自業自得だ」
「わかんねーよ、ラファエル」
「なにがだ」
「なぜ、結婚したんだ?あんなに娼婦やらをいやがっていたお前が。少しでも試したくなるオレの気持ちもわからんでないだろ?」
左頬を庇いながらミカエルが立ち上がる。
少しかわいそうになり、布を取ると洗面所で濡らし、渡す。
「理由が必要なのか」
「ソレをお前がいうか?」
「………」
「意味のない行動をバカらしいんじゃなかったのか?ラファエル」
「気紛れだといったろう!」
「つまり、彼女を愛しているのか?離したくないほど」
「ふざけた事を言うな!」
「ふざけてなんか」
ひらひら、と手を振りながら言う様子はおよそ『ふざけていない』の言葉を信用するに値しない。
「誰も、愛していない。今までもこれからも。お前こそ、オレにそんな事をいえるような立場にあるのか!」
「オレの心は遠い昔に、この瞳と一緒にやったんだ。戻ってくるのを待っているだけさ」
そう言ってミカエルは己の髪でかくれた、眼がある場所に触れる。
その瞳はラファエルでさえ見たことがない、ミカエルの秘密だった。
「とにかく、結婚式に出席しても、アンジェには近づくな」
「はいはい、わーったよ」
はぁ、とわざとらしくため息をつくと、ミカエルはに、とラファエルに笑って見せた。
21st/Nov/06