レンドラントに来てから2年が経った時…
その国の北方のサラニア地方の一つの街が暗黒世界の者達に襲撃された。
だって自分が向こうに都合の良い場所の情報を送っているのだから。
聖騎士団が行った時にはすでに遅かったようだ。
街に着く前に、ほんの僅かのなんとか逃げてこれた人々に遭遇したようだ。
もう街はすでに占拠されて、行かない方が良いとその人々達の説得を受けてやむなく退散してきたらしい。
「シャーレン、少し話があるんだ」
そう言って、聖騎士団長ルジニアーズの部屋に呼び出された。
密偵活動がばれたのか、と心臓が割れそうになった。
「知っての通り、サラニアのリルオールがやつらの襲撃を受けた。
生き残って逃げてきた人々の証言は、見たこともない恐ろしい獣が人々を食い殺していったというものだった。」
残念そうに団長が説明した。
ハウゼンか…心の中で思った…。
破壊好きな騎士達だときっと建物を破壊するだろう。
でも拠点にするのだから建物は壊さず、魔物を召喚して、人間だけを食わせたのだ…。
「大人はとりあえず借家に住んでもらっている。子供はほとんど生き残ってはいない…。
助かったのは一人だけ、あの地方の有力貴族の息子だけだ。
頼みというのはその子供のことだ。私に騎士になりたいと言ってきた」
団長の表情が緩やかになった。
どうやら自分を呼んだのは、審問ではないようだ。
「へえ、頼もしいですね」
興味はなかったが、ばれなかったことにも安心して愛想良く相槌を打った。
美しい笑顔で。
「本来騎士団入団希望者は7歳までは家で教育して7歳からここに来るが、その子は孤児になってしまったし、まだ5歳なんだ。
貴族の家の子で、だいたいそういう家の子供はその年あたりから、専属の教師を雇って勉学させられるんだ。
だからシャーレン、君が教えてやってくれ、基本的な魔術のしくみや、一般教養、宮廷作法を」
「私が?」
いきなりの言葉に声が上ずりそうになった。
自分が子供に教える?
笑いそうになった。何も子供の頃にしてもらったこともないのに。
「そうなんだ、頼んでもいいか?副団長やクルーヌとも話し合って決めた。
君はまだ入団して2年だが、素晴らしい成果をあげているし、人当たりもいい」
その答えを聞いて嘲笑いそうになった。
なんて間抜けなんだ。本当の私に気づかずにだまされている。
「わかりました、引き受けましょう。その子のために、私も努力します」
子供なんて、どうすれば良いかわからなかったが、信頼を築くためにも断るわけにはいかない。
「ありがとう、任せた。あの子はきっと強くなれる。私達がいつの間にか忘れてしまった気持ちを持っているんだ」
そのまま客間に連れて行かれた。
扉を開くと、その少年が行儀よくソファに座っていた。
明るい茶の髪に、空色の瞳…美しい少年だった。
白い肌に可愛らしい顔つきで、騎士より司祭の方が向いているような気がした。
「こんにちは。私はシャーレン。君の名前は?」
かがんで目線を合わせて優しく尋ねた。
「フィルシス・クロフォードです」
少し緊張して答えた。
それでも青い瞳に強い意志の光が宿っている。
「では、シャーレン頼む。私は事後処理に行くよ」
ルジニアーズが微笑んで会釈して、部屋を去っていった。
二人きりの部屋で、自分の子供の頃を少し思い出した。
こんな子供と何をすればよいのかわからなかった。
でもきっと、自分があの時してほしかったことをすればいい…。
あの時はただ話してほしかった。
「フィルシス、どうして聖騎士になりたいんだ?」
「僕も騎士になって、今度はちゃんとみんなを…大事な人を守りたいんです」
これが団長の言っていたことなのだろう。
そんな答えは初めて聞いた。
聖騎士達の話を聞いていると、暗黒世界のやつらは許せないとか、敵を討ちたいとか、憎しみたぎる心が多かったから。
「そうか、その心を忘れないで。」
自分でもよくこんな言葉がでてくるなと思った。
「じゃあ、まず図書室に行こうか」
「はい…!」
小さな歩幅にあうように、ゆっくり歩いてやった。
窓から差し込む陽光が、幼いけれど端整な顔に当たって白く輝く。
「緊張しているの?」
「…はい」
「身分はだいたい、教皇、皇帝、国王、上位聖職者、貴族、上位聖騎士の順だ。
君は貴族の正当な跡継ぎの子息なんだ、それにいつか聖騎士になるんだろう?
本来敬語を使うのは私の方だ。私には別に、そんなに堅苦しくしなくていい」
「はい…」
何も知らない無垢な可愛い笑顔は、自分が君の敵だと知ったらどんな風に歪むだろう。
それも見てみたいと思った。
信頼させて、最後につき落としてやったらどんな顔をするだろう。
今はこの上ないぐらい優しくしてやろう…。
「すごい…!」
図書室に入って、天井の高い部屋に立ち並ぶ本棚を見て、フィルシスが感嘆の声を洩らした。
隅に座って、この日は文字を教えてやった。
夕食の時間になると、広い聖騎士団の食堂に連れて行き、宮廷作法を教えた。
他の騎士見習いの者も紹介してやった。
まだ幼すぎるフィルシスは、時々口を汚してしまったが、それでも懸命に練習していた。
ソースのついた口をナフキンで拭ってやる。
その様子をルジニアーズやクルーヌ、聖騎士達ががこちらを見て微笑んでいた。
戦闘が多い者には、子供という若い命を見ていると癒されるのだろう。
その後浴場に行った後、自室に連れて行ってベッドに寝かせてやった。
初めての場所で、慣れないことをして、疲れていたのだろう。
すぐに眠った。
だがしばらくすると、うなされだした。
あんなに不気味なハウゼンを見たのだとしたら当然だろう…。
あの冷たい白い仮面と、その奥の狂気の瞳を思い出した。
あまりにひどくうなされていたので、無理矢理起こした。
「…シャーレン」
恐ろしい夢から覚めて、心細そうに自分を呼んだ。
震えている体をさすってやった。
「どうしたんだ?大丈夫か?」
「…あの日から、同じ夢を見るんだ…家族が…町のみんなが恐ろしい獣に食われて…」
怯えて泣きだした子供を抱きしめてやった。
小さな手が白いローブをぎゅっと握ってきた。
「私が一緒にいてあげるからね」
泣き止むまでなでた。
両親が死んだことがそんなに悲しいのか。
自分には到底理解できない。
「………」
もう一度眠るまで、起きていてすぐ側にいてやった。
子供なんてちょっと優しくしただけで、すぐに懐く。
偽りの優しさでもすがってくる。
本当はそんな優しさをぶち壊したかった。
自分がかつてされたように。
それから2年、本格的な騎士訓練が始まるまでほとんど毎日、図書室の隅にフィルシスを連れて行って、様々なことを教えることになる。
「賢いね。その調子だよ。」
褒めて頭をなでてやった。自分の演技に自分で騙されそうになるぐらい優しく。
「うん、ありがとう。」
嬉しそうな無垢な笑顔が返ってくる。
昼には城下町の市場まで連れて行って、使いの買い物をしながら計算の練習をさせた。
「あれが舞踏館、あっちのは美術館だよ」
初めて来る、これから暮らすことになる城の街を案内しながら。
「あそこは何?」
「あれは、劇場だよ。休日はあそこで色々な催し物をやるんだ」
「いいな、おもしろそう…」
「今度、連れて行ってあげようね」
「うん…!」
嬉しそうに目を輝かせた。
こんな何気ない会話をしたことがなかった。
フィルシスは最初はあんなに緊張していたけれど、何日かすると少し甘えてくるようになった。
けれど一緒にいるのが苦しくてたまらなかった、自分の名前を呼んで後をついてくる子供が。
その純粋さに安心を覚える人間もたくさんいるだろう。
でも自分にはその綺麗過ぎる心が辛い。
自分が手に入れることはできないから、憧れと嫉みを呼び覚まされて苦しい。
暗い世界にいて、光がたまらなく恋しくなることがあるように。
月日が経って、慣れない暮らしに少し疲れたのか、熱を出して寝込んだことがあった。
「シャーレン…」
熱に浮かされて、うわ言で自分の名を呼んだ。
団長でも医者の名前でもなく自分の名前を…。
自分を必要としてくれた。
でも君が見ているのは本当の私ではないのに。
美しい顔を歪めて苦しそうにしているのを見ると、その黒い悦びが湧き上がった。
こんなに汚れた自分は暗い悦びしか見出せない。
手を伸ばしても届かない純粋さに憧れて、そのまま綺麗ににしておきたいと思うのに、
でも心のどこかで、自分と同じぐらい穢してしまいたいとも思う。
大切にしたい気持ちと壊してしまいたい気持ちが重なる。
7歳になるともっと本格的に、宮廷作法や一般教養、外国語の勉強、剣技や格闘技、乗馬の訓練が始まった。
宮廷作法や教養は今まで通り自分が教え、武術訓練は他の騎士見習いと共に副団長レヴィンが教えた。
騎士の訓練も勉強も幼い子供には相当厳しかっただろうが、それでもフィルシスは一生懸命耐えて真面目にがんばっていた。
でもたまに、こっそり自分に甘えてきた。
それを見るたびに、自分を必要とされて喜ぶ気持ちと、またあの壊したくなる暗い気持ちがざわつく。
「シャーレン!」
少し寝坊して起きてきて、すぐにそっと抱きついて来た子供の頭をなでてやった。
せめて今はまだ優しい夢を見せてやろう…。
いつか解ける夢みたいな魔法の時間…。
「どうしたんだ?」
「馬小屋ってどこにあるの?」
抱きついたまま、こっちを見上げた。
「こっちだ、連れて行ってあげようね。」
乗馬訓練が始まった。
別に魔術師が付き合う必要はないが、一緒にいてほしそうな様子だったので隣にいてやった。
監督の副団長が柔らかな表情を見せた。
さぞかし自分達は微笑ましく見えるだろう。
「うわ…っ!」
初めての乗馬に、フィルシスが落馬したところを抱きとめた。副団長より早く。
「大丈夫か?」
「…んー…」
失敗して悲しそうな顔をする。
すぐに慰めの言葉を紡いでやった。
「まあ初めてだから仕方ないよ。まだこれからだ。」
それから何週間か練習して、一人でも乗れるようになった。
そんなある朝、団長と魔術師長に呼び出された。
「シャーレン、カルチナ国の魔術師長の所まで使いに行ってくれないかしら。この荷物を渡して欲しいの」
「それで、フィルシスもやっと馬に乗れるようになったことだし、練習ということでついでに一緒に連れて行ってくれないか?
あの子はまだ、異国に行ったことがないだろう?」
ルジニアーズとクルーヌがそう提案した。
「そうですね、わかりました」
いつものように愛想良く承諾する。
「フィルシスにはもう言ったんだ、とても喜んでいたぞ。君と一緒に旅行に行けるみたいだと。遊びじゃないと言ったんだがな」
「そうですか…」
自分と一緒なのがそんなに嬉しいのか。
またあの矛盾した感情が湧き上がった。
優しさをその心に残して自分を思い出させたいとも思うのに、決して消えない傷をつけて自分を思い出させたいとも思う。
その朝はすぐに準備して、午後から出発した。
「この王都から馬で4日ほどかかるんだ」
「大変だね、でも楽しみだな。僕はこの国を出たことがないんだ。」
隣で嬉しそうに笑う顔を見て、一瞬忘れそうになる。
自分が暗黒の魔術師で、密偵をしていて、いつかは彼らを始末しなければならないことを…
カルチナ国に近づくにつれて、珍しそうに、好奇心を光らせて、異国の景色を眺めてる。
嬉しそうなその顔を見ていると、もうこのままずっと偽りの自分でいたいと思った。
「シャーレン、あれは何?」
「あれはゴンドラだよ。こういう川の多い国にはよくあるんだ。後で乗ってみるか?」
「うん!乗りたい!」
可愛らしい笑顔で、見たことないものを発見してはあれは何かと聞いてくる無邪気なその顔が、いつか苦痛と哀しみに歪むのだ。
だが自分の心の底には、そんな顔も見てみたいと思う冷酷な本当の自分もいるのだ。
でも今は忘れたい…本当の自分を…自分に課せられた役目を…
いつか全て壊れる日が来るまでは…。
城下町の門で通行証を見せて馬を預けた。
すぐに用事を済ませて、先程から街に飛び出したくてたまらないというようなフィルシスに言った。
「昼食にしようか」
「うん!」
初めて訪れる異国の街並みに目を輝かせた。
人ごみに紛れて離れないように、小さな手と繋いでやった。
その手が握り返してくる。強く。
見たことのないものばかりの異国の文化や品物に喜ぶフィルシスを連れて、街をあちこち観光した。
「楽しい?」
「うん、すごく」
表情でわかる。きらきら輝く目が楽しいと語っている。
「何か一つ、好きなものを買ってあげようか。」
情が移ってはならないと、わかってる。
「本当に?いいの?!」
でも嬉しそうな無垢な微笑みを見たくなる。
フィルシスはレンドラントにはない種類の菓子を選んだ。
「シャーレンにもあげるよ」
小さな手を伸ばして、飴玉を渡してきた。
「ありがとう」
口に含んだその飴は自分には甘すぎた。
しばらく舐めると溶けていく。
こんな誰が見ても幸せそうに見える自分達のやりとりも、いつか溶けて消えるんだ…
飴を自分が舐めて溶かしたように、いつかこの平和な瞬間も自分が真実を告げて壊すんだ。
すぐに忘れる夢のように…二度は見れない幻のように…よくできた嘘のように…。
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