「そこ…!もっと深く…!」
赤の月明かりの照らす部屋で、二つの影が重なる。
親の屋敷から出て暗黒神官の神殿に行くようになって、他人に接することが多くなった。
美しい母親似の端整な容貌に、冷たい輝きを宿す瞳のシャーレンに、女達は魅了された。
たまに男にも言い寄られたが、そういう場合は魔法で打ちのめしたり、使い物にならなくしたりして追い払った。
「おい、シャーレン、お前しょっちゅう一緒に歩く女が変わってないか?」
ある日、ラークが好奇心と驚きで聞いた。
「なかなか本気で愛せる女が見つからないんだ、仕方ないだろ」
「でも、とりあえずやることはやって、飽きたら捨てるのか。ひどい男だぜ、全く」
「食い物にしてるだけのお前に言われたくないな。
偽りでも愛してるフリはしてやったんだ。一瞬でも幸せを与えてやってるのだからいいだろう」
一晩だけの関係の多い不良の暗黒騎士に言い返した。
「はは。でも俺はちゃんと体だけ欲しいって、事前にちゃんと言ってるんだ。だますよりマシだね」
「別に私だってだましているつもりはないさ。女が勝手に信じたいように信じているだけだ」
誰かを愛してみたいとは、一応思っていた。
あの両親と同じようになりたくはなかったから。言い寄ってくる女達を愛したフリをした。
誰をもだませるほど上手に。自分をもだませるほどの演技で。
だが一人でいると、気づく。心から誰かを愛していることはないと。
愛しているという嘘の仮面を被っているだけで、心の中の真実では感情がなくただ相手をしただけだった。
それでも女達はその演技で満足するのだ。
彼女達は、愛されていると信じこみたいだけ。例えそれが真実ではなくても。
都合のいいように信じたいだけ。真実を知ろうとせず。

それから暗黒神官の護衛の日々は続いた。
捕らえた反逆者を暗黒の魔法で、無惨に殺す事がいつしか楽しみになっていた。
怯える死刑囚の目には、しっかりと自分だけが映っていくから。
自分に、あの女の影を重ねずに、自分だけを見てくれるから。
残虐な殺し方であればある程、民を恐怖で支配できる…
そう言った暗黒神官の命を受けて、反逆者を生きたまま、その肉を腐らせる呪文や、体中から血を噴出させる呪文で、次々と殺していった。
時には、捕らえられた聖騎士さえも。
暗黒魔法だけでなく、戯れに調合してみた毒薬や、拷問器具を使ったこともあった。
そうして、暗黒世界に生まれて80年程経った時…
暗黒神官の四天王の一つ、「暗黒の魔術師」の地位につくことになった。
あのジグハルト・ウェナンは、聖騎士達との戦いで戦死してしまったのだ。
シャーレンもリュシアン・トゥリスも、基本は神官の護衛なので戦争には参加しておらずその死を直接見届けてはいないが、
あちらの世界の宮廷魔術師達の魔法で死んでしまったらしい。
あの抜け目がない父が、そんな簡単に負けるとは思えなかったが、それは事実なのだ。
その次の日、リュシアン・トゥリスも謎の失踪を遂げた。
時期四天王の候補だった彼女を、暗黒神官を始め誰もが行方を捜したが、結局彼女を二度と見ることはなかった。
そしてその激しい戦乱で、暗黒騎士団長ギルヴァン・シザイアも戦死した。
時の聖騎士団長ユスト・ルジニアーズの手にかかって。
あの出立の日の朝、ラークは自分もついていきたいと、団長に頼んだ。
憧れの団長と共に戦いたいと。
でも彼は神官の護衛として選ばれたのだから、その役目を果たすべきだと、行かせてもらえなかった。
「この戦争で決着がつかなかったら、今度はお前が俺の右腕だから」
と、それがシザイアのラークへの最後の言葉。
手のかかる息子に言い聞かせるような眼差しでそう言って、騎士団長は額に角のある漆黒の馬の幻獣に乗って、戦地に向かった。
遠くから見ても大きなその背を、ラークはしばらく眺めていた。
憧れと親愛の眼差しで。
葬儀の最中も、隣にいたラークは珍しく静かに物思いに沈んだ暗い表情をしていた。
そんなに苦しそうで悲しそうな彼の表情を見たのは初めてだった。
でも自分は、決して遠い存在ではなく近しい存在の、あの三人が死んでしまっても心には何も浮かんでこなかった。
シザイアは、確かに初めて会った時はあんなことを言ったが、彼は基本的にそんなに人を詮索しなかった。
きちんとラークの実力を認めていて、神官の護衛に選んだように。
だからどちらかというと好意的な感情を抱いていたはずなのに。
あの両親のことは、わからない、何も感情を抱かれずに育てられた自分には。
あの二人の何をどういう風に感じればいいのか。

暗黒騎士団長と魔術師の死を聞いて、暗黒神官はその二人を継ぐ者の候補を選ぶことにした。
四天王になるには、その力を神官に認めてもらうために、幻獣との契約を結ばなければなかった。
暗黒の世界の生き物は、暗黒神を封印する時に一緒に閉じ込められてしまった生き物が主。
しかし、幻獣は暗黒神が、創造神の真似をして創りだそうとした命なのだ。
だが彼には完全な命は創り出せなかった。
幻獣は強い力を持っていたが、肉体のない不安定な体だった。
その幻獣の体を作り出すのが、四天王になるための試練だ。
契約しようとする者は、自らの血を使う魔術で、幻獣の借りの肉体を作り出さなければならない。
それに幻獣たちは人語を解し高い誇りを持つのでかなりの能力がいる。
一度契約が結ばれると、契約者が死ぬまで仕えることになるのだから当然だ。
幻獣自身が死ぬ前に、契約者が死んでしまうと具現化された命はなくなって、幻獣の精神だけがまた彼らの世界に還る。
もし、契約の時に失敗すると、幻獣に血だけではなく肉も骨も食われて死んでしまう。
四天王になれなければその先には死しかない。

犠牲になった者達の葬儀の日、それが行われた後、神官は新たな四天王の魔術師と騎士団長に、シャーレンとラークを指名した。
葬儀に集まっていた者が、しばらくざわめいた後、暗黒神官と選ばれた二人を囲うようにして立った。
息を飲んで二人を見守る。
「シャーレン…どうする?
俺は団長にはなりたくないが…自分の力を試してみたい…あの人の肩に並びたいから…受けて立つぜ」
少しの沈黙の後、ラークがそう言った。
シザイアはもういないけれど、黒い輝きを宿す瞳の青年の後ろに、その影が見えたのは気のせいだろうか。
シャーレンは迷っていた。
父親の地位を継ぐのはあまり嬉しくなかった。
その地位のせいで、もう死んだのにそれでもまたあの父を思い出すことになる。
そしてその魔術が、父の愛を自分から奪うことになったのだから。
それにシャーレンは四天王の一人、召喚術師のバロルク・ハウゼンも、幻術師のセナイド・イグデュールがあまり好きではなかった。
父が暗黒の魔術師だった時から、その二人は四天王だった。
幻術師は、両親が暗黒神の狂信者で、幼い頃暗黒神の捧げものとして両親に殺されそうになった時に彼らを殺してしまったそうだ。
そんなイグデュールは、暗黒の魔術師を尊敬していて、自分とは違ってあんなに立派な父親がいるのに何故尊敬の念を抱かないのかと、
よく言ってきたものだ。
ハウゼンは長身で細身に、常に黒いローブを着て黒いフードを被り、顔は白い仮面で隠していた。
素顔が見えず、ひどく無口で何を考えているのかよくわからず、不気味だ。
そして何よりその目が嫌いだった。
仮面の奥の光すらない底知れぬ闇の瞳で、それがたまに殺意のように自分に振りかかってくる。
何故かはわからないが。
今も、葬儀に集まった人々の一番後ろで、こちらをその瞳でじっと見ている。

それでもやってみようと思った。
もういないけれど、せめてあの父親を、自分を見て両親を思い出した周りを、見返してやりたかった。
自分を見て両親の影を見るのではなくて、自分自身を見てもらえるように。
四天王の地位が欲しいのではない。
そんなものはいらない、ただ、普通の家庭で育ったなら当たり前の、何か自分だけに対する感情を持たれたかった。
「では…私もやってみよう」
二人の答えを聞いて、暗黒神官が頷く。
様々な幻獣との契約の方法の書かれた書物を見せられた。
記憶は遥か彼方だけれど先代の魔術師は確か、漆黒の鳥と契約していた。
自分はわざと全く逆のものを選んだ。あの父の影から少しでも離れられるように。

葬儀の後は、新しく選ばれた二人の四天王への祝いが行われた。
次に暗黒の魔術師を継いだのは、先代の隠された息子。
闇の空で輝く赤い月と同じ瞳の白銀の狼を喚び出した。
次に暗黒騎士団長になったのは、かつて問題児と呼ばれていた男。
彼は先代暗黒騎士団長と同じ、額に一本の角を持つ漆黒の馬の幻獣と契約した。
「はー、面倒だな」
祝いの酒を飲みながらラークがわざと明るく愚痴をこぼした。
悲しみをごまかすように。

四天王になった次の日、早速暗黒神官の書斎に呼び出された。
机の上に、何百枚もの羊皮紙が置いてある。
「これはお前の父親ウェナンが残した、向こうの魔術の原理を解析した文書だ。」
その羊皮紙を指差して言う。
「向こうの世界の魔術を…?」
何も聞かされていないという風な、先代四天王の息子を見て、神官は苦笑した。
「そう、私はお前の父親に、向こうの魔術を解析するように、指示していたのだ。
それには長い長い時間がかかった。
ウェナンは、何度も何度もあちらの宮廷魔術師団と直に戦って、彼らの魔術を研究していた。
どんな呪文で、あちらの世界の魔術の主原理である精霊が働くのか、どんな祈りで、創造神の力を呼び出すことができるのか。
自らの命を何度も危険にさらしながら。
先日の戦いでは、解析に熱心なあまり、惜しくもやられてしまったが、彼が死ぬ間際に唱えた呪文が私の所に届いた。
あちらの魔術をおおよそ解析した言伝の呪文が」
死んでしまった魔術師を懐かしく思いながら、神官が説明した。
本当に魔術しか見ていなかったのだ。この子供さえも目に入っていなかったのだ。
「そうだったのですか…」
そんなこと、何も知らされていなかった。
だが、何も思わなかった。悲しくなるには、あの二人に全く無関係に扱われるのはもう慣れ過ぎていた。
「聞かされていなかったのだな。本当にあの二人は…。まあいい。それで、お前に頼みがある。
この文書を元に、向こうの魔術を勉強し、宮廷魔術師団に密偵として潜入してほしいのだ。
今度こそ、あちらの世界を我らが手中に…」
「密偵?あちらに魔術を学んで…?お言葉ですが、それなら暗黒騎士の誰かを、聖騎士団に入れた方が早いのでは?」
思わずそう言った。
あの父が、そんなに長く解析するのに時間のかかった魔術を、自分が使えるようになるには一体どのくらいかかるのだろう。
「…お前は、魔術をどうやって学んだ?」
「…本を読んで…」
親が二人とも魔術師だったのにも関わらず、たった一人で魔術はおろか、言葉も自分ひとりで学んだのだ。
そして、覚えた暗黒魔法はいくらでも練習できた、暗黒神官への反逆者を処刑する時に。
それを思い出した。
「そう、お前は一人で本だけ読んで、魔術を学んだのだろう?
それだけの才能があるんだ、だからすぐに理解できるはずだ。
それに、暗黒騎士達に、あの規律や典範を尊重するお堅い聖騎士を装えるだけの演技力があると思うか?」
二人とも、ラークの顔が頭をよぎって苦笑した。
「ハウゼンは私に忠誠とは言えない…論外だ。イグデュールは結構感情的だから密偵には向かないだろう…」
確かに自分は、どんな嘘でもつける。
血の繋がった両親の死にさえ、何も反応しなかったこの空の心は、空だからこそ何でも映すことができるのだ。
あまり感情的にならない分、自分を偽ることは簡単だった。
「わかりました…最善を尽くします」
「頼むぞ。」
今はもう自分しかいない、父のものだった屋敷に戻ろうとした時、廊下でラークとすれ違った。
「よ、シャーレン。浮かない顔してどうした。何だそれ」
腕に抱えた膨大な羊皮紙を見てたずねる。
「向こうの魔術の原理を解析した文書、だそうだ」
そう言われて、ラークは興味津々で一枚見たが、すぐに返した。
「…全くわからないな。そんなもの見てどうするんだ?」
「これで、向こうの魔術を使えるようになって、あの宮廷魔術師になりすまして密偵になれだとさ」
「あちらの世界の密偵?なんか面白そうだな」
密偵を面白そうと言う時点で、無理だろうと思った。
さっきの暗黒神官の言葉を思い出した。
「できることなら代わってやりたいが、ラークには無理だろうな」

それからシャーレンは一週間程、必死でその文書を読み込んで、研究した。
次元の裂け目をくぐって、その周辺で一ヶ月ほどこっそりあちらの世界で、解析した魔術を練習した。
それは簡単なことではなかった。
文書は所々間違っていたり、抜けているところがあったが、魔術師の勘で乗り越えるしかなかった。
「やっぱすごいな、お前」
たまに一緒について来ていたラークはいつも感心していた。
密偵をすることになると、そんなに頻繁にこっちの世界には戻れないだろう。
隣にいる無邪気な友としばらく離れることになるのは、少し寂しい気がした。

一通りできるようになると、暗黒神官に報告して、本格的に偵察しに行くことを告げた。
暗黒神官が、戦争で殺した聖騎士の死体から奪い取ったものを元に偽造した、レンドラント国への入国許可証を渡した。
「では、くれぐれも気をつけてくれ。もしばれたら、ただの死刑では済まないと思うぞ」
「ええ。では、また連絡します」
黒いローブはあんまりなので、純白のローブを着て出発した。
「それも似合ってるぜ、暗黒の魔術師さん」
裂け目のところまで、見送りに来たラークがからかった。
綺麗な青い髪と瞳には、白いローブは聡明な印象を与える。
「じゃあな、元気で。たまには戻ってこいよ。もし仮に戦場で出会っても、手加減してくれよ?」
「ああ、お前こそ。今度会う時は、もっと団長らしくなっていることを願うよ」
お互いに友の背を見送った。
別れるのは少し寂しいが長い時間をかけて信頼しあった友だから、心配はいらないだろう…。

シャーレンはまず、創造神の世界で一番の大国、レンドラントに向かった。
自分の故郷の灰色の世界とは全く違う、昼は眩しい太陽が照らし、夜は星が燦然と輝く道のり…
馬に乗って一週間程で、美しい緑に囲まれ優しい太陽に照らし出された国に着いた。
純白のローブに端正な顔の美しい魔術師を、誰も暗黒の魔術師だとは疑わなかった。
しばらくそこで宿をとって、国について調べることにした。
どうやらレンドラントの宮廷魔術師になるには、1年に一度の試験を受けて合格しなければならないらしい。
試験は運良く一ヶ月後にあるようだが、それには魔術以外にも、一般教養や宮廷の儀礼なども身に着けていなければならなかった。
だがたった一ヶ月でこちらの魔法を覚えたシャーレンは、そんなものはすぐに覚えることができた。
レンドラントに着いてたった一ヶ月で、宮廷魔術師として侵入できた。

「試験合格おめでとう。私は現聖騎士団長ユスト・ルジニアーズ。」
白い聖騎士団の制服に身を固めたその男は、堅実な顔だがよく見るとしわも少なく、そんなに歳はいってそうにない。
20代後半といったところだろうか。
年寄りも老けて見えるのは、激務の疲れで茶の髪の中に少し白いものが混じっているせいだ。
この人が、シザイアを殺した男か…
もしラークが密偵をしていたらここでもう終わっていたなと、まだ一ヶ月程しかたっていないのに、
何十年も経ったような気分になって、あの赤い髪を思い出した。
でもルジニアーズにあまり憎しみは感じなかった。
仕方ないのだ、こんな戦乱の世では、負けたほうが悪いのだから。
「そしてこちらが、君の直接の上官となる宮廷魔術師長ミララ・クルーヌ」
「よろしくね」
こちらの女も激務のせいで金髪に白いものが混じっているが、30を越えていそうにはない。
魔術で見た目をごまかしているのかもしれないが。
凛として、目に意志の強い輝きが宿っている。
「では、これから新しい仲間達を案内しなくては。わからないことがあったら何でも聞いてくださいね」
シャーレンは他に試験に合格した者とともに歩き出した。適度に挨拶をして。
柔らかな笑顔を見せると、到底暗黒の魔術師には見えなかった。
その端整な顔は確かに無表情だと冷たく見えるが、表情しだいでいかにも慈悲深い聖職者にも見えるのだ。

宮廷魔術師は聖騎士団長に属すること、日ごろから聖騎士達に魔術のしくみを教えること、
特に騎士見習いの少年達には実際に魔術も見せること…
一通り宮廷魔術師の仕事の説明が終わると、聖騎士団の宿舎に案内されて部屋を与えられた。
街中が眠る夜、レンドラントの白い城の中庭、月の光さえも届かない暗い木立の中で、
シャーレンは自分の幻獣白狼を召喚して、血をやるついでに命令した。
「いいか、神官様に伝えるんだ、無事に宮廷魔術師として潜入したと」
「わかりました、ご主人」
返事を聞くと、幻獣を向こうに戻した。
少しだけ自分も戻りたいと思った。
初めての光溢れる国…きちんとしすぎた宮廷の規則や礼儀は自分には少し苦しい。
それでも偽りの自分に返ってくるこの国の人々の笑顔を思い出して、上手くやれると思った。

今度こそ、あちらの世界を我らが手中に…上手くやれる…
暗黒神官のその言葉が、自分がそう思ったことが虚しくなるほどの…これから起こる激情の運命を知らないままで…。


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