来た道を戻らずに、シクロはそのまま先に進んだ。
現在請け負っている依頼は、この宝石を入手するだけではない。
しばらく道なりに進んでいくと、街が見えた。
街に入る前に、シクロは外していたフードを、目深に被りなおした。
次の街は広く、様々な人種が混じり、人間以外の種族も見かけたが、ダークエルフだけはさすがに珍しすぎる。
大通りを歩いていると、教会が目に入る。
そこでふと、昨夜の仕返しを思いついた。
こんな日中では、きっとルシュヴンも寝ているだろう、聖堂に近づかせなければ良いだけだ。
シクロは人目のつかない路地裏にそっと荷物を置くと、教会に向かった。
門の前に立っているシスターに話しかける。
「聖水をもらえないか、ほんの一滴でいい」
遠くからでは分からなくても近くで見ると、肌の色でダークエルフだと分かる。
シスターは驚いて目を見開いた。
「…その昔、光の神ではなく暗黒の神を崇め、エルフ一族から追われたダークエルフが何故、我らの神の水を…」
震えながらシスターは、シクロを訝しんだ。
「俺を育ててくれた田舎のおじいさんが、病床で、どうしても生きている間に神の奇跡を感じたいと言っているんです。
もう巡礼には行けないから、せめて聖水でもと…」
下手な騒ぎにならないよう、腰を低くして丁寧にシクロがそう説明すると、シスターの怯えは消え、彼女は顔を伏せた。
「まあ、そうでしたの…!わたくしはなんと失礼な事を…申し訳ありません」
真っ先に人を疑った事を恥じたシスターは、駆け足で聖堂に向かうと、聖水の小瓶を持って戻って来た。
「どうぞ。求める方々には無償で差し上げております。神の水はきっと、祝福を授けてくれるはずです」
「ありがとう」
たとえダークエルフでも、エルフ族の美しさは変わらずに持っているシクロが穏やかに微笑むと、シスターは今度は照れに目を伏せた。
シクロは教会を後にして、路地裏に戻った。
潤滑剤の入った瓶を出して、その中に聖水を一滴垂らす。
瓶を振って、聖水をかき混ぜた。これで準備は終わりだ。
その瓶も、残った聖水の瓶も鞄には入れずに、コートの内ポケットに入れて、街を先に進んだ。
この街は広い。
日が暮れても、まだ街を通り抜けることはできなかった。
活気ある大通りを、一人でそっと通り抜けていく。
夜になっても、昼間と変わらない喧騒の中では、誰にもダークエルフだと気づかれずに済む。
さすがに街中では、ルシュヴンは出てこない。
そう思うと、何故か歩調を速めている自分に気づいて、シクロは少し立ち止まった。
何を期待しているのだろうと、自分に嫌気が差して、歩調を遅くした。
それから夜もだいぶ更けてから、街を抜ける事ができた。
夜の空気よりも、さらに冷たい空気に包まれたと思うと、もうルシュヴンが音も無く、目の前に立っていた。
昨日と違って今日は、無言で不機嫌そうに出てきた。
一瞬、教会に行った事がばれたのかと思ったが、すぐにあの廃墟での事が思い当たる。
「朝方は随分御立腹だったようだが、あの宝石に何かあるのか?」
それを聞いたルシュヴンの表情が一瞬だけ変化した事を、シクロは見逃さなかった。
ほんの一瞬目を伏せたルシュヴンは、どこか憂いを帯びていた。
あの宝石の事で、怒るのかとばかり思っていたが、意外な表情だった。
「何の目的で、あの宝石を取りに来たんだ」
今まで見せなかったような表情はすぐに消え、いつもの強い調子に戻るとルシュヴンはシクロに尋ねた。
「依頼を受けただけさ、カサンドラの血星石を取ってきて欲しいって」
哀しみの表情は気のせいかもしれないと思えてきたシクロは、少しつまらなさそうに手短に答えた。
「依頼者がこの石を何故必要としたのかは俺も知らん。
ただ、一般人には入手困難なものを手に入れに行くのが、俺の仕事だ」
「…なら良い」
あまりむきになっては、逆にシクロの興味をそそってしまうと思ったルシュヴンは、そこでこの話題を止めた。
「じゃあ、行くぞ。ここはまだ街に近いからな」
それ以上何も聞かないルシュヴンに、シクロもあえて何かを言いはしなかった。
あのような大きな街なら、吸血鬼の存在を嗅ぎつける事のできる者が一人や二人、いるかもしれない。
面倒が起きる前にさっさと立ち去りたかった。
進み始めてしばらく経った時、何かを考えていたルシュヴンは、尋ねた。
「一応真っ当な仕事を持っているのに、何故狙われているんだ」
そう聞かれて、シクロは立ち止まった。
質問に答えるためではなく、森のすぐ側に来たからだ。
ただ黙ったまま、いきなり木の幹にルシュヴンを押し倒して、その上に乗りかかった。
「……!」
「そんな事、どうでもいいだろ」
そう答えながら、自分のその言葉に、朝会ったあの男の事が不意に頭をよぎった。
あの男も、ルシュヴンも、自分も、肝心な事は言わない者ばかりの中に、何を期待しているのだろう。
「お前がその牙で、俺の血の全てを奪ってくれた方が、俺は楽になるかもしれないって事だけ、教えてやるよ」
コートを脱いで、ルシュヴンの下穿きも勝手に下ろす。
「………」
それを聞いてルシュヴンは、シクロにしては珍しく、弱気な物言いをしているように思った。
だが、こんな体勢で、勝手に脱がされては、その言葉はすぐにどこかに消えていった。
「…君が、圧し掛かるのではなくて、僕の前に跪いて泣いて請うなら、すぐにでも吸い尽くしてあげるのに」
ルシュヴンの方も挑発するような笑みを見せると、体の上に乗りかかっているシクロの下着をおろしていった。
いきなりそこに入れようとすると、シクロはその腕をつかんだ。
「待てよ。お前があまりにも慣らす気がないようだから、今日はこれを使う」
シクロは、脱ぎ捨てたコートの裏ポケットから先ほどの瓶を取り出した。
中身を自分の指に垂らし、後孔を解していく。
「潤滑剤か?君は痛い方がいいんだろ?それに、切れたって、どうせすぐに治るのだから、別にいいだろう」
そう言いながらも、端整な容貌の彼が、形良い指で後孔をかき回す姿は扇情的で、眺めるのは悪くはなかった。
だが、ルシュヴンは途中で、訝しそうな顔をした。
「…そのローション、何か嫌な臭いがするぞ」
「色々なハーブが入っているからな」
たった一滴しか入れていない聖水の事がばれないように、独特な匂いのする植物油を混ざっている。
ルシュヴンの言っているのは単にその匂いの事なのか、嫌いな聖水の気配なのか分からなかったが、シクロは急いで指を動かした。
「じゃあ、入れさせてもらうぞ」
まだ訝しそうな顔をしているルシュヴンが止める前に、彼の性器を一気に自分の奥まで挿し込んだ。
「………ッ!」
声にならない悲鳴があがると同時に、シクロの後孔を血が満たした。
「貴様……何をした……!」
ルシュヴンが抜こうとする前に、シクロはその腕を押さえつけた。
「聖水をほんの一滴混ぜただけなんだけどなあ」
苦痛に呻きながら叫ぶルシュヴンに、シクロは涼しい顔で答えた。
地面の土を深くひっかいては、堪えるような彼の手の仕草が、その痛みを物語っていた。
「そんなに痛いか?」
「………」
シクロは、俯いて無言のまま痛みに耐えているルシュヴンの背に手をまわした。
「混ぜたのはたった一滴だけだから、傷は残らないさ。どうせすぐ治るんだから、別にいいだろ」
ルシュヴンの言葉を真似て、小さく笑う。
「じゃあ、俺は楽しませてもらうぜ」
シクロはそのまま腰を使い始めた。
「……ッ!」
聖水の混じった潤滑油に濡れる後孔の中で、性器が擦れるとルシュヴンが痛みに身を強張らせる。
「最初の日も思ったが、お前、おとなしくさえしていれば、良い感じだな」
仕返しができて嬉しそうなシクロは、激痛に俯いてじっとしているルシュヴンの頭を軽くなでた。
月明かりに照らされて、輝く金の髪も、象牙のような肌も、手の中を透き通ってしまいそうだ。
人間の時もそうだったのだろうが、通常の人間はいつか老いていくから。
生と死の果ての存在だけに許される永遠の美しさが、見る者を魅了する。
「さすがに、痛かったら勃たないのか?」
からかうシクロの声を聞いて、ルシュヴンは顔をあげて、彼の腰を強くつかんだ。
「何だ、力比べなら俺だって負けないぞ」
抜かせないように下肢に力を入れながら、シクロは面白そうに笑った。
「…一人だけ気分良くなんて、絶対させない」
ルシュヴンは苦しみながらもそう呟くと、素早く一輪の赤い薔薇を取り出して、魔力を込めた。
その茎を地面に突き立てると、棘が一瞬でシクロの体を縛り上げていく。
「……!てめえ……っ!」
「君が腰を振る度に、蕀が絡みつくと分かるだろう?それでも良ければご自由にどうぞ。僕は君の血の香りが好きだからね」
勝ち誇ったように、今度はルシュヴンが笑みを漏らした。
「では、こっちで遊ばせてもらう」
シクロの胸元へ腕を伸ばし、服の上からそこをまさぐる。
「ん……っ!」
胸を弄られて、下肢が疼き始める。
このまま良いように焦らされるのを、悔しく思ったシクロは、蕀が食い込み傷つくにも関わらず腰を振った。
「う………!」
再び、聖水が擦れる激痛にルシュヴンは、胸を弄る手を止めた。
「…往生際が悪いにも程があるな、君は…」
ルシュヴンは、痛みに声が震えるのを押さえながら、毒づいた。
「こっちの台詞だ…吸う気もないのに、血を流させるような事ばかりしやがって…!」
同じように、血が流れるのを感じながらも、シクロは挿入されたものを、後孔の壁にすりつけるのを止めなかった。
「…ん……ぅ……」
同じ月の下、別の場所でも交わる者達がいた。
「美しい二人が、野蛮な方法ではなく、仲睦まじく緩やかに交われば、さぞ幻想的な美しい絵になるのに……と思わないかね?」
黒い外套を羽織った壮年の男が、足元で四つ這いになっている青年に向かって尋ねた。
「ん…っんく……」
男の性器を口に含んでいた青年は、縋るような視線を向けて、目で返事した。
彼が股間を吸いあげるたびに、茶色混じりの金髪が揺れる。
「ん…っ」
不意に彼は息を詰めた。
口の中に吐き出されるものを、一滴残さず飲み干すために。
「味はどうだ?」
黒衣の男は、舌に体液の残滓を擦り付けながら、突き放すように聞いた。
「美味しいです…」
男は四つ這いのままそう答えた下僕を蹴って、地に転がした。
屈みこんで、仰向けになった彼の衣服を剥いでいく。
「ぁ…っご主人様……このような場所で………」
青年は僅かに抵抗したが、それは口だけだった。
体の方は、主人に抗う気は毛頭ない。
剥き出しになった肉体は、程よい筋肉がつき、引き締まっていて美しい。
だが、その体は傷跡だらけで、ぼろぼろだった。
白い肌の表面の至る所に、火傷のような痕や深い切り傷の痕、縄の痕があった。
ぷっくりと尖った乳首と、勃起している陰茎の先端には、血のような色の太いピアスが嵌められて、その三つは細い金の鎖で互いに繋がれている。
そして、彼の左腕は肩口から無かった。
「ひ…ぁ……ッ!」
脱がされるとすぐに、両足を持ち上げられて、後孔に硬いものが押し入れられる。
先程舐めさせられたため、自分の唾液で濡れているが、後孔自体は解されていないため、きつかった。
「んくぅ……っ!」
切れた後孔から流れる血の筋と、唾液が混ざり、くちゅくちゅと静かな空気に水音が響く。
「あ…っ」
自分の上に乗りかかって来た主人の、死人を思わせる冷たい指が、左腕の切断面に触れた。
彼の体の敏感な場所の一つ。
そのまま優しくなでるように、そして時折爪をたてるように、ほんの僅かに残った腕の肉の表面をなでる。
「ひぃ……!」
不意にそこに咬み付かれ、唇が傷口に吸い付く。
「あう……ぁ……ッ」
青年の体が仰け反り、髪が乱れ、涎がこぼれる。
ひんやりとした唇と、あふれ出して肌を汚す血と、その雫を丁寧に舐めとって吸っていく柔らかな舌の感触が混ざる。
過去からも、未来までも、永劫に自分を焦がして苦しめていく疼きと快感。
牙が肉を抉るたび、唇が血を吸うたび、苦痛でしかないはずなのに、ずっとそうして欲しいと思ってしまう。
「んう…ッ!も…っと……」
青年の体がくねるたびに、鎖がぴんと張り、乳首や陰茎が引っ張られ、痛みをもたらした。
「は…っぁ……」
血を吸いながら男が、戯れに青年の乳首をこね回すと、肉が食い込み、ピアスの隙間から血が漏れていく。
だが、傷が深くなるほど後孔の中はより強く収縮し、中の性器をくわえ込むため、男は血まみれの乳首を弄くるのを止めなかった。
「気持ち良いのか?」
男は肉の表面から口を離し、冷たい声で、痙攣して身悶える彼に尋ねた。
「は…っい……ッ…!」
激痛に耐えながら青年は答えた。
彼の性器はすでに勃起している。
だが、根元を縛り上げているリングと、先端にはめ込まれた太いピアスのせいで、射精は阻まれていた。
「んゃ……イノベルク様……ッも……血を……」
「血を?」
思わず叫んでいた言葉を、主人に繰り返されて、青年ははっとした。
自分も主人のように血を飲みたかった。いや、主人と血を飲みあいたかった。
だが、主人が血を飲みあいたいと思っている相手は一人だけだと、ずっと昔から知っている。
自分のような者に、主人の血を流させたくはなかった。
「ちが…っイきたい……っ」
青年は、慌てて言葉を訂正した。
すすり泣きながら、彼は主人に懇願し続けたが、黒衣の男はただ無言で、死人の指で彼の体を弄くるだけだった。
しばらく玩んだ後、男はしもべの細い腰をつかむと、自分はその後孔の中に吐き出した。
「あぅ…あ……ッ」
後孔の中にたっぷりと注がれながら、汚れを拭うように先端を擦り付けられる。
「ぁ……ッ!」
全て出し切ると、男は下僕の後孔から自身を抜いた。
「ん……ッ」
吐き出された精液が白い糸を引き、収縮する後孔の内部からあふれ出す。
男が小刻みに痙攣する彼の体を、ものを放るように地面に下ろすと、肛門から流れ出る白濁液が地を汚した。
「あ…っぁ……」
地面に転がされた青年の深紅の瞳は、虚ろに宙をさ迷っていた。
彼の顔立ちは並みの人間よりも整っている。
体の方も片腕しか無く、傷だらけだが、造作自体は端整な部類に入る。
だが、もっと美しいものを知っていれば霞んでしまう。
「やはりお前ではつまらんな」
男は、口から涎を垂らし、勃起したままの性器からは先走りを流し続けている彼を、じっと見下ろした。
「お前ときたら、何をしても黙って受け入れるだけだ。
私は従順な犬を可愛がるよりも、牙を剥く獣をひれ伏せさせる方が好きだと言っているのに」
男の声に反応して、青年の瞳は焦点を取り戻した。
「…不器用なわたくしには…あなた様に一心にお仕えする事でしか、この気持ちを表現できません」
いつか、あなたにこの身をずたずたに引き裂かれる事になろうとも…
最後の方はほとんど声にはなっていなかったが、彼はそう呟いた。
だが、返事はいつものように返ってこない。
「早く服を着なさい」
下僕の体の、ピアスに抉られた乳首や陰茎の傷が、徐々に治癒していくのを確認すると、男はそう命じた。
疼く股間に耐えながら、主人に命じられた青年は、よろめきながら立ち上がって、着衣を整えた。
随分長い間、当然のように射精を止められている彼は、我慢させられる事にもその痛みにももう慣れている。
「さあ、デュイ。彼らにもう一度、呪われた命を与えてあげなさい」
男は、三体の人間の屍を指さした。
筋肉質の女が一人、屈強な男が二人、赤い薔薇の棘に絡みつかれて死んでいる。
「この者達に…?」
デュイと呼ばれた青年、少なくとも青年に見える彼は、少し驚いた様子で聞き返した。
自分の知る限り、今まで主人が良いと言ってきた人間は、線の細めの男だけだったからだ。
「ああ、そうさ。別に仲間に引き入れる訳ではないがね」
しもべの疑問に答えるように、男が言う。
「ただ、彼に気づかせてあげたい事があるから、この屍達の力を借りるんだ」
主人にそう言われると、青年は少し寂しそうに目を伏せたが、すぐに顔を上げた。
「わたくしの力で、よろしいのですか?」
「ああ、お前の力でいい」
そこですっと目を細めて、試しているようにつけ加えた。
「それとも、お前にはできないか?何の関係もない人間を、死ぬ事よりも恐ろしい、死の世界の住人に引き込む事が」
男の血の気の無い肌の中、ワインレッドの瞳だけが爛々と輝く。
「…いいえ」
彼は俯いてそう答えると、昨晩殺された人間の死体の前に佇んだ。
体の外側も、内側からも、真紅の薔薇の蕀に絡みつかれた三つの屍。
その冷たい唇の上に、一本だけの腕をかざして、自らの吸血鬼の血を含ませた。
血と、薔薇と、吸血鬼の瞳が、月夜に赤く輝く。
生ける屍となって、生き血を求め続けなければならない苦しみを、彼らに与える事になろうとも…
主人がこれから彼らにさせる事で、いつか自分が主人に捨てられる事になると、分かっていても…
こんな自分がほんの少しでも、この主人の役に立つのなら、それだけで充分だった。


