初めての体験 ヒカル祭り

(6)
 「じゃあ、指導碁はここまでにしていただいて、食事にしましょう。向こうに座敷を用意していますから…」
不安げに瞳を揺らすヒカルに向かって、主催者が優しく声をかけてきた。
「食事?」
「ええ。今日は桃の節句ですから、ちらし寿司や菱餅も用意していますよ。」
「ちらし寿司…菱餅…」
ヒカルはごくりと喉を鳴らした。そういえば、長い間食べ物を口に入れていない。今日は
朝が早かった為、食事を食べる時間がなかった。だから、電車の中で朝食を取ろうと思っていたのだが、
すっかり眠り込んでしまい、危うく乗り過ごす所だった。
「白酒や雛あられ…と、先生は未成年でしたね。」
主催者の言葉に、ヒカルはムッと唇を尖らせた。
「白酒なんて、ジュースと一緒じゃん!」
主催者はフッと軽い笑みを片頬に乗せた。

(7)
 案内された座敷は、宴会場として使用するための部屋らしく、広くゆったりしていたが、
参加者全員が入るには、一人に付き座布団一つ分のスペースしか確保できなかった。
 ヒカルは上座に座らされ、後には「歓迎 進藤先生」と書かれた大きな垂れ幕、前には
座卓の上に並べられたご馳走。そして、その前には、座布団に正座した参加者達…………
何とも奇妙な光景だった。
「さあ、どうぞ。」
参加者達はにこにことヒカルを見ている。
「どうぞって言われても…」
食べにくくて仕方がない。だけど、ヒカルの腹の自己主張はどんどん大きくなっていって…
 『ええい!気にするな!』
ヒカルがちらし寿司の上に乗っているエビに箸を付けた。軽く醤油にひたし、口に運ぶ。
『お…おいし―――!!』
舌がとろけそうだった。口の中でまったりと心地よい舌触り…こんな美味しい甘エビを食べたのは
初めてだった。
 ヒカルは夢中になって、寿司に手を伸ばす。
『うあ…!たこもマグロも全部うまいじゃん!』
イベント会場が海の側だけあって、魚類の旨いこと…幸せすぎて顔がほころぶ。
 寿司を口に運んでは、咀嚼する。あまりに慌てて食べたので、口元にご飯粒が付いてしまった。
ヒカルはそれを無意識にぺろりと舌で舐め取った。
 その瞬間、男達は身体を前に乗り出した。
「おいし〜」
ヒカルは行儀悪く、刺身を指で摘んで口に入れた。手に付いた醤油を舐める仕草に、男達の
喉が鳴ったが、夢中で箸を動しているヒカルは、そのことにまったく気付かなかった。

(8)
 ある程度空腹が満たされ、漸く周りを見る余裕ができた。男達は、ヒカルを瞬きもせず、
見つめている。ヒカルのやることを一瞬でも見逃すまいと、一心に見ていた。
 彼らは、ヒカルが何かする度に「おぉ…!」と歓声を上げた。潮汁に口を付けると、
「飲んでる…飲んでるよ…」
寿司を頬張ると、
「食べてる…!スゲー」
と、一々うるさい。
 ヒカルは、自分がパンダにでもなったような気分になった。何となく、手を振ってみた。
「うそ!振ってるよ…オレに手を振ってる!」
「違うよ、ぶぁーか!俺に決まってるだろ!」
男達が騒ぎ始めた。中には、不自然に身体を前に倒して、震えているものもいる。
 頭の中でシグナルが鳴り始めた。
『もしかして…オレ…ヤバイかも…?』
これまでの経験で、ヒカルは自分が男にうけることを知っていた。と、言うかさんざんそれを
利用してきたわけだが…
『でも…でも…それは強くなるためだし…』
こいつらを相手にするのは、絶対イヤだ。
 その気持ちが伝わってしまったのかギラギラと血走った視線が一斉に突き刺さる。
ヒカルは引きつった笑いで、彼らを見渡した。
「オ…オレ…帰ろっかな?」
男達と視線を合わせたまま、ヒカルはそろそろと立ち上がった。

(9)
 「待ってください!ヒカルた…いや、進藤先生!」
一番前に座っていた男達と、主催者がヒカルを取り囲んだ。
「な…何?」
ヒカルは怯えて身体を守るように肩を捻った。
 「帰る前にこれを着て、写真を撮らせてください!」
男達がなにやら煌びやかな衣装を取り出した。
「…………着物?」
それはヒカルが知っている着物とは少し違うように見えた。
「十二単衣です!」
「それっておひな様が着てるヤツ?」
無知なヒカルでもそれくらいは知っている。それに、以前、佐為からも教えてもらったことがある。
佐為がいた時代の女性の衣装…見かけの華やかさとは裏腹に、酷く重くて動きづらいのだと…
本当に十二枚着るわけではないが、それでも重さは…
「それ全部着ると、二十キロぐらいあるって…」
ヒカルは暗にそんな重いものを自分に着せるのかと、牽制をかけたつもりだった。
 ところが、
「さすが、よくご存じですねえ…ヒカ…進藤先生は平安時代についての造詣も深くていらっしゃる…
噂通りです。」
と、あっさりかわされた。
「や…そうじゃなくて…男のオレが何でそんなものを…!」
胸元に両手で拳を作って、激しく上下に動かした。
 途端に、周囲がざわめいた。
「………可愛い…ヒカルタン…」
「連れて帰りてえ…」
どうも、小さな子供が駄々をこねているように見えたらしい。

(10)
 ヒカルは意識していなかったが、どうやら自分の行動が男達を煽っているようだ。
『やっぱまずいかも…』
こほんと小さく咳払いして、ヒカルは背筋をピンと伸ばした。
「オレは男だからそんなものは着ません…もう帰ります。ごちそうさまでした。」
失礼します―――――――礼儀正しくお辞儀をして、男達に挨拶した。
 プロ棋士になってもう二年…礼儀にうるさい周りの大人に鍛えられ、ヒカルもこれくらいの
挨拶は出来るようになったのだ。

 くすくす――― 

 あちこちから忍び笑いが聞こえる。ヒカルはきょとんと瞬きして、彼らを見渡した。
ほとんどの者が口元に手をあて笑いをかみ殺そうと努力していたが、あまり効果はなかった。
「大人ぶってるよ…かわい――」
「よせよ。びっくりしてるだろ?」
「でっかい目だなあ…舐めてみてえ…」
 頬がカッと熱くなった。
「なんだよ!」
ヒカルは大声で怒鳴った。すると今度は、「怒ってるよ…可愛い…」「ホッペつつきたい」だのと言われた。
 怒ろうが笑おうが関係ないのだ。彼らはヒカルが何をしても、ただ「可愛い」を繰り返すだけだった。
酷くバカにされた気分だった。
「もういい!オレ、帰る!!!」
ヒカルは、乱暴に鞄を持つと、男達にくるりと背中を向けた。

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