目には見えなくなっても、吸血鬼の気配をダークエルフのシクロは感じる事ができた。
少し遠くに見える丘の上の古城を目指した。
丘へ続く道の途中には、暗い森があった。
鬱蒼と茂る樹木に空は隠され、まるで夜のようだ。
鳥や獣の声が全くしないその森を抜けると、白い石造りの城壁が続いていた。
一箇所だけ鉄格子で出来た入り口が見える。
表札には”Bathory”と彫られていた。
鉄造りの門は閉ざされ、茨が絡みついている。
シクロは人間よりも遥かに優れた跳躍力で、その門を超えた。
内部は、毒々しい赤色の薔薇が植えられた庭園の中、白い石畳の道が、同じように白い城まで続いている。
無音の世界の中、赤い薔薇だけが鮮やかなその景色は、どこか別の世界のようだった。
先に進んでいくと所々、薔薇の茨に人間の白骨死体と思われるものが絡み付いていた。
「……!」
だが、それをゆっくり眺めている間はなかった。
自分もその人間の仲間にしようと、茨が伸びて襲いかかってくる。
だが、シクロは落ち着き払ったまま、右手を向けた。
「こんなもの、俺に効くと思っているのか?」
エルフ族の使う魔法は、元々自然に宿る精霊に働きかけるものであるため、茨を静める事は簡単だった。
すぐに静かになった庭を再び進んでいくと、城にたどり着いた。
石造りの階段を上り、木でできた城門を開くと薄暗い内部が太陽の光に少しだけ照らされる。
庭と同じように、所々白骨化した死体が放っておかれていた。
城内の床は、埃をかぶっていたが、よく見ると、それはどうやらカモフラージュのようだった。
埃のせいで、床の模様の微妙な違いが見えにくい。
人間の目には、その床に紛れた罠の仕掛けが見えないようだ。
太陽光の一切射し込まない城内…
まるで夜のように。
明らかに侵入者の方が不利だ。
わざわざここまで来たのは、何故ダークエルフである自分の血を狙ったのか、少しだけ興味が湧いたからだ。
手がかりを探すために、シクロは城内を探索する事にした。
二階まで行くと、何故かカーテンは開かれ、窓から明るい光が差し込んでいた。
書斎に入った時、シクロは興味深そうに机の上を見た。
「家系図か…」
紙は大分変色していたが、字はまだ読む事ができた。
当主の印がつけられた、”Ruthven”と記されている所で、その系図は途切れていた。
「これが、あいつか」
しかし、自分を襲った吸血鬼の名前よりも、シクロは気になった事があった。
家系図を見ると、ルシュヴンは唯一人の子供のようだ。
何故か、それはとても不思議に思えた。
他の代は腹違いも含め、最低でも三人は子供がいる。
その上、家系図はほとんどが近親婚ばかりだった。
「この家は、随分病んでいたようだな」
独り言呟くというよりも、今度は誰かに話しかけているように、シクロははっきりと口を開いた。
「正常だったなら、あの子が私を喚ぶ事はなかっただろう」
シクロの後ろには、いつの間にか見知らぬ男が立っていた。
黒衣を着込み、青白い肌をしていたが、瞳だけは燃えるように赤かった。
ただし、鏡の前に立っているのに、その姿はそこには写ってはいない。
陽の差し込んだ部屋でも平気な吸血鬼…
「ふふ、残念。気づかれてしまったか。ダークエルフの血は、貴重な年代もののワインのようなのだが」
その男の外見は、シクロが昨夜出会った吸血鬼よりは年が上に見えた。
人間の年齢なら、おそらく三十半ば過ぎの頃に魔の一員となったのだろう。
短めの黒髪を後ろになでつけ、彫りの深い顔立ちをしており、貫禄がある。
若さとは別の魅力がある、整った容姿をしている事に変わりはない。
「何だ貴様、あいつのお友達か?」
シクロは男の方に向いた。
「いや…同じヴァンパイアでも、あいつよりも魔力が濃い。それに太陽の下でも平気…お前、真祖のヴァンパイアだな」
「ご名答」
男が優雅な笑みを浮かべる。
「こんな所に何をしに来たんだ?賞金首のダークエルフ」
男は穏やかな微笑を浮かべていたが、そのワインレッドの瞳は、鋭く相手を射抜くようだった。
「何でもお見通しって顔しやがって。あいつが何故俺の血を狙ったのか、少し気になっただけだ」
だがシクロは怯まずに、同じように微笑み返した。
「彼はまだ闇の住人にしては若い。若い内は色々失敗を犯すものだよ」
「回りくどい言い方だな。これだから”高貴な生き物”ってやつは」
どこか刺々しい男の言い方に対抗するように、シクロも嫌味をこめて返事をした。
「ふふ、自分より上の者にも恐れをなさない態度、嫌いじゃないよ。あの子にそっくりだ」
僅かに声の調子を柔らかくして、男が呟いた。
「あいつは関係ないだろう…。で、結局教えてくれるのか、くれないのか、どうなんだ?」
シクロは少し苛立ちを見せながら答えた。
「ふふ、あの子はまだヴァンパイアとして未熟な頃に、ダークエルフの精気のみしか糧にできない魔法をかけられたのだよ」
シクロの様子を気にもせずに、男は微笑を絶やさずに説明する。
「ヴァンパイアに呪い?そんな事が…。一思いに殺さずに、そんな呪いをかけて生殺しにするなんて、随分いいご趣味だな、そいつは」
そう言いながらも、シクロはどこか面白そうに笑った。
「あんたはそれをずっと観察していたのか?」
「そういう事になるね。ヴァンパイアにも効く呪いなんて、私も物珍しくてね。ついつい感心して魅入ってしまったのだ」
「助けてやらないのか?確か、真祖の血はその血族に、もっと大きな力を与えられるんだろう?」
シクロはそう聞いてはみたが、男の微笑を浮かべながらのその説明は、最初から眺めるだけで、楽しんでいたようにも思える。
「あの子は私を嫌っているからね。そんな私に助けを求めるまで、ずっと待っていたんだが、五十年程経った今でも結局一度も呼ばなかったよ」
「ふぅん…軟弱な貴族の坊ちゃんかと思えば、強情なやつなんだな」
昨夜の事を思い出しながら、シクロは少しだけ感心した。
「私は、彼から呼ぶまでいつまでも待つつもりだったが、君が現れてしまった。少し残念だ」
「そいつは悪い事をしたな」
再びシクロは挑発的な笑みを見せる。
「別にいいさ。彼がダークエルフの血を吸い尽くせば、あの呪いが解ける程の魔力は手に入るだろうからね。
そうすれば、今度は同族同士の血の飲みあいが楽しめる」
くくっと、男は低く笑った。
「俺はそんなヘマはしない」
にやっと笑って、シクロは男に背を向けた。
部屋の出口に向かう。
「御機嫌よう。ダークエルフ。また生きて会える事を祈るよ」
男はそう言うと、その場から姿を消した。
「余計なお世話だよ」
シクロはそう呟くと、階下に向かった。
もう一人の吸血鬼の匂いのする地下へ。

暗い地下への螺旋階段を奥深く降ると、閉ざされた大きな扉があった。
錠を開き、中に入ると漆黒の棺が中央に置かれていた。
吸血鬼の寝床…
シクロはそこにそっと近づいた。
逆十時の彫られた棺桶の蓋を開けようとした時、後ろから声がした。
「いつまで人の家をうろついているつもりだ」
いつの間にかルシュヴンがシクロの背後に立っていた。
「ふっ、もうお出ましか」
シクロは素早く向き合った。
「不快な匂いが二つもするんだ、寝ていられるわけないだろう。何をしに来た」
赤い三白眼の瞳に鋭く睨まれて、シクロはわざとらしく、からかうように手を上げた。
「そう怒るなよ。聞いた所によるとどうやらお前は、ダークエルフの血しか口にできないそうだな」
シクロがそう言うと、ルシュヴンの不機嫌そうな表情は、ますます険しくなった。
「俺は色々な奴に追われているんだ。今までは俺一人でも倒せて来れたが、最近は向こうもどんどん強いやつを雇ってくるようになってな。
だから、追っ手をお前も一緒に倒す代わりに、報酬として俺の血をやる。どうだ?悪くないだろ?」
下手をすればその追っ手よりも恐ろしい存在になるだろう。
だが、それでも、自分はあの快楽に惚れ込んでしまっていた。
「………」
ルシュヴンは無言のまま、考えた。
確かに悪くはなかった。
とりあえずは協力するフリをしつつ、隙を見てシクロの血を吸いきってしまえばいい…
この精気を全て吸えば、呪いに打ち勝つ程の魔力が手に入るに違いない。
だが…
「僕は夜しか外に出られない」
「ヴァンパイアは何にでも変化できるんだろう?もっと小さな姿になれば、俺が運んでやるよ。
それに、今までの経験からして、日中に襲われた事はほとんどない。奴らは闇夜に乗じて来るんだ」
「………」
再びルシュヴンは考え込んだ。
そんな事をして、真昼にいきなり外に出されたら終わりだ。
何より、行動を管理されるのが嫌だった。
「血が欲しくないのか?」
またからかうようなシクロの声。
「分かった。ただし僕が飽きたら、それで取引は終わりだからな」
そう言うと、まずルシュヴンは、シクロの鞄に入るように、魔力で棺を小さくした。
自身は一輪の鮮やかな赤い薔薇の姿になって、その棺の中に入ると内側から魔力で鍵をかけた。
これで、誰かに日中に蓋を開けられて、殺される事はない。
「じゃあ、夜を楽しみに」
小さく笑って、その棺を鞄に入れると、シクロは城門の方に戻った。

暗い森を出ると、昨日の街とは逆の道を進んだ。
水と一緒に、旅をする時は常に持ち歩いている、蜜のような毒を飲みながら、シクロは荒れた道を進んでいく。
エルフ族の食料は若々しい緑の植物の生気だったが、ダークエルフは暗い植物の毒を好んだ。
頭上にある太陽が傾いていくと共に、シクロは徐々に少しだけ緊張し始めていた。
だが、同時にその緊張を楽しんでもいた。
やがて太陽が沈んだ瞬間、シクロは背後に冷たい気を感じた。
「何だ、もう夜這いか?」
闇の中、立ち止まる。
いつの間にか棺から抜け出して、背後に佇んでいるルシュヴンに、シクロは面白そうな笑みを向けた。
「今日は駄目だ。連日で吸われたらいくら俺でも、辛い」
「お前の都合なんて知らない」
ルシュヴンはシクロの手首を素早く掴んで、一歩前に近づいた。
優美な微笑を浮かべる唇の間から、白い牙が見える。
そのまま、ルシュヴンはシクロの首筋にそっと唇を這わせ始めた。
「まだお預けだ」
ルシュヴンの背の向こう側を見て、不意にシクロは口元に笑みを浮かべた。
「敵が来た」



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