- 131 :商談 6:2007/02/09(金) 20:52:21 ID:00URld240
- 「ありがとうございます! 篠原さんのご協力があれば、うちの社員たちも安心して
仕事に打ち込めます」
義純が顔を輝かせる。この男は、耳触りの良い言葉しか聞くつもりがないのだ。
「しかしですね水原さん、役員連中の大半は私の判断に納得していないのですから、
私の苦労も一通りではないわけです」
義純は首を竦めながら篠原の次の言葉をただ待っている。まったく、肝心な時には
役に立たない。田村は義純の尻を蹴り上げてやりたいのをこらえて口を出した。
「必ず、篠原さんのご判断の正しさを立証してご覧に入れます。先日お持ちした資料の」
だがそこまで言った田村の言葉を、篠原が手を振って遮った。
「結構。そちらの能力を疑ってはいません。ただ、労力に見合った見返りを、
私も必要としていると申し上げているのですよ」
賄賂か。この財政難に。
「御恩は決して忘れません。八尾商事さんの、そして篠原さんの利益に繋がるよう」
「それは仕事であれば当然のことだ。私が苦労するしないに関わらず」
篠原の冷淡な言葉に再三遮られ、篠原の我侭を聞き入れる算段をしながらも、
田村は真っ当な取り引きの話を引っ張った。
「それはもちろん価格面でも勉強させていただくつもりですし、納品時期に関しましても」
「ですから、八尾商事に対しての便宜は当然です。私が言っているのは、
この私個人にどう報いてくれるおつもりかと言うことですよ」
この贅沢な宴席をなんだと思っているのだと田村が内心で毒づいたのと、
義純が無心な言葉を発したのとは、同時だった。
- 132 :商談 7:2007/02/09(金) 20:53:11 ID:00URld240
- 「当然、篠原さんへのお礼は考えます! うちの命運は、八尾商事さんにと言うより、
篠原さんにかかっているんですから。ご要望に沿えるよう、全力を尽くします」
勢い込んで言うその台詞は、篠原との特別な仲を強調しておもねったものに違いない。
担当者との馴れ合いは義純の得意分野だ。田村は急いで口を挟もうとしたが、
篠原が田村に向かって手を上げて言葉を封じた。
「さすがに社長さんはわかっておられる。最高責任者としての覚悟を感じますよ。
お若いのに、ご立派な心がけです。さぞお父上のご教育がよろしかったのでしょうな」
喉元をくすぐる言葉に義純は簡単に乗せられた。
「ええ、この地位にあるからには社運はこの私の肩一つにかかっているのだと、
そう教えられました。篠原さんとのお取り引きも、当然そのつもりで臨みます」
ここまで来たらもう手後れか。田村は口を噤んで成り行きを見守った。
「この篠原も、水原物産全社に対して私個人への見返りを求めてはおりませんよ。
私個人が親しくさせてもらっているのは、水原さん、貴方個人なんですからな」
義純はもう有頂天だった。
「篠原さん、何でも言ってください。私にできることなら、何でもします」
慌てて田村がもう一度口を挟もうとした時、篠原が言った。
「では水原さん、会社とは関係なく貴方お一人でできることをお願いしましょう」
田村と義純が訝しげに沈黙して待つ間を一拍置いて、篠原は切り出した。
「貴方自身を、私のものとさせていただきたい」
- 133 :商談 8:2007/02/09(金) 21:00:15 ID:3nlk734d0
- 田村が篠原の言葉を理解するのに三秒かかった。義純の方はまだ理解できていないらしい。
そのきょとんとした顔を改めて観察し、田村は篠原が言う意味を得心した。
義純の母親は評判の美人だが、その血を濃く継いだ義純も美しい青年だ。
その優しげに整った顔を、育ちの良さそうな上品さと穏やかさが彩っている。
もっとも、篠原がそういう趣味の持ち主だとは知らなかったが。
「あの、ヘッドハンティング…ということでしょうか?」
篠原が吹き出した。
「違いますよ。私個人への見返りと申し上げました」
「では…?」
困惑する義純に篠原が手を伸ばす。わけがわからずじっとしている義純の顎を、
篠原が指先ですくい上げた。
「この間の、鋼材の件。とりあえず、三年契約でいかがですか。
貴方にはそれだけの価値があると、私は思っています」
篠原の指が顎からずれて首筋を辿り、耳の下へと伸びていく。
義純の顔が強張っていくのを、田村は冷めた思いでじっと見守った。
- 134 :商談 9:2007/02/09(金) 21:01:03 ID:3nlk734d0
- 引き攣った笑いを浮かべて義純が飛びすさった。
「し、篠原さん、ご冗談はやめてください…」
宙に浮いた手を引き戻して指を組み、篠原はゆったりと笑った。
「貴方が私に身を任せてくれるなら、御社の未来は私が保証しましょう。
嫌だとおっしゃるなら、私としても、苦労をしてまで御社にこだわりません。
貴方を抜きにすれば、同じ程度の会社は他にいくらでもある」
義純が凍り付いた。返事もできずに唇を震わせている。
田村はこの異常な展開に自分がさほど衝撃を受けていないことに驚いた。
内容は予想外だったが、落とし穴があることだけは予期していたからかもしれない。
義純が田村を振り返った。義純の縋りつくような目を見るのは初めてだった。
俺にどうしろと言うのだ、お前の体のことだ、決断できるのはお前1人だろう。
田村は口を開かずに静かに義純を見返した。田村から救いの言葉が発せられないのを
悟った義純は震える手を畳に付いて、篠原の方に体だけ向き直ると声を絞り出した。
「少し、少しお時間をいただけませんか」
「次の機会はありませんよ。今決めてください」
「あの、10分っ、10分でいいので」
義純は真っ青だった。これまで甘い言葉しか言わなかった篠原の豹変も、甘い言葉の
裏にあった企みも、欲しい助力が得られないことも、許容範囲を超えているのだろう。
楽なことしかしてこなかった報いだと田村は苦く、だがどこか愉快な思いで、考えていた。
- 135 :商談 10:2007/02/09(金) 21:01:57 ID:3nlk734d0
- 田村を引っ張って離れの外まで出た義純は、改めて田村に縋る目を向けた。
「田村さん、どうしよう」
「社長、これは私に裁量できることでは…」
「社運がかかっているんじゃないか、真剣に考えてくれよ!」
苛立った声を上げる義純に、田村は新たな嫌悪感を感じた。篠原の要求を断りながら
会社の運営に支障を出さずに切り抜ける、義純は田村にそれを求めているのだろう。
そうするしかないのであれば田村は努力する。だが今となってはそれは絶望的な努力だ。
その絶望を招いた張本人が、素知らぬ顔で田村に責任を負わせようとしているのだ。
「断りたければ断りなさい。理不尽で無礼な要求です」
義純がほっと肩の力を抜くのを見守りながら田村は言葉を継いだ。
「ただし、今八尾さんに切られたらうちは負債を背負います。その覚悟で断ってください」
「どうしてそんな他人事みたいな言い方をするんだよ!?」
泣きそうな声で怒鳴る義純に、田村は、半分は他人事だからだと心の中で吐き捨てた。
天秤の片方に乗っているのは義純と言う個人なのだから。本音を言えば、義純が篠原の
要求に応えてくれれば事は簡単だと思っている。だがそれを言うわけにはいかないし、
たとえ義純が背中を押されることを望んでいても言ってはやらない。
義純個人のことでまで責任を負わされてはかなわない。
- 136 :商談 11:2007/02/09(金) 21:02:28 ID:3nlk734d0
- 「取り引き材料は貴方個人だ。私にどうこう言えるものじゃない。
社長として一人の人間として、ご自分の判断で最善の道を選んでください」
突き放された義純が忙しく計算を始めるのが田村にもわかった。この会社をなくして
自分の生活がどうなるのか。息子を信じて隠居し療養している父親にどう思われるのか。
義純の額にはびっしりと汗が浮いている。これまで自信いっぱいに進めてきた手法が
まるで通じていなかったことを思い知らされて、その上で一人で決断しろと迫られるのは、
さぞつらかろう。ここで義純が父親に電話して指示を仰いだら笑えるなと田村は思った。
勝人は義純でなく田村を叱り飛ばすだろうが、義純の権威も失墜する。それも悪くない。
長い沈黙の果てに、義純は干からびたような声で囁いた。
「こういうのは……一回で済むんだよね?」
これも取り引きなのだから自分の得になるように闘うしかないものを、
義純は相変わらず周りが自分に都合良く動いてくれることを期待しているらしい。
「一回で済ませたければ、そう持っていくしかないでしょう」
苛立ちを抑えて田村がぼそりと言うと、義純はきつく目を閉じた。
言って欲しい言葉を誰からも言ってもらえないのは、義純には初めてに違いない。
義純はそのまましばらくは押し黙っていたが、結局「わかった…やるよ…」と呟いた。
田村はいささか驚いて義純を見た。九割がた、義純が逃げ帰ってすべての尻拭いを
自分に押し付けてくるものと思っていたのだ。義純の性格からして、社員を路頭に
迷わせないためだとはとても思えない。安定した生活しか知らないお坊ちゃんは、
会社を潰すのが余程怖いのだろう。あるいは、無能者のレッテルを貼られるのが怖いのか。
- 137 :商談 12:2007/02/09(金) 21:03:20 ID:3nlk734d0
- 連れだって座敷へと戻った田村と義純を篠原は泰然として迎えた。
相手に選択の余地がないことも義純の気の弱さも、先刻承知だったのだろう。
義純は篠原の前に改めて手をつき、頭を下げた。
「篠原さんの……ご要望に、お応えします…」
「決心なさいましたか。賢明なご判断だと思いますよ」
「ですがどうか……今回限りと言うことで……」
「それは貴方次第だ、水原さん。私に、充分な見返りを得られたと思わせてくだされば
それでよし。そうでなければ、取り引きは失敗と言うことになりますね」
数字の出ない結果を測るものは篠原の言葉一つと言うわけだ。分が悪いどころではない。
だがその条件で義純にせいぜい頑張ってもらうしか道はないのだ。畳に手をついたまま
顔を上げることすらできずにいる義純を見やりながら、田村は自分の鞄を引き寄せた。
「では車を呼んでまいりますので……」
そう言いかけた田村を篠原が制した。
「いや、ここで結構。私はこの離れが気に入っておりましてね」
「ここで、ですか」
義純がぎょっとして篠原を振り仰いだ。ホテルにでも連れて行かれるならまだしも、
こんな座敷で慰み者にされるのは、屈辱が二倍にも三倍にも感じられるのだろう。
いよいよもって変態だと篠原を内心で軽蔑しつつ、田村は腰を上げた。
「では、私はこれで失礼します。社長、後をお願いします」
「た、田村さん…」
義純の泣き出さんばかりの声に、篠原の声が被さった。
「いえ、田村さんにも残っていただきましょう。社長もお一人では心細いはずだ。
側についていてあげてください」
(続きます)
- 138 :風と木の名無しさん:2007/02/09(金) 21:14:11 ID:hl3JKOX+0
- 商談タンGJ!!
これからどうなるのか楽しみにしています
- 139 :風と木の名無しさん:2007/02/09(金) 21:21:24 ID:QAkb/zE10
- 商談さん乙
料亭はイイ!
- 140 :138:2007/02/09(金) 21:33:18 ID:hl3JKOX+0
- あう、プレザントタンも遅くなりましたがGJ!!
皆さん続き楽しみにしてます!!
>>126
乙です
戻
前
次