■ 08.かしずく背中

人修羅の腕から眩い閃光が放たれ、その輝きは鋭い刃となって立ちはだかるマネカタたちを一気に消し去る。
その行為は極めて残虐で、クー・フーリンは初めて自分の主人を憎く感じた。
咎めるような視線に気付いた人修羅はなぜそんな目で見るのか理解できないというふうに首をかしげる。
「もう…このような真似はやめて下さい」
辛そうな声の理由さえ分からないのか、主人の顔に困惑の色が広がっていく。
「なぜ貴方はこのようなコトワリに力を貸すのです!なぜです?」
問い詰める幻魔を煩わしそうに払いのけて、人修羅は手招きをするヨスガの指導者の元へ歩み寄る。
辺りには無残に打ち捨てられたマネカタたちの亡骸が散らばり、血の色をしたマガツヒが今なお流れ出して地面を覆っていく。
「マスターなぜですかっ!」
クー・フーリンは喉が枯れて声がかすれても何度も人修羅に向かって叫び続ける。
声が形にならなくても、構わずに叫び続けた。
不思議と涙は出てこなかった、ただ裏切られたような悔しさが感情を支配していてその想いがクー・フーリンを叫ばせていた。

「悪い夢を見ているだけのようですね」
うなされる幻魔の様子を見ていたオオクニヌシが、安心したようにほっと一息ついて人修羅に伝える。
「ご苦労さま、お前も休んでくれ」
「主」
眠そうに目を擦る人修羅に、鬼神が先ほどまでクー・フーリンに向けていたものと同じくらい心配そうな眼差しを向ける。
「ご自分が選んだ道を後悔なさらないで下さい」
自分が瀕死にでもならない限り見ることのできないその表情に、人修羅はしばらく迷ってからうなずく。
「そうだね」
頼りない主人の返事に、アイテムで体力を回復している仲魔たちの元へ向かおうとしたオオクニヌシが振り返って声をかける。
「これだけは忘れないで下さい、我々は常にコトワリにではなく主人である貴方に従っているのだという事を」
遠ざかっていく鬼神の足音に、うなされて額に汗を浮かべるクー・フーリンのうわ言が重なった。
クー・フーリンがこのような状態になる前、人修羅たちはヨスガの襲撃を受けるマネカタたちの聖地にいた。
あちこちで繰り広げられる惨劇に、どの仲魔よりも心を痛めている様子の幻魔に人修羅は不安を感じながら最奥へと向かった。
とるべき道は初めて悪魔と戦った瞬間に決まっていた、そのために誰かが犠牲になろうと人修羅は後悔しないつもりだった。
「嫌ですっ…なぜ…なぜっ!」
ビクッと身体を痙攣させてクー・フーリンがひと際大きな声で叫ぶ。
ミフナシロでフトミミを泥に返した瞬間から、幻魔の顔から一切の余裕が消えてただその質問のみを何度も繰り返していた。
曖昧な答えを返すと更に深く追求され、戦いと重要な選択の連続で疲れていた人修羅はつい苛立ちに任せて幻魔をつき放した。
「しつこいぞクー・フーリン、嫌なら付いてくるな!」
激しい剣幕に幻魔はたじろいでそれ以上質問を続けることはなかったが、その後アサクサで休憩をとると同時にふらふらと倒れこんで、ずっと高熱に苦しめられているようにうなされている。
人修羅は幻魔を苦しめる原因を作ったのが自分であるという自覚があるせいか、おずおずと汗の浮かぶ額に手を伸ばして触れる。
「幻滅しただろうか?」
湿り気を拭うように撫で、はり付いた髪の毛をよける。
ミフナシロに踏み込む直前まで向けられていた、自分などには勿体ないと感じるほどの純粋な忠誠心から生まれる親愛の情。
命令のひとつひとつを忠実にこなし、少し褒めただけだというのにこれ以上ないという程の笑顔で応えてくれた白い幻魔。
その全てを、たった一つの判断により失ってしまうのかと想像した人修羅は手を止めて悲しげに顔を歪めた。
「後悔なさらないで下さい…か」
オオクニヌシが言った言葉の重みを感じながら、人修羅は自分の両手をじっと見つめた。
混乱して敵か味方か判断する間もなく自分たちに襲いかかってきた非力なマネカタを吹き飛ばした手がそこにあった。
模様の浮かぶこの手でときに悪魔を消し去り、ときに仲魔となることを認めた悪魔の手を握った。
自分にかしずくクー・フーリンの背中を、その基となったセタンタの忠誠を得たのもこの手であり、失うきっかけを作ったのも同じ手なのかと人修羅は苦々しく笑った。
「お主もその幻魔もだいぶ参っているようだな」
「ジコクテン、いつからそこに?」
かけられた声に驚く主人には答えず、大柄な鬼神は人修羅の隣で身を屈めて幻魔の様子をうかがった。
「ロキが心配していたぞ、このままではお主まで寝込んでしまうのではないかと」
「あいつがそんなことを…」
意外そうに呟く人修羅の頭を、ジコクテンが主人の倍ぐらいはありそうな手でぐりぐりと撫でる。
「なっ、なんだよ!」
くすぐったそうに身をすくめて恥ずかしそうににらみ付ける主人の反応を見て満足そうに笑い、鬼神は大人が子供に諭すように主人に言い聞かせた。
「この幻魔が目を覚ましたときどんな反応を見せるかなど考えるだけ無駄だ、それより今は休むがいい、お主まで疲労で倒れたら我ら残された仲魔が困る」
仲魔たちが見せる優しい気遣いに張りつめていた心が緩んだのか、あふれそうになった涙を人修羅は必死になって隠した。
慰めるようにむき出しの背を撫でる暖かな手の感触に、人修羅は震える声で想いを吐き出す。
「怖い、クー・フーリンの信頼を失うことがとても怖い、後悔なんてしたくないのに…っ」
しゃくり上げて不安を訴える少年が落ち着きを取り戻すまで、ジコクテンはずっと小柄な主人の背を黙って撫で続けた。

視線の先に主人の顔を認めてクー・フーリンは一瞬どんな反応をしたら良いのか分からずに目を閉じる。
長い悪夢を繰り返し見せられたせいか全身がだるく、感情以外の全てが麻痺してしまったように感じられた。
「気が付いたようですね」
オオクニヌシの声にもう1度幻魔が目を開くと、先ほどより遠ざかった位置で目を赤く腫らした人修羅が
「良かった」
と心の底から嬉しそうに呟いた。
今まで何度も見てきたはずなのに、主人のそんな笑顔をずっと見ていなかったような気分になり、クー・フーリンは珍しいものを見るような表情で人修羅の笑みを見つめた。
「マスター、申しわけございませんでした」
意識がはっきりしてくるにつれて、悪い夢だと思っていたことは現実に起こったことなのだと様々な記憶と共に幻魔は思い出したが、
不思議と主人に対する忠誠心は薄れたように感じられず、当然のように謝罪の言葉が口をついて出た。
「謝る必要なんてないよ、お前がどこも悪くなければそれで充分さ」
ふらつく身体を起こそうとするクー・フーリンを助けるように、人修羅が手を差し伸べる。
「ありがと…」
告げようとした礼の言葉は不自然な形で途切れた。
「クー・フーリン?」
呼びかける主人の声はノイズが混ざったように聞き取り難く、吐き気が込み上げてくるような嫌悪感に思わず幻魔は口を覆った。
主人と自分のやり取りを固唾をのんで見守っていた仲魔の誰かがため息を吐き、クー・フーリンは気分を落ち着けようと嫌悪を感じる対象から視線を逸らした。
「出口で待っている、落ち着いたら来てくれ」
最初からこの事態を予測していたような冷静な言葉を残して、人修羅と仲魔の気配が遠ざかっていく。
去っていく主人を失望させないように今のうちに止めなければと思う一方で、そこまでする価値を自分は今の主人に対して感じているのだろうかという疑問が頭をもたげ、幻魔はその場から動くことのできないまま複雑な表情で去っていく人修羅の背中を見ていた。

「あんなこと言って、あいつが来なかったらどうするつもりだ?」
鳥居の柱に寄りかかっていたロキが、いつまで経ってもやって来る気配をみせない幻魔に不安と苛立ちを感じて主人をにらみ付ける。
「少し落ち着いたらどうだロキ、今さら我々が騒いだところでどうにもならないだろう」
反対側の柱に背を預けていたオオクニヌシが魔王をたしなめ、人修羅は鳥居の中央に立ってクー・フーリンが来るのをじっと待った。
カグツチがひとつ、ふたつ、と欠け、またロキがなにか言い出そうとしたそのとき、巻き上げられた砂埃で視界の悪い道の奥に薄っすらと白い鎧姿が見え隠れし、
人修羅は槍を握ってしっかりとした足取りでやって来る幻魔のもとへ1人近づいた。
「答えは決めてくれたのか?」
優しい声で問いかける主人に、風に乱される髪を押さえつけて幻魔は静かにうなずく。

「マスター、私は貴方に……」

忠誠を誓うことはできません
これからも忠誠を誓います



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