「雅。」
「おう、山鹿か。久しぶり。」
「久しぶりがあるかバカタレ。お前この二年いっぺんもお頭に使いを出していないだろう。おかげでお頭の機嫌が・・・・おい、その後ろのわっぱ・・・・。」
「あぁ、これ。えーっと・・・拾った。しばらくワシの下で働かせとったんだ。筋がいいんで連れてきた。」
「ふん?どうでもいいが・・・。頭が待っとる、はよう行け。ああ、そいつは連れて行けんだろう、俺が・・・。」
「ああ、いいんじゃ、ワシが連れて行く。」
雅之助と伴輔が甲賀の縄張りに入ると直ぐに見張り番の山鹿が現れた。
と言う事は、土肥の城が落ちた事も世継ぎたる伴輔が行方不明であることも詳細は既に頭に伝わっており、雅之助が郷に向かっているのも知っているだろう。さすがに伴輔の姿形までは甲賀の郷には伝わっていないようであったが、雅之助の連れている少年が金五十貫の首、伴輔と知れれば甲賀の郷にもたちまち騒動が巻き起こるであろう。
雅之助は山鹿を軽くあしらい頭の元へ向かった。
深く腰まで笹が茂る道をくねくねと曲がり遠回りしながら雅之助は歩いた。伴輔が何故真っ直ぐ歩かないのかと尋ねると、そこら中に罠が仕掛けてあるので目印の通り歩いていると言う。
だが、伴輔の目で見ても何処に罠があり目印が何であるのかは皆目見当がつかなかった。
「伴輔、最初に会った男な、あいつ山鹿と言ってワシの幼馴染で良い男なんだが・・・・。」
「山鹿。しゃれた名だ。それがどうした。」
「あいつな・・・・んー、まぁいいか。とにかくあいつには余り近づかん方が良い。それから伴輔の名はワシが良いというまで絶対明かすな。いいな。」
「ああ、判った。」
一刻も山道を歩くと先に郷が見えてきた。雅之助の属する甲賀の山里である。
それはごく普通の小さな村で、誰もが顔を真っ黒に日焼けさせ狭い田畑を耕し炭を焼き、竹を編んでは籠を作り街の市で売るのだと雅之助は言った。
「ただの貧しい郷にしか見えん。皆、見窄らしい格好をしている。さっきの山鹿という男はだいぶマシな服を着ていた。」
「郷の民は皆忍びだ。だが年がら年中忍びをやっとる訳じゃない。仕事の無いときは普通の農民だ。山鹿やワシや、あと何人かは常に臨戦態勢でめったに郷には姿を出さず影で見張りをしとる。それで好きな格好ができる。どうじゃ、ワシは依怙贔屓されとる身分だぞ。凄いだろう。」
「郷の民全員で芝居をしているのか。」
「そうだ。一致団結固い絆で皆協力して生きて居る。」
「お前の口から協力と言う言葉が出るとは思わなかった。」
雅之助は伴輔の頭を小突くと郷の中心のやや高台にある屋根の高い家の前で止まった。其処は甲賀の頭の家だ。
門をくぐると直ぐに音も無く女が進み出た。背が高く目つきの鋭い女だったがとてつもなく美しい。つややかな黒髪を後ろで一本に纏めて恥らうように俯き、唇に薄く紅を引くその清楚な美しさに伴輔は一瞬目を奪われた。初めて女を美しいと感じじっと女を見つめていると、雅之助が悪戯めいた笑みを浮かべて女の尻をペロンと撫で上げた。
「おゆうちゃ〜ん、しばらく見ないうちに美人になっちゃってぇ!」
「雅之助っ、貴様っ!!」
怒鳴り声をあげたその声は若い男のものだった。
男は雅之助めがけて鋭い拳を二・三突き出したが雅之助は手で受け止めながら楽しげな声で一体どうしたざまだと問うた。
「罰だ、お頭の!」
「何をやらかした?ワシが居らんのに騒動が起きるはず無かろう。」
「鹿と狸が私の寝込みを襲いに来た。それに抵抗していたら知らず炭小屋一つ潰してしまった。」
「山鹿と玖狸じゃ束でもお前には適わんだろうに、いつまでも阿呆な奴らだ。」
「それで私は一ヶ月も女装をしてお頭の館で女中の真似をせねばならん。奴らは二ヶ月間交代無しの見張りだ。」
「それにしても女装とは相変わらず訳のわからん罰だ。あのジジィ一体何を考えとるのか。」
先程までの流れるようにしなやかな動きは何処へやら。女装した男は袖を捲くり上げ額に血管を浮かせ雅之助に愚痴を聞かせている。
その横顔を呆然と見上げていた伴輔の初恋にも似た淡い思いは一瞬にして消えうせた。
延々と愚痴を述べる美しい男の名は雄三だと雅之助が教えてくれた。元は伊賀の下忍だったそうだが、伊賀の郷は戦で焼かれ一族は離散、親しかった者たちは全て死に絶えたと言う。腕も良く頭も切れる、流派にこだわらず柔軟な姿勢を由とする雄三をこの甲賀に連れてきたのは、山地の爺と呼ばれるこの郷の頭だそうだ。民の信頼厚い頭の号令一下で全ての者は命令に従う。
誰一人として反対することなく雄三を受け入れたが、その秀麗なる美貌が災いして昼日中からでも男に言い寄られる始末である。雅之助と不思議と気が合いつるむ事が多くなるとそれも少なくはなってきたが、降り掛かる火の粉は相変わらずであるという。
「ともあれ、お頭に挨拶と謝罪を。お前から全く音沙汰が無いのでお冠だ。」
雅之助と伴輔を頭の部屋の前まで案内すると、雄三はまた女の物腰で静かに去っていった。
雅之助は部屋の前で息を吐き、一呼吸を置いて戸を開けた。
戸を開けると同時に何かが雅之助の眉間をピシリと打ち床へ落ち転がった。伴輔が目で追うとそれは炒った大豆であった。
雅之助は眉間を人差し指で摩りながら進み入り、伴輔も後に続いた。
上座には渋い表情をした禿(かぶろ)頭の白髪の老人が座って二人を見据えていた。
「大木雅之助ただいま戻りました。」
「戯けが。」
老人は一言そう呟くと目を瞑り黙ったまま言葉を発しない。
雅之助もただ黙ってじっと座っていた。
伴輔は息を潜めて二人を見比べている。
狭い部屋の中は重苦しく剣呑な空気が漂い、秋口の涼しい気候であるにもかかわらず伴輔の背には冷や汗が流れた。二人の発する気はそれ程押し詰まって呼吸をするのも難儀に思えた。
唐突に一言雅之助が言葉を発した。「ワシが何とかする」
それに対し老人は「戯け」と返した。
「こいつは頭が良い、筋も良い、一教えれば百悟る。きっと将来あんたの夢を叶える道具の一つと成り得る奴だ。あんたの為にも郷の為にも、ここに置いて損は無い。」
雅之助の話を聞いていた老人はしばらく間を置いて、伴輔に対し重い口を開いた。
「名を捨てよ。是より先、人の路は歩めぬ。人の字を捨て半助として己が罪を知りその役目を全うせよ。」
そう言うと老人は立ち上がった。
座っていたときは凄まじいまでの威圧感で判らなかったが、思いのほか小さな身体をした人だと伴輔は思った。
その背を伴輔が見送っている横で雅之助は床に擦り付けるほど頭を下げていた。
部屋を出ようとした老人は立ち止まり振り向きもせずただ一言。
「半助。」
「は・・・・。」
「裏切るなよ。」
身内への裏切りは極刑に値する罪である。
伴輔の所業を、その出身を知りながらあえて仲間として受け入れる、但し二度目は無いのだと。
その一言で全てを察した伴輔もまた。
雅之助同様深く頭を下げ老人を見送った。
伴輔の名を捨て土井半助として生き始めた十二歳の初秋である。
〜つづく〜
2002/04
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