入り口から聞こえた凄まじい悲鳴に、各々の部屋で就寝していたハウゼンの部下の幾人かは、目を覚ました。
「何だ…?」
部屋から出てきた者達が不安そうに顔を見合わせる。
「…見にいってみるよ」
一応ハウゼンから、全体のリーダーを任されているヴァインは、そっと入り口に進み始めた。
今は就寝時間で、見張り以外は自室で寝ているため、廊下の明かりは灯っていない。
松明を灯そうかと思ったが、こちらの位置を知られる事になってしまう。
そのまま壁をたよりに進んだ。
足音をたてぬよう、剣の柄に手をかけたまま、慎重に歩く。
自分の耳が正しければ、あれは見張りについていた者達の悲鳴だ。
「う……っ!」
恐る恐る扉を少し開いた瞬間、入り口の広間に広がっている血の臭いと腐敗臭に吐き気がこみあげた。
夢に出そうな程無残な屍が転がっている。
三人の骸はどれも、叫び声でも上げたように口が開き、苦悶の表情のまま、止まっていた。
それを見るだけで、戦意を喪失しそうになる。
このような凄惨な殺され方には見覚えがあるし、何より、あの入り口を隠している魔法を破るのは、心当たりはただ一人だけだ。
戸を少し開いた状態のまま、もうそこに犯人の姿がない事を確認すると、ヴァインは一歩足を踏み出した。
「おい…!」
すぐに、一人隅に座り込んでいる暗黒騎士に気付いた。
彼は屍から目を背けて、壁にもたれかかっていた。
「大丈夫か…!」
駆け寄って声をかける。
「…ヴァイン…」
青ざめた顔で、友人が顔をあげる。
「あの人が、来たのか…?」
ヴァインがそう尋ねると、彼が力なく頷いた。
「どこに行ったか、わかるか?」
ここに向かう途中は、おそらく誰にもすれちがっていないはずだ。
それがこの場にはいない。
「まさか、まだここに…」
考えてみれば相手は最高位の魔術師、今もどんな呪文を使っているのかわからない事に、ヴァインは不意に恐怖に襲われた。
しかし、座り込んでいる友人の返事を聞いて、その不安はかき消えた。
「扉をくぐっていった事しかわからない…すまん…」
のろのろと、やっと立ち上がりながら言う。
「気にするな、とにかく戻ろう」
何故一人だけ無事なのか、不思議に思ったが、怯えている彼に、これ以上聞く気にはならなかった。
今は早く、忘れさせてやろうと思った。
腕をひいて、彼を自室に連れて行く。
三人の遺体をあのままにしておくのは忍びなかったが、とてもこれ以上側に近付く気にはならなかった。
「………」
そう言えば、この廊下の途中には、いくつか地下への階段があったのを思い出した。
松明に火を灯すと、床に血の足跡が見える。
三人の屍の一体は、腹が裂け、おびただしい量の血があふれだしていた。
その血が、あの魔術師のはいているブーツにもかかったのか、床には点々と、血の足跡が残っていた。
その跡で、彼の行き先がわかる。
だが、あんな死体を見た後ではとても追跡する気にはならなかった。
そうでなくとも、自分は以前にも聖騎士を犯した…
その時の事を、あの冷たい顔を思い出すだけでぞっとする。
足跡は、扉を越えてすぐ右側の、やはり地下への階段を下りていた。
このまま真っすぐ進む、自分達やハウゼンの部屋には、まだ向かっていない事に少し安堵した。
あの地下は物置や武器庫、書斎、懲罰房があるだけだ。
普段、ほとんど誰も行かないため、あまり記憶に残っていなかった。
しかし、聖騎士はその懲罰房にはいない。
「一人で大丈夫か…?」
暗黒騎士の友人を部屋まで連れてきたヴァインが、彼に尋ねた。
「ああ、ありがとう…」
友達と一緒にいて少し安心したのか、彼の顔色は随分良くなった。
「そうか、良かった。でもまた気分が悪くなったら、すぐ呼べよ?オレはとりあえずハウゼン様に報告してくるよ」
弱々しく頷いた友人を見送ると、そっと戸を閉める。
そのままヴァインは、すぐにハウゼンの部屋に向かった。

「ハウゼン様」
軽く戸を叩いたが返事はない。
しかし、鍵がかかっていなかったようで、扉が開いてしまった。
「…いないんですか?」
中には誰もいなかった。
しかし、ヴァインは妙な違和感を感じた。
今まで気づかなかったが、丁度扉の正面の石造りの壁に、天井から床まで、縦に長細い隙間が空いていた。
いや、今まで確かにそんな隙間はなかった。
「……」
不思議に思って、その隙間にそっと近づいた。
隙間の奥から光や空気の流れを感じる。
よく見れば、そこは引き戸になっている。
こんな所が隠し扉になっているとは、思いもよらなかった。
今は偶然、ハウゼンが慌ててきちんと閉めなかったのだろうか。
「……!」
扉を開こうとした瞬間、そのかすかな隙間の奥に、ヴァインは思い掛けない光景を見た。
「お友達が助けに来たようだよ」
隙間から、中の部屋には絨毯がしかれ、テーブルやソファ、本棚やベッドが置いてあるのが見えた。
だが、そう話しかけるハウゼンの声は、ラークとイグデュールに向けてのものだった。
「……!」
ヴァインは思わず声が出そうになった。
何故ここに、団長がいるのだろうか。
あの日、ハウゼンが暗黒騎士団の宿舎に姿を現した時、ハウゼンに持ちかけられた事を団長に話しても、
絶対に賛同するわけないからと、黙って騎士団の宿舎を去ったのに。
こんな隠し部屋を作って、まるで閉じ込めるように。
「お前は一体何をする気なんだ…!」
そう言ったラークの声は怒気を孕んでいた。
「あいつも侵入して来た事だ、そろそろ教えてやってもいいか…」
三人の途切れ途切れの会話しか聞こえないが、ハウゼンの恐ろしい真意だけは聞こえた。
「暗黒神様が復活したら、仕えるのはオレだけで良い…騎士団も他の幻術師や魔術師達もいらぬ。
野心多き、こちらの世界の者は全て消すんだ、あいつみたいな裏切り者を今度は出さないために。
そして暗黒神様の御力で、忠実な人間だけを創る」
「………」
ヴァインは息を殺したまま、静かにその場から離れた。
ハウゼンの部屋の外でしばらく、真っ白になった頭の中を整理した。
全て消す…
その言葉だけが頭の中で何度もこだました。
最初に聞かされた事とは違う…
゛あの聖騎士を殺して、全てをやり直そう゛と。
゛殺すのは聖騎士だけ、彼がいなくなって向こうの世界を手に入れられたら、お前の団長も、他の騎士の考えもすぐ変わるだろう゛と。
そう考えている内、中でがたりと音がした。
ハウゼンがあの隠し部屋から出てきたのだろうか。
「………」
再び思案した後、もう一度部屋の戸を叩く。
「ヴァインか、丁度良かった」
今度は扉が開いて、ハウゼンが姿を現した。
「ハウゼン様、侵入者が…」
先ほどの会話を聞いていた事は、悟られてはいけないと思った。
たった今、ここに来たような口調で話す。
「入り口の様子を見に行ったのか?」
ハウゼンに何食わぬ顔で聞かれる。
「ええ…」
「そうか、御苦労。まさか魔法が破られるとはな、最後まで邪魔をして…。被害の状況は?」
「騎士を除く三人の見張りが殺されました…」
「あいつはどこにいるんだ?」
「…いいえ、そこまではわかりません…。姿がどこにも見えないのです。ですが、こちらに向かっているのでは?」
足跡の向かっていた先と違う事を言う。
「そうだな。では他の者に、今は自室から出ないよう、伝達しておこう。
おそらく戦っても、無駄死にするだけだ。お前も部屋に戻っていいぞ。
予定していたより早いが、あいつが来てしまったなら仕方ない。オレも暗黒神様を蘇らせる準備をする」
「わかりました…」
ヴァインはそう言って、自室への道を進んだ。

「………」
だが、ハウゼンが部屋に戻った事を確認すると、自室とは全く違う方向に向かった。
途中に幾つもの、部屋、曲がり角、さらに地下へと繋がる階段がある長い廊下の最奥の床に、隠し扉があった。
その扉だけが、閉じ込めた聖騎士の部屋に行く入り口。
他のどの通路からも繋がっていない。
ヴァインは床下に潜ると、そっと松明を灯して階段を降りた。
鉄の扉を開けて、毛布にくるまって眠っているフィルシスに近づく。
幼さの残る可愛らしい寝顔を、明かりが照らし出した。
あんなにも冷酷な人を魅了する。
苦しませるのを楽しんでいるような殺し方。今更連れていって、許してもらえるのだろうか。
自分はどんな目にあわされるか、考えるだけで恐ろしい。
それでも何故、暗黒騎士だけ殺さなかったのだろう。
゛お友達が助けに来たようだよ゛
あの人は知っていたのか、団長が捕まっていた事…
そんな事を思いながらヴァインは、フィルシスの首輪から鎖をはずした。
「おい、起きろ」
体を揺さ振ったが、全く起きる気配が無いため、白い尻尾を強く引っ張った。
「……!」
痛みにびくっとして目を覚ましたフィルシスが、大声をあげないように手で口を塞ぐ。
「逃がしてやる。お前の服だ、早く着ろ」
素早く耳元で囁いて、隠していた聖騎士の制服を押し付ける。
「何……」
まだ状況を飲み込めていないフィルシスは不審そうな顔をした。
「説明は後だ、逃げたいなら早くしろ」
明らかに切羽詰っている様子のヴァインを見て、フィルシスは仕方なく服を受け取った。
「………」
連日激しく凌辱され続け、フィルシスは疲れきっていた。
後孔や腰はもちろん、強く押さえ付けられたり引っ張られたせいで体中が痛かった。
食事も日に二度、古びた器に入れられた粗末なスープを、四つん這いで飲まさせられていただけで、体力も気力もほとんど無い。
覚束ない手つきで、必死で久々の衣服を身につける。
「こっちだ」
ヴァインは、聖剣は自分で持ったまま、フィルシスの腕をつかんだ。
ハウゼンは部屋に戻っているし、それにあの火傷の後遺症のせいで、あまり機敏な動きはできないようだ。
半ば賭けだったが、あの地下への最短の道を急げば、高確率でハウゼンが追いつく前にシャーレンの所に行ける。
幸い伝達通り、誰も部屋から出てきていない。
「……」
フィルシスは半信半疑で、されるがままついていった。
以前のように、振りほどいて一人で逃げようかとも思った。
しかし、腕をぐいぐい引かれて、走るのがやっとというような今の状態では、例えヴァイン一人相手でも勝てるとは思えない。
「どうして…今更…」
消え入りそうな声で呟いた。
「……ハウゼン様は、暗黒神を復活させた後、俺達この世界の人間を皆殺しにするつもりだ」
駆けながら、小声でヴァインが話始める。
「……!」
不意に以前、゛お前がいなければここは、内側から崩れることになるのかもしれない゛と、暗黒騎士の霊に言われた事が頭をよぎる。
やっとその言葉の意味がわかった。
「俺はそんな事、もちろん聞かされていない。つい先程、偶然知っただけだ。
俺達が聞いていたのは、お前を殺して、一緒に向こうの世界を手に入れて、新しい世界を作ろうと、言われただけだ。
だが、俺は団長が捕まっていたなんて、知らなかった…全員殺すつもりだなんて、知らなかった…」
ヴァインの口調が、やや暗くなった。
「……」
思い返してみればヴァインは、一番最初は聖騎士が友達を殺したと言って、自分を恨んでいた。
それが段々と、自分を犯す事が目的と愉しみになっていたけれど。
本当の彼は、仲間をとても大切にしているのだ。
しかし……
「…私を逃がしたら、ハウゼンに殺されるんじゃないのか…」
フィルシスが不安そうにそう呟くと、ヴァインの歩みが一瞬止まった。
「…お前に心配される筋合いはない…」
突き放すように返事される。
「…ごめん……」
心身共に絶望に立たされていた中、少しあたたかさを感じていたフィルシスは、しゅんとなった。
「……お前といると、確かにおかしくなりそうだ」
ヴァインが、今度は苦笑した。
それは本当に小さな笑みだったが、今まで自分に悪意のある笑みしか見せなかったヴァインが、初めて見せた、確かに純粋な笑み。
「………!」
しかし、その安らぎは一瞬だった。
目の前に何かが現われた。
大きな光の円。
記憶が正しければ、召喚術が使われた時のような。
その中から出てくる果てしなく暗い影。
それは、人とも獣とも鬼ともつかない輪郭に、爛々と輝く赤い目が浮かんでいる。
「しまった……!」
高位の召喚術師なら、自分が見えない所にも、対象を召喚できるのだ。
ハウゼン自身が来なくても、召喚獣が来る可能性もあった。
「これは…」
「ハウゼン様の召喚獣だ…」
ヴァインは自分で持っていた聖剣をフィルシスに渡し、自身の剣を抜いた。
「お前はこのまま真っすぐ走れ!」
聖剣を抜こうとしたフィルシスを、ヴァインが止めた。
「そうすればその内、お前なら匂いがわかるだろう」
「匂い…?」
いきなりのヴァインの言葉に、フィルシスは戸惑った。
「言い忘れていた。お前を逃がしたのは、あの魔術師様が来たからだ。だから早く行け」
それだけ言って、ヴァインは魔物の方へ向かって行った。
「……!」
やっとシャーレンに逢える……
「でも…!」
魔物を食い止めるヴァインの側に、また新しい円が形取られていた。
これからも魔物は、さらに増えていくかもしれない。
一人だけ逃げてしまったら、彼はどうなる?
「……俺はお前を助けるために、お前を逃がしたんじゃないんだ…さっさと行け!」
異形の腕を剣ではじきながらヴァインが叫ぶ。
「助けてくれて、ありがとう……」
「………」
無言で目を伏せたヴァインと、魔物の横をすり抜けて、残された力を全て振り絞るように、全力で走った。
彼の思いを決して無駄にしないように。
「あ……っ!」
しかし、耳に、あの恐ろしい声が響き出した。
ハウゼンはここにはいないのに、まるですぐ隣で囁かれているように、あの声が自分を縛る。
来た道を振り返ると、遠く暗い廊下の奥から、あの白い仮面が浮かびあがる。
「…ハウゼン様……」
ヴァインが弱々しく呟いた。
「忘れたのか、お前は今はオレの幻獣。お前がどんなに遠く離れていても、お前を自由に操れる」
まだ距離のある所からでも、ハウゼンが自分に向かって手を掲げると、体が動かせなくなる。
「あ…ぅ……!」
やっと、シャーレンに逢えるのに。
「ヴァイン、盗み聞きでもしていたのか?良くないな」
ハウゼンが低く笑った。
不意に後ろに現れた召喚獣の鋭い爪が、ヴァインの脇腹を刺した。
「ぐ…う…ッ!」
血を流して床に座り込む姿が、フィルシスの目に映った。
「ヴァイン……!」
青ざめて、叫んだ。
肝心な時に、自分はまた、何もできない。

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