【名人による進藤ヒカル研究会】
其の壱 芹澤の章 (二)
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「今日はこれぐらいにしておこうか。」
芹澤は微笑んで居間に集まった面々を眺め回した。
「あ…はい…そうですね時間も遅いことですし。」
門下の中年棋士がそれに相槌を打ち、塔矢アキラが怪訝そうな顔をこちらに向けてきた。
――あれから三日後、芹澤は対局中こそ集中していたものの、それ以外は気もそぞろだ。あまりに
ぼんやりと物思いにふけっている姿を細君に見咎められ、「あなた、どうしちゃったの?」と心配がら
れる始末だった。
幸い、今日は家人はおらず――というより、研究会を自宅でやるという理由で温泉旅行のチケットを
渡して追い払い――十二畳ほどの和室は棋士7、8人で少々狭さを感じた。
いつもは棋院の一室でやるはずの研究会だが、その日はうまく空き部屋がおさえられなかったとの
理由で自宅になったことにしていた。
塔矢アキラがてきぱきとそこらに置かれた湯飲みや茶托を集めて大きな盆の上に重ねていた。
元・名人の家で生まれ育っただけあって、こういうことには慣れているらしい。並の女をはるかに凌ぐ
手際のよさに、芹澤は感心してそれを眺めていた。
「進藤、そこにある茶碗もとって。」
「え?」
塔矢アキラのすぐ横で、茶色い頭がゆらゆら揺れた。
「え、じゃないよ。それとって。」
「ああ、これね。」
ヒカルが立ち膝になって部屋の隅に取り残された茶碗をのろのろと持ち上げた。
塔矢アキラとは違って、ヒカルはどうしたらいいのか、戸惑っている風だった。
「座布団も全部片付けた?」
アキラの小さいが鋭い声が飛んだ。同い年ながらもったりとしたヒカルの動作にどうやら不甲斐なさ
を感じているらしい。
「ああ――うん…。」
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早くも各棋戦で本戦入りしている塔矢アキラと、三次予選進出したヒカルはここにいるほかの弟
子たちよりも遥かに強いが、だからなおさら気配りを欠かすまいとする二人を芹澤は微笑ましく
見ていた。
「二人ともそんなに気を使わなくていいよ。」
「いえ、先生――ボクたち一番下っ端ですから。」
そう言ってアキラが顔をほころばせ、傍らにいるヒカルに目配せすると、ヒカルは照れくさそうに
俯き、茶碗や茶托などののった盆を持って立ち上がった。
「ああ、すまんね――じゃ、台所まで行こうか。」
芹澤はつと立ち上がって廊下を先に歩いた。
自分のすぐ後ろにあの可愛らしくもエロティックな堕天使がいると思うと落ち着かない気分になる。
当のヒカルはといえば、何ごともなかったかのようにケロッとした顔をして塔矢アキラと共に自宅を
訪れた。
その日は主に韓国で行われた棋戦の検討だったのだが、芹澤がヒカルのすぐ傍に座しても、ヒカル
は表情ひとつかえず淡々としている。
もしかしたら、あれは幻だったのかと芹澤は自問自答しつづけた。
薄暗い台所の台に盆を置くと、ヒカルが黒いシャツの腕をずりあげた。
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「ついでにこれ、洗っちゃいます。」
「い、いやいいんだよそんなもの――。」
芹澤はあわててヒカルの片腕を掴んで制した。
「え…」
長身の芹澤を見上げる透明な瞳に心がぐらりと揺れ、芹澤は腕を掴んだまま、ヒカルを抱き寄せ
ていた。
「ちょ…!芹澤先生!」
「進藤君…あのあと、私は何度もキミのことを思い出していたんだよ…」
「あのあと…?」
「まさか忘れたわけじゃないだろう?キミだって何度も…」
記憶が逆流する。――そうだ、責め具で薄赤く腫れた小さな胸の粒をやさしく舐めあげているうちに、
ヒカルは自ら腰を振って芹澤を受け入れた。頭の中が真っ白になって芹澤は達した。
それから、呆然とする芹澤を押しのけるようにして緒方がヒカルを犯していた。
ヒカルは泣きじゃくり、芹澤はそんなヒカルをなだめるように耳元で囁きながら、薄桃色の乳首を撫で
たり、やわらかい耳朶に口付けた。
緒方はヒカルの中で乱暴に射精してしまうと興味を失ったようで、ヒカルは畳に両腕を固定されたまま
放置された。それをどうにか解いて体を拭き、まだ熱くくすぶったままの身体をもてあましていたヒカル
を解放してやったのは芹澤だ。
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「…こんなオジサンじゃ不満だろうな。でも――。」
「オレ、芹澤先生がオッサンだなんて思ったことないです!」
そう反発しながら、ヒカルは身をよじった。
「私じゃ嫌かい?」
「何言ってんですか…っ…」
ヒカルは目をそらしながら芹澤の掴んだ手をひきはがそうともがいた。
芹澤は片腕で小柄なヒカルの肩を抱きしめて、細い髪の中に鼻をうずめるようにして口付けた。
「ああ、いい匂いだ――」
「離して…ッ」
「キミがあれをなかったことにしたい気持ちもわかるよ…でも…一度だけでいい…もう一度…」
「だから!なんのことだかオレにはさっぱり…!」
目をそらしたまま芹澤の腕に爪を立てるヒカルを前に、芹澤は声を低く落とした。
「まだシラを切るつもりか?――なら、あのことをアキラ君に言ってやろうかな。行洋先生の前で
色々な男に抱かれているんだろう、キミは?アキラ君が知ったら…」
ヒカルは抵抗していた腕の力をぴたりと止め、顔をあげて芹澤を凝視した。
芹澤はふっと笑いを漏らした。いかにも下卑たやり方が気に食わない。この前は目の前の緒方
を軽蔑しきった芹澤だったが、自分とて緒方を批判できやしない。しかし――もうそんなことにい
ちいちかまっていられるほど余裕などない。
ならば、落ちるところまで落ちるしかないだろう。
芹澤はヒカルの前髪を少しかきあげて、すべすべしたこめかみに口付け、黒い長袖Tシャツの裾
からそろりと右手を入れた。ヒカルはビクッと肩を揺らしたが、抵抗はしなかった。
「私は緒方くんとは違う――傷つけたり、乱暴な真似はしないのはわかるだろう?」
ヒカルはうすく頷いた。平たい腹を上にたどっていくと、指先が小さな粒に触れた。
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「あ…はぁっ…」
「キミだって私として悪い気はしなかったろう?キミの望み通りに何度でも気持ちよくしてあげるか
ら――だから…。」
指の腹で丸く小さな粒を転がすと、ヒカルは白い喉を翻して甘い声を上げた。
廊下の奥でよく通るアキラの声が響いた。
「進藤――。」
その声にヒカルの大きな眼が見開かれた。
「ダメだよ芹澤先生…塔矢が…」
「アキラ君は適当につくろって先に帰すから…」
「ダメ…ですってば。…あ!」
芹澤は固くなった蕾をやさしく摘み上げると指の腹で転がし、ヒカルは再び小さく声を上げた。頬が
朱に染まって細かく息が漏れている。
「感じるんだろう?ここが――。こんなに硬くして…」
肩を抱きしめていた腕を外し、もう一方の手も素早くシャツの中に入れてまだ触れていないほうの蕾
を人差し指と中指の間に挟む。
「やめて…ください…ん…」
廊下の奥から足音がして、苛立った様子の声が聞こえた。
「進藤、どこにいるんだ?もう帰るぞ!」
ヒカルが口を開きかけたところで、芹澤が叫んだ。
「ああ――進藤くんにちょっと手伝ってもらっているんだ。すまないが、そこで待っていてくれ。」
「芹澤せんせ…。」
「キミは私とこれから一局打ってから帰る。いいね?」
「そんな…!そんな芹澤先生と勝手にセックスしたなんてバレたら…」
うぶめいたヒカルの口から咄嗟に「セックス」という言葉が出たのを聞いて、芹澤はなぜか苦笑した。
「バレやしないさ。私が黙っていればいいんだから。」
「そうじゃなくて――!」
「ああ、アキラ君はうまく言いくるめて帰すさ。」
その言葉どおり、芹澤は言葉巧みに塔矢アキラを言いくるめた。ヒカルはすぐその後ろで困ったような
顔をしていたが、アキラはあっさりとそれを受け取り、白い歯を見せて笑った。
「北斗杯以来、ボクよりも進藤のほうが人気だな――。じゃ、ボクはお先に失礼します。」
玄関先でもじもじと立ち尽くすヒカルを後ろに芹澤はまんまとアキラを見送ることに成功した。