滝の言葉と行動の真意を今はまだ確かめることが出来ない。
俺の気持ちはもうばれているというのに。
月のない夜とは忍にとってありがたいことだが、仕事中で無いなら不便なだけだ。ボロボロに切り裂かれ血の滲んだ忍装束のまま、暗い山中の街道を二人で連れ立って歩きながら、身の寄せ所のないであろう滝に行く宛はあるのかと尋ねた。
「…特に行く宛はないのだ。」
と予想通りの返事が返ってきた。
よし!と心の中で握り拳を作って、俺にとっては一世一代の大告白を試みる。あくまでも何気なく、極自然に、極々普通に言葉を喉の奥から絞り出す。
「だったら、俺の所に来ないか。借家だけど部屋も一つ空いているし、共同で生活した方が生活費も食費も倹約できるし―――――」
疚しい気持ちなど微塵もありません、を装い問いかけてみるが答えが返ってこない。
機嫌を損ねたか、それとも軽蔑されただろうか。首を動かさずに目線だけで滝を窺い見ると、そっぽを向いて俯いている。
ああ〜、しまった、早まった、唐突すぎた、もう少し様子を見るべきだったか。
手で眼を覆って濃紺の空を仰ぐ。無意識のうちに魂まで吐き出すような溜息までついていた。多少予想していた結果ではあったが、後悔先に立たず。ま・まぁ、仕方ないか…。
今は二人ともこの格好を何とかしなければならない。もうすぐ陽も昇る。この有様で日中の行動は目を引きすぎる。忍装束はボロボロであちこちから肌も覗いている。特に滝の方は変わり衣も出来無いほど痛んでいた。
「滝夜叉丸、金は持っているか?服を買わなきゃならんぞ。」
「私は着の身着のままで城を飛び出してきたのだぞ。牢の中で装備も取られたし、金などあるわけがないだろう。」
そうだな、とうなづきながら自分の装備の中から金に換わりそうな物を探してみる。ちらりと横目で見れば滝はまだそっぽを向いたまま。さらりと流してくれた方がこっちとしても気が楽なのに。
自分の懐を探って出てきたのは手裏剣が四枚と苦無が一本、後は含み針と鉄線と、うどん一杯分にも成らないようなものばかりで…
あ、これがあったか。愛用の改造火縄銃。銃身を短く切って服の中に隠し易くした物だ。これなら少しはまとまった金が出来る。滝に服と当座の生活費ぐらいは作ってやれそうだ。
里から少し離れた山の中に小さな堂を見つけた。そこで忍装束を裏返して着替え、服を買ってくるからしばらく待つように言うと滝は俺を睨み付けた。
「金はどうするのだ。お互い文無しだろう。」
「これを売れば少しの金に換わるさ。」
火縄銃をクルクル回して見せると滝はいきなり俺を怒鳴りつけた。
「三木ヱ門!それはお前が十四の時から愛用している銃だろうが。そんな大事な物売る奴があるか!」
よく覚えていたもんだと感心しながら、じゃぁどうすればいいんだと頭を捻る。と、滝が何かを投げてよこした。
「これを売れ。」
「ん?へぇ〜、簪か。ちっちゃいくせに重い…?これ、金??」
その簪は見た目よりやたら重いと思ったら金で作られたものだった。飾りの部分は漆の上に細密な蒔絵が施してあり、夜空の星をちりばめたようだった。俺はこういう美術工芸には疎いが、それでも値が張る品物であることはよく解る。それより、これだけの簪を挿せる人間というのはそうそう居るものではない。値段もさることながらこの重量と細工では簪の方が人を選ぶ。簪に見劣りしない豊で健康な美しい黒髪を持つ人間が挿さなければ簪は死んでしまう。
「どうしたんだ、こんな高そうなモン。忍の稼ぎじゃ買えんだろう?」
「志岐が私の髪と瞳の色に合わせて領内一の職人に作らせたのだ。」
今更死んだ人間に嫉妬しても仕方がないのだが、心底ムカついた。金の力で(俺の)滝の気を惹こうなど、戯けた奴だ。
すっかり夜は明けて肌寒いが良い天気の朝だ。滝から預かった簪を持って市へ向かう。立派な店を構えた商家を見つけて中へ入り、主人と思しき人物に簪を見せ話を持ちかける。
「俺の姉上にさる尊いお方が熱を上げてね。その折りに頂いた物なんだが、買ってもらえないだろうか。隣街の商人はケチでこれだけしか出せないと言うんだ。」
パチパチと指で算盤の珠をはじく。かなりの額を提示したが主人の顔色を見るとまだ余裕のようだ。
「俺はこれを売った金で姉上に色々と買って帰らにゃならんので、せめてこれくらいは要る。」
算盤の珠をはじくと主人の顔色が変わった。おっと高すぎたか、ではこれくらい、いやいやこれ程ならと球をはじきあいながらやっと折り合いが付いた。金を受け取るとずしりと重い。
その金で滝に合いそうな服を買い、食料と薬も調達した。早く滝の所へ戻ろうと思うと気が急いた。朝方の失態のこともあるし、あまり待たせると滝が消えてしまうのではないかと心配になってきた。
堂の扉を軽く叩き声を掛けたが返事がない。本当に俺を残して消えたのか?バタンと扉を開けると滝は背を丸めて横になり眠っていた。なんだびっくりした、ちゃんと居るじゃないか。それにしても無防備な…。
俺が扉を開けたのにも気付かないなんて昔なら無かった事だろう。寝顔をのぞき込んでも起きる様子がない。名前を呼んで軽く肩を揺すっても静かに寝息を立てるだけ。その時の俺は何を考えていたのだろう、滝の身体を背中から抱いて一緒に横になった。四・五年前まではほとんど同じ大きさの身体だったが今では俺の方が一回り大きく、滝は腕の中に綺麗に収まってしまった。
頭の中で滝が目を覚ました時の言い訳を考えた。寒かったから身を寄せて暖め合った方が体力の消耗が少ない云々…
どうにせよ罵声を浴びせられるのは免れないだろうと思いつつ、更に心の奥底で「今だけだ、何もしないんだ」と自分への言い訳と説得を続けながら眠りに落ちた。
俺が目を覚ましたのは太陽が少し傾いた昼下がりだった。あまりに腹が減って目が覚めてしまった。滝は起きたかな…?何でこっち向いて寝てるんだ?俺は背中を抱いていたはずだが、まぁいい、役得だとばかりに滝の腰に手を回しもう一度抱き寄せて、その胸元に顔を埋め大きく息を吸い込む。血と汗と硝煙の匂いに混じって微かに滝の香りがした。もう一度眠りに落ちながら微睡みつつ思い出したことがある。
昔、学園にいた時に一度だけこの香りを嗅いだことがある。演習中に埋火を踏み、爆風で飛ばされた滝を受け止めようとして一緒に弾かれ飛ばされた。下敷きになった俺の上で気を失っている滝の呼吸を確認して安心し、自分も大きく息を吸い込むと肋に痛みを感じたのでひびが入っているのに気が付いた。このまま寝ころんでいれば救護班か先生が来てくれるからと、あの時も滝の腰に手を回し、血と汗と硝煙に混じった微かな滝の香りを愉しんでいた。
確かその後は、爆風で飛ばされている最中の十三貫目の人間を受け止めるとは何事だと、先生と滝の両方からしこたまどやしつけられた。
今回はなんと言われることだろうと思いながら、もう一度大きく息を吸い込み、大胆にも額を胸に擦り付けると、自分でも意識しない所で「たきぃ〜…」と情けない声が口を突いて出た。その時突然にだ。
「私の高貴なる名を勝手に略すな。」
その声に眠りの縁から引き戻され、顔を上げれば滝が俺を見下ろしている。眉間にふかーい皺を寄せて。
「私はどれくらい眠っていたのだ?」
「あぁ、二刻とちょっとかな。今は昼を過ぎ頃だ。」
そうか、と返事を返して起きあがると、滝はくるりと後ろを向いて上着を脱ぎ捨て肌を露わにした。
そして後ろ向きのまま左腕を俺の方伸ばし、手のひらをクイクイっと動かした。白くて男の割には幾分か細くしなやかな肩から腕へ流れる線、すっと伸びた真っ直ぐな背筋に浮き出して見える貝殻骨、そして無数の傷跡。牢に入れられたときに付けられた物だろうが切り傷から打撲まで、それが紅く、まるで百日紅の花びらのように滝の身体に散っていた。呆けてその仕草を見ていた俺は体の中で足下から頭のてっぺんへ波が走ったように心がざわついて、風に吸い込まれる煙のようにその手へ自分の手をゆっくり伸ばした。あまりに返事がない俺に滝が声を掛けた。
「三木ヱ門?何をしている、早く服をくれ。」
その声でやっと我に返り、手を触れようとしたことに気付かれていない筈なのに赤面して荷物の中から買ってきた服を取りだし手渡した。袖を通そうとした滝にちょっと待てと声を掛ける。
「滝夜叉丸、お前まだ体を拭いていないだろう。その返り血を拭いてからにしたらどうだ。」
フンと小さく鼻を鳴らした滝を待たせたまま、皮袋と手ぬぐいを持って堂のすぐ裏を流れる小川まで水を汲みに行った。俺は水を汲む前に春先の手の痺れるような冷たい川に、先ず自分の頭を突っ込んだ。フーッと深く息を付いて手ぬぐいを水に浸し、皮袋に水を満たし滝の待つ堂まで戻り扉を開けて仰天した。滝は下帯だけを身につけて胡座をかき後ろを向いていた。
「なんで…」
せっかく頭を冷やしてきたのに何でまたそんな俺を煽るような格好で居るんだ…。
「なんでって、体を拭くからだろうが。お前こそなんで頭が濡れているのだ?」
当然の疑問だが、まさかお前の裸を見て頭に血が上ったとは言えない。
「手ぬぐいを流しそうになって慌ててな。謝って川に落ちたんだ。」
「普通、足から落ちるものじゃないのか?お前変わっているな。」
人を小馬鹿にするように見透かしたような眼。昔っから嫌いだったんだよ、その眼は。隠したつもりでなんでもバレてたんだよな。でも今だけは、見抜かれても良いと思う気持ちと、決して見抜かれまいと思う気持ちが入り交じって、自分でも何がなんだか解らなくなってきていた。
唸る俺の目の前に滝の白い腕が伸ばされた。
「拭いてくれ。」
「何で俺が…!」
と口答えしてみても、「私に触ってみたいのだろう」と言わんばかりに見つめる黒い瞳に逆らえない俺には無駄な抵抗でしかない。素直に滝の身体を拭くことにした。中腰になり手ぬぐいを水に浸して絞り座っている滝の顔を拭く。だが…。
なんで眼を閉じるんだ。顔を上げるのと眼を閉じるのはともかく、唇を薄く開けるのはやめてくれ…。
次に頸の回りを…
だから…白い喉をさらすのと、髪を掻き上げてうなじを見せつけるその仕草はイカンだろう…その・・喉は急所だからだ。
腕は…腕は細いが程良く筋肉が着いて、綺麗に締まって、ただ腕を曲げるときの仕草が舞う様にしなやかなのは何故だ。手を引くときにいちいち指を俺の前にちらつかすことはないだろう。グッと握ってろ、グッと…。
そして胸を拭こうとしたとき俺は一つの傷に目を奪われギクリとした。傷じゃない、打撲の痣でもない。小さな口の形に似た内出血の赤い痕…目を凝らしてよく見れば、傷跡だと思っていた物の三分の一はその内出血の痕だった。
俺だってこれが何の痕か察しが付く。
「滝夜叉丸…」
それ以上言葉が出ない。
「ああ、志岐が付けたのだ。あいつはこれを付けるのが好きでね。一晩に三つづつ、前に付けた印が消える前に必ず付けていたんだ。」
耳まで真っ赤になっているだろう俺を気にも留めずに滝はさらりと言った。膝の上で握っていた拳に、必要以上の力が入りわなわなと震える。
志岐…あいつめ!あいつが一晩に三つなら、俺は六つ付けてやる!死んでいるくせに、いつまでも滝にまとわり付きやがって!
あいつはまだここにいる。そう考えた俺は滝の身体を抱え堂を出て裏の小川へ向かった。下帯一つのままで外に担ぎ出された滝はじたばた暴れる。が、技はともかく力で俺に適わない。
小川に着いて滝を抱えたまま川に入り一緒に水に沈んだ。水の中でも藻掻く滝をしっかり抱きすくめて一度水面に顔を出し再び水の中に沈む。それを二・三度繰り返し、すっかり身体の冷え切った滝を抱いたまま堂へと戻った。
二人とも濡れ鼠のまま堂へ上がり込み、手ぬぐいを何度も絞って滝の体を拭いた。滝の身体に付いていた志岐の返り血は全て綺麗に落ちた。滝の髪にも、顔にも、胸にも血の臭いは残っていない。志岐は消えたと思う。
「一体何を考えているんだこの馬鹿!だいたい…」
当然だが怒られた。いきなり裸で抱え上げられて春先の冷たい水に浸けられれば誰だって怒るだろう。
「貴様、服がびしょ濡れじゃないか!」
…滝は偶にずれたことを言う。今心配すべきは俺の服より自分の凍える身体だろうに。ともかく、滝の身体に付いた志岐は全て取れた。あの痕は日が経てば消える。
手っ取り早く血が取れて良かったじゃないかと、うまく笑えているか解らないが笑顔で言う俺に、滝は無表情のまま俺に服を全て脱ぐように言った。
突然の展開だが小さな期待の火を胸に灯し服を脱ごうとするが、濡れた帯が締まってうまくほどけない。焦ってもどかしく指を動かしていると、その手を払いのけて滝が帯の結び目を解いた。
指貫はばさりと落ち、下帯だけになる。そして滝が襟元から手を挿し入れ、胸から肩に滑らせると服はスルリと脱げる。これは…もしかして…本当に期待して良いのか??
「これも取るぞ。」
滝の細い指が下帯の紐を解く。
やっぱり!絶対そうだ!志岐が言っていたことは本当だったんだ!
思わずごくりと唾を飲む。もはや寒さなど感じない。かえって身体中火照って熱を感じる。
「滝夜叉丸…お前は・・それ、取らないのか…」
滝はまだ下帯を付けている。
そうだな、と自分で紐を解き始めた。その仕草はとてつもなく艶めかしい。肩に垂れる髪を払いのけながら、薄く頬を染め、俺のために最後の警戒線を解く滝。
今や二人とも全裸。心構えはもちろん出来ている。
問題は……そんな事はどうでもいい!俺は男だ!
頭の中でまとまらない思考がぐるぐる渦巻いているが、ここは一直線に突き進むしかない!やっと長年の夢が叶う。何度も夢に見た。何度も…その…お世話にもなった…。
よし!と自分の中で気合いを入れ直し、荒くなる呼吸を押さえ、熱い眼で滝を見つめ手を伸ばした。その手に触れた物は…
…俺の濡れた服…?
「三木ヱ門、ほら、そっちの端をしっかり持っていろよ。」
服の反対側の端を持ち、ぎゅーっと絞る滝。ぱたぱたと音を立てて滴が床に落ちる。きょとんとした呆けた顔でいるに違いない俺。一瞬理解できなかった。
睦み合うのに濡れた服はいらんだろうと思ったが、どうもこの雰囲気は様子が違う。
「滝夜叉丸。もしかして、服を絞るために俺を裸にしたのか。」
「他に何の理由がある。濡れた服を着たまま絞れんだろう。何を考えているんだ。」
心底いろんな事を考えたぞ。じゃぁなんで、
「どうしてお前まで下帯を取った。」
「貴様が私を水に浸けたから私の下帯も濡れたのを忘れたか。それに取れと言ったのは貴様だろう。何をムキになっている。」
「それならそうと初めっから言わないから、俺は、俺は…!」
いらぬ期待をっ…。期待が大きかった分、肩すかしを食わされたら落胆も大きいんだぞ!お前にこの気持ちが解るか!?この俺の想いが…!!
情けないが縋り付いて懇願したい…とは言え、勝手に勘違いして期待した俺も悪い。いいや、志岐。あいつが悪い。あれが変なことを言うから俺は妙な意識をして滝を見てしまうんだ。
ともかく、この件については諦めよう。滝にそんな気は全く無いようだから…。そう思い直すと改めて自分の身体が冷たくなってきた。
滝がどこからか見つけてきた火鉢に火をおこしてくれたが大して体を温める役には立たない。川に飛び込む前に少し考えれば良かった。
っと、その前に、滝に服を付けさせなければ、風邪を引いてしまうだろうし、第一俺の精神衛生上好ましくない。
「滝夜叉丸、とにかくお前は服を着て…ほら、これに包まっていろ。」
買ってきた荷物の中から一畳ほどの大きさの厚い布を取り出す。滝はそれをしげしげと見つめた。
「これは何のために買ってきたのだ…。お前の分は?」
「野営するときなんかに使えそうだったんでさ。一枚しかなかったから、それはお前の。俺は火鉢を占領させて貰う。」
火鉢の前で服を乾かしながらやはり寒いなー、とガタガタ震えていると背後で滝が裸のまま布をかぶって俺を呼んだ。
「三木ヱ門、服は縄を張って下げて置けば乾く。寒いのならこっちへ来い、お前は私が暖めてやるから。」
心臓の真ん中を矢で射抜くように俺に刺さる言葉だ。
確かに布を一枚しか買わなかったのは、こういう状況を多少想像してのことだったがまさか本当になるとは思わなかった。しかし今の俺は理性を保てるか全く自信がない。大変ありがたい言葉だが丁重にお断り申し上げるしか他ない。
「俺はこのままで大丈夫だ。」
「嘘をいえ。震えているぞ。」
「気のせいだ。」
「三木ヱ門、私の所へ来たくないのか?」
「ああ、行きたくはないね。」
「そうか…。三木ヱ門は私のことが嫌いなのだな。」
「違う!」
と大きな声で叫んで振り向いたときには遅かった。「してやったり」と、得意顔で俺を見る滝。俺はまんまと術にはまってしまった。
「お前、解ってんのか?俺はなぁ、お前を…(ったく、知ってる癖に。)」
「良いからここへ来い。私は三木ヱ門を信じている。」
忍が簡単に人を信じるなんて死を意味する行為だが、今死にそうなのは俺の方だ。信じられたら、出したい手も出せないじゃないか。
滝と一枚の布に裸で包まってお互いの体温で暖を取る。俺には拷問に近いこの温もりだが、今はこのまま甘んじていたい。手を出したいのは山々な事。だが俺がまだ滝に隠している秘密を思い出す度その気持ちは押さえ込まれる。
その秘密を心の枷に、今は理性を保っていよう。
…「Side・T」へ続く…
2001/03 |