「お前、今まで散々いたぶられた相手を心配するのか?」
ハウゼンが低い声でくくっと笑う。
「どうして…仲間なのに…みんな殺そうとするんだ……!」
フィルシスは怒りと悲しみに震える声で、一歩、一歩、向かってくるハウゼンに叫んだ。
「お前は何も知らないんだ」
ハウゼンが前に立ちはだかる。薄暗い廊下に、低く響くその声は不気味だった。
「……教えてやろうか、お前の大事な世界の行く末を。暗黒神様が予言した未来を」
「予言…?!」
唐突な言葉に、フィルシスは思わず繰り返した。
「オレは召喚術を極めたんだ、神の精神の一部だけ、あの水晶の向こうから召喚できる。
ただし、それには相応の代価がいる。人間の命だ」
「今までも、仲間を殺したのか…!」
何でもない事のようなハウゼンの言葉に、声を荒げる。
「ああ、そうだ。シャーレン達が調べていただろう?街の狂信者達をな。
だが彼らは、喜んで生贄になってくれたよ…神のためならと」
ハウゼンの嘲笑が、暗い廊下に響いた。
「さて、本題だ」
こだます笑い声が消え、再び低い声が響く。
「戦争が、起こるのだ。どのみち。今度はあちらの世界の国同士で」
「何を…言って…!」
先程から、ハウゼンの言葉は、自分の心を翻弄してかき乱すばかりだ。
「この世界という共通の敵を失って。お前の国も教会もやがて権力を欲すだろう。
この先いつか聖騎士団も、独善の正義の旗を掲げて異国の民を踏み躙り、略奪し、平気で異人を殺し、町を焼く。
そして創造神に見捨てられるのだ。それが未来だ、あの世界の!」
決められた旋律を奏でるように、予言された運命を告げていく。
「そんな……」
フィルシスの表情が青ざめた。
暗黒神の言う事など、信じるわけにはいかない。
しかし同時に、聖騎士団長として、他国の大使から聞いた不穏な噂や、あの大司教のような人間が、確かにいた事も思い出す。
「それなら今から暗黒神様が統一しても同じだろう?争いは繰り返される、何度でも。
いずれお前の国も、自国のためだけの利益を求めて、自分のためだけを求めて闇に赴いていく。
悪の方があっているんだ、人間なんてそういうものだ。所詮、他人の事など、わからない」
勝ち誇ったように、ハウゼンの声が強く響く。
その言葉にフィルシスは今度は怒鳴った。
「そんな事はない…!聖騎士団は…あの国のみんなは、そんな事をしない…!」
聖騎士団の頼もしい姿、優しいローナの笑顔を思い出す。
侮蔑された事に怒りを感じる程、大切に想って、信じている仲間達。
だが、いきなりハウゼンに壁に押さえつけられた。
「う…!」
「本当に、そう思うのか?」
仮面の奥の目を細めて嘲笑う。
「オレが何故、こんな醜い火傷を負ったか、わかるか?」
「……?」
もちろん、フィルシスは知るわけがなかった。
不思議に思ってはいたが、戦争ぐらいしか思い当たらない。
「まだオレが随分若かった頃、オレは向こうの世界を旅した事があった。
あの時はまだ、暗黒神官がゲートを開いたばかりの頃だった。だから、お前の国も他の国も、検問などまだなかった」
ハウゼンの声の調子が、少し穏やかになった。
「オレはあの地で、恋をした。華やかではなかったが、純朴な、レンドラント国の町娘だった」
意外な話を、フィルシスは黙って聞いた。
ハウゼンの瞳も、遠い場所を思い出すように、ぎらついた光が収まっていた。
「だが、オレはこの世界の人間、彼女は創造神の信徒。
オレは彼女をだましている事に耐えられなくなって、とうとう打ち明けた」
語られていくハウゼンの意外な過去。
その過去の彼はとても、今目の前の彼とは似つかなく思える。
「オレは、戦争が起こる前に二人でどこか遠い地に移って、ひっそり暮らそうと、彼女に話した。
彼女もそうしたいと頷いた。オレが暗黒世界の人間でも愛してると。
だが、彼女はオレを裏切った……」
「え……」
ハウゼンの声が、暗く響く。瞳が再び、殺気を帯びる。
「オレがこの世界の人間だと、聖騎士団に告発した。待ち合わせの場所に来たのは、彼女ではなく聖騎士達だった。
その後、オレは火炙りの刑に科せられた。この醜悪な火傷の跡はそのせいだ。
彼女は泣いていた。火が点けられた瞬間、こちらに所に駆け寄って、共に死のうとした。
聖騎士達に押さえ込まれて、それは叶わなかったが。
あの凄まじい業火の中、縛っていた縄や猿轡が燃え落ちた時、
オレはなんとか最後の力を振り絞って召喚術を使い、彼女をさらって逃げた。
初めて出会った美しい草原で、オレは乗っていた召喚獣を止めた。
そしてすぐに、彼女をそこで殺した。彼女は抵抗しなかった。
彼女は、愛しているのは本当だ、と言い残して死んだが、オレはもう、あの時はすでに彼女を愛してはいなかった」
「ハウゼン……」
語られる悲しい運命に、フィルシスはそっと呟いた。
すでに愛してなかったなんて、本当なのだろうか。
愛してもいないならきっと、ただ、逃げただけに違いない。
本当に愛してもいないなら、そんな激情に駆られる事はきっとない……
まだ心から本当に愛していたから、だからこそ、裏切られた事が、哀しくて、悔しくて、怒って、憎んで……
「それからだ。オレは暗黒神様の言う通り、人は悪の方が向いてるんだと、悟ったよ」
どこか悲しげだったハウゼンの声が、あの低い声に戻った。
「オレは召喚術を研究し尽くし、応用して、幾人もの女達を自分の思い通りに動かしてきた。」
俯き気味だったが、今度は顔を上げて、唇を歪ませた笑みを見せる。
「この火傷で醜く爛れた体を見て、悲鳴をあげる美しい体の女達を抱いた。
オレに見向きもしない女程、オレを罵る気丈な女程、オレは愛した。
そのような美しい女が、屈辱に顔を歪ませながら、醜いオレの思い通りに股を開く時、愛しくてたまらなくなる。
操って、女の方から口付けさせる事もできる。恋人同士のようにな」
そう言ったハウゼンが、半ば狂気のような笑みを浮かべた。
「それは…本当の愛情じゃない…!」
ハウゼンが受けた仕打ちは、確かに心の痛むものだ。
だが、その痛みがわかるのなら尚更、別の人を傷つける事が、フィルシスには納得できなかった。
「黙れ、お前のきれいな顔も、こんな風に焼け爛れた顔にしてやろうか」
顎をつかまれて、ハウゼンの瞳が間近に迫ってくる。
「彼女の行動は確かに正しいさ。創造神の世界の者なのだから。
だが、いくらこの世界の人間だからと言って、心を踏み躙っていいのか。
お前も向こうの世界だけ考えて、この世界を犠牲にしているだろう、聖騎士様。
それが良い事か?オレは本当に彼女を信じていたのに、裏切られた気持ちが、お前なんかにわかるか」
怒鳴り散らして自分を抑えるハウゼンの、手の力が強くなる。
「………」
そっと目を伏せた。
「……わかるよ…」
あふれ出る涙を抑えきれない。
「でも、あなたとも、彼女とも違う………」
ハウゼンのように、そんなにも憎みきる事はできなかった。
彼女のように、神への忠義を貫けない。
「……そうだな…お前はこんな事をされても、あいつが好きなのだったな…」
笑みを浮かべるハウゼンに、首輪をなでられる。
彼が、幻獣を従わせるために唱えた呪文が、再び自分の体を縛る。
その時、不意に気付いた…
今までシャーレンは、いつでも自分を好きなように操れた事…。
「お前も、この手であいつを葬らせてやろう」
「やめろ…!」
ハウゼンは、必死に叫ぶフィルシスの腕を乱暴に引っ張って、来た道を戻り始めた。
朦朧とする意識の中、それを見ていたヴァインは、必死に立ち上がった。
その音に振り向いたハウゼンが、面白そうに口元に笑みを浮かべる。
「…他の者にも…ばらしてやる…!」
切れ切れの声を振り絞って、ヴァインは叫んだ。
死ぬ前に、みんなに真実を話さなければならない。何も知らずに殺されるよりは良いと思った。
魔術師でなくても、誰でも使えるよう習得が義務付けられている、初歩的な伝達の呪文を唱える。
「好きにするがいい」
しかし、ハウゼンは気にも留めず、嘲るようにそう言った。
「お前達全員が束になってかかってきても、絶対オレには勝てない。真実を知られた所で、お前達の死は変わらない!」
哄笑を残して、ハウゼンは去って行った。
「ヴァイン、大丈夫か…!」
しばらくすると、伝達を聞いた暗黒騎士、数人が駆け寄ってきた。
「ああ、なんとか……」
荒い息をつきながら、返事する。
ヴァインはかなりの深手を負っていたが、幸いにも致命傷ではなかった。
「早く応急処置を……」
仲間の手当てを受けて、ヴァインは少しほっとした。
「………!」
しかし、それはほんの束の間だった。
ヴァインの顔が、傷の痛みのせいではなく、青ざめた。
地下にいるとばかり思っていたシャーレンが、そこにいたからだ。
皆、傷の手当てに必死で、足音に気づかなかった。
「魔術師様……」
暗黒騎士達は戦慄したまま、その場から動けなかった。
苦しみ抜いて死にたいのなら、聖騎士に手を出して良いという忠告と、
昔シャーレンが始末した暗黒神官への反逆者達の死に様が脳裏をよぎる。
「…何故、怪我をしている?」
襲ってくる気配のない彼らを見て仕方なく、シャーレンは不機嫌そうにぼそっと聞いた。
「…つい先ほど…ハウゼン様の召喚獣に…襲われました……」
震える声でヴァインが答える。それだけ言うのがやっとだった。
「だから、それは何故だ、もっとわかりやすく話せ。
お前とハウゼンは組んでいたのではなかったのか」
今すぐにでも目の前の騎士達を、あの見張り達のような目にあわせてやりたいとシャーレンは思っていた。
彼らがそんなに怯えているのは、ほぼ間違いなくフィルシスを犯したからに決まっている。
だが、ラークに免じてそれを堪えたため、自然と口調が冷たくなる。
「…あの人は、この世界の人間を全員殺すつもりだった…
…だから俺は、あの聖騎士をあなたの所に連れて行こうとして…でも、途中でばれて……」
「ハウゼンはどこにいる」
しどろもどろな話を途中で切って、シャーレンは聞いた。
「この先の、自室…のはずです…」
それを聞くとシャーレンは、息まで止まったように怯えて、じっと動かない暗黒騎士達の側を、静かに通り過ぎた。
「ま…待って……!」
「何だ…」
後ろから聞こえる、どもりながらも叫ぶ声に、シャーレンは煩わしそうに振り向いた。
「俺達も連れて行ってください…!団長が本当に捕まっているなら…」
たどたどしい言葉で、暗黒騎士達が恐る恐る頼む。
「…好きにしろ」
現金なやつらだと思いながら、シャーレンは不機嫌そうに呟いた。
そうして、案内されたハウゼンの自室には、誰もいなかった。
ただ、昇り階段があり、その天上の出口から光が漏れていた。
「お前達はここで待機していろ。それか、隠れて見ているだけにしろ」
騎士達には、あまり死なれるわけにはいかない。
ラークの事もあったが、この隠れ家に潜入する前にも、宿舎に残っている暗黒騎士達に、離反したものを説得して欲しいと、頼まれていた。
暗黒騎士をその部屋に残し、シャーレンは一人で進んだ。
「結局、お前はここなんだな」
階段を上りきって目に入った光景に、ぼそっと呟いた。
その先は、神殿の本殿だった。
大きな黒水晶とその中で眠っている神のための祭壇が目に入る。
「そうさ」
その前に佇んでいるハウゼンが返事する。
彼の側には、あの女とイグデュールと…そして、ラークとフィルシスがいた。
また、操られているのか、何の動きも見せず、その場に立っていた。
「シャーレン…!」
フィルシスが悲痛な表情で、名前を呼んだ。まだハウゼンの呪縛は解かれていない。
しかし、フィルシス以外の三人の表情は、何の変化も無かった。
あの女とイグデュールが自分に対して悲しみを見せるとは到底思えなかったが、少なくともラークが何の変化を見せないのは明らかにおかしい。
それを不思議に思っていたシャーレンの心中を察したように、ハウゼンが笑った。
「オレだって、伊達に幾年も召喚術師をしているわけではない。新しい召喚術ぐらい、編み出すさ。
オレがその術を施したものは、何でも召喚して操る事のできる対象になる。それが例え人間でも」
そう言って、ハウゼンがくっと笑って手で合図すると、ラークがこちらに剣を向けた。
他の二人も、それぞれの術をいつでも使えるように、構え出す。
「これでこの三人はオレの忠実なしもべ。オレやお前のように、暗黒神官を裏切るような事はない」
シャーレンは黙ってその話に耳を傾けていた。
ようやく、プライドの高いあの女もイグデュールも、おとなしくハウゼンに従っていた理由がわかった。
「お前は、暗黒騎士団長も、この聖騎士も、殺せないんだろう?」
ハウゼンが勝ち誇ったように笑う。
「本当は、折角お前が逃げたのなら、こちらから捕らえて、街の人間や俺についた者達を集めて、お前をここで殺そうと思っていた。
その後、ゲートでもう一度次元を開き、向こうの世界の仲間が見ている前で、聖騎士を殺してやろうと思った。
だがお前はこの場所の魔法を破って、予定より早く来た。ヴァインも真実を仲間にばらして、計画は少し狂ったがな」
フィルシスは悲痛な表情のまま、ハウゼンの残虐な話を聞いていた。
本当は助けて欲しいけれど、今すぐにも逃げてと叫びたく思うシャーレンに目を向けても、冷たい表情のまま黙っていた。
「無駄話はもういいだろう、そろそろお前の血を、暗黒神様に見せて差し上げなければな。
お前がここで、この聖騎士の命を救った日から、神は随分お怒りだ」
それでも無表情なまま、逃げようともしないシャーレンを見て、ハウゼンが嘲笑した。
「もう何もできない程、動揺しているのか?」
そう言って、フィルシスを操る。
「嫌だ…」
勝手に動く腕を感じてフィルシスは、先ほどハウゼンに言われた言葉を思い出した。
「もう、助けなくてもいいから…逃げて……!」
黙ったままこちらを見ているシャーレンに、苦悩に満ちた表情で、悲壮な声で叫ぶ。
「シャーレン……?」
それなのに、今度は優しく微笑み返される。
「嫌だよ…!」
腕が勝手に動き、聖剣の柄に利き手がかかる。
しゃっと、刃が鞘を抜ける音が響く。
「え………?」
しかし、フィルシスは目を疑った。
鞘から抜かれた聖剣は、何の輝きも宿していない……。
「……」
ハウゼンは少しだけ、不審そうに口元を歪めた。
ずっと以前の聖剣使いの、遠い遠い記憶が呼び覚まされたのか、得体の知れない胸騒ぎがする。
「そうだな、最初から私の負けだな」
そこまで見て、シャーレンは静かに呟いた。
「確かに私には、あの時も、今も、お前に勝つ方法が見つからない。
それでも、別に良かった。あの時も、今も、殺されても」
好きな人が殺してくれる、好きな人と一緒に死ねる…
永遠に他の誰のものにもならないから、それでもよかった。
そして、神から奪う事ができたものがある、同時に自分だけのものにできた証拠…
「だが一つだけ、教える事があるんだ。以前はお前が姿を隠していたから、言う気にならなかったがな」
今は、ハウゼンの姿が見えている。魔法や鞭を当てる事ができる。
フィルシスをそのまま立ち止まらせる事ができるなら、まだ勝算はほんの少しだけ残っている。
「何を……」
ハウゼンが、苛立った様子で答えた。
気づき始めた答えに、目を向けたくないとでもいうように。
「お前は今まで実際に聖剣が使われている所を、見た事があるか?」
そのままシャーレンはフィルシスの元に、少しずつ歩んだ。
「それが、何だ……」
シャーレンの言葉に、ハウゼンは思い当たる事があった。
焦燥と不安が、心にじわじわと広がっていくのがわかる。
「聖剣使いがこの剣を持った時、この世界の人間にとっては見ているだけで息苦しくなるような、神聖な輝きが生まれる」
だが、フィルシスの持っている剣は、明らかに何の光も宿っていない。
「ああ……!」
ハウゼンも確かに見たことがあった。
まだ若き日の暗黒神官と共に、あの眩しすぎる聖剣の輝きを。
「シャーレン…貴様……!」
それ以上、何も出てこないハウゼンの唇が、悔しさに震える。
「お前は新しい聖剣使いが現われるまで、再び幾年もの時を待ち続ければいい」
それだけ言うとシャーレンは、失望の色を隠せないハウゼンの仮面の奥の瞳を見た。
そこに向かって、満足そうに冷たく微笑む。
ハウゼンが殺して確かめないように、フィルシスを抱きしめる。
「…馬鹿な………」
ハウゼンに攻撃する必要はもうなかった。
幾年も夢見て、跡形も無く潰えてしまった野望に、崩れ去るように床に膝をついたからだ。
俯いたまま、動く気配はない。
その衝撃で、ハウゼンは支配にまで気が回らなくなったのか、フィルシスは自分を縛る力が、徐々に弱まるのを感じた。
「シャーレン……」
消え入るような声で呟きながら、フィルシスは全てを悟った。
あの日、久しぶりに聖剣を手にした時に感じた、違和感の正体を…
胸を突き刺し責めるような哀しみに、知らないうちに放心したまま、
シャーレンの腕の中で、ハウゼンと同じように床に座り込んでしまっていた。
こみあげる涙が、頬を伝っていた。
すすり泣く声が止められない。
「私に会えて、嬉しいですか?それとも、私を恨んでいますか?」
そっと微笑んで、かがんだシャーレンに、再びぎゅうっと抱きしめられる。
耳元で囁かれる、幻獣との契約の呪文。
「あ…っ」
体の自由が戻った、シャーレンのものに。
それでも、失ってしまったものの悲しみが深すぎて、動く事ができない。
「どうして……」
そう呟いてみても、理由はもっと前から、心の奥底で気づいていたのかもしれない。
「あなたが初めて大司教に抱かれた時は、あなたが命令を聞かなければ、他の者を代わりに抱くと脅されたから、仕方なくでしょう?
でも今は、抱かれて喘いで、自分から足を開いて腰を振るのは何故ですか?」
意地悪な問い掛け。
答えは、調教された体の奥に…
抱かれて過ごした幾つもの夜の闇の中に…。
そうわかっていても、自分にとって聖剣の輝きは、自分の思い出が詰まっていた事には違いない。
初めて聖剣を授かった時の優しい光に、今はもう死んでしまった先代の団長も、今はもう会えない聖騎士団の仲間も、ローナも、希望を託した。
半ばこの剣に導かれるように、時間を歩んだ事も確かにあった。
聖剣を使えなければ、この世界に来る事もなかったように…
暗黒神官を倒す事もなかったように…
だがその聖剣は、それらの運命が、思い出が、まるで夢だったかのように、もうその時の輝きを失ってしまった……。
「…う………っ」
罪悪感と背徳感が心を満たす。
悲しくて、哀しくて、こみあげる泣き声以外、もう何も言葉が出てこない。
止め処なくあふれる涙が何故なのか、わからない。
創造神の教えを踏み外した事に?
やっとシャーレンに逢えた事に?
「あなたは神より私をとった」
たくさんのものを自分から奪っていく人、それでも、耳を優しくなでて、ぎゅっと抱きしめて、離してくれない。
「シャーレン……」
動揺して震える手から、聖剣が床に滑り落ちる。
ずっと大切だった輝きを失くした事と、ずっと求めていた温もりに辿り着いた事に、涙を流しながら、黒いローブにしがみついた。
カランと、石の床にぶつかる剣の音が、静寂に包まれた神殿に響いた。


