雨宿り
(36)
棋院の玄関で、思い直したように足を止めた。
「社? どないしたんや」
先を歩いていた津坂が振り返る。社は足元を見て考えていたが顔をあげた。
「俺、もうちょっといる」
「はぁ? なんでや。おまえ明日もあるんやろ。はよホテル行って寝ぇな」
「このままじゃ寝れそうにないんや。だからちょっと落ち着いてからにする」
身体が熱をもてあましている。進藤ヒカル。あんな碁打ちは初めてだ。同年代に塔矢アキラが
いることは散々聞かされてきた。だが誰もヒカルのことを教えてくれなかった。
どうして埋もれていたのか不思議なくらいだ。
今日の対局が頭から離れない。もっともっと進藤ヒカルのことを知りたい。そのためには何と
しても明日の予選に勝たなければならない。その力みを社は感じていた。このままではダメだ。
戦うまえに自滅してしまう。
社はエレベーターに乗って六階に向かった。先ほどの対局室を覗く。明日もまたここで戦う。
(気負うたらアカン)
首を振り、廊下を戻る。五階の対局室――――そこには幽玄の間がある―――を見たかった。
いつか自分もこの場に来るのだと、励みになるかもしれない。
エレベーターはすでに階下に行っていた。たいして歩くわけではない。社は階段を下りた。
慣れない場所は少し身構えてしまう。社は足音を忍ばせていた。五階にたどりついたとき、下
から物音がした。人の声のように聞こえる。息をひそめてさらに下った。
「今日はやけに敏感だな、進藤」
少年の声だ。言葉のなかの名前に社は反応した。
(進藤て、進藤ヒカルか?)
階段の手すりから用心しながら下を見た。そして我が目を疑った。衣服を乱した二人の人物が
からみあっていたのだ。社は声をあげそうになる口を慌てて両手でおおった。
「あ、とぉ……もっ……ぅんっ……」
ヒカルの下肢は何も身につけてない。靴が転がっているのが見えた。そのヒカルを抱きしめて
いる少年の後ろすがたに、社の心臓は音を立てる。
(あれ……塔矢アキラとちゃうか!?)
(37)
あの特徴的な髪型をそう何人もいない。初めて間近で見た社は、なんとなく感動した。
この年の男子がする髪型ではない。なのに似合っている。そこがまたおかしかった。
塔矢アキラは囲碁界の宝と謳われ、誰よりも前を歩いている人物だ。どこか人を寄せ付けない
雰囲気をかもしだしていた。それが今、息を弾ませてヒカルを抱きしめている。
(進藤ヒカルって女やったんか……!?)
そう考えてすぐに否定する。そんなはずはない。確かに男だった。それにどう見ても男にしか
見えない。いや男だ。アキラがヒカルの性器をしゃぶっている。そのアキラの股間にもまた、
いきりたっている男性器がある。
(男相手なのに勃つんか!? んなアホな!)
自分の目を疑う。社はその場から離れることができなかった。思考をおかしくさせるような、
ぬかるんだ水音が耳に響く。ヒカルが顔をのけぞらせた。
目をつむり、口を半開きにして苦しそうに喘いでいる。その表情を見たとたん下半身の一部に
にぶい痛みを感じた。恐る恐る触ると、そこはすでにジーンズをきつくさせていた。
興奮している自分が信じられない。
「はぁっ、とぉや……ぁあ、んん……」
こぼれる艶めいた声に、手が自然と下に行く。自由にさせた自分のモノは熱くなり、はけ口を
探し求めている。社はそれをこすりはじめた。目も耳も二人に集中していた。
「あ! んっ、あ、はぁッ!」
ヒカルの声が階段中にこだました。社のうめきはそれにかき消された。手のなかが濡れていた。
終わった、と疲労とともに脱力感を覚えた。階段に背をあずける。だが頭をしびれさせるよう
な声音にまた社は身を起こして、手すりから乗り出した。
「……あぁ……はぁ……」
アキラが尻のあいだに顔を埋めて、舌先でつついていた。ヒカルは完全に胸を床につけている
が、腰だけは高々と突き上げている。なんと扇情的な姿なのだろうか。
アキラが音をたててそこを弄るたびに、ヒカルはすすり泣きにも似た声を出す。気付くと社の
モノはまた上向き、硬さを取り戻していた。夢見心地になっていく。
「……本当に今日のキミは敏感だ。そんなに社は良かった?」
いきなり自分の名前が聞こえ、社は一気に青ざめた。
(38)
自分はヒカルにたいして何もしていない。社は一人あたふたとした。アキラの感情を抑えた声
はつづき、すぐにそういう意味ではないとわかった。
「社との対局はそんなに良かったのか?」
ヒカルは黙ったままだ。今日の対局を思い出した。そうだ、誰も自分たちのあいだに入りこむ
ことのできない一局を感じた。それはヒカルも同じだったのだ。
「あ……あぁ……あ……」
社はつばを飲み込んだ。指先が震えてしかたがない。
(進藤がオレとの対局で興奮したんなら、相手は俺のほうが筋ちゃうんか……)
腹立たしくアキラに対してそう思った。だがすぐにそんな自分の頭を叩いた。何を考えている
のか。筋もなにもない。馬鹿げた考えをしてしまった。
「……いれるよ……」
アキラはささやくと、両手でヒカルの尻をつかみながら、ペニスを押し当てようとしている。
あんな小さいところに入るのか。社からはヒカルの表情は見えない。細い腰が劣情を誘う。
「んんっ、ん、ん、んん……っ」
太い雁首の部分を、ヒカルは苦しそうに喉を鳴らして受け入れる。アキラの性器がゆっくりと
飲み込まれていくのが、鮮明に見える。アキラは途中で動きを止めると体勢を整えた。そして
息を吸い込み、一気にヒカルのなかに突き入れた。
「あぁ――――――――ッ!!」
社はその容赦のなさに心のなかでアキラをののしった。あれでは痛いではないか。しかし憤慨
する自分の耳に、すぐに痛みではない声が入ってきた。
「んは、ぁっ、あ、と、やぁ……あ、ぁあはっ、んん……」
鼻にかかった甘い声が幾度も繰り返される。アキラが腰を使うと、ヒカルの身体がそれに合わ
せるようにいやらしくうごめく。
「ん、や……っ」
ヒカルが短く叫んだ。アキラはヒカルの身体を起こすと、自分は壁にもたれかかった。身体の
重みのためかヒカルはひどく苦しそうだ。首を振って逃れようとしている。
社の股間はうずいた。ここからだと、ヒカルの姿がよく見える。開いた足のあいだに屹立する
ペニスも、その表情も。まるで自分に見せ付けるかのような姿態だった。
(39)
二人はほとんどうつむいたままで、上に顔を向けることがなかったので、頭を出していた社が
見つかることはなかった。お互いだけしか存在していないみたいだ。
それに嫉妬を覚える。
ヒカルは息を吐きながら、自分のモノに手を添えてしごいている。後ろのアキラはヒカルの肩
に顔をうずめて突き上げていた。
(ズッチュズッチュゆうてる……なんてやらしい音がすんのや)
社は唾液を飲もうとしたが、口のなかはカラカラだった。水がほしい。いや水だけじゃない。
ヒカルが欲しい。力いっぱい抱きしめて、あの身体を感じたい。
そんなことは不可能だとわかっているが。
「あはっ……あぁっ」
アキラの激しい一突きにヒカルは上向いた。そして社の顔を見た。ぼんやりとした目だった。
唇からは唾液が流れ落ちている。そんなヒカルを社は見ていた。隠れることなど、少しも思い
到らなかった。二人は数秒、見つめあった。
「……や、しろ……っ」
ヒカルがはっきりと社の名前を口にした。身体の力が急速に失われていく。社は座り込むと、
ためていたものを一気に床に放出した。名前を呼ばれただけで、壮絶な快感を覚えたのだ。
「ほかの男の名を、呼ぶな……!」
アキラのするどい声が響き、ヒカルの嬌声が耳をつんざいた。立ち上がって見る勇気はない。
だがその音の激しさに、じれったいものがじわじわと己のなかをむしばんでいく。
すでに放出したばかりのモノを握る。それは未練たらしく先端から精液をこぼしつづけていた。
「っは、あ、あ……あ、っ…………」
次第にヒカルの声が小さくなっていく。アキラが達するのが気配でわかった。しかし間を置く
ことなく、また始まるのがわかった。
社は膝立ちして、そっと様子をのぞいた。
ほとんど放心したような状態のヒカルは、アキラの思うままに、肉体をむさぼられていた。
(40)
負けるわけにはいかなかった。
北斗杯の選手に選ばれることは、関西棋院の威信もかかっている。碁会所の人たちも応援して
くれている。両親に自分を認めさせたい。もちろん自分の力を試したいというのもある。
そんなもろもろの事情や感情があった。しかし昨日のヒカルの姿がそれらをかすませた。
欲望が――――それも性欲が、自分を突き進めた。
自分でも不純だとわかっている。だが身体にくすぶっている熱はごまかせなかった。
「負けました」
越智の一言に社は両のこぶしを握りしめた。
代表選手は別室に呼び出され、写真や幾つかの質問を受けた。だが社はそれらに集中できない。
隣に立つヒカルをどうしても意識してしまう。自分よりも背が低い。しかしやはり体格は男の
もので、女と間違うことは決してない。
襟から見える首筋に、社の鼓動は速くなる。ヒカルの声が頭のなかでこだました。切なそうな
表情は社に向けられ――――
くるりとヒカルが自分に顔を向けた。明るい笑顔に社は面食らった。
「オレ、進藤ヒカル。北斗杯、一緒にガンバろうな」
「え……あ……」
まともに言葉を聞いたのは初めてだ。元気な声だった。少しも暗く、淫靡なところなどない。
物憂そうな声で話すのではないかと思っていたので、拍子抜けした。何よりも、昨日たしかに
目があったはずなのに、ヒカルは自分に対して普通に話しかけてくる。覚えていないのか。
「そう言えばメンバー同士の自己紹介がまだだったな。ボクは塔矢アキラ。よろしく」
にこりともせずに言われた。どう見ても友好的ではない態度だが、これがこの少年なのだろう。
社は口を開けて二人を見ていたが、慌てて気を取り直して頭を下げた。
「関西棋院の社清春です。よろしく頼みます」
なんだか妖しげな幻から覚めた気がした。
二人は同い年の普通の少年で、変わったところなどない。昨日のことは、緊張していた自分が
見た白昼夢だったのだろうか。
しかしヒカルに抱いた劣情は、消えようがなかった。