血塗れの君とずぶぬれの僕



  丹後の黒鍔城に夜叉という名のくノ一がいるらしい。何でもたいした殺しの腕前で、蕩ける様な美女なんだと。その綺麗な顔で眉一つ動 かさずに返り血を浴びて戦場を駈けるさまはまさしく夜叉のようで、ほれ、二ヶ月ほど前にはざまと言う小さな集落が年寄りから小さな子供まで全員皆殺しにされたことがあったろう。アレもその夜叉の仕業なんだと。いい女ってからには是非にも見てみたいもんだが、命がいくつあっても足りそうにねぇな。


同輩達が数名、そう噂話をしているのを耳にした。「丹後の黒鍔城の夜叉」の言葉に引っかかる所はあるがくノ一ならばあいつじゃない。性別も名前も違うし、それにあいつは見境もなく殺戮をするような奴じゃない。ただ黒鍔城というのが気になる。そこはあいつが城勤めをしているところだった。



「お前は何処へ行くんだった?三木ヱ門?」

春の暖かな陽気の中で、滝夜叉丸は俺をチラリと見た。
ずっと前からそうだったが滝夜叉丸の横目で見遣る視線は、背筋から頭まで冷たい指でスッとなぞられたような、胸の奥が小さく疼く不思議な感覚を起こさせる。
忍術学園在学中の6年間、ずっと好敵手として近くにいて、大概この視線になれてきた俺でさえ、不意に視線を送られるとはっとさせられることがある。
あまり人を寄せ付けず、俺以外の人間と接することの少なかった滝夜叉丸、そのため免疫の無かった他の連中はこの視線に惑わされ邪な念を抱き、それをぶつけに行ったようだがことごとく手痛い目に遭わされ、二度とちょっかいを出すことは無かった。
・・・と、俺は噂でしか聞いていない。本人に聞いてみた事もあるが、ああ、そんなこともあったか。と、さらりと流されるのでそれ以上の詮索は出来なかった。


「あ?あぁ。俺は結局何処にも決めなかったよ。しばらくは学園とか利吉さんからの紹介で仕事を貰って腕を磨くさ。しかし見ていろ!いつかこの田村三木ヱ門の火薬の知識を欲しいと全国の城から声がかかってくるぞ!その時になって俺を不採用にした城なんぞには…」
「そうか。では私は行くぞ。達者でな三木ヱ門・・・・。さよなら。」
「おい、滝、待てよ・・・・」

もう行ってしまうのか?お前にまだ言っていない事がある―。

そう言いかけたがそれ以上は聞いてもらえず、滝夜叉丸はくるりと背を向け、振り返りもせず学園を後にして新しい世界へと歩いて行ってしまった。これからのお前の人生に俺は必要ないんだな。
一人取り残された俺は滝夜叉丸の背中が見えなくなるまで、いや、見えなくなっても尚、言えなかった言葉は飲み込んで滝夜叉丸の歩いて行った道をいつまでも眺めていた。


それから三年、いつまでも学園や知人を頼るのに気が退けていた俺は、何処にも身を寄せず小さな依頼を引き受けては何とか食いつないで生きていた。
今回の仕事も二・三日で終わる簡単な仕事。敵陣に忍び込み大将の部屋の位置を確認し、兵糧の数を探ることだった。仕事中だけの仲間数名と敵陣内へ忍ぶ簡単な仕事。手筈通りに事を運び、後は夜明け前に城を抜け出すだけだ。
見回りの敵兵をやり過ごすため塀の側の草むらで忍んでいると敵兵の無駄話が聞こえてきた。無駄話でも時には重大な情報をもたらすことがあるので聞き耳を立てる。


「おい、見たか?あのくノ一。ゾッとするほどいい女じゃねぇか。」
「らしいな、黒鍔の夜叉ってぇ大層な凄艶だってな。聞いた話じゃどこそかの集落を全滅させたって程の殺し好きなんだとよ。下手にちょっかい出すとココも、ココもちょんぎられちまうぜ。」

男は下と首を手の甲で指して言った。

「かまわねぇよ。あんだけの女なら一度お願いした後で殺されたって文句は言わねぇって。」

そう話しながら見回りの兵は去っていった。


「夜叉って奴がこの城に来ているのか。」

ここは黒鍔城とは親戚筋の城なので夜叉が来ているのだろう。


それはちょっとした好奇心だった。美人だってのにも惹かれたが何より滝夜叉丸とよく似た名前の腕の立つ奴って所に興味が湧いた。しかし殺し好きって所にはいささか閉口する。忍びは殺しが目的ではないと学園で教え込まれてきたからだ。
仲間達と落ち合う時間までまだ間がある。危険に足を突っ込まない程度にその夜叉とやらを探してみようと思った。くノ一ならば大抵は身分の高い女性の側に使えているはずたがココは戦になるかも知れない城なので飯炊き位しか女はいない、となれば仕方がない。
そこら辺の下っ端を殴り倒して服をはぎ取り変装をする。兵の詰め所へ行き

「誰かぁ、夜叉殿を見なかったかー?斉藤様がお呼びなのだが。」

適当に上級武士の名前を出し、適当に誰かに話しかけると

「おぅ、夜叉殿なら先程北の城壁を見回りに行かれたぞー。」

と声が帰ってくる。ちょろいもんだ。


さてと、夜叉は何処に・・・あれか?
残念ながら後ろしか見えん。黒く艶やかな長い髪に、女にしては背が高く・・・??
あの後ろ姿、何処かで…。
そう思って思わず身を乗り出したとき足下の小枝を踏みつけてしまった。

・・・パキ・・・

その音を聞きつけた夜叉が振り返った瞬間、俺は我が目を疑い同時に声を発して驚いた。

「滝夜叉丸!?」

忍びにあるまじき行為・・・。


俺は茂みを掻き分け滝夜叉丸の方へ近寄っていった。卒業の日、言いたいことも言わせてもらえず、俺に背を向けて振り返りもせず行ってしまった彼を再び眼に出来て舞い上がったしまったその刹那、


――ッシュン!


頬をかすめて戦輪が飛ぶ。あぁ懐かしい感触・・・じゃない!滝夜叉丸、俺が解らないのか?

「待て!滝夜叉丸、俺だ、三木―――っわ!」
「曲者…、軽々しく私の名を呼ぶな。」

尚も戦輪の襲来は続く。とりあえずココは逃げる!
と見せかけて、俺は塀の隙間にピッタリと張り付き隠れた。逃げる、隠れるは火器の次に得意になっていた。じっと息を潜めて様子を伺い、撤退の頃合いを見定めていると闇の中から男が一人現れた。
体中から剣呑な気を立ち昇らせた、見たところ三十路前の忍びの男。その男は滝夜叉丸に向かって歩いてきた。

「夜叉、曲者か?」
「雑魚だ。取り逃がした。」
「フン…。お前が仕損じるとは珍しいな。」
「私にも手落ちはある。」

男は何か思案顔をしたが、にやりと笑って滝夜叉丸の腰に手を回し、そのまま口づけやがった。

「やめろ志岐、任務中だ。」

だが滝夜叉丸にはいやがる様子も見られない。

「お前が戦輪を使えるなんて、知らなかったぞ。」
「たまたま持っていたから使っただけだ。それが忍びだろう。とにかく見回りの途中だ。後にしろ。」


滝夜叉丸はそう言って志岐と呼んだ男の腕をほどきまた闇の中に消えていった。
どういうことだ?夜叉は確かに滝夜叉丸だ。俺が見まごうはずがない。あの戦輪だって俺が長年慣れ親しみ躱し続けた滝夜叉丸のモノだ。でなきゃ俺は避けきれていなかった。
しかし、あの滝夜叉丸が簡単に自分の至らなさを認めた?しかも、男の腕の中で抗いもせず身を任せる?
それだけ信じた奴なのか?そうは見えなかったが・・・。


ともかく一騒ぎ起こしてしまった感があるのでこの場はおとなしく退散、俺は闇に溶けた。






「夜叉・・・、知っている奴だったのか?」
「さぁ・・・忘れ・・て・しまった・・・。」

「本当に逃げられたのか?」
「そう言った・・・はっぁ・・・っあ・・んっ・・・」

「珍しいな。お前から抱けなどと。」
「い・・いから・・・ぁっ・・・ぁあっ・・・もっと・・・もっと!」

わすレさセて!ケしてしマッて!私の中からあいつの影を!

 何故今頃私の前に現れた?やっと消し去ってしまった、忘れ去ってやったと思っていたのに。6年間、お前だけを想って、見つめ続けて、愛し続けて、いつも側にいて、いつも触れ合っていた、なのにお前は最後まで私に言ってくれなかった。
あの最後の日、私がどんな思いであの場を去っていったか解るか?これからいくらでも伸びて、自由に羽ばたこうとして、それを楽しそうに語っていたお前に、私の独り善がりで足枷など付けられない。どんな強がりをもってしても溢れる涙は抑えられず、そのまま振り向くことも出来なくて、ただひたすら自分の道だけを見つめて歩いて行くしかなかった。


「名は?」
「滝・・・夜叉・・・。」


志岐は頼れる男だった。天才を自負するこの私でさえ気後れする程の実力があった。二人で組めばどんな困難な任務も問題なく処理できた。私は彼を心底信頼し、彼も私に一目置いてくれた。ただ私には一つだけ彼に引け目があった。名前を偽っていたこと。始めは偽るつもりなど無かったが、たまたま彼が私の名前を「滝・夜叉」と聞き違えたのが発端だ。その頃はまだあいつのことが忘れられず、あいつ以外に滝夜叉丸と呼ばれるのもしゃくだったので、そのまま夜叉で通すことになった。戦輪が得意だというのも黙っていた。それがきっかけになるとは・・・。


「夜叉、俺に何か隠事をしていないか?」
「ん・・・、別に、隠し事なんて。」

「俺達の仕事は信頼関係の上に成り立っている。そう思わないか?」
「もちろん、あなたのことは背を任せられる人だと思っている。」

「背だけではなく・・・、こちらの方も任せてもらえないか・・・。」
「!?何を!!」

志岐はいきなり私を押し倒し唇を塞いだ。手は袴の中へ忍び込み私の身体の中心へと進入してくる。

「志岐!嫌だ、やめろ!志岐!!」


無理矢理だった。どんなに抵抗してみても所詮は彼の方が私より何枚も上手。彼の愛撫に身体中の力が抜け、彼の私に対する侵略を許すときには意識も哀しみも半分消えていた。おそらく何か薬でも使われたのだろう。痛みを伴う初めての行為は夢現の中で行われていった。朧気な意識の中で私を抱いて、力の限り貫いていたのは、志岐ではなくあいつだった。
三木ヱ門、やっと私を抱いてくれるのか。この時をどれほど焦がれ待ち望んでいたか。三木ヱ門、もっと私を抱きしめて、もっと私にお前を焼き付けて。私の半身、三木ヱ門・・・。
私はろれつの回らない口で三木ヱ門の名を呼んでいた。

「ぃ…き…はぁ・・ぁ…き…っきぃ…。」

それが志岐には自分の名を呼んでいるように聞こえたようだ。次からはとても優しく扱ってくれた。
それを私は愛情と誤解してしまった。彼に心を寄せればあいつを忘れられるのではないか、そう思い体と心を寄せようとした。だが心のどこかにいつも三木ヱ門が居る。そんな私を彼が見抜けぬ筈ない。
次第に私に対する扱いは荒くなっていった。それでも彼が私の身体を貫き掻き回している間は、あいつのことを忘れられる。彼の指示で危険な任務もこなしていればその間は気が紛れる。私と志岐の関係は仕事と身体、そんな間柄でしかなくなっていた。

つい最近も志岐は黒鍔城と敵対する城の戦力になる恐れがあるとして忍一族の集落の殲滅をしていた。
30人ほどの集落は志岐一人の手であっと言う間に墜ちた。逃げる者を漏らさぬよう里山に潜み様子を見ていた私の出る幕など無かった。全員の死亡を確認するため集落に出てきた私を志岐は血塗れの手で抱き寄せ口づけをした。

「お前は血塗れもよく似合いそうだ。」

そう言うなり志岐はその場で私を抱いた。血の海で絡み合う様なぞ正気の沙汰ではない。
ひとしきり私を苛ますと、志岐は死体の数の確認を言いつけて自分は城への報告にと発っていった。まだ乾ききらぬしたたり落ちる生臭い血と汗の臭い。そんな中でも、もう涙も出やしない。私はいつの間にこんなに汚れ荒んでしまったのか。
その時、竹林の影から樵が一人出てきて血海の中表情無く立ち尽くす私を見て叫びながら逃げていった。

「ひぃぃぃぃ!や・夜叉だ!夜叉だぁぁ!!」

その通りだ。私は何よりも醜く何よりも汚れた存在のようだな。三木ヱ門、私はもうお前には触れることが許されないみたいだ。
そう思ったら枯れたと思っていた涙があふれ出した。





 滝夜叉丸と別れた後、雇い主の元へ戻り仕事の報告を終え今回の任務を完了した。俺は滝夜叉丸のことが気になり単身黒鍔城へ潜り込もうと思っていたが、そんなときに限って珍しく次々と仕事が舞い込んできた。
そうして二ヶ月、三ヶ月と日が経っていくうち、嫌な噂を耳にした。


「黒鍔城でお家騒動が持ち上がっているらしい。」


新しい仕事先の仲間がそう言っていたのを聞いた。折良く黒鍔城と敵対関係にあった城に俺は雇われ、黒鍔城に潜り込むきっかけが出来た。
まずは仕事を優先させお家騒動の実態を調べるべく、城内を動き回ったが何かおかしい。この黒鍔城にはあの志岐とかいう男と滝夜叉丸、その他にも忍びが二〇数名居る筈なのに、気配すら伺えない。それだけ相手が手練れなのか、他に何か理由があるのか。
なにやら不穏な動きがあることは伺えた。とりあえず城主の部屋へ潜り込んで書状でも調べてみようと屋根裏へと忍び、部屋の真上へ来た。だが城主の姿が見えない。下調べで外出予定はない筈なのだが。加えて奥方とお世継ぎの姿もない。
おかしい、変だ、心の奥で警鐘が鳴る。
他に調査の術もない俺は地下牢へと向かっていった。牢の中は暗く灯もなかった。
以外と何か秘密を握った他城の忍が捕まってたりして・・・。
お、いたいた。牢から出してやる変わりに交換条件として情報をもらえると助かる。


「おい、お前。おい…。殺られてんのか?っち…仕方ねーな。」


返事がない。死んでいるようだ。まぁ、構わない、死体が何も語らないなんてウソ。調べれば調べるだけいろんな事が解るもんだ。牢の鍵を開け両手を梁から縄で吊られ、頭をうなだれたままの死体に近寄り頸に手を当て脈の確認を取る。暖かい。


「なんだ生きてるのか。おいっ起きろよ。ここから出してや・・・!」


顔を上げさせて見れば滝夜叉丸!?
何でお前がこんな所でこんな目にあってるんだ?ここはお前の城だろう?跪いて滝夜叉丸の顔に近づき頬を二・三度軽く叩くと反応があった。うっすらと目を開けたがまだ焦点が合っていない。


「滝夜叉丸、大丈夫か?俺だ、三木ヱ門だ。解るか?」

滝夜叉丸の眼はゆっくりと俺に焦点を合わせるとかすかに微笑んで俺の名を呼んだ。

「み・・き?」
「そうだ。良かった、俺のこと忘れてなかったんだ。何故お前がこんな所に・・・。」

小声で喋るために滝夜叉丸の耳元に顔を寄せようとした、その時だ。滝夜叉丸が俺の唇に自分の唇を重ねた。


『コッ・コレハ、セケンイッパンデセップントヨバレルコウイデハ!?』


動揺した、混乱した。心臓は奥底は突き上げるように跳ね上がり、身体は硬直した。滝夜叉丸から俺の唇を求めてくるなんて信じられない。柄にもなく緊張して、花に留まった蝶をそっと捕らえるが如く腕をゆっくり滝夜叉丸の背に回した。ここが不穏な空気漂う敵城内であることも頭の中からすっかり吹き飛んでいた。

「滝…。」

調子づいて滝夜叉丸の口の中に舌を差し込もうとしたとき、

「貴様、何をしている…。」

スッと唇が離れ、刺すような眼差しと冷たい口調で滝夜叉丸が呟いた。

「何をって、お前の方から…」
「馬鹿なことを言うな。私がお前に口づけなどするはずがない。」

そう言われてみればそうだ。滝夜叉丸から俺に口付けしてくるなんてある筈がない。

「解ったらその腕をほどけ。」
「あ、いや・・これは、あの〜、ほら、身体を支える為だ。」

赤面しながら下手な言い訳を並べ、滝夜叉丸を抱き締めていた腕を慌てて解いた。
急に身体がとても冷めた気がした。滝夜叉丸の腕を吊っていた縄を解きながら尋ねる。

「ところで、お前さ、何で地下牢なんかに入れられているんだ?お前はここの人間だろう。それにあの志岐って奴・・・。」

恋人・・なのか?

「志岐は…謀反を起こした。」
「ええっ!?」

志岐は城主と奥方を殺し、お世継ぎに家督を継がせ、自分はその摂政としてこの城を牛耳るつもりらしい。この城の世継ぎは若干8才、確かに難しい話ではないが、

「そんな事じゃ、家臣達は掌握できないだろう。」
「奥方様を見たか?」

「いや、この城の何処にも居ない。」
「隣の牢で殺されている。顔を見てみろ。」

滝夜叉丸の指す牢へ行ってみると見るからに身分の高い身なりの良い男女の死体が二つ転がっていた。女の方を見ると艶やかな黒髪で色白の美人、どことなく面もちが滝夜叉丸に似ている。

「解ったか。殿は病死と言うことにして、私に奥方様の替え玉をさせるつもりだったのだ。長いこと私にくノ一の振る舞いをさせていたのもこんな事の為だったとは・・・。殿と奥方様を殺した後でその事を聞かされた私が、それを非難し嫌がったものだから、志岐は・・・。」

見れば滝夜叉丸の身体にはたくさんの打撲や傷の跡がある。

「志岐は薬まで使ったよ。しかし皮肉なものだ。あいつはいつも私に対してあの薬を使っていたから、すっかり身体が慣れてしまっていたのだな。クスッ…あまり効き目がなかったよ。あっはっはっは!馬鹿な奴だよ!いつもいつもいつもいつも!!」
「滝!?しっかりしろ!」

自虐的に笑い怒鳴り出す滝夜叉丸を咄嗟に抱き締めてしまった。今度は殴られると思ったが拳は飛んでこなかった。滝夜叉丸は嗚咽を上げ泣いていた。今の俺にはしっかりと抱き留めていることしかできない。志岐の野郎と滝夜叉丸の間がどんな関係にあったのか俺には解らないが、何にせよ志岐は許せない気がした。
その時、牢の中が仄かに明るくなり人が近づいてくる気配がした。しまった、見つかったようだ。

「ほう、お前だな、ミキと言うのは。まだ坊やじゃないか。」

現れたのは志岐だった。何故この野郎俺のことを知ってんだ。この前の時は俺は見られていない筈だ。

「なぜ俺が坊やのことを知っているのか知りたいか?此奴がいつも閨の中で言っていた。俺の何処が好きかと尋ねたら、橙色に光る長い髪だと言った。深い緑色の瞳が愛おしいとも言った。白い肌にとても惹かれると言った。見ての通り俺は髪も眼も肌も浅黒い。つまり、夜叉は俺ではなく・・・。」
え?まさか?そんな筈は…
「坊やに抱かれたかったようだね。」

ボンッと顔から火が出るかと思った。火は出なかったが煙が出て視界が利かなくなった。この煙は俺の手製の煙幕だ。俺の懐から掏り取って滝夜叉丸が投げたのだろう。煙に紛れ滝夜叉丸の手を取り牢を逃げ出す。騒ぎを聞きつけて忍達がワラワラと集まってきた。

「先に行く!」

滝夜叉丸が俺の前へ走り出て、何処から出したか戦輪を構え妨害に来る奴らに投げつける。戦輪は綺麗な弧を描き、相手の喉元や健を切り裂き手に戻ってくる。狭い通路なのに相変わらず良い腕だ。俺はふと懐に手をやると、忍ばせておいた戦輪二枚がいつの間にか無くなっていた。あいつは掏摸の腕も良いらしい。滝夜叉丸の後で、俺は逃げてきた牢からの細い登り道を全て宝録火矢で潰しながら走った。あの志岐との手合わせはごめんだ。あいつは得体が知れない。
ようやく外に出た所で突然滝夜叉丸が立ち止まった。俺は止まりきれずに滝夜叉の背中にぶつかった。
反動で倒れそうになる滝夜叉丸の腰に手を回して抱き留めた。

「志岐・・・。」

滝夜叉丸の視線を追って前を見れば志岐が立ちふさがっていた。なんて奴だ、生きていやがったか。
となれば此奴を殺さなければ俺達が殺される。滝夜叉丸の肩が小さく震えている。

「怖いか?滝夜叉丸。」
「まさか。」

「あいつを殺らねばおれたちが殺られる。お前、志岐を殺れるか?」
「貴様、私を誰だと思っている。」

昔のままの不敵な笑みを見て安心した。俺達ならあいつを殺れるかも知れない。二人同時に斬りかかった。


ギィ…ン!キン…!


高い金属音が暗い闇の中に何度も響いた。二対一にもかかわらず勝負が付かない。流石に手強い。

「滝!お前は援護に回れ!」

滝夜叉丸を斬り合いから外して戦輪での援護に徹するように促す。一人で間合いに入り、隙を見つけては火薬をぶつけ、また斬りかかる。
火薬は小さな爆発を起こし火傷を作る程度の物だが充分な痛手になる。にもかかわらず志岐の戦闘意欲は一向に衰えない。たまに滝夜叉丸の放った戦輪が志岐を狙い飛んでくるがそれすらも余裕で跳ね返す。
一体どれだけ打ち込み躱されただろう。残された手は肉を切らせて骨を断つ。一瞬態と隙を見せ腕を切らせ、切られた腕で刃を流し志岐の脇腹を狙い刀を入れた。
が、読まれていた。刀は志岐に払われ、腕で頸を取られ羽交い締めにされた。志岐はそのまま滝夜叉丸の方を向き直るとこう言った。


「夜叉、どうだ。この坊やの命と引き替えに俺の所へ帰って来い。俺の野望にはまだまだお前が必要なんだ。此奴はお前の愛しい男なんだろう?」

しまった。滝夜叉丸の足を引っ張る結果になってしまった。滝夜叉丸、俺のことは放っておけ。そのまま戦輪を打ち込んでしまえ、とも思ったが滝夜叉丸がそんなこと出来ようはずもない。だが、滝夜叉丸はあの大胆不敵な笑みを浮かべて言った。あの微笑みは勝利を確信したときの微笑みだ。

「これからの私の人生にあなたは必要ないんだよ、志岐。でも、三木ヱ門は必要だ。」

これって、もしかして、俺が好きだって告白か…だったら、だとしたら、是が非でも生き延びねばな
るまい。次の手を考えていると滝夜叉丸の手で戦輪が回り始めた。

「どうやって俺を倒す気だ。」

志岐は俺を盾に取っている。この位置では戦輪はどうしても俺に当たってしまう。そう思った瞬間、滝夜叉丸は凄い勢いで戦輪を放った。
マジ!?当たる!!
俺は身動きのとれない身体で戦輪の軌道を見定め頸だけで避けた。再び戦輪は戻ってきて志岐の盆の窪を深く切り裂いた。

「ぐっ!」

志岐が呻き声を出したと思ったら俺は蹴り飛ばされて地面に転がり、再び体制を取り志岐の方を見ると滝夜叉丸が志岐の胸に小太刀を突き立てていた。






「夜叉…お前…」
「さよなら志岐。」

私の戦輪が三木ヱ門に当たるはずないだろう。馬鹿な志岐。私はもうあなたに悩まされない。私はもう夜叉にはならない。
志岐の身体から小太刀を抜き、喉を裂いた。志岐の暖かい返り血が私の顔に飛び散る。この血は私の身体を熱くさせ、心に深く影を落とした血。それももう冷めていく。


 私はその場にペタンとへたり込んでしまった。身体中の力が抜け、心まで空っぽになった気分だ。私の目の前に手が差し出された。暖かそうで、大きくて、全てを包み込んでくれそうな形の良い三木ヱ門の手。この手に全てを委ねられたら。でももう遅すぎる。そうするには私は血塗れで、どんなに洗い流しても落ちない汚れものだ。

「どうした。立てないのか?仕方ないなぁ。」

そう言うなり三木ヱ門は私の身体を抱きかかえた。馬鹿、止めろ、と非難の声を上げたがそれは声にならず、私は三木ヱ門の頸に腕を絡ませ、首筋に頭を埋めて声を殺して泣いていた。不甲斐ないと思いながら、三木ヱ門の匂いを感じ、胸の暖かさに触れると今まで押さえ込んでいた物が全て溢れ出してきた。

「滝夜叉丸〜、そんなに涙流すと俺、濡れ鼠になっちゃうよ。」

そう言いながらも声は楽しそうだな。

「一緒に行こう、滝夜叉丸。」
「私は…、あの頃には戻れない。」
「戻る必要はないよ。前に進んで行けば良いんだ。」

そうだな。前を見て行けばいいんだ。振り返る必要はない。

「お前の知力と俺の行動力、この二つが一つになれば俺達は最強になれるぞ。」
「お前…私の所まで聞こえていたぞ。橙の髪の火器を扱う若い忍び、コイツに仕事を任せたら必ず何でも滅茶苦茶にして戻ってくるって。」
「えぇ〜!俺ってそんな噂されてんの?そう言うお前だって黒鍔の凄艶のくノ一ってあだ名されてたぞ。」

クスクス声を立てて笑っている私。笑うのってとても久しぶりだ。三木ヱ門といると昔の私に戻れそうだ。あぁ、戻る必要はないんだ。これから二人で一緒に・・・。

「ところで滝夜叉丸。ああ〜、なんだ、その〜、ウン、あれだよ。なんて言うかー・・・。」

何が言いたい、三木ヱ門。
……もう、じれったい奴だな。

「三年前の言葉の続きか?」
三木ヱ門は眼をぱちくりさせて驚いている。まったく、相変わらず解り易い奴。
「お・お前、気が付いて?知って??」
この私が、お前の想いに気が付かぬとでも思うたか、愚か者め。

行こう、二人で一緒に。二人一緒なら何処へでも行けるさ。ねぇ、そうだろう。

月の無い空の下、沈丁花の香りが漂う頃、二人の若い忍が闇の中に静かに消えていった。




それから二年経った頃、桜を散らす雨の降る中を一人の男が家路への道を急いでいた。街はずれにある長屋の小さな戸の前で一つ咳払いをするとカラリと戸が開けられ、男は家の中へ入っていく。

「お帰り、利吉君。降られちゃったね。」

年齢よりも若く見える男はにっこり微笑んで足を洗うための桶と水を差し出した。
「ただ今戻りました。」

精悍な眼差しの青年は泥にまみれた足を洗いながら、なにやら楽しそうに微笑んでいる。
「どうしたの?何か良いことでもあったのかい。」
濡れた髪を手ぬぐいで拭いてやりながら男は尋ねる。
「今日、仕事先で面白い話を聞いたんです。」
「うんうん。」
「夜目にも鮮やかな橙色の髪と、闇夜に溶ける艶やかな黒髪の双忍の話、聞きたいですか?」
「聞きたい、聞きたい。」

春の夜の夜話が始まる。



…fin…


2001/03


あ〜、なんといいますか・・・
国会の答弁よりも訳が解らず意味のない内容ですなぁ。
まぁ、若毛の至りって事で流してやってください。
しかし、改めて読み返してみると・・・
がぁばハズかしかバイね!オリキャラ出てますし。
しかも、これは延々と続いていくのです。
【聞けない真実、言えない秘密・Said M】へと。
オソロシヤ。



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