【名人による進藤ヒカル研究会】
(15)
規則的なリズムの靴音が遠ざかるのを確かめると、芹澤は斜め後ろで口をOの字に開けて立って
いるヒカルに振り返った。
目が合うと少年は長い睫毛をしばたき、すぐに俯いた。
「進藤くん――。」
芹澤がにじり寄ると、ヒカルは壁に沿ってわずかにあとじさりした。芹澤の眼はおそらくギラギラと
脂ぎった光を放っていたに違いない。逃げられてはたまらぬとばかりに、芹澤は素早くヒカルの腕
を掴んで壁に押し付け、黒い長袖Tシャツの下から手をくぐらせて小さな粒を指先に捕らえる。
「…ふ!」
ヒカルは身体を硬くして息を漏らした。
(16)
「さっきの続きをしてあげるよ。――おいで。」
芹澤はみっともないほどに息を荒くして囁き、そのままピンク色に染まった耳朶を唇で挟んだ。
指の腹に当たる胸の蕾の感触を楽しみながら力任せに抱きしめる。腕の中に抱いてみると、
見かけ以上に華奢で、どこかはかなげだった。
「…ぐふっ…離して先生っ…苦しい…っ…」
よほど力を込めていたのだろう、ヒカルはケプッと小さいげっぷをして首を振った。芹澤はそこで
はじめて力をゆるめたが、離すまいと腕だけはしっかり掴んだままだった。
「ダメだってば、先生――。絶対バレちゃうってば…。」
「行洋先生には何も言わないから…約束するよ…」
芹澤はクスッと笑った。おそらく何人もの男に抱かれたはずなのに、行洋か緒方かは知らないが
貞操を立てるつもりなのか。それもかわいらしいと思いながら頬を撫で上げて唇を奪おうとしたとき、
芹澤はその手を止めて苦しげに濡れる瞳を凝視した。
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「芹澤先生は行洋先生の怖さを知らないんだよ…オレのことは何でもわかるんだ…したのはすぐ
バレちゃうし、オナニーしたのもバレてるし…それに…バレたらただじゃすまないし…」
「えっ?」
泣きそうな声が冗談や思い込みで言っているとは到底思えなかった。一体、名人はヒカルの幼さの
残る体になにをしているのだろうか。訳のわからない怒りと共に、それを知りたいという好奇心がない
交ぜになる。
「――お仕置き、かい?」
その言葉にヒカルの肩がびくっと震えた。
「どんなことをされるんだい?」
「――い、言えないよそんなこと…。」
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目の前のかわいい少年は青ざめて首を振った。よほどむごたらしい事態が待ち受けているらしい。
芹澤はやるせないといったふうに溜息を軽くつくと、背中をさすった。
どうやら、ヒカルは何らかのきっかけで行洋に蹂躙され、しかも支配されつくしているらしい。もっとも、
芹澤とていくら引退したとはいえ神格化されている行洋に睨みでもされたらひとたまりもないのだ。
それが、いくら強いとはいえ、まだ低段のひよっこ棋士となればなおさらだ。
ヒカルに目を付けて身体を所望することぐらい、どうということはないだろう。
――それにしても…高潔な人格者だと信じていた行洋がこんないたいけな少年を稚児同然にしてい
ることに驚いた。しかも、実の息子の友人で同じ年なのに。
良心の呵責はないのだろうか。
いや、仮にあったとしても、ヒカルには子供らしからぬ匂い立つような色気と抱かずにはいられぬ魅力
があった。結局はそれに抗えなかったということだろうか。
(19)
「じゃ、じゃあ…」
芹澤はゆっくりとヒカルの頭を撫でた。
「何もしないから…こうして抱いているだけでもダメかい?」
ヒカルはいっとき、俯いて考え込んでいたが、芹澤の苦しい胸のうちを察したのか、小さく頷いた。
「う、うん…それぐらいなら…」
「キスは?」
「え…それは…ビミョー。」
廊下に続く襖を開けると、きちんと整えられた座敷に分厚い布団が延べられていた。本来はここで
ヒカルの身体を堪能しようとしていたのだが。
どぎつい布団の色にヒカルがぎょっとして芹澤を上目遣いに見た。芹澤はあわてて言いつくろった。
「心配しないで。何もしないから…何も。」
ヒカルを抱えたまま、布団の上にぺたん、と座り込む。うなじの匂いを思いっきり吸い込んだ。
本当はこのまま、そのうなじを舐めながらシャツを剥がし、その身体を楽しみたかった。だが、その結果、
ヒカルが酷い目に合わせられるのも切ない。
せめて、この手にみずみずしい肌の感触や匂いを焼き付けておきたかっただけなのだ。
薄暗い中でじっと背中から抱いていた。