城の客室に戻った時は、もう見張りや護衛兵以外はほとんど寝静まっていた。
軽く湯浴みをした後は、さすがに疲れたのかフィルシスはすぐにベッドに乗って寝転がった。
それでも布団の中で、真剣な相談事のようにぽつりと呟いた。
「シャーレンは…何のために戦うの?」
「…この国の平和のために。どうして?」
何て月並みな嘘だろう。
「ほんとは戦いたくないんだ…。暗黒騎士も殺したくない」
意外な答えだった。聖騎士になろうとしているのに。
「君の大切な人たちを殺したのに?」
「だってあの人達にも…お父さんもお母さんも…友達もいるのに…死んじゃったら哀しむよ」
この国に来て、初めて聞く意見だった。
聖騎士達はいつも、暗黒騎士など殺してやるとか、仇を討つとか、そういうことばかり話していた。
「…変かな。敵のことなんか、心配しちゃだめなのかな」
何がおかしいのかはわからない。
ただ、フィルシスが変だと思う自分の考えの方が、圧倒的に少ないのが事実なだけ。
でもきっと大人になっていくにつれて、変わっていくだろう…。
「…そんなことないよ。フィルシスの言うとおり、彼らにも私達と同じように、家族や恋人がいるんだから」
遥か遠くにいる友の顔を思い出した。
「…もう寝よう、明日も早いんだ。まだ見てないところを見たいだろう?」
「…一緒のベッドで寝てもいい?」
「どうして?」
「だって…お城だと、もうあんまり一緒に寝れないもん…」
確かに、従騎士になれば、騎士団の宿舎で過ごすことになる。
宮廷魔術師の宿舎とは別だ。
「…いいよ、おいで」
少し甘やかしすぎているのかもしれない。
それでも甘える姿は自分しか見れない。
「やったぁ」
こちらのベッドに来て、しがみついてきた。
「もう、こんなことで騎士になれるの?」
「これで最後にするから…」
きっと嘘だろうなと思った。
頭をなでてやっていると、すぐに眠った。
安らかな寝顔を眺めた。
初めて会った時はただ何も感じなかった。自分に課せられた任務だと割り切っていた。
その笑顔を壊す日が来るのを楽しみにしていた。
だがいつからか変わった自分に気づいた。
君がこんなにも自分を見たから。
でも、君が見ているのは偽りの自分…
もし本当の自分を君が知っても、まだこんな風に自分を必要としてくれるだろうか。
壊したいと思いながらも、こんなに愛しい。
こんな二律背反に苦しむなら、出逢わなければよかった。
親から受け継いだ魔術の才能がなければ、君に出会うことはなかった。
こんなところに来てまでも、あの親に苦しまされているように思えた。
この用事の後も、何度か二人で異国へ使いに行くこともあった。
海のすぐ側の国に行った時ほどフィルシスが喜んだことはない。
あの闇の世界にいた時を思い出せば、きれいな今の日々が静かに過ぎ去っていった。
いつ失うかわからない、幻のような時間。

騎士見習いの者達は、12歳になると従騎士になって、騎士達の身の回りの世話をしたり、騎士の側で実践訓練に出される。
それからフィルシスも12歳になったが、しばらくしたある日様子が変わった。
一人で窓の外を見て、何か考え事をしているかと思えば、ため息をついたり、微笑んだりした。
「何か嬉しいことがあったの?」
自分には覚えの無い返事が返ってきた。
「好きな人がいるんだ…」
恥ずかしそうに、ぽつりと言った。
少し衝撃を受けた。
彼だって男だ、いつかは恋人ぐらいできるだろうとわかっていたが、こんなに動揺するとは思わなかった。
「いつ出会ったの?」
「彼女は修道女で、前からいつも教会の花壇で一人で花の世話をしていたんだ。
いつも他の友達の修道女といる時は笑っていたけれど、その時はどこか寂しそうだったから話しかけてみたんだ。
彼女も戦争で家族を亡くしたんだって…」
そう打ち明けてからは、彼女の話をよくしてきた。
何をすれば良いか、どうすれば彼女が喜ぶか。
主君への奉仕、教会への奉仕、貴婦人への奉仕が騎士の義務。
きっと心に決めたのだろう、その女性を守っていくと。
その少女に宮廷内ですれ違うことがあった。
修道服に身を包んだ、淡い栗毛色の髪に、優しい茶色の瞳が印象的な可愛らしい乙女。
こっちを見て、気づいたように微笑みかけてきた。
「あなたがシャーレンさん?噂通り、素敵だわ!私はローナ・シーリヒカと言います。
フィルシスってばいつもあなたの話をしていますよ」
人懐こい笑顔でそう語りかけてきた。
「そうか、貴女が。でも私には貴女の話ばかりしているよ、ローナ」
「本当に!」
「本当だよ、どうすれば君が喜ぶか、いつも私に聞いてくるよ」
あどけない少女の頬が赤く染まる。嬉しそうに。
晴れた日は、澄んだ青空の下、窓の外から見えた。
陽光に照らされて中庭で語り合う二人の小さな恋人達が。
幼い従騎士と見習いの修道女の制服を着た幼い少女。
お互いを思いやる暖かい眼差し、幸せそうに笑っている。
自分には遠くはなれた光に満ち溢れて。
好きな人ができてからますます修行に身が入ったようだ。
たとえ自分を犠牲にしても、誰かのために生きようとするのだから。
従騎士になると、騎士の側で実際に実践に出なければならない。
従騎士になって1年後、まだサラニアに駐屯したままの暗黒騎士と戦うことになった。
ラークは来ないようだった。もっと本格的に落とす準備が整う時まで。
安心と寂然が混ざる。
初陣の前夜、フィルシスは自分の部屋にやってきた。
「シャーレン…」
「また甘えに来たの?」
自分も一緒に行くのに。恋人がいるというのに。
「違うよ、ただちょっと不安になったから来てみただけだよ…」
と言いながらも甘えるようにそっとすぐ側に寄ってくる。
頭をなでてやった。
「もっと自信を持って。あんなにがんばってきたのだから大丈夫」
テーブルにつかせて茶を入れてやる。
気休め程度にほんの少しだけカップに口をつけた。
向かいに座って励ましてやった。
自分の一言で元気にも不安にもできる。
「うん…守れるようになってみせるよ、今度こそ…」
敵討ちでなくて誰かを守るために戦うと、昔と変わらない目で言った。
でもたまにふと、全てどうでもよくなる時がある。
自分は何故ここにいるのだろう、何故戦うのだろう。
いつかこんな一瞬一瞬はもっと大きな時の流れに埋もれていくのに、何のために存在するのか。
それなら世界の支配なんかどうでもいいから、君といられるわずかな瞬間は、ずっと君とだけいられればそれでいいのに。

出立前に何度もローナを抱きしめて何度もローナが抱きかえして、名残惜しそうに出発したが、
フィルシスは無事にあの戦いを生き抜いて、聖騎士団は暗黒騎士は全数ではないが、追い返したようだ。
しばらく休戦状態になった。
従騎士は15歳で騎士の正式な叙勲式がある。
叙勲式は教皇、大司教、司祭、全ての騎士と宮廷魔術師が見ている中で教会で行なわれる。
一番最後にフィルシスの名前が呼ばれ、聖騎士団長ルジニアーズの前に跪いた。
「神の御名において我汝フィルシス・クロフォードを騎士となす。勇ましく、礼儀深く、そして忠実なれ」
団長が、司祭があらかじめ清めた儀式刀を、誓いを結ばせる従騎士の肩に当てて、儀式の文句を言う。
その後、初めて聖剣を授かる。
聖剣が持ち主を認めると輝くと言われている。
でも誰も見たことがない。
「神の御名にかけて、そうあることを誓います」
フィルシスが受け取った瞬間、それは銀に輝いた。
誰もが見たことのない美しい光を宿して。
「…!」
あまりの驚きに一瞬の沈黙の後、会場が声にならない声で騒めいた。
窓の外の暗い闇まで照らせそうな、やさしい光に釘付けになった。
「……!」
誰もが言葉にすることができなかった。この素晴らしき祝福の喜びを。
ただ一人自分を除いて。
聖剣の輝きは、暗黒の世界の住人にとっては、見ているだけでとても息苦しいものだった。
「フィルシス…」
やっと聖騎士団長が口を開いた。
その瞬間に、周りの聖騎士や宮廷魔術師たちが駆け寄って、祝福に抱きしめた。
「おめでとう、お前ならやると思っていたよ」
「…苦しいよ…!みんな…」
「こら、お前たち!まだ儀式は終わっていないぞ!」
団長がそう怒鳴っても、誰も聞いてはいなかった。
教皇もやれやれと、ため息をついて、それでも微笑みを浮かべて喜びの波に身をまかせた。
歓声にあふれる広間を後にして、静かな渡り廊下の窓で考えた。
聖剣を使える者が現われた……
何故ためらうんだ。
今までどうり忠実に報告していけばいいだけだ。
だがそうすれば、あの子は殺される…
「シャーレン」
「団長…」
はっと顔を上げた。こんな所であんまり考えてはいけない。
「君は行ってやらないのか?フィルシスのところに」
「後で行きますよ。あんなに囲まれていては入り込めません」
少し笑ってみせた。
相手も厳しい顔に微笑みをみせる。
「君が行ったら皆どけてくれると思うが。フィルシスが君を好いてるのは皆知っているだろう」
「そうですね…。行ってみますよ」
隣で真面目な顔で団長が言った。
「本当にたまにいるんだな。
あの子のような、どんなに汚れた世の中を見ても、自分自身は汚れないままの強い人間が。
そういう人は損をするだろうけど…
でもあの子がそういう風に育ったのはほとんど君のおかげなのではないかな…?」
たいした誉め言葉だ。真偽はわからない。
「そんなことないですよ。あの子は最初からそうだった」
きっと最初から。
もしも本当に自分のお陰なら、これ以上の傑作はない。

聖剣を使えるものが現れたというのは重大なできごとだった。
暗黒神官に報告すると、一度戻って来いと言われた。
「少し休暇をもらっていいですか?たまには故郷に戻ってみようかと思いまして」
団長に長期休暇の申請をする。
一度も故郷に戻ると言ったことはないから、特に怪しまれはしなかった。
「そうか、ゆっくりしてきなさい。だが、何が起こるかわからんから十分気をつけてくれ」
荷物を持って廊下を歩いていると、フィルシスが剣の稽古中だというのに駆け寄って来て驚いてたずねた。
「シャーレン、どこかに行くの?」
「少し故郷に戻るだけだよ」
「そう…」
悲しそうな顔をした。
こっちが悲しい顔をしたい。
君を殺す策略を巡らせに行くのに。
「すぐに戻って来るから。ほら、稽古中に抜け出したらだめだろう?」
「うん…そうだった…ごめんなさい。でもいつかシャーレンの故郷にも連れて行ってね」
そう言って、慌てて訓練場に戻って行った。
「…いつかね…」
連れて行けるわけない。死を意味する場所なのに。
通り過ぎた後ろから、副団長の叱る声と若い騎士の謝罪の声が聞こえた。

夜までかかってレンドラントの郊外に来ると、幻獣を召喚した。
馬より遥かに速く、すぐに暗黒世界の入り口に行ける。
その時、後で物音がした。
「…!」
今にも倒れそうな表情の、儚い美貌の女性…クルーヌだった…。
驚いて目を見開いている。
自分も声が出なかった。
何故こんな所までついてきたのだろう…
だが自分に向けられる好意に気づかないほど、鈍感ではなかった。
故郷に帰ろうとする男に、ついに女が好意を告白するのはよくあることだ。
彼女もきっとそう思って、途中でどんどん街道を離れる自分を不思議に思ったのだろう。
しくじった。フィルシスのことを考えすぎて、尾行なんかに気づかなかった。
長く長く感じられる沈黙の後、美しい女が声を振り絞った。
「それは、暗黒神の世界の……!シャーレン…あなたは一体…」
今まで過ごしてきた時間の記憶が崩れていくのがわかる。
二人だけで食事をしたこともあった。
彼女の微笑みや、凛とした瞳は悪くは無かった。
楽しかったよ…
たとえ彼女のあの笑顔が、偽の自分に向けられたものだったとしても。
だがそれも、今で最後になると感じた。
一抹の哀しさを感じたのは、自分が少しだけ変わった証。
………
でも、フィルシスとまだ一緒にいたい。
ここで捕えられて殺されるわけにはいかない。
「三代目の゛暗黒の魔術師゛ですよ」
そう言った表情は、今まで見せた事のない冷酷な笑みだった。
「な……!」
時が止まったように、彼女は動けずにいた。
見られたのなら、仕方ない。死の魔術を詠唱する。
「“闇を統べる者の名において 深淵さ迷う悪夢の王よ 死に誘われし魂達を血染めの鎌で…”」
その呪文を聞いて、クルーヌが我に返ったようだ。
クルーヌは優秀な魔術師だったが、強い心を持っていても、やはり彼女は女だった。
「本当に…!…“無限の光の輝きよ 主に逆らいし暗闇達よ つらなる刃で裁きを与え…”」
彼女の呪文の詠唱は、動揺のせいで遅れた。
攻撃に移る前のほんの一瞬の気の迷いが命取りだった。
「私はもう詠唱を終えましたよ」
久しぶりに使う暗黒の魔術が命中した。
今自分にできる最後のやさしさは苦しまないように殺すこと。
地面に崩れていく体をやさしく抱きかかえる。
腕の中で、涙を流す最期の輝きを宿した美しい顔がこっちをしっかりと見据えた。
「あの子を…殺すの…?あんなに大切にしていたのに…!あれは…全部演技だったの!?あの子はあんなにあなたを慕って…」
「殺すわけない…」
そっと呟いた声が、クルーヌに届いたかどうかは、もう知る術はなかった。

澄んだ銀の月と宝石のような星の輝く夜空が上にある。
あの向こうでこの世界の神は自分を見ているのだろうか。
遠い昔、自分の先祖に罰を与えた神…。
いつか、こっちの暮らしが本当の自分ならと思うようになっていた。
でも、どうすればいいか分からない。
自分は姿は変わらないまま生きて続けて、フィルシスは老いていつか死んでいく。
ずっと一緒にいたい……
いや、きっと老いていく前にどちらかは殺される運命になる。
どんなに愛していても一緒に生きていけない。
どう贖えば赦される?
もしもこのまま、暗黒神官の望み通りにこちらの世界を支配できたとしても、一人であの闇に戻った時に何を思うだろう?
いつか虚しいと思った、やがて時に埋もれていく一瞬を、フィルシスと二人で過ごした一瞬を、ただ一人でいつまでも思い出すだけ。



PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル