- 411 名前:テュランの筏5/8:2006/11/15(水) 12:10:56 ID:CkVkdxcC0
- 金髪の少年はクリフと言った。赤髪の少年は宰楊玲と言うらしい。
らしい、と言うのも、彼の日本語はかたことで、ほとんど聞き取れなかったからだ。
今や僕たち三人は、藤吾の陣取るいかだの隅の、対称の位置で身を寄せ合っていた。
周りの景色は、ちっとも変わっていない。
高い冬の太陽が、すこしずつ位置をずらしていく。
陽光の角度で、海の色が変わっていくのが、唯一の時間を知るすべだった。
ほんとうに、身につけている物以外、何もなかったのだ。
感覚的には、半日ほどだったと思う。
暑くもないのに額をぬぐった直後に、その軽やかな音は起こった。
キュ、プシュンと、プラスチックの部品をちぎる。
タプンと豊かなひびきが耳に届き、僕は思わず身を乗り出す。
僕より大きく乗り出したのは、楊玲だった。
見ると、対角線上で座る藤吾が、プラスチックのボトルを傾け、うっとりするくらい透明な液体を、自分の喉に流しこんでいるところだった。
二人分の視線を感じとったのだろう。藤吾はトランクに手を差しいれ、未開封のボトルを手に乗せた。水音を立てて、見せつけるように揺らす。
催眠術にかかった被験者のように、楊玲はふらふらと近づいて行く。
- 412 名前:テュランの筏6/8:2006/11/15(水) 12:11:52 ID:CkVkdxcC0
- 「………水………」
僕の知らない東洋の言葉で、うつろに呟いている。
「水」の単語だけ聞きとれたが、そんなの、聞かなくたって分かっていた。
遠いけれども、しかし暑さはたしかに感じる太陽。
強く、濃い潮風。半日ちかくそれにさらされ、喉はからからだった。
楊玲が瀕死の舞台役者のように両腕を伸ばす。藤吾はボトルを頭上高くに差しあげた。
「命令にしたがえ。服を脱げ」
たぶん、打ちひしがれていた彼は、誰よりも心身の消耗が激しかったのだろう。
それに僕は楊玲を止める権利も、義務もない。
ボタンを外すのももどかしいのか、引きちぎらんばかりの勢いで、楊玲は上衣を脱ぎさった。
折れてしまいそうなほどに細い腰、ほとんど日焼けしていない肌、お香なのか、オリエンタルな匂いをまとった上半身が露わになる。
おそらく楊玲は、ボトル一本のために全てをさらす気でいただろう。
すでに右手はベルトにかかっていた。
だが、藤吾は脱ぎ捨てた上衣を拾いあげると、ペットボトルを差し出した。
両手で受けとり、大きく見開いた楊玲は、同じ単語を繰り返す。
その晴れ晴れとした顔からして、お礼の言葉なのだろう。
- 413 名前:テュランの筏7/8:2006/11/15(水) 12:12:38 ID:CkVkdxcC0
- 服を脱がせる命令を出した奴に、よく言うよ………と僕は憎憎しく思っていたが、それも楊玲が喉を鳴らして水を飲みはじめるまでだった。
ピンク色の唇が、水にひたって瑞々しく輝いている。
傾けた中身はみるみると、生気をもってうごめく喉に吸いこまれていく。
端からこぼれおちる水滴が、喉につたい落ち、軌跡をなにより美しくみがきあげた。
肌がよみがえったようにツヤツヤとしている。
ああ………と僕は言葉にならない感嘆を、生唾にしてのみこんだ。
それは苦く、塩の味しかしなかった。
日が沈むころ、僕は負けた。「上半身だけなら………」と譲歩を決めてしまったのが、敗北の最大の原因だった。
それでも薄青い水の容器を手にしたとき、震えんばかりの喜びを味わった。
量は五百ミリリットル。日本製でコンビニにも売っている、なじみあるメーカーだった。
キャップは未開封だったし、僕はよく分からない警戒をするよりも、とっととこの喉をうるおしてやりたかった。
- 414 名前:テュランの筏8/8:2006/11/15(水) 12:13:29 ID:CkVkdxcC0
- 傾ける。スポンジ状態になった身体は、たちまちその三分の二を空にしていた。
胃袋が突然の水圧にたぷんと鳴るくらいだった。
それでもからからに乾いた末端には届いていないような気がする。
それだけ僕は渇いていた。
が、全身全霊をこめて僕は容器をもとに戻した。鉄の意思が必要だった。
隅々まで水分はいきとどかず、喉の細胞はとくに文句を張りあげる。
「半分以上、飲んじゃったけど、君も………」
飲み口をぬぐいながら、僕はしわがれた声で言った。ああ、まだ足りない。
「いらね」
クリフは水平線に沈む夕陽から、視線をそらさず答える。
心のどこかで待ちわびていた返事に、僕は残りの水を一気にむさぼった。
- 415 名前:風と木の名無しさん:2006/11/15(水) 12:24:34 ID:5TKVKIPA0
- これまた喉が渇くような遭難が…(;´Д`)ハァハァ
ジュース片手に禿しく乙!
- 416 名前:風と木の名無しさん:2006/11/15(水) 12:34:22 ID:eFacDYdq0
- も、もしやもしや、、、と思いつつ
おもしろすーーーーー人体生理に訴えまくる「渇き」とはこれまた禿萌えな。
ろーどおぶふらい展開も希望しつつ続きwktk!
- 417 名前:風と木の名無しさん:2006/11/15(水) 13:09:43 ID:vhMLdC8a0
- 筏タン乙!
これからどうなるか楽しみです。
- 418 名前:風と木の名無しさん:2006/11/15(水) 20:38:43 ID:KLTV0FcuO
- リレー&筏乙乙
- 419 名前:初仕事29:2006/11/16(木) 01:29:09 ID:ePZ3TYgd0
- ガゴン!という激しい音で目が覚めた。倒れこんで見る景色。視界を誰かの足が通り過ぎる。
ツメカミがうれしそうにゼリーを手にしていた。
前に食事を受け取ってからもう一日たったのだろうか。いや、食事を受け取るのは別に
一日一回と決まっているわけではないけど。これは単に僕らが無事で生きています、食欲も
ありますって意思表示なだけだから。なにしろ時間の感覚がなくなっていた。普通に暮らして
いたって、時計もなく、ぼんやり白い壁に囲まれているんだから、ぼけてくるのは当然だ。
その上僕はツメカミに痛めつけられて、気を失うように寝入ってしまうのを繰り返しているから。
僕も取りにいかなくちゃな。この部屋にいて、これだけが最初に決められてる務めなんだから。
一応お金貰うバイトの立場だしね。
這うようにして、ドア際にある血圧計を目指した。本当なら前に置かれた椅子に座るはずが、
今はとてもそこに乗れそうにない。地べたにへたったままテーブルの上に手を伸ばし、血圧計に
手をかけた。カターン、とけたたましい音を立てて機械が落ちた。血圧計本体はかろうじて
椅子にひっかかって止まった。けれど短いケーブルで繋がれたプリンターは、その命綱を
失って床へ転がった。
拾わなくちゃなあ…。何秒くらいだろう、僕はぼんやりとかわいそうなプリンターを見つめて
いた。横から手が伸びて、プリンタを掴む。その手は、そこに座って血圧を測るはずの椅子の
上に血圧計をまっすぐ置くと、プリンタを繋いでくれた。
「ありがと…」
僕はその手の主―ヒッツレに礼を言った。ヤツは少しも表情を変えずに、黙って座り込んだ。
もぞもぞと袖を引き抜いて、ベルトを巻く。ほんとにこれで正常に測れてるもんなんだろうか。
まあ、そもそも最初っからいい加減なもんだけど。僕らが欲しいのはエサを取り出すための
紙っぺら、雇い主が欲しがってるのは僕らがちゃんと生きてる証。
壁にもたれてじっと見ているヒッツレの目を見る。普通に暮らしてたら、すごくぶしつけで
失礼な視線だ。けど、おりの中で同居してるような僕らには、それこそが会話にほかならない。
この視線だけで通じ合う、気持ちのリズムみたいなものが出来上がってる。
- 420 名前:初仕事30:2006/11/16(木) 01:31:53 ID:ePZ3TYgd0
- じっと見合っていると、怒りでも不快感でもない、かといって馴れ合ってくるでもないヒッツレ
の、体温みたいなものが体を包んでくるような気がするんだ。
この目。そういえばどこかで見た目だ。いつからか、ヒッツレと目が合うたびそう思ってた。
きついけど、もっと向こうを見透かしているような目。少し寂しそうで、かといって慰めを
待っているわけでもなさそうな。誰だろう、タレントかな。少し切れ長の目、あごは細く、
不満を噛み締めているような口元、ちょっと幼い顔。まだ、ヤツの声を聞いたことがない。
プリンタから紙が排出される。ビッとちぎると同時にヒッツレが立ち上がり、機械を両手で
持ち上げた。きちんと、落っことす前の位置に戻してくれる。
「ありがと…」
ヤツの足元にへたり込んだまま、礼を言う。瞬きだけで、いいよとヤツが言った気がした。
僕の手からそっと記録紙を抜き取ると、ヒッツレはそれを壁の口に差し込んだ。
しばらくしてガン、と音がする。受け口には僕のほうが少し近い。いざって行って、開いた。
目に飛び込んできたのは、赤。キャンディの赤い色。いちごか、チェリーか。いや、そんな
愛らしいものとは違う。含みのある、少し深い赤。ぶどうかな、ワインかもしれない。
それを見たときなぜか僕は、終わりだ、と思った血のような赤。何かたくらみを思わせるような赤。
反射的に思ったから、なぜかは説明できない。でも、今まで届けられてた少し黄色がかった白い
キャンディとは明らかに違う。ライチみたいなあの味とも、きっと違ってるんだろう。味よりも、
この深い赤は僕に最後って意味を示してる気がする。破滅の色。もう、おしまいが近づいてるんだ。
何もかもの、おしまいが。
ちょっとだけ、僕は苦笑いした。何がおしまいだよ。そんな妄想、みじめさが増幅するだけだ。
僕はここでさらにツメカミにいたぶられ、犯されて、傷だらけになって、ぼろきれみたいに
なるまで暮らすんだよ。僕は笑うかわりに、フン、と鼻を鳴らした。
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